19話 禁呪
「洗脳だと!?」
「ええ。ゴタイが選別していたのは、騎士というだけじゃない。操りやすい者もだったんだわ! 何らかの術に違いない」
ルシアとジョスランが話していると、演習場の物見席に、国王と宰相が姿を見せた。
瞬間――
チリーーーン。
まるで耳鳴りのような、か細く高い鐘の音が聴こえた。
にわかに、今まで虚ろな表情で立っているだけだった辺境騎士たちが、腰の剣を抜き始める。
その刃は日光で煌めき、目に眩しい。観客席では、見学に訪れている貴族たちの、色とりどりの扇子やタイが揺れている。
「まさか……真剣……!」
あくまで、演習。武器は刃を潰した『模擬剣』を使用することになっていた。
「団長も気づいたようだな」
演習場に動揺が広がっていく中、騎士団長が怒号を発しながら、物見席から駆け降りてくる。国王の護衛は、副団長のマルスラン――ジョスランの実兄――に譲ったようだ。
「貴様ら! 何をしている! 控えよ!」
団長の怒鳴り声は普通なら萎縮するほどの迫力だが、辺境騎士たちは人形のように剣を持って立っているだけだ。
「聞こえんのか! 真剣など言語道断! 演習は、中止だっ」
国王や宰相の姿は、既に消えていた。さすが頭脳明晰で有名な副団長、混乱の場で即時避難させるなど、想像以上に困難だったはずである。
ルシアが感心していると、ジョスランが苦笑した。
「このまま団長に任せるか」
「いいえ。ギルメットが首謀なら、団長の命を狙っている可能性があるわ」
「騒ぎに乗じて、か。あり得る。やはり俺も参戦するしかなさそうだな」
渋々を装っているが、剣凶と呼ばれる男からは、殺気が漲っている。
「ジョー。わたくしたちは、お見舞い係です。場を鎮めることに注力しましょう。ヒスイ……急急如律令!」
ルシアに呼び出されたヒスイは、獣人の姿でジョスランの隣に並んだ。
「はーい」
「翡翠は、魔除け。ジョーは、ヒスイから離れないで」
「俺は平気だ」
「わたくしもよ。ジョーが洗脳される方が厄介だわ」
「オイラ、主のところへは一瞬で戻れるぞ!」
ルシアとヒスイに説得され、ようやくジョスランは頷いたが
「なら行くか、ヒスイ……ん?」
突然動きを止め、紅色の目を瞬いた。
「おいルシア。ヒスイの周りに、何やら文字が浮かんで見えるが、これはなんなんだ?」
するとヒスイがピーン! と耳と尻尾を立て、翠色の目をめいいっぱい見開いた。
「わあ! それ! よんで、ジョー!」
「読めば良いのか? えー……白虎金神……?」
ルシアは、ハッと息を呑む。
「やったね! やっと元に戻れる!」
「元にって、どういうことだ?」
「嬉しいぞ。ジョーのおかげだ」
「白虎金神!」
ジョスランが首を捻る一方で、ルシアがキッパリと言い直すと、ヒスイの口角から鋭い牙がにょきっと生えてきた。
それから、猫獣人の小柄で華奢な体がメキメキと波打って徐々に変化していき、分厚い体躯に鋭い牙と爪を誇る――巨大な白い虎になった。
ジョスランが、驚嘆の声を放つ。
「元の姿とは、虎だったのか!」
「ガルルル。オイラは十二天将、白虎のヒスイだよ〜ん。改めてよろしくね」
ブンブンと太い尾を揺らし陽気に笑う白虎に、ジョスランはニヤリと口角を上げ応えた。
「虎によろしくされるのは初めてだ。光栄だな」
ルシアは、ヒスイの頬をそっと撫でてやる。
「真名を忘れていてごめんね」
「いいんだ。また会えた」
ヒスイは、耳を垂れながらルシアの手のひらに頬を擦り寄せる。
「ヒスイのおかげで――見つけたわ」
「何?」
ジョスランが、ルシアの視線の先を追う。
「あれは! まさかゴタイかっ」
黒いマントのフードを目深にかぶった華奢な体つきの人間が、演習場を挟んだ対角線上に立っている。こちらを見て大きく肩を震わせると、ワタワタと逃げ出した。
「追いかけるぞっ」
ジョスランが駆け出そうとしたところで――
チリーーーン。
また鐘の音が聴こえ、ジョスランは警戒し足を止め周囲に視線を巡らせる。
「今のはなんだ!?」
