27話 新生
副団長室の机の引き出しには、繊細な筆跡で書かれた膨大な記録があった。
『剣凶が名を馳せるきっかけとなったビッグホーンの大量発生は、『スタンピード』に違いない』から始まった書物は分厚く、ルシアは読むのに二日かかった。
幼い頃から自分に魔力があると気付いていたマルスランは、密かに王宮図書室で魔法に関する書物を読み、研究していた。
『スタンピードが起こった、ということは、少なくともその場所には『魔素』が一時的にでも大量発生したということだ。
何世代も前の魔法戦争で枯渇した、この『魔素』という資源が再びもたらされたならば。すなわち魔法が蔓延る世界となる。
危機感を持ち魔法研究を推し進めようとしたが、貴族たちは自分の懐を肥やすことに夢中。特に財務大臣による横領は、国庫にまで及んだ。
武力の懸念もある。騎士団長への嫉妬からか、辺境伯がクーデターを目論見、西の帝国との不穏な動きを感知。
貴族の間にも不可思議な出来事が起こり始めている。魔法が徐々に顕在化してきているとしか考えられない。
――平和は、砂上にある。
王国は今すぐにでも、脆く崩れ去るだろう。一人で怯えていたところに現れたのが、お見舞い係だった』
○●
王宮裏庭の最奥にある、塔の最上階。
膝の上に白トラ猫を乗せ、愛おしそうに背を撫でながら、半身が悪魔となったマルスランは微笑んでいる。
部屋の四隅に盛り塩、天井付近にはたくさんの封じの呪符、扉には結界の魔法陣を描いたこの場所で、マルスランは心穏やかに過ごしていた。
騎士団本部への悪魔襲撃から十日が経ち、ようやくルシアとジョスラン、クロヴィスが、三人揃って訪れている。
「これは、非公式です」
クロヴィスが開口一番断りを入れると、マルスランは眉尻を下げた。
「分かっているし、機密情報は話さなくて良い。僕に聞きたいことがあれば、いくらでもなんでも答えるよ」
「……僕?」
ジョスランが片眉を上げると、マルスランはふふ、と笑う。
「もう、取り繕う必要はないからね」
ふーっと大きく息を吐きながら、ジョスランは窓近くの壁に背をもたせかけ、苛立った声を出す。
「ったく。よくもあれだけ悪者を演じられたものだな」
「全部が演技なわけでもないよ? 本心でもある。醜い心につけ込ませないといけなかったからね」
「……自己犠牲も、いい加減にしろ」
「怒られちゃった。僕の方が兄なんだけどな」
しばらく兄弟の会話を見守っていたルシアが、丸テーブルを挟んでもう一脚ある椅子に腰掛け、マルスランを正面から見据える。
「今から話すことは、わたくしの妄想ですが、どうかお付き合いください」
「事情聴取の下準備も兼ねていると受け取っていいかな?」
「いいえ。貴方様は、悪魔を討伐しようとして死に、火事に巻き込まれて遺体も消失しました」
瞠目したマルスランは、クロヴィスを勢いよく振り返る。あまりの激しい動きに驚いたヒスイが、膝から床に飛び降りて、ルシアの膝へ駆け上がった。
「どういうことだ、クロヴィス!」
「それも、ルシア様の妄想をお聞きください」
クロヴィスは恭しい態度で、持ってきた茶器から、カップにお茶を注ぎ始めた。
マルスランは唇を噛み締め、それ以上何かを言うのを耐えているようだ。
「どうか、お茶を飲みながらのんびり聞いてくださいませ――王弟殿下のご子息であり、王国騎士団副団長マルスラン様は、魔力を持っていました。貴族も庶民も魔法が失われて久しい世界では、知識は無くなっていたに等しい。古の魔法使いが復活したところで、誰にも危機感がない。そこでマルスラン様は、自身で近づくしかないと考えた。きっかけは、ジョスランが、ゾランダーを取り逃したこと」
