23話 腐敗 後
「おい、貴様ら! 一体何をしている⁉︎」
財務大臣ドナ・アギヨン伯爵は、ベストのボタンが弾け飛びそうなぐらいに大きな腹を揺らし、詰所の中へズカズカと入ってきた。
ルシアよりも背が低いためか、顎を上げて威嚇している。フヒフヒと鼻を鳴らし、額からは汗が垂れ、肌が光っていた。背後から従僕が、さっとハンカチーフでこめかみの辺りを拭くのを鬱陶しそうに手で払い、様変わりした机の配置を嫌そうに見回すと、最後にルシアを睨みつける。
「誰だ、この小娘は。誰が入れた!」
慌てふためく周囲の人間をよそに、ジョスランが冷静にルシアを背後に庇う。
クロヴィスは、手に持っている書類を差し出した。だが大臣は一瞥すらしないので、クロヴィスは紙を畳んで胸元へしまい、淡々と告げる。
「模様替えを行いました」
「ああ!? 貴様らが勝手にやったのか!」
ルシアは当然、財務大臣が怒ることを想定していた。理由があろうとなかろうと、自分の職場を勝手に変えられて、何も思わない人間などいない。
だが、早急に対応しなければならないぐらいに穢れが溜まっていた。既に官吏たちに影響が出ていることを鑑みても、ルシアは『お祓い』を最優先することに、迷いがなかった。
「部下が死にかけていても、気にすらしないのか」
ジョスランが怒りを内包した低い声で呟いても、財務大臣は怒りに脳を焼かれているのか気づかず、唾を撒き散らしながら大声で抗議を続ける。
「許さんぞ! 今すぐ! 元に戻せ!」
矢面に立ったのは、クロヴィスだ。
「大臣閣下。王室府家令長官の許可は得ています」
「ワシは、許可しておらん!」
ルシアは、財務大臣の言動に心底呆れていた。
勝手に模様替えをしたのには、理由があって然るべきだ。その聞き取りをするという基本的な対処すらせず、権力を振りかざして撤回させようとしている。
財務大臣は、王国の金庫番。影響力たるや計り知れず、街道整備や騎士団の運営費、王族の外交費など決め事は多岐に渡り、金額の規模も途方もない要職だ。
ところが先ほどから、気に食わないと叫ぶのみ。適性があるとは思えなかった。
(この王国は、腐っている――叔父様の愚痴の意味、分かってしまったわ)
ルシアは、クロヴィスへ寄り添いたくなった。
どれだけ優秀でも、血統や家格、財産には絶対に敵わない。王国の有り様を根本から覆すなら、やはり失われた魔法のような、今はない権力を使うのが手っ取り早い。
「ルシア。引きずり込まれかけてるぞ」
「え」
ジョスランがルシアの肘を掴んで、強引に自身の正面に立たせた。赤い目が、ルシアを凝視する。
「ここには、強い無念が渦巻いている。許せない。報われない――復讐したい」
ルシアの背中に、ぞわりと寒気が走った。
「そんな、なぜ……配置を変えて、鬼門には対処したはず!」
ジョスランは、動揺するルシアの肩を軽くポンポンと叩いた。
「落ち着け。ここには、別の魔法も仕掛けられているとは考えられないか。自殺未遂ということは、血が流れたということだ。また悪魔召喚のような何かがあっても、不思議じゃない」
「血が流れた……」
それからジョスランの目は、クロヴィスの後頭部へと向けられる。
「クロヴィスがいくら優秀でも、動きが早すぎる」
「まさか」
「家令はな。俺の知る限り、頭がガッチガチに硬くて、変化を嫌う爺さんだ。模様替えを簡単に承認するとは思えん」
王族ならではの意見に、ルシアは目を見開く。
「例の本を見つけたタイミングといい。腑に落ちなかったが……ルシアが影響されているのを見ると、俺の嫌な予感。当たった気がしないか?」
