17話 対面
「どうぞお掛けください」
黒いローブのフードを目深に被り、口元に薄いオーガンジーのような布を巻いている人間が、テーブルに座ったまま手だけで促した。
ローブはサテン生地のような薄くて軽い素材なので、肩のラインから華奢な体型なのが分かる。手首から手の甲にかけても口元と同じような布がぐるぐる巻かれていて、上から天然石の細いバングルがいくつも着けられている。
声色からして若い男性で、顔色や表情は判然としない代わりに、態度や声音で柔和さが演出されている――ルシアは油断なく、彼の所作ひとつひとつに注目した。
「失礼」
ジョスランが彼の向かいの椅子に腰掛け、ルシアとクロヴィスはジョスランの背後に並んで立つ。ルシアは衝立を境に、この辺りになんらかの術式が展開されていることを察知した。
(軽い催眠のような感じかしら。大したことはないけれど、念入りなことね……)
口の中で精神統一の真言を唱えていると、相手が口上を述べた。
「初めまして。僕はゴタイと呼ばれておりますので、どうぞそうお呼びください。貴方様は、名乗る必要はございません。何かお困りごとですか?」
「ああ、とても困っている。ずいぶん前から婚約を申し込んでいる女性がいるのだが、良い返事はもらえるのだろうか」
(ちょっと!)
ルシアは思わず叫びそうになったのを必死で堪えた。隣のクロヴィスの肩が小刻みに震えている。笑いを堪えているに違いない。
「では、貴方様の生まれ月と生まれた日だけ、教えてください」
ジョスランはスッと軽く息を吸ってから、吐き出した。
「七の月、二十五の日」
「はい。お相手の生まれ月などはお分かりになりますか?」
「分からん」
「……ふむ。とりあえず貴方様の情報だけで、見てみましょうか」
「見る?」
「はい。万物は定められた道を行く。僕はその道筋を追うだけですよ」
ゴタイは軽く体を後方へ捻ると、背後の台に置いてあった手のひらぐらいの大きさの金属の箱を持ち上げ、テーブルの上に置いた。箱の蓋を開けると中にはカードが入っていて、慣れた手付きで中央に並べる。カードの絵柄は、森・太陽・大地・金貨・海だ。
「さて、その女性の姿を想像してください。彼女に似合うカードは、この中のどれですか」
「この中から、選ぶのか」
「はい」
ジョスランの動きが止まったのを見て、ゴタイはふっと息を漏らした。
「どうかそう構えず。直感で選んでください」
「直感と言われてもな。選んで何になる」
ゴタイは一瞬言葉を詰まらせたが、落ち着きなくカードの表面を撫でながら、ゆっくりと話す。
「とにかく、目についたもので良いんです。一緒に行った場所などを思い出してもいいですし」
「場所か……なら」
促されたジョスランは、ようやく海のカードを指差す。ゴタイは素早くそのカードを、自分の前まで滑らせるようにして引き寄せた。
「はい。選んだ理由をお聞きしても? なんとなく、でも良いですよ」
「凪いでいる時は綺麗だが、荒れ狂うと恐ろしい」
――ルシアは思わず頭を抱えたくなったが、必死に耐える。
「きっと素敵な女性なのでしょうね。力強くて、お美しい方とお見受けしました」
「その通りだ」
薄い布越しに聞こえてくるゴタイの柔らかい声と、決して否定しない言葉遣い。ルシアはなるほどと心の中で頷いた。
式や術を競い合う場でも、相手を言葉で揺さぶったり、懐柔したりする。ゴタイの手法は後者だ。カードを選ばせながら雑談することで、相手の情報を引き出す。知らず知らずの内に、心の奥までさらけ出してしまっているに違いない。
ジョスランも相手の術中にはまったのか、好きなことに打ち込んでいるのが良いとか、甘いものが好きだとか、余計なことを話している。
(いけない。冷静にならなければ)
横目でクロヴィスを見上げてみるが、お互いフードのせいで表情はよく分からない。ただ、口角が微かに震えているのだけ見えた。
「後ろのご友人方は、その女性をご存知ですか?」
