第19話 ピンチはチャンス、とはよく言ったものですね!
――第二王子殿下が、拘束された。
その報告を聞いた瞬間、私は手にしていた紙を無意識に握り締めていた。
先ほどまで地下室に漂っていた静けさは跡形もなく消え、代わりに胸の奥へ嫌な予感がじわじわと広がっていく。
「どういうことですか?」
「詳しいことまでは、まだ……ただ、王宮騎士団の一部が殿下の執務室へ踏み込み、その場で身柄を拘束したとのことです。理由については『国家機密に関わる重大な容疑』としか伝えられておりません」
「国家機密……」
私は先ほど母が残した紙へ視線を落とした。
――あなたの出生を最も恐れている人物は、今も王宮にいる。
偶然とは思えなかった。
むしろ、ここまで露骨に重なってしまえば、偶然だと考える方が難しい。
「......ヴァイス様」
「ああ。俺も同じことを考えている」
ヴァイスは落ち着いた声で答えながら、私の手から紙を取り上げ、もう一度そこへ目を通した。
「誰かが、俺たちより先に動いたんだろう。君の出生に関する証拠が見つかったことを知って、第二王子殿下を黙らせようとしている」
「ですが、殿下を拘束して何になるのでしょう?」
「口を封じるには十分な意味がある。殿下は君の母君と接触していた数少ない王族の一人だからな」
そこで伯母が、静かに口を挟んだ。
「.......それだけではないわ」
「何かご存じなのですか?」
「ええ。レオニード殿下は、あなたのお母様から一通の手紙を預かっていたはずよ」
私は目を見開いた。
「手紙.......?」
「そう。あなたの出生について、本人が直接書いたものをね」
「では、今回の拘束は……」
「その手紙を奪うためでしょうね」
背筋を冷たいものが走った。私は母の日記を胸元へ抱き寄せる。
「……どうして、そこまでして私の出生を隠したいのでしょう?」
伯母はすぐには答えなかった。しばらく迷うように目を伏せ、それから静かに口を開く。
「王位継承に関わるからよ」
「ですが、前国王陛下はすでに亡くなられています。私がその子供だったとしても、それだけで王位を要求できるわけでは――」
「普通なら、ね」
伯母の言葉に、ヴァイスが眉をひそめた。
「普通なら、ということは.......?」
「あなたのお父上である先代国王には、正統な後継者を定める前に結んだ、ある約束があったの」
「約束……?」
「ええ。詳しくは日記を読めば分かるわ」
私はすぐに母の日記へ手を伸ばした。
古びた表紙を撫でる。
紙は黄ばんでいたが、文字は驚くほど鮮明だった。
一枚目を開く。
そこには日付とともに、母の字が並んでいた。
『今日、あの人から王家の秘密を聞かされた』
私は思わず息を止め、ページをめくる。
『もし私に子供が生まれ、その子が女児であったなら、王家はその子を無視できない。だが、私はその子を王宮へ差し出すつもりはない』
その文章を読んだ瞬間、胸の奥が締めつけられた。
さらに先へ進む。
『王位など、その子には必要ない。あの子には、ただ普通に笑って、普通に人を愛して、自分の人生を自分で選んでほしい』
「……お母様」
思わず声が漏れる。それは、母が私に最後まで与えたかったものだった。
王族としての地位でもない。
莫大な財産でもない。
ただ、自分の人生を自分で選べる自由。
五年間、私が手に入れられなかったものだった。
私は日記を握り締めたまま、次のページを開く。
そこには、短い一文があった。
『けれど、あの子を守るためには、私自身が悪者になるしかない』
「……?」
私は眉を寄せた。
「悪者になる……?」
伯母が静かに目を閉じた。
「あなたのお母様は、自分があなたを捨てたように見せかけたのよ」
「……だから、私は何も聞かされなかった?」
「そう。あなたに真実を伝えれば、あなた自身が王家の争いへ巻き込まれる。だから、あなたには『母に捨てられた娘』として生きてもらうしかなかった」
胸の奥に、鈍い痛みが走る。母が私を愛していなかったのではない。愛していたからこそ、私は何も知らされなかった。
そう考えると、五年間抱えていた寂しさの形が少しだけ変わっていく。
消えるわけではない。