ジョスランが、ゴクリと息を呑む音が聞こえた。
「この王国最強の騎士ですら、倒しきれない脅威的な存在。さらに続けて、コルトー伯爵領での異常事態。お見舞い係によってゾランダーの力が大きく削がれたのを良いことに、直接近づいて利用し、この王国最大の悪である、辺境伯と財務大臣を消すことを思いついた。あれほどの権力を持つ人間を、一度に失脚させることは、難しい。けれども悪魔の仕業ならば、と」
ルシアは、ソーサーを持ち上げると一口、お茶を飲んだ。
「疑り深い辺境伯を納得させるために、大規模な洗脳をやって見せた。これで、あっという間に王国騎士団にとって代わることができる。だから西の国にはまだ手を出すな――抑止でもあったのではと思います。クーデターを画策していた証拠は、辺境伯トビア・ギルメットの長男から宰相閣下へ提出されています。西との密約も」
クロヴィスがルシアの意見は正しいとばかりに頷いて見せると、マルスランはやれやれと息を吐いた。
「ギルメットの息子はまだ、会話が成り立つ人物だったか」
マルスランの言葉に、クロヴィスはキッパリと首を横に振った。
「いいえ全く。なので、ガエルに謝罪させ下に出ました。マルスラン様のためなら、頭などいくらでも下げると言ってくれたので」
ルシアは、ふっと微笑んでクロヴィスを見てから、ランに目を戻す。
「トビアは、猛烈な嫉妬で狂っていったのでしょう。そこにつけ込むのは、悪魔なら造作もないこと。ゾランダーは人の悪意を喰らい、力を取り戻していった。危機が迫っても、誰の意識も変えられなかったことは、ラン様を追い詰めたのではと思います」
ルシアは、テーブルに載ったカップへと目線を落とした。
「冷酷にも子どもの命を使い、騎士演習で悪魔召喚を」
「その通りだよ」
淡々と肯定するマルスランに、ジョスランが激昂した。
「違うだろう! ゴタイは金のために、自ら悪魔に体を売ったんだ! 五人の子どももっ、栄養失調や病気で亡くなった遺体を利用したんだろ⁉︎」
「ジョスラン。貧しい孤児院があること自体が、国の罪だ。孤児院長は悲しみを誤魔化すために、普段から『悪い子は悪魔が食べる』と子どもたちに言い聞かせていたんだよ。本当にこの国は……終わってる」
ルシアは、目でジョスランを気遣ってから、さらに続ける。
「王国の膿である財務大臣が亡くなったことで、王国全土の不正や横領の調査が始まっています。まさか大臣を異形に変化させるとは思いませんでしたが、あのようなことをしたくなるほどの醜さが、アギヨン伯にはありました。調べれば調べるほど、吐きそうです」
「悪は悪でしか裁けない。僕も狂っていたよ」
「いいえ。貴方様は冷静でした。わたくしを殺さず射抜けるのですから」
「……悪かった」
「謝罪は不要です」
頭を下げたマルスランに、ルシアは微笑みかける。
「ギルメットもアギヨンも、本当にマルスラン様がと疑っていたのでは。だから宰相閣下の義理の姪であるわたくしを害して、信を得た」
「うん。それにそうすれば、ジョスランが僕を殺してくれると思ってさ。実際、すごい殺気だったよね」
ゴフッとジョスランが盛大に咽せたが、ルシアはとりあえず触れずにおく。
「悪魔召喚を機に、マルスラン様は騎士団に魔法研究部門を作ろうと働きかけました。それでも尚、足取りは重かった。誰もがまさかと思っていましたし、悪魔は公には、騎士たちと偶然の落雷によって倒された、とされたからです。財務大臣の事件で、ようやく高位貴族たちに絶大な恐怖を振りまくことに成功しました」
「けれど、それでも足りなかった。予算を組んだとて、また誰かに搾取されてしまったら意味がない。後はもう……どうすれば良いのか」
