25話 呪縛
ジョスランの事情聴取が始まった頃。
塔の最上階にいるルシアを、年老いたメイドが訪ねていた。
「お食事をお持ちいたしました」
「ありがとう」
言葉と裏腹に、ルシアは素早く右人差し指と中指で式札を挟むと、メイドへ向けて投げる。それから刀剣の構えをした指を下唇に当て、素早く呪を唱えた。
「西の守護獣たる、白虎よ。破邪顕正の力を今こそ示せ。真の姿を暴け。急急如律令!」
式札が翠の炎を発しながら宙で燃え尽きると白虎が現れ、メイドへ襲い掛かる。
「ちっ」
舌打ちの後で、メイドは老婆から青年へ姿を変えた。
癖の強い赤毛にそばかすの目立つ鼻頭と、左目の下に切り傷のような痕がある。クロヴィスが「孤児院で一緒だった」とすぐに判断した外見の特徴と、一致していた。
「変装が下手すぎるわね。ゴタイ……いえ、ゾランダー」
ゾランダーと呼ばれた男が無言で両腕を前へ突き出すと、足元で禍々しい風が渦巻き始める。家具の脚が浮いたのか、ガタガタと音を鳴らしている。
ルシアは冷静に状況を見ながら、話しかける。
「そんなに年を取っているのに、息も乱さず最上階まで来られるメイドなんて、いないわよ?」
「どうでもいい。貴様を殺すだけだ」
「お久しぶりの挨拶もないわけ? それとも、またボロボロになりにきたの?」
「うるさい。貴様一人で何ができる。死ね」
風だけではない。ルシアへの敵意が、空間を歪ませている。床に紫の魔法陣のようなものが現れ、明滅し始めた。
ルシアは図柄を一瞥してから、ゾランダーに向き直る。
「まさか悪魔召喚が、魔力復活のためだっただなんて。子どもを犠牲にしてまで……蛆虫め! 反吐が出るっ!」
ルシアの侮蔑を受け流したゾランダーは、いやらしい笑みを浮かべながら何かを唱えた。たちまち鋭い風がルシアを引き裂こうと襲い掛かるも、ヒスイが立ち塞がる。白虎が大きな咆哮を上げると、攻撃は全て一瞬でかき消えた。
「十二天将のヒスイに、偽りの魔力は通じない」
「偽り、だと⁉︎」
プライドを刺激されたのか、ゾランダーは唇を歪め訳の分からない言葉を叫んだ。恐らく、呪文だろう。
「古の究極魔法を、喰らうがいい!」
「だから?」
「消えろ! 爆発しろ!」
ルシアはゾランダーの言葉を無視して、冷静に内縛印、転法輪印、剣印、刀印、外五鈷印――と複雑に手を組み替えながら真言を唱える。
最後に、両拳を体の前で握り合わせるような外縛印を行う。一瞬で、部屋の中を吹き荒れていた風も、床で明滅していた魔法陣も消え失せた。同時に、ゾランダーも金縛りにあったかのように動きを止める。
「う?」
「動けないでしょう。言葉には力がある。それが呪というもの。知識があろうと、唱えるだけでは意味がない。薄っぺらい付け焼き刃で人の心を支配することなど、できやしない」
ルシアは、カッと目を見開く。
「この世界の自然の神々よ。我はあらゆる忌み事禍事を打ち祓いたく、清め祓い給えと畏み畏みも白す」
「ばふぉーーーーーーーーっ!」
ルシアが唱え終わると同時に、唾液を撒き散らすゾランダーの頭頂から山羊の角のようなものが生え、肌が黒く染まっていく。
「悪魔の魔力を喰らって復活を目論んだんでしょうけど。悪魔ってそんなに甘くないわよ」
甘言で人に取り入り、誘惑し、魂をむしゃぶり尽くすことを楽しむ。それが、悪魔だ。ルシアの前世では鬼と呼ばれていた、忌むべき存在である。
人が、敵うわけが無い。
だから万全の準備をして封印するか、騙したり弱点をついたりして討伐するか、お願いしてお帰り願うか、なのだ。
「ぐるるる許さん、ユル、ユルさん。お見舞いがかリィーーーーーーッ」
「そんな個人的恨みなら、端からひとりで来たら? わざわざ王国を巻き込まないで欲しいわね。めんどくさい」
「貴様ァ、ドコまでも、愚弄しヨッテえ」
ゾランダーの体がメキメキと膨れ上がり、両手には真っ黒な鉤爪が生え、背中には蝙蝠のような翼が生える。まさに、ゴタイと演習場で召喚された悪魔との融合体だ。
「あら意外。まだ意思が残っているだなんて」
ルシアが挑発すると、眩く光る両眼からピカッと光が放たれた。咄嗟に伏せると、ルシアの背後の石壁に穴が空く。
「……そんなことして、良いの?」
流れる冷や汗を隠し、ルシアはさらに挑発する。
「あなたのご主人様、怒るんじゃない?」
「きさマのアトに、コロす」
(やはりゾランダーは、使役されている!)