ルシアは答える代わりに急いで九字を切る。
「青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女、急急如律令」
「ガオオオン!」
力を増した白虎が、咆哮する。
演習場では辺境騎士たちが、次々と王国騎士たちに襲いかかっている――
○●
先ほどまで晴れていた空を、見上げる。
黒い雲は、大きく渦巻いた中心から地上へと、生き物の触手のようにその先端を伸ばす。
じめりとした湿気が、ルシアに絡んでくる。
「……まるで、鬼が産まれるかのような……」
無意識に口を突いて出た言葉に、ルシアは自分で驚いた。
「鬼……騎士たちを巡礼させ、洗脳し、ここへ集めて……」
ぞわり。
ルシアは、本能で恐怖を感じた。袂へ手を入れ、式札の枚数を指先で確かめる。
演習場内には、傷だらけの騎士たちが倒れている。
真剣を振るう辺境騎士たちは、どこか虚ろで精彩を欠いてはいるものの、ダメージも感じづらいようだ。
騎士団長もジョスランも、命を奪わずに倒そうと四苦八苦している。
風に舞った土煙には、血の匂いが混じっていて生臭い。
と――突然、演習場の砂地に、紫色に光る円形の紋様が浮かび上がった。
ジョスランとヒスイは咄嗟に跳躍して陣の外へ出たが、騎士団長は中央付近で「なんだこれは! 何が起きた!」と叫ぶ。
一方では、倒したはずの辺境騎士たちが起き上がり、真剣を構える。その剣先は全て、騎士団長へと向けられている。
「ルシア!」
「あるじ!」
(文献で読んだことがある。こちらの世界の鬼は、悪魔と呼ばれている)
ルシアは、自身の考えを腹の底から叫んだ。
「騎士の血肉を捧げた、悪魔召喚! それを、洗脳した辺境騎士で退治するつもりかもしれない!」
この仮説は、合っているに違いない。だが、信じたくはなかった。
「いくら武功のためとはいえ、そんな……そんなこと!」
波打つ心臓と荒い息を必死に整えながら、ルシアは式札を構える。
はたして演習場の中央に大きな異形が――産まれた。
「な……!」
騎士団長のガエルが、突然至近距離に現れた存在を、驚愕の表情で見上げている。
頭は山羊、身体は人間だが黒い鱗のようなものに覆われていて、身長は普通の人間の二倍はある。背中には巨大な黒い翼があり、眼球は黒く瞳孔は白い。
(やはり悪魔か! これほどの召喚を、ゴタイや辺境伯にできるわけがない! でも今は、犯人探しよりもとにかくっ)
忙しなく動く思考と連動するかのように、ルシアは早口で真言を唱え続ける。
すると異形が、空へ向かって激しい咆哮を放った。
『グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』
全身に力を漲らせた悪魔の口蓋から溢れた涎は、地面に落ちるとジュワアと土を溶かす。
「なんだこいつは!」
「ジョー! 団長を止めてっ! 普通の武器じゃ倒せない!」
「は! 無茶を言うっ」
だがジョスランは、果敢にも陣の中へ踏み込んで行った。
洗脳した騎士たちでもって王国騎士団を圧倒し、辺境の脅威を見せつける――そのような予想をはるかに超える事象が、目の前で起きている。
破邪の式神であるヒスイがいたとしても、悪魔に打ち勝てるかどうか分からない。
(魔法の失われた世界で、悪魔に勝てる術など、はたしてあるのだろうか)
ルシアの脳裏には、前世の自分が絶命した、冷たい牢が浮かんでいる。黒い雲に覆われた暗い空は、あの夜に似ていた。
「あるじ! 奴の額、見て!」
「額?」
脅威に打ち負かされそうになっているルシアへ、ヒスイがわずかな希望をもたらした。
よく見ると、悪魔の額には逆五芒星が煌めいている。
「どの世界にいたって、理は同じだよ〜」
「そうだわ! そうよね、ヒスイ!」
ルシアは力強く頷くと、先日板囲に貼っておいた五枚の護符に素早く目を走らせる。
「バン ウン タラク キリク アク」
唱えながら指で宙に五芒星を描き、最後に中心に「エイ」と点を打った。
『バフォーーーーーー!』
