20話 命中
ルシアの行っている刀禁呪は、反閇と剣術を組み合わせたようなものだ。
独特の歩法と、宙を切り裂く剣筋で、邪なものを祓う。
宝剣を用いる神聖な儀式で、ルシアが行うのは、前世も含め初めてだ。
(理は、同じ!)
悪魔は明らかに苦しんでいる――術の手応えを感じていたルシアを、再び鐘の音が襲った。
チリーーーーン。
その音を合図に、辺境騎士たちが一斉に悪魔を取り囲み、串刺しにする。
『グギャアアアアアアアッ』
場は、たちまち大混乱に陥った。
形勢逆転の今こそ悪魔の止めを刺そうと、騎士たちが入り乱れたからだ。
ルシアは流されることなく、一心不乱に刀禁呪を続ける。最後まで邪気を祓いきらなければ、自分へ返ってくる。自分の功績など、どうでも良かった。
(どうか、皆、無事で)
強い願いを言葉に載せ、ひたすらに地を力強く踏みしめ歩くルシアは、短剣を掲げ、空を突き刺す。
(もうすぐだから)
ルシアの読み通りなら、『神』が降る。
悪魔召喚で夏の積乱雲を無理やり引き裂いたツケ。大きな雲の粒が空中で摩擦を起こし、静電気が溜まる。溜まったエネルギーは――。
ッブン。
「いっ」
突然のことだった。
空を指す短剣の先を見つめていたルシアの左肩を、一本の矢が貫いた。
どこから放たれたのか。誰が射ったのか。それよりも先にルシアが思ったのは「あと二歩」だった。
熱くどくどくと脈打つ肩と、じんわり濡れていく左胸。ルシアの視界いっぱいに、黒い雲で覆われた空。
仰向けに倒れたのを自覚すると、左胸と背中が燃えるように熱くなってきた。
「ルシア!」
「あるじ!」
頭上では、ゴロゴロと大きな音が轟き始めている。
○●
ルシアの五芒星結界や刀禁呪、それから人間の物量の前に、悪魔の命は風前の灯火になりつつあった。
矢が突き刺さり意識が混濁するルシアの側で、片膝を突いたジョスランが止血に動く。
だがヒスイは冷静さを欠き、叫んだ。
「許さない。殺す!」
ルシアはヒスイへ、声を振り絞った。
「……なる、かみが、くる」
「喋るなルシア!」
「あるじ!」
「なる、かみ……」
「ガオン!」
意識を失ったルシアにヒスイが覆い被さろうとするのを、ジョスランが止める。
「触るなっ」
ジョスランは、マントの裾を引き裂いた布でルシアの肩口を押さえつけ、血を止めている。その手の甲には、血と汗がぼたぼたと落ちてくる。ジョスラン自身、傷だらけである。
ヒスイはルシアの言葉を聞くか、仇を取るか――理性と本能がぶつかり合い、身じろぎすらできなくなっていた。
「ヒスイ、落ち着け」
ジョスランが、懸命に止血をしながらヒスイに言い聞かせる。
「ルシアは大丈夫だ。主人の言うことを聞け。悪魔を止めろ! お前にしかできないんだぞ!」
「がおおおおん! ううう……オイラは、白虎。白虎は金。金は木に相剋する!」
黒い雲の隙間で、ピカピカと強い光が瞬いている。
翠色の目から涙を流しながら、ヒスイは床に落ちていた短剣を口で拾い、演習場中央へ全力で戻った。
――たんっ。ブシャア。
一頭の白虎が人間たちの頭上を軽々と跳び越え、大きな前足で悪魔の胸にのしかかりながら、咥えていた短剣を突き刺した。
『グワアアアア!』
続けて白虎は悪魔の首元にかぶりつき、引きずるようにして運ぶ。あまりの動きの速さに、騎士たちは呆気に取られ、見ているしかできない。
ヒスイは、ルシアたちがいるのとは反対側の観覧席を駆け上った。
悪魔は必死で抵抗するが、白虎の太く鋭い牙が首元の皮膚にめり込んでいる。長い爪でバリバリとヒスイの頬を掻きむしるが、びくともしない。
最も高い段に到着したヒスイは、暴れる悪魔を口から離すと、再び前足で床へ押し付けた。
「鳴神! ここだよ!」
ガオン! と空を仰いだ瞬間――ピカッと強烈な光が瞬き、視界を真っ白に塗り潰す。
強大な電気エネルギーが、悪魔に刺された短剣を目印に、空から一直線に落ちてくる。
――ドドン。
腹に響く爆音を聞いてから、ヒスイは目を開けた。
足の下で焼け焦げた悪魔は、ぴくりともしない。