キキキ、と金属音が鳴った。ジョスランが帯剣の柄に手を掛け、ほんの少し抜いた音だと気づいた時には――「ぐげぎゃぎゃげ」と財務大臣から尋常でない声が発せられていた。
○●
「逃げろ! 全員! 今すぐ部屋から出ろ!」
ジョスランの怒号を、ルシアはどこか非現実的な気持ちで聞いていた。
「あ、あ、あ」
床に尻もちをつき、涙目で動けなくなっている官吏を、近衛騎士が必死に抱え上げ廊下へと走る。
避難誘導や逃走で、部屋の中には書類が舞い、体がぶつかってずれた机や椅子など、混沌としている。
「そんな」
信じがたい光景が、眼前に繰り広げられている。
――ぶくぶくと肥え太り、縦も横も何倍もの大きさに膨れ上がった財務大臣が、従僕の首を鷲掴みにして、頭から喰らっているのだ。
「やっぱりな。また悪魔か」
ジョスランが、殺気を放ちながら剣を正眼に構える。
財務大臣はゲフゥ〜と大きく息を吐き出すと、持っていた従僕を投げ捨てる。血臭い空気が吐き気を誘い、この場にいる者の理性を奪っていく。
「この場所は! 浄化したはずよ!」
「むしろ浄化がきっかけかもしれん。封印が解ける、とかな。下がれルシア」
だがルシアは、ジョスランの言うことを聞こうとしない。
「ヒスイ! あれを倒せ! 急急如律令!」
「ガオン!」
ルシアが素早く指印を切って白虎を呼び出し、指示を出す。
「待て! クロヴィスがまだ側にっ」
ジョスランの焦る声に、クロヴィスは逃げるどころか、財務大臣だったものに両手のひらをかざしている。
「ぎゅぎゃげゲゲゲ」
「――もえろっ」
クロヴィスの手から、炎が吹き出した。
「な! まさか、魔法かっ!」
ジョスランは巻き添えを喰わないよう、背にルシアを庇う。
「うわ〜、熱いね〜。でも、足りない」
一方でヒスイは大きく息を吹きながら、財務大臣の周囲を素早い動きで走り回る。
「もっと燃えろ〜!」
たちまちジュワジュワと何かが焼ける音がするが、財務大臣は醜悪に笑ったままだ。
不気味で恐ろしい化け物を、ルシアは逃げずに睨みつける。
「王宮内でこのような凶行に出るとは」
次の手を考えていると、ドタバタと足音が聞こえてきた。
逃げたはずの騎士たちが、人手をかき集めて戻ってきたようだ。廊下のあちこちから、騒がしい声がしている。
「お見舞い係が、また召喚したのか⁉︎」
誰かがそう叫ぶと、騎士たちの間にまるでそれが真実かのように伝わって行く。
「悪魔召喚!」
「またお見舞い係の仕業か!」
ジョスランが、盛大に舌を打つ。
「完全に、してやられたな。また俺たちに罪を着せる気だ」
クロヴィスの炎とヒスイの風で、室温はどんどん上がっていく。熱風で、誰も部屋に足を踏み入れることができない。
「まとめてお見舞いされるってことね。でも、そうはいかないわ」
ルシアは、大きく深呼吸をしてから――九字を切り始めた。
ヒスイが巻き上げる炎の嵐の中、クロヴィスは「逃げろっ!」と必死に叫んでいる。
黒いフロックコートの裾や襟がはためき、右腕で自身の顔を熱から庇っていて、ルシアたちの位置から表情はよく読み取れない。
財務大臣――化け物は、『ギャギャギャ』と笑いながら殴ろうとしたり噛みつこうとしたりするが、動きが鈍く遅いため、全て失敗している。
「逃げない!」
ルシアは、九字で場を清めたあとで制服の袖の袂から式札を取り出した。ジョスランは戦闘体勢を崩さず、言葉だけでルシアの行動を止めようと叫ぶ。
「何してる!」
「クロを助けます!」
ジョスランはさすが、状況を見て冷静な判断を下した。
「無茶だ! 退けっ!」
「いやです」
「死ぬぞ!」
ルシアは下唇を噛み、足を踏み止める。