ルシアの脳内を、走馬灯のように今までの出来事が駆け巡る。
騎士団を増強させ、魔法研究部門を立ち上げるきっかけを作りつつ、この国の膿と名高い辺境伯と財務大臣を利用し、殺したとしか思えない。
そんな愛国心を持ち、演習場の対角からでも正確に人を射抜く弓矢の腕と、王宮内情に詳しい人物。
あえてルシアをジョスランから引き剥がし、ゾランダーと戦うよう仕向けたのは――共倒れでの後始末を狙いつつ、ジョスランを守るため。
(首謀者はやはり、マルスラン!)
「今すぐ、死ネ」
またピカッと閃光が走ると、窓際の壁に、ついに大穴が空いた。
ドガン! ガラガラガラガラ。
派手な音を立てて、分厚い石壁が外へ落下すると同時に、夜風が部屋の中へ吹き込んでくる。
日没後の外の空気は、夏の終わりとはいえ冷たい。
「クハハ、そこから落ちタラ、どうなるかナ」
バサリと翼をはためかせたゾランダーが、再び風魔法を唱える。
ルシアは、体が浮いたと認識した瞬間、外へ押し出されていた。
「わっ」
この高さから落ちたら、即死は免れない。
塔の最上階から落下するルシアを追いかけて、すぐにヒスイが飛び出してきた。
「主!」
白虎は塔の壁を真下へ向かって駆け、落ちているルシアに追いつくと、壁を蹴ってルシアの下に体を滑り込ませる。
ルシアはすかさず身を翻してその背に乗り、手の下で躍動する筋肉を感じながら身を任せた。
ヒスイは壁を蹴った勢いそのままに、近くに立つ樹木の幹まで到達するや、後ろ足で蹴る。ばさり、と大きな音がして葉がいくつも舞う中ヒスイは、別の樹木の幹へ飛び移っては蹴るのを繰り返しながら下へ下へ降りていき、やがて着地した。
「ふー。ありがとうヒスイ。お陰で外に出られたわ。ジョーと合流しましょう」
「わかった」
駆け出す白虎を、バサバサと翼の音をさせながら、悪魔が追いかけてくる。
「おのレ」
ルシアが目だけで振り返ると、ゾランダーが怒りで顔を歪ませている。
前方に見えてきた裏庭と王宮を隔てる建物の通用門には、鉄格子が降りていて通れない。
「飛び越えられる?」
「もちろん」
ヒスイは石壁を軽々と駆け上がり、屋根を伝って王宮中庭に降り立った。美しさを誇っていた庭園は、異形化した財務大臣が壊した爪痕が生々しい。夜だからか、人の姿は見えない。
「騎士団本部は」
「こっちだよ〜」
ジョスランへ紙人形を届けてもらったお陰で、ヒスイは位置を把握していた。
全力で走る虎は、凄まじく速い代わりスタミナはない。
ところが式神のヒスイには、ルシアがいくらでも力を与えることができる。
「我が守護獣白虎よ、西の守神よ。弓矢よりも疾く行け、急急如律令!」
「ガオオオン!」
咆哮し、庭木やガゼボの屋根を飛び越え、ヒスイは全速力で走った。
背後からゾランダーの魔法が何度も襲いかかるが、身を翻し跳びあがり、躱し続ける。
「おのレえェぇえええ!」
苛立ちで自我を失った悪魔は、がむしゃらに魔法を放っている。
「ヒスイ、本部前でわざと攻撃させるの。できる?」
「ガオン!」
ルシアはヒスイの背の上で身を低くし、目の前の建物を睨む。
躍動する白虎が、東へ向かって伸びている建物の壁づたいに走り始めたのを確認し、式札を取り出し口の中で呪を唱える。
「爆ぜよ!」
すかさず背後へ式札を投げると、空中で小さな爆発が起き、飛んでいた悪魔の視界を僅かな時間遮った。
「効かぬわ!」
ゾランダーは怒り狂い、今度は非常に大きな竜巻を二本、両手の先に生み出している。
「ヒスイ! 来るわよ」
「ガウッ」
二つの竜巻がゾランダーの前で一つに合体したかと思うと、中庭の土や草花、ベンチやテーブルまで巻き上げながら、ルシアたちへ襲いかかる。
巻き込まれたら、間違いなくズタズタになるだろう。
「死ねえっ!」
ゾランダーの叫びを聞きながら、ルシアはヒスイの背中にしがみつく。
建物を背にして白虎は立ち止まり、夜空へ向かって咆哮した。
巨大な竜巻に接触する寸前で軽やかに逃げると、風のエネルギーは建物を破壊していく。
「ルシアッ‼︎」