悪魔が苦悶の表情で叫ぶのも無理はない。なぜならルシアが展開したのは、魔除けと祓いの結界だからだ。
それからルシアは、悪魔が中心に立つ陣を凝視する。それを取り囲む二重の円の間に書かれている文字は、この世界のものでも、ルシアの前世のものでもない。はるか昔、魔法と共に失われた文字かもしれない。
「あれは、なんと読むのかしら」
「ここからでは、なんとも。召喚、に似ていますが」
「クロ!?」
背後から突然話しかけられ、ルシアはギョッとした。
「はい」
「叔父様っ、いえ、宰相閣下は」
「ご無事です。陛下と共に、王宮奥へ避難完了しました」
ルシアはふっと息を吐いてから、尋ねる。
「なぜ戻ったの?」
クロヴィスは、苦笑を返した。
「お見舞い係が暴れた後、証言が騎士からしか取れないとなると、ややこしいことになると思いまして」
確かに、後から好きなように言われかねない。
「ありがたいけど、危険だわ」
「お忘れですか。私、元騎士ですよ。それに、お届け物がありましてね……ジョスラン様!」
クロヴィスがジョスランの愛剣の鞘を掴み、掲げて見せると、気づいたジョスランはニヤリと笑った。
「投げろ!」
「どうぞっ」
指示通り鞘ごと投げ入れた剣を、ジョスランが拾ったのを見届けてから、クロヴィスは大きく息を吐いた。
「投げたせいで傷ついても、文句は言うなって言い忘れましたね」
この場においてさえ変わらないクロヴィスの態度に、ルシアは眉尻を下げる。
「言わせないわ」
「お願い申し上げます」
「クロ。今は加勢よりも、術者を探して欲しいの。まだ近くにいるかもしれない」
きらりとクロヴィスの眼鏡が光った。
「承知しました、周囲を探してきます。ルシア様にも、これを」
丁寧な手つきで短剣を差し出され、ルシアは戸惑う。
「わたくしには、武器など」
「護身用です。せめて、お持ちください」
「ありがとう」
「では」
軽やかに身を翻すクロヴィスを見送ってから、ルシアは握った武器に視線を移す。短剣といえど、ずしりと重い。
「刀……刀禁呪……!」
ルシアの脳裏に、突如として鮮やかな記憶が蘇った。
前世の年初め、師匠が貴いお方の御前で披露する、一年の破邪を願うための反閇。あらゆる病や邪鬼を退けるため、刀剣を振るいながら地を踏み締め歩く、重要な儀式だ。所作も禁呪文も、全てを思い出した。やってみる価値は、あるかもしれない。
ルシアは鞘からゆっくりと短剣を抜く。冷え冷えと輝く鋼は、透き通っているかのようだ。
「綺麗……これならば」
眼前に掲げた刃越しに見える光景は、悪魔相手に奮闘するジョスランとヒスイだ。騎士団長は、疲労からか怪我からか、地面に片膝を突き肩で息をしている。
もはや一刻の猶予もない。ルシアは、場を清める真言を唱え始めた。
○●
「おらあ!」
ジョスランの剣筋は宙を切り裂くだけで、手応えはない。悪魔は体の大きさの割に素早く、捕捉しきれない。細かな切り傷を与えるのがやっとだ。
それでもジョスランの強さは、常人をはるかに凌駕している。かろうじて意識のある騎士たちは、剣凶の動きに釘付けになっていた。
「ガオン!」
ヒスイも、ジョスランの剣戟の隙間を縫うようにして、鋭い爪や牙で果敢に戦っている。
二人の息の合った攻撃に、いよいよ苛立ちが頂点に達したのか、悪魔が翼をはためかせた。
「くそ、飛ぶ気か」
「ありゃ〜、オイラの跳躍で届けばいいけどなあ」
『バフォーーーーーー!』
ついに悪魔は空へ飛び立ち、バサバサと翼の音をさせながら見下ろす。
空を仰ぐジョスランが悔しげな表情をする一方で、ヒスイはヒクヒクと鼻を動かす。
「むしろ、良かったみたいだ」
「なんだと?」
むきっと牙を見せつけて笑う白虎の視線の先に、短剣を片手に不思議な動きをするルシアの姿がある。
○●
「……我これ天帝の使者なり。この刀を使い不祥を滅すことを命ず。この刀は平凡なものに非ず、百錬の鋼である。この刀の下では鬼は走らず、病は癒える。千妖も万邪も皆悉く済除、急急如律令!」