ゴタイから唐突に話を振られたので、ルシアは軽く首を横に振り、クロヴィスも同様にした。ルシアは女性だとバレないようにとの配慮だが、クロヴィスはなぜか言葉を発しない。
彼の手元を見ると、ギリギリと音が鳴るぐらいに、拳を握り込んでいた。手の甲に青筋が浮き出るぐらいの力の入れ方で、ルシアは明確な怒りを感じた。
(一体クロヴィスは、何を怒っているのかしら)
「ご存知ないのですか。それは残念です」
「なんだ。それだと不都合でもあるのか?」
ジョスランが低い声で煽ると、ゴタイはふわりと首を横に振る。
「ご安心を。より正確になる、というだけですので……うん、残念ながら今すぐの了承は得られそうにないでしょう」
「っ、なんだと」
「風向きが異なるのです。一途な方でしょうから、貴方様にお気持ちが向いた時は、お話は早く進むに違いありません。つまりは」
「懸命に口説け、ということだな」
ぐい、とジョスランが肘をテーブルに乗せて凄んだので、さすがのゴタイも軽く仰け反った。
「おほん。そのように熱烈に想われるなど、お相手の方はさぞ幸せなことでしょう。貴方様に幸せが訪れるよう、まじないを少々授けましょう」
「まじない? 魔法のようなものか」
「そんな大層なものではございません。古くから、言葉は力を持つと言われております。お守りのようなものです」
「ほう」
ルシアは身構える。先ほどからの振る舞い――カードを自由に選ばせたようで選択肢を誘導したり、さりげなく後ろのふたりとの関係性を探ったり、魔法の認知度を確かめたり。明らかに、ゴタイには何らかの目的がある。
「幸運が、貴方様へ訪れますように」
ゴタイは、ジョスランの両眼に右手のひらをかざすようにして声を掛けた。まるで何かを送り込んでいるかのように、力んでいる。
「……ふう。僕の力を送り込みました。そうですね、見知らぬ土地に行ってみるのが良いです」
「見知らぬ土地?」
「はい。海を選ばれたならば、それとは反対へ行くのが良いでしょう」
「そうすると、どうなるのだ」
「色良いお返事がもらえるに違いありません」
ジョスランは前のめりになっていた身を起こし、居住まいを正した。胡散臭い、と態度で表しているようなものだ。
「僕の言葉を信じないならば、それでも全く構いません。幸福は、信じる人の元にだけ訪れるものですから」
ゴタイはそう告げながら、テーブルの上に並べていたカードを端から撫でるように手のひらへ納めていき、箱の中へしまい、背後の台へ片手で置いた。洗練された仕草だ。
それから体の前で両手を組み、淡々と告げた。
「これで、おしまいです。次の方、どうぞ」
衝立の向こうで動く人の気配があり、立ち去らざるを得なくなった。
(間違いない。このやり取りは、一種の呪だ)
ルシアはゴタイへの警戒心を強めると同時に――店外へ出たらクロヴィスを問い詰めることに決めた。
○●
『五体満足』の裏口から外へ出ると、すっかり日は落ちていた。
数少ない街灯にぼんやりと照らされる石畳の路上では、家路に着く酔っ払いや、松明を持った夜警の巡回がまばらに目に入る。ほとんどの人間が家の中にいる時間帯だ。
「どこかで話しましょう」
ルシアの申し出に、ジョスランが首を巡らせる。
「辻馬車でも捕まえるか」
「それには及びません。あちらに待機させていますので」
クロヴィスが颯爽と歩き出したので、ルシアとジョスランはその背を追いかけた。
すぐに、裏路地に目立たない装いの馬車が止まっているのが見え、ジョスランはふっと肩の力を抜く。
「さすがだな。手回しが行き届いている」
「恐縮です」
「俺のは本心だぞ」
「私もですが」
今のルシアに、二人を諌める余裕はない。今夜は幸い、月が大きい。月明かりの下、ルシアは二人を早歩きで追い越す。
「おい、待て」
「お待ちをっ」
さすがに、ルシアの態度でふたりは気を引き締め直したようだ。
クロヴィスの合図で御者が扉を開き、ローブ姿の三人は、無言で馬車のキャビンに乗り込んだ。
バタンと扉が閉まってから、ルシアはようやく口を開く。
