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22話 腐敗 前


 騎士演習後の、大臣だけの定例会。

 財務大臣の『騎士団予算縮小案』は、悪魔召喚という大事件により、提出すら許可されなかった。

 宰相であるフラビオは私情を排し淡々と通達したが、アギヨン伯はギリギリと歯軋りをしながら睨み返す。


「肥大化しすぎている! 直ちに縮小すべきだっ」


 その発言に真っ向から異議を唱えたのは、当然騎士団長であるガエルだ。

 

「ならば今後、あのような脅威にどう対抗するおつもりか」

「少数精鋭という言葉があろう!」


 要領を得ない財務大臣の主張に、室内には冷めた空気が漂う。

 宰相は財務大臣の主張を無視し、別の王命を通達する。


「アギヨン卿。陛下は、騎士団の増強を指示された」

「な⁉︎」

「失われた魔法研究を復活させるべきとの声も、方々から上がっている。直ちに追加予算を組んでくれ。決裁審議は十日後だ」


 ハクハクと無言で口を開閉させながら、財務大臣が室内を見回すが、誰も目を合わさない。

 

「無茶だ! 時間がなさすぎる!」

「私の優秀な部下を、財務省へ派遣する」

「な! そんな者、要らんっ」

「これは宰相命令だ。異議は認めぬ。決裁に間に合わない場合、貴職の罷免(ひめん)を上奏する。それほど重大な案件である。心せよ」


 絶句した財務大臣に寄り添うものは、誰もいなかった。


   ○●

 

 王宮客室に留まっているルシアたちを、宰相補佐官が訪ねたのは、とある日の昼過ぎのことだった。

 

「今財務省へ出向しているのですが、お見舞い係にも来てもらいたいのです」


 クロヴィスが淡々とした口調で告げるのを、お見舞い係の二人はティーカップを片手に聞いていた。

 ルシアはすっかり回復し、今は応接用のソファに、ジョスランと並んで腰掛けている。クロヴィスは、その正面に腰を下ろした。


 クロヴィスが淹れたのは、セカンドフラッシュと呼ばれる夏摘みの茶葉で、味や香りの強いものだ。コクのある味わいとガツンとくる香ばしさが、話題の重さと相まってルシアの胃を刺激したので、クッキーに手を伸ばす。黙々と(かじ)っていると、ジョスランが口を開いた。


「依頼か?」

「はい。騎士団の追加予算案並びに、魔法研究部門新設の予算を組んでいるのですが、様子がおかしいのです」

「「魔法研究部門⁉︎」」


 ルシアとジョスランは、顔を見合わせた。

 

「今からでもぜひ」

「待て待て。クロ。何を焦っているんだ?」

「……来ていただければ、分かります」

「ふむ。行けるかルシア?」

「ええ。行きましょう」

 

 ――お茶を飲み終えたらすぐに、行くことになった。

 

 財務省は、王宮の中央にある宰相室から東へ伸びた建物の中にある。王宮は、最も北側が王族の住む寝殿であり、庭園を挟んで中央の建物に宰相室や謁見室、会議室。東の建物に省が横並びであり、西の建物には騎士団や宮内省、メイドや侍従の詰所がある。南には大きな噴水広場と、様々な式典を行うための大広間を備えた別棟があり――全体を把握するのは困難だ。


 ルシアにとって宰相室以外の場所へ赴くのは初めてのことである。見慣れない廊下を、少し緊張しつつジョスランと並んで歩く。

 すれ違う近衛騎士たちが軽く会釈していくので、クロヴィスが言った。


「お見舞い係の制服は、分かりやすくて良いですね。近衛にも周知されている」


(制服というより、剣凶だと思うけど)


「それよりルシア。財務大臣は、醜悪の権化みたいなやつだ。俺から離れるなよ」

「分かったわ」


 ドナ・アギヨン伯爵には、後ろ暗い噂が絶えない。社交界に疎いルシアでさえ、耳にしている。

 覚悟をして、財務省の官吏たちが詰めている部屋に足を踏み入れると――


「呪われているわね」


 ルシアが断言し、ジョスランも頷いた。

 