けれど、意味が変わるのだ。
「……それでも、私は寂しかったです」
ぽつりと呟く。
「母がどれだけ私を守ろうとしていたとしても、私はずっと一人だった。事情を知らない私にとっては、それがすべてでしたから」
「ええ」
伯母は否定しなかった。
「だからこそ、あなたには怒る権利があるわ。母親だからといって、何もかも許す必要はないのよ」
その言葉が、不思議と心に残った。
愛していたから許さなければならない。
母親だから理解しなければならない。
そんな必要はないのだ。大切だったからこそ、寂しかった。その二つは、同時に存在していい。
「……ありがとうございます」
私がそう言うと、ヴァイスが隣から静かに私の肩へ手を置いた。
「君は、随分と強くなったな」
「そうでしょうか?」
「ああ。昔なら一人で抱え込んでいたことを、今はちゃんと言葉にしている」
「……ヴァイス様の前だからですよ」
「それなら、これからも俺の前では遠慮するな」
「では、遠慮なく申し上げますけれど」
「......なんだ?」
「私を一人で危険な場所へ行かせないという約束は、今後も守っていただけますか?」
「もちろんだ.......!」
「ふふっ、即答ですね」
「君に関してだけは迷う理由がない」
あまりにも真顔で言われたので、私は返す言葉を失った。
「……何度言えばわかっていただけるのでしょうか........まったく、そういうところですよ」
「む? ........何がだ?」
「時々、こちらが恥ずかしくなるようなことを平然と言うところです」
「事実を言っているだけだが?」
「その『事実だから問題ない』という顔をやめてくださいませ」
伯母が後ろで小さく笑った。
「あなたたち、本当に仲がいいのね」
「伯母様、今はそこを楽しむ場面ではありません」
「そう? 私は緊張している時ほど、笑える相手がそばにいる方がいいと思うけれど」
私は少しだけ笑った。
確かに、その通りかもしれない。
どれほど重い真実を突きつけられても、隣でくだらないことを言ってくれる人がいるだけで、人は少しだけ前を向ける。
その時だった。
地下室の入口から、再び騎士の声が響く。
「ヴァイス様! 大変です!」
「今度は何だ?」
「王宮から、正式な召喚状が届きました!」
騎士が差し出した封書には、王家の紋章が押されている。
私はそれを受け取り、封蝋を割って書面を開く。
そこには簡潔な文面が記されていた。
『リーシェ・フォン・アーレンス公爵令嬢に対し、王宮への出頭を命じる』
その下に記された名前を見て、私は目を細めた。
「……国王陛下からではありません」
「.......誰だ?」
「王太后殿下です」
ヴァイスの表情が一瞬で険しくなった。
「王太后……?」
「ええ」
私は書面をもう一度読み返した。そこには、さらに一文だけ付け加えられている。
『なお、出頭に際しては単独で参内すること』
「……一人で来い、ですって?」
思わず笑ってしまった。
「随分とまあ、分かりやすいお願いですこと」
「.......断れ」
ヴァイスが即答する。
「......嫌です」
「是非とも即答して欲しくなかったな......」
「ヴァイス様と同じことをしただけです」
「......これは遊びじゃないぞ」
「.......分かっています」
私は書面を机の上へ置いた。
「だからこそ、行きます」
「リーシェ.......」
「私の出生を恐れている人物が王宮にいる。そして第二王子殿下まで拘束された。ここで逃げれば、相手の思う壺です」
私は立ち上がった。
「むしろ好都合ではありませんか」
「……何がだ?」
「向こうから、私を王宮へ呼んでくださったのですもの」
私は封書を丁寧に折り畳んだ。
「こちらから探しに行く手間が省けましたわ」
ヴァイスが呆れたように息を吐く。
「君は本当に、追い詰められるほど楽しそうになるな」
「そう見えます?」
「ああ。目が笑っている」
「それはきっと――」
私は口元を上げた。
「五年間分の利息を、まだ全部いただいていないからでしょうね」
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