落ち込んだ様子のマルスランに、今度はクロヴィスが口を開く。
「魔法研究部門の設置が、決定しました――弔いだと訴えましたから」
マルスランが、目を限界まで見開きクロヴィスを振り返る。
「そうか……! 王族が、悪魔に殺されたなら……!」
「はい。完璧な筋書きでしょう? 陛下によって承認され、殿下が主導されています。逆らえる貴族は、いないでしょう」
「なんということだ……ハハ、ハハハ……僕の苦労も少しは報われたかな」
マルスランは、天井を仰ぎ目をぎゅっと閉じた。しばらく何かを考えた後で、顎を引きルシアを正面から見据えた。
「そしてその妄想は、どこに終着するのだろう」
「ええ。ここからは、公に記録をさせていただきたいのですが」
おほん、とルシアが一つ咳払いをする。
「そのお姿のため、長い間深い森の中に隠遁していた『大魔法使いラン様』を、魔法研究部門へ招聘いたします。これはその、契約書です」
「え、と。ラン様、というのは僕のこと?」
「はい。マルスランとゾランダー。だから、ラン様。我ながら良い名ではと」
マルスラン――ランは、しばらく絶句した。
宙を彷徨う視線は、ルシアがテーブルに広げた契約書を上滑りしている。
おそらく過去や自身の心の中を見ているのだろう。様々な葛藤が垣間見え、ルシアは辛抱強く次の言葉を待つ。
「……甘いよ。僕は半分悪魔だし、たくさんの罪を犯した」
ようやく出てきたランの言葉は、ルシアの予想通りだった。だから、強く否定する。
「そうですね。ですが貴方様が殺したのは、辺境伯と財務大臣。副団長権限での極刑も許されるはずです」
「私刑だし、洗脳した騎士たちの人生を変えてしまったのは、重罪だよ」
「……また邪な考えを持つ誰かが現れ、悪魔を召喚してしまったら、危険です。ぜひ、一緒に研究を」
「僕には、荷が重すぎるよ」
自嘲気味に笑うランを、今度はクロヴィスが強い言葉で否定した。
「そんなことはありません! マルスラン様は、アカデミーで少しでも素養のある人間を見つけては、魔法の知識を授けていたのでしょう! そのおかげで私は、悪魔と戦えました」
「クロヴィスは、僕が見た中で一番優秀だったからね」
ルシアは、テーブルの上にあるランの『悪魔の手』に、自分の手を重ねる。ビクッとランの肩が波打ったが、ルシアは気にせずぎゅっと手を握った。
「事実、わたくしは、クロヴィスの知識と魔法に何度も命を救われました。間違いなく、貴方様のお陰なのです」
「そうか……そう、か……」
ランの右目は、黒い眼球の中に赤い虹彩。左目は、翠がかった青。全く違う色の目から流れるのは、等しく透明の涙だ。
「ああ、嬉しいなあ。僕はずっと孤独だと思っていた。精一杯のことをしてから、優秀な弟に国の未来を託して死ねばいいと」
ランの言葉にすぐさま反応したのは、ジョスランだ。
「誰が優秀だって? 俺こそ騎士団にいた頃はいつも優秀な兄と比べられて、嫌味ばかり言われていた」
「剣凶に、嫌味⁉︎」
ランが驚きで顔を上げると、ジョスランは肩を竦ませた。
「目立つ奴が気に食わないからと、いい加減に貶す人間は一定数いるもんさ」
「そうか……だから父上は、ガエルと仲違いのフリをしていたんだね。騎士たちの不満を逸らすために」
「溜まった膿を出させるための、苦肉の策だ。情けない話だな」
ジョスランは背を壁から離し、カツカツとブーツの踵を鳴らしてテーブルに近づいてきて、ランの手に重ねたルシアの手の上に、自分の手を重ねる。
「力を貸してくれ……兄上」
「ジョスラン」
「魔法と共に生き、脅威を排除する道を、共に作っていこう。どうか、頼む」
