26話 封印
「グギャアアア、タス、助けてくださいマイロードおぉぉ」
満身創痍となったゾランダーは、助けを求めて建物内へ飛び込む。ルシアは、ヒスイに追いかけるよう指示を出しながら、背に跨りクロヴィスを誘った。
「乗って!」
「はいっ」
二人を乗せたヒスイは、外壁とバルコニーをあっという間に駆け上がり、難なく割れた窓から部屋の中へ飛び込む。
「うお⁉︎」
驚き飛び退くジョスランと、渋い表情のマルスランに迎えられ、ルシアはヒスイから飛び降りて式札を構えた。
「グギャアア」
炎に包まれた悪魔が、身をよじりながら室内でも飛び回っている。あまりの熱気に、ルシアは顔をしかめた。
「ゾランダー。邪魔をするな」
手の中に黒い炎を持ったマルスランが、悪魔を睨め付ける。
「ヒイイィ、焼けるゥ、焼けちゃう、死んじゃうよぉおおおお」
必死で逃げ惑う悪魔へ向かって、ルシアは式札を投げ、クロヴィスはルシアの背後から腕を伸ばし魔法を唱える。
「邪な鬼を焼き尽くせ、急急如律令!」
「ファイアストーム!」
「グギャアアアアアア」
火だるまで暴れる悪魔から飛び散った炎が、調度品に燃え移り、赤々と室内を照らしだした。
ゾランダーは今や、焼け爛れた左腕と炭化した右腕を動かすことすらできない。バサバサと音を立てる翼は、穴だらけ。瀕死まで追い込まれているが、しぶとい。
「ふん。倒しきれなかったか。見込み違いだな、お見舞い係」
マルスランのセリフに、ルシアはパチパチと目を瞬かせた。
「マルスラン、様……?」
「クロヴィス。貴様の脳みそはただそこにあるだけか? アカデミーで様々なことを教えてやったのに、焼くだけとはな」
クロヴィスが、目を見開いて息を呑む。
びたりと動きを止めたゾランダーが、燃え盛る炎の中、首を傾げた。
「マイロー……?」
マルスランは、心底呆れたというような態度で、ルシアを見やる。
「どこまでも世話が焼ける……この魔法陣を使え」
ルシアとクロヴィスは、マルスランの足元を見てから、急いで構え直した。
「ジョー! とにかく、悪魔の動きを止めてっ」
「お、おお」
ゾランダーが、ワナワナと全身を震わせる。
「な、ぜ、なぜ。う? 裏切ったあ? 裏切ったのかアアアアアアア!」
マルスランは、吐き捨てるように言う。
「この私が悪魔ごときと結託するわけがなかろう」
「キーさぁまあーーーーーーーー!」
燃え尽きそうな体をのけぞらせ、ゾランダーが渾身の力で吠える。
ビリビリと空気が震える中、ルシアは負けじと声を張る。傍には、ヒスイが控えている。
「この世界のありとあらゆる神々よ、不動明王様をご顕現あらせたまえ。あらゆる忌み事禍事を打ち祓うをお助けたまえと、恐み恐みも白す」
それからルシアは刀剣の構えをし、真言を唱えた。
クロヴィスがそれに合わせて、魔法を唱える。
「清めの炎よ! 今こそ悪魔を殲滅せよ!」
ジョスランは剣で、悪魔を押し留める。
燃え盛る炎が集まって、不動明王様を形作り、悪魔へ襲いかかった。ルシアはより一層強く真言を唱える。クロヴィスも、魔法を唱え続ける。
「グギャアアアア、苦しい! 苦しいいいいいいイィいぃ」
やがてゾランダーは床に両足を着け、頭を抱えて苦しげに身をよじり始めた。
動く度にボロボロと体が崩れ、肩や腕から灰が舞う。
マルスランは手に黒い炎を浮かべたまま、じっと様子を見ていたが、やがて呟いた。
「なるほど。現世の存在は失われるだろうが……やはり足りぬか」
ルシアの脳裏に、ブリアック侯爵家で取り逃した時のことが浮かんだ。
「調伏して灰だけになっても! 逃げられます!」
「調伏?」
わずかに首を傾げるマルスランに、ルシアは早口で補足した。
「悪行・魔障を祓う――滅する、理です」
「なるほどな。この世界のものと融合した悪魔を送還することも、もはやできん」
ルシアは頭の中で、鬼退治の方法を反芻する。