「ああ。何人も黙殺されている」

「未練がさらに澱みを生んでいるわ。クロ、もしかして最近、自ら命を絶とうとした官吏がいたのではなくって?」


 財務大臣は不在だが、官吏たちは各々の机で執務をこなしている。

 ここで会話をするのは、普通なら憚られるが、誰も気にする様子がない。クロヴィスも、小声ではあるものの会話を続ける。


「実は三日前、補佐官がひとり。幸い命は取り留めましたが」

「今すぐ祓わねば、また誰かが引きずり込まれる。この部屋の空気や動線。全てが、組織に属する人間を(おさ)に従うよう強制している。逆らおうとすると……死にたくなる」


 冷たい声で告げた後、瞠目するクロヴィスを振り返らないまま、ルシアは鼻頭を歪めた。


「腐っている」


 公共の財産として然るべきものが不正に利用されたり、個人の私腹を肥やしたりしていることを『腐敗』と呼ぶが。

 文字通り、財務省は()()()()()


「ジョー。一切合切、お見舞いいたしましょう」

「賛成」

「一切合切、お見舞い……?」


 戸惑うクロヴィスを置き去りに、ルシアはヒスイを呼び出す。

 白トラ猫は「にゃあん」と鳴きながら、財務大臣の机の上に跳び乗った。官吏たちは一心不乱に書類仕事をしていて、誰も気にも留めない。その様子もまた、()()である。


「クロ。明日ここで、やりたいことがある。財務大臣の予定は?」

「昼過ぎに、追加予算案の確認に来ると思われます」

「なら、やるなら朝ね。家令に詰所の模様替えを即時申請して欲しいわ。至急手配を」

「は!」


 返事をしたクロヴィスは、すぐに踵を返し早歩きで立ち去った。一方ルシアは、直立不動で部屋の一点を見つめたままだ。


「ジョーは騎士団長に、明日、なるべく大臣の心を逆撫でして足止めして欲しい、と頼んで」

「はああ。憂鬱だが、分かった。で? 何を見つけたんだ」


 ルシアは眉間に深い皺を寄せ、財務大臣の机の背後に据え付けられた本棚を睨む。

 視線の先にある一冊の分厚い本は、黒革表紙の金箔押しで、背表紙に金でタイトルが描かれていた。


「……『異界との契約』」

「っ‼︎ まさか」


 ジョスランが引き寄せられるように本棚へ近づくと、ヒスイが「フーッ」と鳴いて牽制する。


「近づいてはいけない」


 ルシアは言葉でジョスランを制すと、口の中でぶつぶつと真言を唱えつつ、指で挟んだ式札を本棚へ向かって投げた。それをヒスイが棚板へ、器用に前足で貼り付ける。それから黒革表紙の本を取り出し、頭に乗せてから机上に戻ってきた。


「ありがとう、ヒスイ」

「にゃあん」

「……説明しろ」


 ルシアは本を手に取ってから、一言だけ放った。

 

「部屋へ戻ります」


 ジョスランはガシガシと後頭部をかいてから、踵を返す。ヒスイは彼の肩に跳び乗ると、慰めるように身を頬にすり寄せ「ゴロゴロ」と喉を鳴らした。


 

 王宮客室へ戻ったルシアは、早速ソファに腰掛け、本を開く。

 

「おい、大丈夫なのか?」

「破邪の札を貼りました。それでも強い。ジョーは触らない方がいい」

「分かった」


 ページをめくっていたルシアは、はたと手を止めた。

 ジョスランは、ソファの背もたれに両手を突いて背後から覗き込む。

 ルシアが開いているページに描かれていたのは、あの騎士演習場に浮かび上がった魔法陣と、全く同じ絵図だ。


「それは!」

「ええ。『下級悪魔召喚術』――子どもの内臓五つと猛禽類の爪。それから鍛えられた鋼を十本と、三十人分の生き血を捧げよ」

「あれだけ騎士が入り乱れて戦っていれば、三十人分の生き血なんて余裕だ。鍛えられた鋼は、真剣。それに」

「孤児院の火事。子どもの数を誤魔化したのかもしれません」


 ミシミシとソファが鳴る。ジョスランが背もたれを握りしめているからだ。

 ルシアは、手に持っていた本を閉じると、大きく息を吐いた。

 