「目の前の人を助けずに逃げるだなんて、死んでも嫌!」
「助けないなんて、言っていない! ……邪魔だから、下がれ!」
「え」
「二度は言わん」
話しながらジョスランが、剣の構えを変えた。
両手で柄を持ち、目の高さまで持ち上げると刃先を化け物へ向け、腰を落とす。
「俺が剣凶たる所以。下がって見てろ!」
ジョスランは言い捨てると、ルシアが返事をする前に――前方へ跳んだ。
○●
後頭部で縛られた長い銀髪が、ルシアの視線の先で鮮やかに舞っている――。
床を蹴って跳躍した剣狂は、化け物の首元を打突しバランスを崩させた後、全身を回転させながら体表面を蹴り飛ばし、勢いのまま返す刃で大きく袈裟斬りをした。
流れるような一連の動きに魅せられ、ルシアはジョスランから目が離せない。
「主!」
「っ、……翡翠の破邪よ、今こそその真価を発揮せよ。急急如律令!」
ヒスイの声で我に返ったルシアは、式神の力を強めるための式札を投げつける。紙が空中で燃え尽きると、ヒスイは「ガオオオン!」と咆哮した。躍動する大きな爪が、化け物に襲いかかる。
クロヴィスは、肩を上下させながら床に片膝を突いた。ルシアは慌てて駆け寄り、肩を貸す。
「退くわよ!」
ルシアに声をかけられ再び膝に力を入れたクロヴィスは、力を振り絞って立ち上がり、ルシアと二人三脚の要領で扉口へと歩く。
同時にジョスランが、剣を体の真正面に構え直した。
「行け、ヒスイ!」
「ガオン!」
部屋の端まで下がったヒスイは、床を思い切り蹴って走り出すと、化け物へ全力の体当たりを喰らわせる。
「あぎゃぎゃぎゃ」
悲鳴と共に、炎で焼け爛れた皮膚がぐじゃりと潰れる音がし、ドンと窓際へ背中を打ち付けた。窓ガラスが割れ、石壁にビシビシとヒビが入っていく。
ヒスイが何度か体当たりを繰り返すと壁全体にヒビが広がり、ジョスランが化け物へ前蹴りを喰らわすと、ついに外側へ崩れ落ちた。
財務省の詰所は、建物の二階にある。壁一面に大きな穴が穿たれると同時に、バランスを崩した化け物の巨体は、中庭へと落ちていった。
「追うぞ!」
「ガオッ!」
ジョスランは剣を両手持ちで脇構えにし、躊躇いなく飛び降り、ヒスイもそれに続いた。
追いたいが、ここから飛び降りるのは無理だろう。ルシアが迷っていると
「掴まれ!」
返事をする前に、クロヴィスはあっという間にルシアを横抱きにして、中庭へ飛び降りた。
「無茶なことを!」
「うぐ。お忘れ、ですか? こう見えて私、元、騎士ですよ」
地面に両足を着けたルシアが見上げると、額から血や汗を流しているクロヴィスは、不敵に笑う。人を抱えて二階の高さを飛び降りるなど、正気の沙汰ではない。だが異常事態で痛みなどは感じなくなっているのだろう。何事もなかったかのように走り出した。
頭上の建物の中では、騎士たちが「降りるぞ!」「迂回しろ!」「人を集めろっ」と大騒ぎしているのが聞こえる。
ルシアは憂鬱になりながらも、クロヴィスの背中を追いかけた。整えられた植栽や花壇、見事な細工の噴水を破壊しながら暴れる巨大な化け物は、日光の下にあってグロテスクな見た目を晒している。
肉の塊はブヨブヨとうねり、赤黒くて太い腕が、ジョスランやヒスイを掴もうと宙を空振りしている。
口と思われる箇所からはギトギトの唾液が吹き出していて、両目は脂肪に押しつぶされもう見えない。
ここは、王宮の中庭だ。
言うまでもなく、王族をはじめとした貴族たちがたくさんいる場所である。
建物の中ならまだしも、外へ出てしまえば、巻き添えも辞さない状況になってしまう。
「クロ。結界を張るわ! この護符を正五角形になるように地面に置いて!」