悪魔が絶命した事実は、漣のように広がっていく。
「ガオオオオン! 主のおかげなのに……」
騎士たちが各々剣を掲げて、勝鬨を上げる。ヒスイの哀しげな咆哮は喧騒に紛れて、誰にも届かなかった。
○●
騎士演習で悪魔召喚が行われた事実には、厳重な箝口令が敷かれた。
ただし噂話まで止めることはできない。
王国全体に悪魔、すなわち魔法への脅威が広まるのは、時間の問題だろう。
「……ルシアは。まだ、目覚めんのか」
執務机に肘を突いて苦悶の表情を浮かべる宰相のフラビオを、正面に立つクロヴィスが無表情で見下ろしている。
「はい。医者は、ジョスラン様の処置のおかげで命を取り留めただけだと」
ふー、と大きく息を吐くフラビオの、眉間の皺が深い。
「閣下。少しはお休みになられた方が」
「こんな時に、休んでいられるかっ! あの真剣は、悪魔に備えていただのと! そして悪魔は、お見舞い係が呼んだだと!? 貴様が捕まえた小間使いはまだ起きぬのかっ」
「はい。ゴタイは鞭を打っても眠ったまま。それこそ、魔法ではと」
バン! と派手に机の天板を叩き、フラビオはクロヴィスの言葉を止めた。
「魔法だろうがなんだろうが、猶予はない! 陛下が裁可を下す前に、なんとしてでも、起こせ!」
西の辺境伯トビア・ギルメットは、場の混乱に乗じ誰よりも早く国王へ謁見し、訴えた。
――悪魔を呼び出したのは『お見舞い係』に間違いない。妙な舞を踊って、悪魔を操っていた。だから危機を覚えた辺境騎士たちは奮闘し、その悪魔を討伐したのだ、と。
クロヴィスは、深々と頭を下げる。
「私がいたにもかかわらず、このようなことになり、大変申し訳」
「あらゆる手を使ってお見舞い係を救え。謝罪はその後だ」
クロヴィスは「は」と短い返事をしてから、宰相室を後にした。
次に向かったのは、ルシアが収容されている王宮の客室である。ルシアを見舞うためであるが、ジョスランもその隣室に詰めていた。
先に隣室に入ると、ソファに身を投げ出す剣凶がいた。顎には無精髭、目の下には隈。ろくに寝ておらず、着替えもしていない様子に、クロヴィスは胸を痛めた。
猫の姿のヒスイが、クロヴィスの足に身をすり寄せる。
「心配ありませんよ、ヒスイ。王国で最も腕の良い医者を手配したのですから」
クロヴィスはヒスイを抱き上げながら、ジョスランに目礼をする。
「それより、どうなった。陛下の心証は」
苛立った様子のジョスランに、クロヴィスはただ首を横に振って答える。
「くそ、ギルメットめ! 悪魔討伐の武功だけじゃ足りないとか、強欲すぎるだろう」
ピクピクと鼻を揺らしたヒスイは、クロヴィスの腕の中から飛び降り、ジョスランの膝に乗って毛繕いを始める。
クロヴィスは眼鏡を外し、眉の間を指で揉んでみたが、凝りはほぐれそうにない。
「クロも相当疲れているな」
「……お茶を淹れましょう」
「頼む」
クロヴィスは客室に備えてあった茶器を使って、茶を淹れる。ふうわりと立つ茶葉の香りが、ささくれ立った神経を少し抑える気がした。ジョスランが、クロヴィスの背中に向かって愚痴を放つ。
「はああ。ルシアがあれだけ頑張ったのにな。報われなかったら、悲しすぎる」
いつもなら黙って聞き流すが、今日のクロヴィスは、本音がこぼれ落ちるのを止められなかった。
「私は、恥ずかしい」
「恥ずかしい?」
「武功を我が物にしようと画策するしか能のない、騎士たちのことが。誇りはないのかと」
丁寧な手つきでテーブルにカップを置くクロヴィスの指先は、微かに震えている。
『本心を隠すなら徹底的に』――ルシアにまた怒られてしまうと考えたら、余計哀しみが込み上げてきた。
あの場で悪魔と対峙した騎士たちは皆、褒賞をもらうべきだと主張している。
討伐されたのが事実である以上、早急に検討せざるをえず、王宮役人も騎士団幹部も動きが制限されてしまっている。
「王国騎士団なんてやつは、とっくに腐敗と欲に塗れた集団に落ちぶれている。今さらどうとも思わん」
「ですが」
「俺は、俺の正義を貫くのみだ」
ジョスランは、優雅な所作でソーサーを持ち上げカップに口を付けた。
