第12話 相手を追い詰めて行きますわよー!?
翌朝。
王宮の一室には、昨夜から一睡もしていないらしい官僚たちが集められていた。
机の上には、六年間分の帳簿と決裁書、送金記録、そしてローデリックから押収された手紙が山のように積まれている。
普通なら、これだけの証拠が揃えば事件は終わったと考えるだろう。
けれど私は、昨夜からずっと引っかかっていた。
――グスタフ・ベルンハルトの上に、まだ誰かいる。
あの男の顔を見た瞬間に分かった。
グスタフは確かに悪人だ。
けれど、自分で全てを決めて動かしていた人間の目ではなかった。あれは、もっと上から命令されている人間の目だ。
「リーシェ様、おはようございます」
「おはようございます。……司法長官様、昨夜は眠れましたか?」
「ええ、とは言えそうにありませんね。ほとんど眠れませんでした。これだけの不正を一晩で整理しろと言われましても、私の頭が二つあればよかったのですが」
「それなら一つは休ませて、もう一つに働いてもらえばよろしいのでは?」
「そのような便利な頭脳を持っているなら、私は今頃もっと出世しておりますよ」
司法長官が苦笑する。
その横では、ヴァイスが大きな欠伸をしていた。
「ヴァイス様?」
「……起きている」
「今、目を閉じていましたよね?」
「考え事をしていた」
「口も半開きでしたけれど?」
「深く考えていた」
「なるほど。では、その深い思考の内容を伺っても?」
「朝食は何にしようか、と」
「…………」
司法長官が吹き出した。
「騎士団長殿。緊張感というものを少しは――」
「昨夜からずっと張り詰めていたのだから、朝くらいはいいだろう」
「あなたは朝以外も大概ですけれどね」
私がそう言うと、ヴァイスは少しだけ笑った。
「君が笑っているなら、それでいい」
「……そういうところだけ妙に格好いいのは反則です」
「そうか?」
「そうです。普段との落差で余計に腹が立ちます」
「褒められたと受け取っておこう」
私は小さくため息をついた。
この人は、本当に調子が狂う。
けれど――。
こうして隣にいてくれることが、今の私にとってどれほど心強いのかも、もう分かっていた。
◇
「では、調査を再開しましょう」
司法長官が資料を一枚持ち上げた。
「昨夜、グスタフ・ベルンハルトの執務室を改めて捜索したところ、隠し金庫が発見されました」
「隠し金庫?」
「はい。問題は、その中に入っていたものです」
差し出された紙を受け取る。
そこには、王宮財務局のものとは異なる印章が押されていた。
私は眉をひそめる。
「……これは?」
「財務局の正式な印ではありません。ところが、六年前から現在まで、この印章を使った書類が複数発見されています」
「つまり、誰かが非公式に指示を出していた?」
「その可能性が高いでしょう」
私は書類をめくっていく。
そして、一枚の決裁書で手が止まった。
「……この名前」
そこに書かれていたのは、王宮の高官の名前だった。
しかも――。
私は思わず目を見開く。
「財務大臣……?」
「はい」
司法長官が頷く。
「現在の財務大臣、エドガー・フォン・ローデンベルク侯爵です」
室内の空気が一気に重くなる。
財務大臣。
王国の金銭を管理する最高責任者。
もし彼が黒幕なら、今回の不正は一地方の横領などではない。
ーーー王国そのものを揺るがしかねない。
「ただし、まだ断定はできません」
司法長官が慎重に続ける。
「この書類だけでは、財務大臣が直接関与した証拠にはなりません。印章が使われたというだけで、本人が指示したとは限りませんから」
「そうですね」
私は頷いた。
「だからこそ、本人に聞いてみましょう」
「……本人に?」
「ええ」
私は立ち上がった。
「これだけの証拠があるのです。だったら、本人に説明していただけばいいだけでしょう?」
司法長官が苦笑した。
「リーシェ様は、本当に怖い方ですね」
「心外ですわ」
「どの口が言うんだ」
ヴァイスが横から口を挟んだ。
「あなた、昨夜グスタフを追い詰めた時、ものすごく楽しそうだったぞ」
「楽しくなどありません」
「『五年分まとめて精算していただきましょうか』と言った時の顔は?」
「……あれは事実確認です」
「笑っていた」
「気のせいです」
「目が笑っていた」
「.......ヴァイス様?」
「何でもない......」
彼は素直に視線を逸らした。
私はその肩を軽く叩く。
「後で覚えておいてくださいませ」
「……善処する」
「その返事は信用できませんね」
そんなやり取りをしていると、扉の外から声が響いた。
「財務大臣閣下がお見えになりました!」
室内の空気が、一瞬で変わった。
◇
扉が開く。
現れたのは、白髪を綺麗に整えた初老の男だった。
豪華な礼服に身を包み、胸元には王家から授けられた勲章がいくつも輝いている。
エドガー・フォン・ローデンベルク侯爵。
王国財政の頂点に立つ男。
彼は室内を見回すと、最後に私へ視線を向けた。
「これはこれは……アーレンス公爵令嬢。今回の件は、大変な騒ぎになっているようですな」
「ええ。おかげさまで、かなり賑やかになっております」
「若い女性がこのような事件に首を突っ込むのは感心しませんな。財政というものは、素人が数字だけを眺めて理解できるほど単純ではありません」
「あら」
私は微笑んだ。
「では、数字を理解しているはずの専門家が、六年間で数千万もの金貨を消した理由について説明していただけますか?」
「…………」
侯爵の眉がわずかに動いた。
「それはグスタフの独断でしょう。彼については私も非常に残念に思っています。まさか私の部下がそのようなことをしていたとは、夢にも思いませんでした」
「そうですか」
「ええ。ですから、私自身には何の責任も――」
「でしたら、こちらの印章について説明していただけますか?」
私は机の上に書類を置いた。
侯爵の視線が落ちる。
そして――。
ほんの一瞬。
彼の表情が固まった。
「……これは」
「昨夜、グスタフ様の隠し金庫から発見されたものです」
「偽物でしょう」
「まあ、早いですね」
「何がです?」
「まだ鑑定もしていない段階で偽物だと断言なさったことですわ」
「……」
「普通なら、『これは何ですか?』と尋ねるところでしょう?」
侯爵の顔から笑みが消えた。
私はその反応を見逃さない。
「それに不思議なのです」
私はもう一枚、書類を取り出した。
「この印章は、王宮財務局では使われていません。ですから、私は昨夜初めて見ました」
「…………」
「ところが侯爵様は、見た瞬間に『偽物』だと判断なさいました」
私は静かに首を傾げる。
「なぜでしょうか?」
誰も口を挟まなかった。
侯爵はしばらく黙っていたが、やがて苦々しく口を開いた。
「……財務に長く携わっていれば、その程度のことは分かります」
「そうですか」
私は頷いた。
「では、もう一つだけ」
「……何です?」
「この印章を使って指示された資金移動のうち、十二件が侯爵様の個人口座へ繋がっております。これについても『長年の経験で分かること』として説明していただけますか?」
「――っ!」
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