「お任せを!」
クロヴィスは、ルシアが差し出した札をひったくるようにして掴むと、化け物を中心に中庭を一周するように走る。走りながら、五箇所に札を置いた。
動きを察知したジョスランが、化け物をその場に押し留めるため、様々な方向から攻撃を繰り出している。
息を切らせたクロヴィスが戻ってくるなりルシアは指で宙に五芒星を描く。
「バン ウン タラク キリク アク」
最後に中心に「エイ」と点を打つや、石畳の上に光の五芒星が描かれる。
「ウギャアアアアアアアッ」
化け物が苦しそうに空を仰いで叫ぶ頃、ようやく騎士団長と副団長が駆けつけてきた。
ジョスランが、化け物と対峙したまま怒鳴る。
「団長! 止めを!」
ルシアの結界で弱り、ジョスランの攻撃で体のあちこちに傷を負った化け物は、すでに瀕死状態。ガエルは苦々しい顔をしながら、剣を抜く。
「っはん。つまらん気遣いをしよって!」
騎士団長の剣はバスタードソードと呼ばれる、片手持ちも両手持ちも対応するロングソード。攻撃力が高く、間合いも広い。
ガエルは年齢を感じさせない機敏な動きで構えると、地面を蹴って跳び上がり、化け物の真正面で剣を水平に振り切った。
「ぐぎゃ……?」
戸惑いの声を上げた化け物は、じわりと首のあたりから血を滲ませ、ゆっくりと地面に倒れ込む。
ダーン。
石畳に全身を打ちつけ、体の下からどくどくと血が流れ出し始めると、生命力が失われていくのが分かる。
「気遣いというより、手っ取り早いだけなんだが」
ピクピクと微かに動いている肉塊は、それ以上動く気配がない。団長の一閃で絶命したのは明らかだ。確信したジョスランは苦笑しながら、剣を鞘に収めた。
チャキンと鍔音がして、ようやくルシアは深く息を吐く。
「はあ。よかった。どうなることかと」
「つかれたぁ」
ルシアは、いつもの白トラ猫の姿になったヒスイを抱き上げ、柔らかな背中に頬を擦り寄せた。横に立つクロヴィスも、ヒスイの頭頂を疲れ切った顔で撫でる。
「ルシア様。後始末は、騎士団に任せましょう」
「そうね」
気を抜いたルシアがクロヴィスと会話を交わしていると、背後から冷たい声がした。
「申し訳ないが、先程の魔法陣を作った件で、御身を拘束させていただく」
驚いたヒスイが、腕の中から飛び降りる。ルシアの両手首は、あっという間に後ろ手に縛り上げられた。
目だけで振り返ると、銀髪で青い目の、紳士然とした騎士が立っている。
戦いを終えたばかりで疲労の色が濃いジョスランは、その場から動けない。膝に手を突いた姿勢で、怒鳴った。
「マルスラン! ルシアをどうする気だ!」
騎士団副団長でジョスランの実兄であるマルスランは、抑揚のない声で告げる。
「どうもこうもない。この目で、彼女が魔法陣を作ったのを見た。先の悪魔召喚の嫌疑もある。投獄して事情聴取する。それが、私の役目だ」
「嫌疑⁉︎ さっきのは魔法陣じゃない! 手を放せ! 団長も、なんとか言ってくれ!」
ところがガエルは、苦しそうな表情で首を横に振った。
「騎士たちが、化け物を呼び出したのはお見舞い係だと騒いでおる。この場は従え」
「おいおい、嘘だろう⁉︎ 倒したのは、俺たち」
「団長だ」
マルスランがジョスランの言を遮り、ルシアの身柄を背後の騎士に引き渡すのを見て、クロヴィスも慌てた。
「お待ちください! どうか、お待ちを!」
「宰相補佐官殿は、怪我の治療が必要だな」
一切耳を貸すことなく踵を返したマルスランは、キビキビとした歩みで王宮へと戻っていく。
その背を、ジョスランとクロヴィスは呆然とした顔で見送るしかできなかった。