名前を呼ばれ、ルシアは振り返った。窓から身を乗り出す剣凶へ、叫ぶ。
「ジョー! こやつが、ゾランダーよ!」
その隙を突かれ、ゾランダーは新たな魔法を唱えた。
「今度こそシねえェエエええええええ!」
「くっ」
瞬間――まるで昼間のように、明るくなった。
燃え上がる赤い炎が、視界一面に広がっている。
「させない!」
ドレスシャツにトラウザーズのみというラフな姿の男が、ルシアの目の前に立っていた。
紫の髪が風で舞い、眼鏡のフレームが光っている。
「クロヴィスッ!」
クロヴィスは返事の代わりに、口角を上げた。
ルシアを背後に庇い、左手を前に突き出し、火の魔法を放っている。その威力は、財務大臣を屠った時とは比べ物にならないぐらいに、強い。悪魔が悲鳴を上げて悶えている隙に――
「これを!」
クロヴィスは振り返って、一本の剣を建物に向かって放り投げた。
○●
窓際にいたジョスランは、素早く身を乗り出してクロヴィスの投げた愛剣を受け取った。
投げられたのは二度目だなと苦笑しながら、持ち慣れた武器を構え、膝を曲げ腰を落とす。
その間にマルスランは、部屋の扉口付近で、足元に魔法陣のようなものを描いていた。
不気味に赤く明滅する陣の中心に立ち、意味ありげな笑みを浮かべている。
「行くぞ、マルスラン」
「実の兄を斬れるか?」
「無論」
足元に落ちたガラスを踏む度に、パキパキと乾いた音が鳴り響く。
暗闇の中、月光を受けた剣身が冷え冷えと青い光を放つ。
「うおおおおお!」
怒号を発し、ジョスランは窓際から扉口へ向かって一足飛びに跳躍し、着地すると同時に剣を横一閃に振り抜いた。
マルスランは華麗に飛び退き、帯剣の柄に手をかける。斬られたマルスランの前髪がぱらりと床に落ちた。
ジョスランは剣を縦横無尽に振るいながら、マルスランを追いかける。縦、横、斜め。あらゆる方向から鋭利な剣戟で襲いかかる。そのどれも、マルスランは身のこなしだけで避けている――が、その存在感は、薄い。
「俺の目は、誤魔化せんっ」
ジョスランは突然背後を振り向くと、右手だけで剣を上に振り抜いた。
暗闇の中を、バッと温かい何かが散る。
ぼんやりと光る魔法陣に照らされたのは、右目を斜め方向に斬られた、騎士団長ガエルの顔だ。
「チッ! どこまでも卑怯な!」
マルスランは、幻惑魔法でジョスランの目を誤魔化した挙句、背後から団長に襲わせていたのである。
「あっはっは! 剣凶、団長を斬る!」
ガエルの背中に隠れるようにして立っていたマルスランの高笑いが、闇夜に響き渡った。
剣の柄を握るジョスランの拳が、怒りでぶるぶると震えている。
「自分の剣で戦え!」
ガエルは、目を押さえながらどしゃりと床に倒れた。
それを足蹴にして、マルスランはいやらしい笑みをジョスランへと向ける。
「何が卑怯なんだ? 手駒を使って何が悪い。個の力なぞ、高が知れている。勝てればいいだろう」
それもまた、正論だ。騎士『団』においては個々の力よりも集団としての統率が重要である。
ところが騎士の間では、個人に重きが置かれている。腕が立てば一目置かれ、逆にいくら家柄や人柄が良くとも、弱ければ下に見られる。
マルスランは、家柄や人柄は申し分なかった。弓の腕も騎士団で一、二を争う。が、剣は得意ではなかった。
いくら鍛えても筋肉が付きづらい体質で、いかにも貴族という風体を嘲る者が多いのは、当然ジョスランも知っていた。
「その通りだ! だから俺は退団したのにっ」
だがジョスランは、マルスランこそ騎士団に必要な人間だと思っていた。自分のように短気で自己中心的な人間よりも、温和で真面目。
貴族の覚えも良い人物が上に立つことこそ、王国騎士団には必要なことだと、ジョスランは退団することに迷いがなかった。
「思い上がるな、剣凶。その傲慢な面、焼き尽くしてくれる」
バッと掲げたマルスランの手からは、黒い炎が生まれる。明らかに魔法だ。
「まずいな」
剣を構えたものの、内心焦りを感じているジョスランの耳に、なぜか翼の音が聞こえてきた。




