28話 禍福
「また悪夢ですか」
「うん……なんでだろう」
ある日の昼下がり。
王子の私室に呼び出されたルシアは、ベッドに横になった王子を目にしながら、壁際を一周ゆっくりと歩いた。
傍らには、ヒスイがのしのしと追従している。王宮内では魔法師団所属の『虎』として、通行証代わりに騎士団紋章を首輪から下げていた。その存在はすっかりお馴染みになり、護衛の近衛騎士たちが触りたそうなのを必死に我慢しているのが、可笑しい。
「殿下。騎士任命式へ臨む際のお衣装について、いつものオートクチュールを却下されたとか」
「え? ああうん。このご時世に華美が過ぎると何度も言ったんだけど、聞いてくれなくて」
「おそらく、その恨みが澱んでございます」
「はあ、なるほど」
身を起こそうとした王子を、ルシアは止めた。
「どうかそのままで」
四隅に盛り塩を置き、澱みが溜まりやすいベッドの枕元へ破邪の呪符を貼り、刀剣の構えで真言を唱えると――部屋の空気が少し明るくなった。
「これで二、三日様子を見てみてくださいませ」
「うん。ところで、どちらと婚約する気なの?」
「……忙しくてそれどころでは」
ガバリと王子が飛び起きた。目の下には真っ黒な隈があるが、目には光が戻っている。
「なんで? 申し込まれてからだいぶ経つって聞いたけど」
「考えるような余裕はございませんでしたので」
王子は、はぁと大きく息を吐いて眉尻を下げると、ルシアの背後へと目線を向けた。
「なら、今決めちゃいなよ。ねえ?」
「?」
ルシアが振り返ると、壁際で腕を組んで苦笑している、二人の騎士がいる。
「ガオン!」
ルシアが何か言う前にヒスイが駆け寄ったので、クロヴィスは片膝を突き、両手でわしわしと頬を撫でた。
「いつ戻ったの?」
ジョスランは、もっと他に言うことはないのかと言いたげに、眉尻を下げる。
「ついさっきだ」
新生騎士団の団長と副団長は、王国中の騎士団支部や屯所を回っていて、忙しい。
今まで地方は領主や班長任せで、放置――好き放題ともいう――されていたのもまた問題視された。旧体質を変えるため定期的に訪れたり、王都の部隊と合同訓練するような取り組みを作ろうとしている。
三人揃って再会したのは、実に三ヶ月ぶりのことで、いつの間にか新しい年を迎えようとしている。
「久しぶりに祓うところが見たくて急いで戻ったんだが……見事だった」
(殿下が、ジョーの予定に合わせて呼んだのね。してやられた)
ベッド上の王子は、謀がうまくいった、と言わんばかりの笑顔だ。
「ルシア嬢。こういうのは勢いだと思わない?」
「思いません」
「はああ。でもこれだけ覚えておいて。ジョスランもクロヴィスも、すっごくモテる。あちこちの縁談の打診を断るのにも」
「殿下。お元気になったようで何よりです。他の任務がございますので、申し訳ございませんがこれにて」
ピシャリと遮ったルシアを咎めず、王子はただ肩を竦めた。
ルシアは丁寧なカーテシーをして退出し、後ろを追いかけるように廊下へ出てきた二人へ向き直る。
「で。本当の用事はなんなのです?」
いくら王子が呼んだとしても、ルシアの婚約のために急いで戻る必要などない。火急の用件があるに違いないのだ。
「……バレたか」
ジョスランがバツの悪そうな顔をする隣で、クロヴィスが眼鏡を指で押し上げ軽く息を吐く。
「このまま『封じの塔』へ行きましょう」
現在魔法師団は、とりあえずランのいる塔――封じの塔と呼ばれている――で魔法研究を進めつつ、魔力を持つ人材を集めているところだ。
すっかり通い慣れた道を行き、長い螺旋の石階段を登り、結界扉を正しい手順で開けると――ローブ姿のランが書物を片手に本棚の前に立っていた。半身悪魔の姿はすっかり馴染み、少し伸びかけの髪を後ろで結んでいる。
「やあ。みんな揃って、ようこそ」
挨拶を済ませたルシアは、丸テーブルの上に載った水晶玉が、時折キラッと鋭い光を放っているのに気づいた。
窓から入ってきた太陽光を反射しているのかと目を細めたが、どうやら違う。
(なんだろう。嫌な予感がする……)
「ラン様、これは」
「凶位を、占ってみて」
ランの言葉に、ルシアは瞬時にこの国の暦を思い浮かべる。
そしてその暦を方位盤で占うと、西が『暗剣殺、本命的殺、天道』と出た。
ルシアは手近にあった紙に結果を書き写しながら、戦慄する。
「西で、何かとてつもなく悪いことが起きようとしている……!」
暗剣殺とは最凶の方位であり、これを犯すと剣難にあって、主人は使用人に、親は子に殺されることがあるという。
本命的殺とは、大凶の方角とされ、これを犯すと災難にあう。
天道は、凶方位を相殺する陽の力だ。
方位盤とルシアの文字を見たランが、笑顔で言い切った。