「美味い。さすがだな」
クロヴィスは、突然態度に余裕の出てきたジョスランを不思議に思い、ぱちぱちと目を瞬かせる。
「ジョスラン様には、何か勝算でもあるのですか」
宰相補佐官の問いに剣凶は答えず、不敵に笑った。
「クロヴィス。いい加減、様も敬語もいらん」
「王弟殿下のご子息相手に平民である私が」
「私は、ただのお見舞い係ですよ。宰相補佐官殿」
「……」
「ほらな、嫌だろ。お前も飲め」
「酒みたいに言いますね」
クロヴィスが苦笑しつつ自分の分を用意すると、ジョスランは眉尻を下げた。
「なあ。全部無事終わったら、飲みに行かないか」
「そうだな……ジョー」
するとジョスランは『五体満足』でのやり取りを引き合いに出し、からかう。
「ミードでいいか?」
「ワインを十樽」
「はは! 奢ってやる」
「で、勝算は」
「そんなもんないぞ。甥っ子が、伯父貴に駄々をこねるだけだ」
眉を歪めたクロヴィスに、ジョスランはクククと低い声で笑いながら続けた。
「ギルメットが感情論なら、俺もだ。『伯父貴! 俺の惚れた女をどうする気だ! 魔女なわけがないだろう、バルビゼ伯の娘だぞ』……どうだこの迫真の演技」
「ふは! もっと大袈裟でもいいと思う」
「クックッ。分かった。従兄弟も一肌脱いでくれるらしい。きっと見ものだ」
「いとこ……王子殿下か!」
「おう。『私を悪夢から救ってくれた恩人が、そのようなことするはずがない』ってな。何よりエディット嬢が激怒している。日和見主義の陛下が、公爵家を敵に回すわけがない。奴は、まさしく虎の尾を踏んだんだ。なあ、ヒスイ?」
「にゃあん!」
「そうかっ。ルシア様がエディット様と懇意なのは、一部の人間しか知らないこと……!」
クロヴィスは瞠目し、ジョスランはうんうんと頷く。
「田舎者に、王宮内部の情勢などわからんだろ」
「驚いたな。剣凶には、政治力もあるのか」
「そんなもん、ない。たまたま持っている血縁を使うってだけだ。政治のことは、頼んだぞ」
カップをテーブルに置いてから、スッと差し出したジョスランの右手を、クロヴィスもしっかりと握り返した。
それからお互いにカップを持ち上げ、共闘を誓う。白トラ猫が「にゃあん」と嬉しそうに鳴いた。
○●
西の辺境伯は、演習後領地へ帰るはずだった予定を取りやめ、すべての聴取が終了するまで王都に留まることになった。
ギルメット家は王都にタウンハウスを持たないため、王族所有の別邸が提供されたことで、トビアの高慢な態度はますます増長した。
「フハハ。時間と手間をかけた甲斐があったというもの」
深夜、寝室でワインを嗜むトビアを、一人の客が訪ねている。
マントのフードを目深にかぶった人物で、ワイングラス片手に密談をしようと、トビアをバルコニーへ誘った。ワインで火照っているとはいえ夜風は冷たい。トビアは慌ててガウンを着込み、バルコニーへ出た。
「おおさぶっ。さすがに夜は冷えますなぁ。今頃ガエルのやつ、我が武功を必死で計算していることでしょう。愉快、愉快!」
上機嫌なトビアへ、客人は黙って手のひらを差し出す。
「ああ、ええっと……はい、こちらに」
少し不満げだが素直に、トビアは小さな真鍮のベルを手渡す。固有の周波数で鳴るよう調整してあり、騎士たちの暗示に使っていた。
トビアは、このやり方で世界を手に入れられる、と錯覚していた。たとえ剣凶だろうと、暗示をかけてしまえばよい、と。
「なぜ、お見舞い係を巻き込んだ?」
客人に問われたトビアは、いやらしい笑みを浮かべる。
「前々からあの剣凶が目障りだったでしょう。この機会に排除したまで」
「……」
「なあに、問題ありません。陛下にはすでに、奴は悪だと断じておきました。このわたしの功績あればこそ、信じていただけましたし」
「余計なことを」
声量は、それほど大きくない。だがトビアの背筋を、強烈な寒気が走った。
「え」
「消えろ」
「あの」
戸惑うトビアが瞬きをする間に、客人の姿は消えていた。
――否。
消えていたのは、トビアの命だった。