「宰相閣下へ、報告しましょう。財務大臣が悪魔召喚の本を持っていたのは事実だけれど、術を行ったかどうかまでの確証はないわ。とりあえず迅速に、財務省のお祓いをする。そうすれば、相手も何らかの行動を起こすはず」

「……もしクロヴィスが一枚噛んでいるのなら、俺は容赦せんぞ」


 ゴタイや孤児院との関係。魔法陣の文字を読み、お見舞い係を財務省へ誘った。

 ジョスランがクロヴィスを疑うのも仕方がない。それでも葛藤している様子のジョスランに、ルシアは眉尻を下げる。


「これから、忙しくなるわ。考える暇もない」

「そうだな」


 剣狂の心の中に燃える正義の炎が、爆発する日が来るかもしれない。その時は、暴走しないように止めなければ――ルシアは、密かに決意した。


   ○●


 翌朝、太陽が昇った頃。

 薄暗い中、ルシアとジョスランは財務省の詰所に出仕していた。

 人手がいるからと、非番の近衛騎士たちも何人か来てもらっている。意外とジョスランには、人望があるようだ。

 

 部屋の中は相変わらず雑然としていて、日光が満足に入ってこない時刻だというのを差し引いても、暗く濁った空気で澱んでいる。

 そんな中、早くも机に座って仕事をしている官吏が数人いた。はたして家に帰っているのだろうか、とルシアは深い溜息を吐く。

 

「で。模様替えってどうするんだ?」


 入り口に肩をもたせかけ、部屋の中を眺めているジョスランに、ルシアは事もなげに言う。


「鬼門と裏鬼門に、わざと鬼の通り道を作っている。まずはそれを変える」

「は?」


 ジョスランが意味が分からずポカンとしているうちに、ルシアはスタスタと歩いて、部屋の中心と思われる場所に立つ。それから腕をまっすぐに伸ばすと、ある方向を指し示した。それをもう一度、繰り返す。

 

「この方角と、この方角。出入り口と、キッチンがあるでしょう」

「ああ」


 ジョスランだけでなく手伝いの近衛騎士たちも、キョロキョロと部屋を見回している。


「北東の出入り口から不吉なものを入れ、汚水に流される陰の気を負の力として溜め込むようにあえて」

「あー、とにかく。ここから入れるのも、そこにキッチンがあるのもダメってことだな? んで、どうする。出入り口やキッチンの位置を変えるのには、当然工事が必要だ」

 

 ルシアは腕組みをすると、伝わりやすいように言葉を変えた。


「出入り口の上方には、わたくしの護符を貼り、清めの塩を置きます。キッチンは――とにかく綺麗に掃除を。それから、トゲのある植物を置きます。植物は、陰の気を陽にしてくれる。トゲは魔除けです」

「ほう?」

「あと、全体的に雑然としていて、汚いのが良くありません。悪いものが溜まりに溜まっている。機密だからとメイドを入れないのなら、自分たちで掃除をすべきです。窓を開けて空気を入れ替え。最後に、大臣の机を移動します」


 この発言には、官吏たちがビクッと肩を振るわせた。


「横暴で権威を嵩に着るための配置。そんなものがなくとも、上に立つ人間は敬われるような振る舞いをすべきです。貴方がたは、常に高圧の中にある。健全ではないこの環境をとことん変え、少しでも良い気持ちで働けるよう、全力でお見舞いいたします!」

 

 ルシアのキッパリとした宣言に、官吏たちはようやく顔を上げる。目を潤ませる者もいた。

 

 ――王宮家令が発した申請許可証を携え、後から合流したクロヴィスが、キビキビ動く人間たちを前に呆気に取られる。


「こんなに活気の溢れた財務省は、初めてですね……」


 大きく開かれた窓から爽やかな晩夏の風が吹き込む朝、汗を流しながら会話を交わし、人の動きやすい環境を作っていく。

 動かすのが大変な大型家具でさえ、騎士たちが軽々運ぶ。日頃訓練で鍛えた力を持て余している彼らは「もっと経費申請を気楽にしたいなあ」「わかりづらいですよね、すみません」などと、官吏たちとの雑談を楽しみながら、充実した表情で机や椅子などを移動させている。


 そうして、『お見舞い係』の大規模な模様替え(お見舞い)が完了する頃になってようやく、財務大臣が詰所に出仕してきた。盛大にご機嫌を損ねながら。

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