「ジョー。わたくしの目を見て」
「? ああ」
ルシアは、向かいの席のジョスランへ身を乗り出すようにして紅色の目を覗き込み、囁く。
「六根清浄、急急如律令」
「おいルシア……ほろ酔いですらなくなったぞ」
ジョスランが苦笑いしながら、ローブの紐を解いて全て脱ぐ。ルシアとクロヴィスはフードを後ろに落とすだけにしたが、装備の分、ジョスランは暑そうだ。ガントレットやスリーヴなど、外せるものは外している。夜とはいえ初夏であるから、風のないところは暑いだろうとルシアは気遣って、馬車の窓を少しだけ開けた。クロヴィスはジョスランの隣で装備を解くのを手伝いつつ、話が終わるまで適当にぐるぐる走らせましょう、と御者に走るよう合図を出す。
「それもまた、呪だもの」
「しゅ? まあ、わざとかかってやるのも面白い経験だった。ルシアが解くと思えば、余計にな」
窓を少しだけ開けた分、夜風と共に月光も入ってきている。
ルシアは、暗い馬車の中で光る紅色の目を、呆れた顔で見つめた。
「信頼されたのは、嬉しいわ」
「それ、本心か?」
「さて」
クロヴィスは、一体何の話をしているのかと言いたげに、二人を交互に見ている。
「ジョー、もう大丈夫ですわね?」
「ああ」
「念のためクロも」
戸惑うクロヴィスにも同じように囁いた後で、ルシアは毅然と尋ねた。
「クロヴィス。わたくしはあなたに聞きたいことがあります」
「私、ですか」
「はい。何を怒っていたのですか?」
問われたクロヴィスは、軽く目を伏せる。
なんと答えようか、珍しく言葉を選んでいるように見えた。
「察するに、あのゴタイという男。クロの知り合いですね?」
「なんだと」
勢いで問いただそうと腰を浮かせかけたジョスランは、ルシアが止めるまでもなく、すぐに冷静になった。
「どういうことだ」
「この目で見たい、と言ったのは、知り合いかどうか確かめたかったから。違いますか?」
「はあ。さすがルシア様ですね。洞察力が優れていらっしゃる。宰相閣下が可愛がる訳です」
「クロヴィス。誤魔化すな」
静かな声で迫るジョスランに、クロヴィスは苦笑いを返す。
「誤魔化したりなどしません……確証はありませんが、おそらくゴタイは、孤児院で一緒だった男です」
「何! どんな奴だった」
「賢い、とは言えません。ただ観察や真似をするのが得意でした。院長や職員の真似をして、子どもたちをよく笑わせていた」
ルシアが、顎に手を当てながら頷いた。
「なるほど。真似事ならばあの拙さにも納得です」
「ルシア様の仰る通り。私も誰かの真似事でやっているのではと思いました」
たちまちジョスランが嫌そうな顔になる。
「俺だから、奴の未熟な術にかかったってことだな」
「いいえ。ジョーはあえて受け入れたのでしょう? 普段なら、早々に跳ね除けていたはず」
クロヴィスが意外だ、というような顔をしたので、ルシアはジョスランを擁護する気になった。
「ジョーは、何度も拒絶しようか迷っていたでしょう。よく我慢したわね」
「バレていたのか」
「もちろん。手練れの術者ならば、あのようにカード選択を躊躇された時点で、察して引くか、別の手段に変える」
「そうだけどな。まあ、騎士相手には十分な腕だ。奴ら単純だからな」
クロヴィスが、パチパチと何度も目を瞬かせている。
「クロ。ジョーが貴方に絡むのは、わざとだと思いますよ。剣凶と呼ばれるほどの腕前のお方が常に騎士然として、頭脳明晰に振る舞っていたら、恐ろしすぎるでしょう」
ジョスランの頬がかなり赤くなったが、月明かりでは目立たない。
クロヴィスは、軽く目を閉じた。
「演技、でしたか……見抜けませんでした」
「クロ。今後は感情を抑え込む努力を。今回は気づかれませんでしたが、ゴタイの背後にいる人物は、そうはいかないでしょう」
「分かりましたが、背後にいる人物とは?」
「おい、まさかもう分かったのか?」
二人の問いに、ルシアは微笑んだ。
「忘れていませんか? ヒスイに、ゴタイを尾行させています」