「うん。僕の予想と一緒だね。天道というのは、きっと君たちのことだ」
「わたくしたちが、天道……! でも、団長も副団長も不在となると、王都が手薄に」
ルシアの懸念に、クロヴィスが微笑む。
「心配無用です。元騎士団長が張り切っていますから」
「ガエル様が!」
「はい。いつまでも引退する気がないようです。困ったものですよ」
「心強いわ!」
緊張を緩めたルシアの一方で、ジョスランの表情は強ばる。
「ガルガンディア帝国との密約は、前辺境伯の独断。本人死亡により破棄されたはずだったんだが……」
言い渋るジョスランの後を、クロヴィスが継いだ。
「我がルシュール王国保有の、西の国境にある鉱山なのですが。慎重な調査の結果、魔素溜まりがあることが判明しました。ということは鉱石だけでなく、魔石が採掘できるかもしれない」
「魔石……?」
ルシアが首を捻ると、ランがおもむろに本棚から一冊の本を取り出し、とあるページを開いて手渡す。
「魔法があった頃の世界では、魔石というのは二種類あった。魔素が鉱石に吸着して、魔力を持った石に変化したものと、魔獣の体内に魔素が蓄積されて結晶化し、討伐したら獲られるもの。今回の場合は前者だね。どちらも性質は同じで、魔力を通すと光ったり熱エネルギーを発したり、魔法を強力にしたり……魔道具というらしいんだけど。それに使う資源」
ルシアは本から目を上げられない。
「そんなものが見つかったとしたら、喉から手が出るぐらい欲しがるはず」
「うん。ガルガンディアは魔石資源を見込んで、辺境伯と密約を結んだに違いない」
ランの説明を聞いたジョスランは、心底嫌そうだ。
「奴らめ、新しい辺境伯との友好関係を築くとかなんとかで、早速王女を婚約者に差し向けてきた」
「また争いの種になりそうね。すぐに出立しましょう」
意気込むルシアに、紅色の目の騎士はそっと耳元で囁く。
「俺の馬なら酔わないもんな」
「ひっ! ヒスイに! 乗りますから!」
「なんだ、残念」
真っ赤になるルシアとジョスランがやり合っているのを尻目に、クロヴィスはヒスイの首元に顔を埋める。
「ヒスイ。私はいつまで当て馬役をすればいい?」
「ガオ?」
するとランがまさに、悪魔の笑みを浮かべる。
「当て馬とか言わずに、本気で奪っちゃえばいいよ。情けない弟なんて、髪の毛さえあればこの僕が」
慌てたのはルシアだ。
「ちょっ、ラン様! 呪いなんてしないでください! クロも、何真面目に聞いてるの⁉︎」
「せっかくなので、やっていただこうかと」
「はあ!?」
「おいおい、勘弁しろ」
ワイワイ言いながら、遠征の段取りをする。窓の外には、粉雪がちらつき始めていた――
○●
西の辺境伯ダニオ・ギルメットは、父親そっくりの低身長で手足が短く、横幅のある体格で、父親以上に欲深い性格であった。
魔石資源を狙い、姻族関係を結ぼうと送り込まれたガルガンディア第五王女は、十六歳で世間知らず。
お披露目夜会において、長身で容姿端麗かつ王弟の息子というジョスランに、あろうことか一目惚れしてしまう。ダニオの見た目にも所作(エスコートも傲慢で、二の腕を掴んだり、胸元ばかり見たり)にも嫌気が差していたワガママ王女は、その場で声高に婚約破棄を宣言。
激昂し大暴れし始めた辺境伯は、ジョスランたちを口汚く罵るだけでは飽き足らず、あわや隣国王女へ開戦宣言か、というその時――ルシアがキレた。
「蛆虫の次は、ダニかっ! 血を吸うだけの、害虫め! 己の欲で王国の未来を害するなど。調伏してくれるっ」
ルシアは白虎姿のヒスイを率い、ダンッダンッと足音を響かせながらダンスホールの中央へと出ていく。
その姿を見たジョスランとクロヴィスは、ダニオを強制的に排除――剣技での血祭りか魔法での火炙りか――することを寸前で取りやめた。
出席者たちが何事かと息を呑んで見守る中、ルシアは大きく右手を抜剣のように振り上げ、刀剣の構えをする。
「ルシュール王国魔法師団所属、お見舞い係! この場の穢れを一切合切、お見舞いいたしましょう!」
騒然としていたダンスホールは、舞踊のようなルシアの反閇に白虎の躍動、それから心を鎮める真言で落ち着きを取り戻していった。
○●
人々がルシアの動きに目を奪われている間に、ジョスランとクロヴィスは素早く動き、ダニオを外患誘致未遂罪として捕縛。そのまま尋問したが、低俗な罵倒を続けるだけで、聴取は無駄骨に終わった。
「やれやれ、やはり首謀者を捜さねばか。それにしても、相変わらずルシアは気高く美しかったな」
「同感です。私も、選ばれたくなりました」
「おい、クロ」
「ふふ」
――こうしてお見舞い係は、この異世界の呪縛に、抗い続けるのだ。