――万全の準備をして封印するか、騙したり弱点をついたりして討伐するか、お願いしてお帰り願うか。
討伐しきれない。送還もできない。ならば残りは。
マルスランはルシアをチラリと横目で見てからジョスランを見やり、そして告げる。
「兄への情は消え失せたと思うが。最後まで手を抜くなよ」
「は? おい!」
なぜか満足げな顔をしたマルスランは、ルシアへ向き直る。
「このように短気で激情家だが、良い奴だ。弟のことを頼む」
そして返事を待たず、止めとばかりにゾランダーへ向けて、手の中にあった黒い火を放つ。
「さあ。ここに貴様の新たな肉体があるぞ」
「! ギャハアあ!」
恍惚とした顔に変わった悪魔は、黒い火魔法によって崩れて灰になった肉体をあっさり捨てると、煙状となってマルスランの体をぐるりと取り囲んだ。
「マルスラン!」
「マルスラン様!」
ジョスランとルシアが慌てる中、クロヴィスだけが、冷静に足元で赤く明滅する魔法陣を見つめている。
「まさか、これは……封印の、魔法陣? でも、逆では」
顔を上げたクロヴィスと目が合ったマルスランは、頷いてから大きく息を吸い、自身を取り巻いている煙を全て体内に取り入れる。
「おい、おいおい、なんだ、なんなんだ!」
ジョスランが、頭をかきむしり感情的に叫んだ。
「訳がわからん! 敵だっただろう! なんでこんなっ」
「ジョー。今は、封印を」
ルシアが言葉で、クロヴィスが肩に手をかけて落ち着くように諭すが、ジョスランは乱暴に払い除ける。
「マルスラン! 貴様、何考えてっ」
殴りかかろうと歩を進めるジョスランを、クロヴィスが必死に背後から羽交締めにするが、勢いは止まらない。
煙を吸い尽くしたマルスランは、そんなジョスランを愛おしそうに見て、穏やかに笑った。
「副団長室の机の引き出しに、全てがある。さあ、お見舞い係。今こそ逆を正に。財務大臣を葬った力ならば、できるだろう?」
(やはりこの人は、わたくしの術を分かっている!)
一層強く輝く足元の魔法陣に、『逆五芒星』が浮かんだのを見とめたルシアは、刀剣の構えをした右手を宙に掲げた。
そして「バン ウン タラク キリク アク」と唱えながら指で宙に五芒星を描き、最後に中心へ――マルスランの心臓に向けて――「エイ」と点を打った。
「が、ふ」
ドン! と押されたかのようにふらつき、吐血したマルスランの左胸へ『正五芒星』が浮かぶと、足元の魔法陣がゆっくりと回転しだす。
ジョスランとクロヴィスが驚きと共に見つめている一方で、ルシアは懸命に頭を働かせている。
(封ずるには、中が空洞でなければならない。だから血を吐いて……)
ルシアの知識では、悪しきものは壺や洞窟、岩や部屋に封じて、札を貼ったり縄を張ったりする。
人体に悪魔を封じる方法など聞いたことはないが、マルスランはそれをやろうとしていることが分かった。
(体内に悪魔を封じたら、死なない代わりに……地獄のような苦しみが、未来永劫続くに違いないっ)
不死の悪魔を封じるための、人身御供。必死で考えるルシアだが、想定外の事態だ。満足な道具など、持ってはいない。
焦っているうちに、どこから来たのか、足音や人の声が近づいてきた。
「しまった、足止めも限界かっ。時間切れです!」
クロヴィスが言いくるめて止めていた騎士たちが、雪崩れ込んでくる。
「はあ、はあ。……よし、悪魔は、私の、中に。早急にどこかへ、封じろ。とりあえず、地下牢でいい」
声を絞り出すマルスランへ向かって、ルシアは決意と共に顔を上げた。
「良い場所がある! ヒスイッ」
「がおん」
「塔へ戻るわよ」
○●
ヒスイの背に乗ってきたルシアとジョスランは、裏庭の塔を見上げている。
背中にマルスランを担いでいるジョスランが、ルシアの背後で苦々しく言った。
「こんな場所があったのか」
クロヴィスは、現場の消火と整理のため騎士団本部へ留まったが、塔へ行くと言うと「最適です」と賛成した。
「ん、ゴフッ……」