「それには、……条件がある」
「なんだ」
「騎士団に、戻れ。ジョスランが団長になるんだ! ガエルではダメだ」
ジョスランは返事をする代わりに、ふっと頬を緩ませ手を離した。
それを合図に、今度はクロヴィスが脇から身を乗り出すようにして、契約書の一部を指差す。
「こちらを、ご覧ください」
「……え?」
署名欄には、ジョスランとクロヴィス、ルシアの名前がある。それらの肩書きはそれぞれ――
「騎士団長、副団長兼魔法師団長、魔法師団所属お見舞い係……!」
読み上げてからガバリと顔を上げるランに、ジョスランは満面の笑みを見せた。
「兄の弔いなんだ。俺しかいないだろう?」
「っ……ああ、ああ!」
さらに涙を溢れさせるランに、ルシアはハンカチーフを差し出した。
マルスランはそれで涙を拭うと、すっきりした顔で笑う。
「清く正しいだけでは、立ち行かない。覚えておいて。さて、中身を読もうかな」
契約書を精読し始めるランを見守る三人は、お互い目を合わせて満足げに頷いた。
ようやくこの王国の、再編が始まる。その時に立ち会っているのだ、と。
○●
「やはり騎士団へ戻るか、クロヴィス」
「はい。ここまで育てていただいたのに、申し訳ございません」
宰相室で深々と頭を下げる宰相補佐官に、フラビオは思わず天井を仰いだ。
クロヴィスの背後にはルシアとジョスランが見守るように立っていて、ルシアの腕の中には白トラ猫姿のヒスイがいる。
「わたくしからも、どうかお願い申し上げます。叔父様」
「そこで叔父様呼びは、狡いよルシア」
「本心なのですが」
また正面を向いたフラビオが、優しい眼差しでルシアを見つめた。
「本当にやりたいことが、見つかったんだね?」
完全に親戚の叔父さんの顔だ、とルシアはいきなり恥ずかしくなる。
「……はい」
「そうか。そう、か」
潤んだフラビオの瞳に、ルシアはますます気恥ずかしくなり、早口で言い訳を始めた。
「だいたい、貴族ってほんと自己中心的で。民の血税で生かされているって自覚はないし。他人の悪口とか嫉妬とか恨み言ばかりで、自分が言うのは良いのに言われるのは嫌。そんなんじゃ、穢れが溜まりに溜まりまくって、いくらお祓いしてもキリがない。わたくしでなくて、誰がお見舞いできましょう」
焦ったジョスランが
「おい、ルシア。そうじゃない奴らもいるぞ?」
とフォローを入れてみるも、
「甘いわよ、ジョー」
と一蹴される。
二の句が継げなくなるジョスランへ、クロヴィスが助け舟を出す。
「ルシア様。事実、騎士団の立て直しをと声を上げてくれる騎士もいるのですよ。それから、魔法を学びたいと言ってくれる貴族も、出資を申し出てくれる貴族も」
「そんなの、マルスラン様の人徳ありき。一時的なものでしょう」
「「うっ」」
ルシアの一声にやり込められるジョスランとクロヴィスを見たフラビオは、ガッハッハ! と大笑いをしてから言い放った。
「それでルシアは、どちらと婚約するんだ?」
先ほどまでの流暢な発言はどこへやら。ビキッと固まったルシアに、ジョスランとクロヴィスがそれぞれ手を差し出す。
「俺は前から申し込んでいる。苦労はかけるが退屈はさせん」
「私と魔法研究をしながら暮らすのも、楽しいですよ」
「はい⁉︎」
顔を真っ赤に染めたルシアは、男性二人の手を取ることなく、フラビオに迫った。
「そんなことより叔父様! また澱みが溜まりに溜まりまくっていますわ。お祓いせねばっ」
「はっは。そうだね。どうにも肩凝りが酷い」
ルシアがいつも通り場を清め始めると、ジョスランとクロヴィスは顔を見合わせ笑った。
にゃあんとヒスイが鳴き、宰相室に――爽やかな風が吹いた。