ジョスランの背で、マルスランが再び吐血する。
「急がねば……ヒスイ! ぶち破って!」
塔入り口の分厚い木の扉には、頑丈な鉄の錠前と、スライド式の太いデッドボルトがあり、鍵が掛けられたままだ。
「わたしが、開け、る」
ジョスランの背後からマルスランが軽く手を振ると、ガチンと音が鳴って鍵が開いた。
ヒスイが勢いよく螺旋階段を駆け上がると、ルシアがいた隣の部屋の扉は、閉じられていた。鉄の輪にジョスランが手を掛け、引いてみると、幸い鍵は掛かっていなかった。
室内は天蓋付きベッドとウォッシュスタンド、丸テーブルと椅子が一脚という簡素さで、窓には鉄格子が嵌められている。
「椅子に座らせて!」
「分かった」
ルシアの言葉に従い、ジョスランはマルスランを背中から下ろし、椅子に座らせ心配そうに覗き込む。
「ジョー、離れて。巻き込まれる」
「ルシア……」
不安げな顔をしたジョスランが、渋々扉付近まで下がった。
ルシアはマルスランに近づくと、ゆっくりとした口調で告げる。
「マルスラン様。あなたごと、ここに封印します」
「はや、く。わた、しの力の、げんか、いが」
「はい」
ルシアは袂から塩の入った小瓶を取り出すと、素早く歩いて部屋の四隅に振りまいた。
それから、禹歩を始める。足を三回運んで一歩進むという独特の歩き方で、ルシアは北斗七星を踏んで歩くことをイメージして、少しずつマルスランへ近づいていく。
「強力な結界を張ります。ヒスイ」
白虎から虎獣人の姿になったヒスイが、身につけていた翡翠石のバングルをルシアへ手渡す。蛇神に憑かれたマノンを守っていたものだ。
「これで、貴方様のお心を守ります」
「そんな、こと、は」
「いえ。必要です。良いですね」
マルスランは諦めたように笑うが、ルシアは、真っ直ぐに彼を見つめ返す。たとえやり方が間違っていたとしても、彼はこの王国を救おうとした。
「貴方様が縛られている、この世界の呪縛を。わたくしが、必ずお祓いいたします」
マルスランの手首にはめたバングルへ、護身の呪を唱えると、ルシアは毅然と立ち上がった。
「ジョー」
ルシアは厳しい口調で、ジョスランへ告げる。
「万が一悪魔が暴れ出したら、人間ごと斬って。頼んだわよ」
「……分かった」
実の兄を、今度こそ殺せ、だ。
ジョスランが帯剣の柄を握る手に力を込めるのを見て、ルシアは微笑んでみせる。
「任せて。一切合切、お見舞いするから」
それからルシアは、左手を鞘に右手を剣に見立て、抜剣するようにして右手を振り抜き、そのまま下唇へ指先を当てた。
「我には、神聖なる守護獣・白虎在りて。邪な魂を、押し留めんとす。この場所へ、破邪顕正の守りを授ける。臨兵闘者皆陣烈在前!」
九字切りを行うと、マルスランの足元から黒い竜巻が起こった。椅子に腰掛けるマルスランを中心に渦巻き、マルスラン自身は苦悶に顔を歪める。
「うあああああ!」
やがて激しく苦しみ出したマルスランの右の頭頂からは、ヤギのような角が一本生えだし、右の白目は黒く染まり、左の虹彩は赤く染まる。右頬も、黒い鱗のような肌に変わり、指先からは黒い鉤爪が生えてきた。
「「うぐ、ぐ、負けぬ。私は、貴様を、決して、許さん」」
マルスランの声と、ゾランダーの声が二重になって発せられた。
マルスランの右半身は悪魔のように成っていくが、左胸ではルシアの描いた五芒星が眩い光を発している。
マルスランは、椅子の肘掛けに置いていた左手を、最後の力を振り絞るようにして持ち上げた。ブルブルと震えながら、手首にある翡翠石のバングルを右胸に強く押し当てる。
それから、肩で大きく息をしながら、呟いた。
「……シール……」
――黒い竜巻がルシアの振りまいた塩を巻き上げると、色が黒から白へと変わっていく。やがて風が収まると、すっきりとした顔でマルスランが笑った。
「はあ……さすがお見舞い係だ。半分で、済んだ」
半分、悪魔の顔で。




