16話 裏口
依頼のあった翌日、ルシアは王都の路地を歩いていた。
両脇にジョスランとクロヴィスを従えている。
ジョスランは、屯所から借りてきたという年季の入ったプレートアーマーに、フード付きマント。重い装備にも関わらずサクサクと石畳を歩いている。
一方のクロヴィスは、体力を考慮してサーコートで誤魔化したと笑った。
ルシアはというと、チュニックの上にローブを羽織り、髪を後頭部でまとめてフードを目深に被った。従士に見えなくもない装備で、腰の革ベルトには一応大ぶりのナイフを提げてはいるが、どう握れば良いかも分からない。
「『五体満足』は王都の外れ、南門近くにあるそうです」
クロヴィスの言葉にジョスランは「普通は行かない辺りだな」と眉根を寄せた。
「確か南に行くほど、貧しいのでしたか」
ルシアが問うと、クロヴィスが軽く頷く。
「王宮を北に構える王都の構造上、北側に特権階級が集中しています。自ずと貧しい人々は、南に住まざるを得ない。あ、こちらの方が安全な道です」
クロヴィスはそうして、メイン通りから一本裏に入る道を選ぶ。
「詳しいのね」
「孤児院も南地域にありますから」
「なるほど」
ジョスランは『普通は行かない』と言った。王族なればこそであるが、クロヴィスにとっては育った場所である。
似たような立場でも、言葉の端端には立場の違いが出ていることに、ルシアは気づく。
不仲ではないが、踏み込めない。そのような距離感なのかもしれない。
やがて『五体満足』の前に着いたルシアたち三人は、喧騒に気圧された。
日の落ちかけている時刻にもかかわらず、店の入口には人だかりができていたからだ。
「まさか、これ程まで繁盛しているとはな。とりあえず、周りを歩いてみるか」
ジョスランの提案にルシアは同意し、店の周辺を歩いて見回る。
入口から店内の様子を見てきたクロヴィスが後ろから合流すると、首を横に振った。
「入れませんでした。今日は満席だそうです。空くのを待つしかありませんね」
ジョスランが眉根を寄せる。王族かつ名誉騎士という彼が待つことなど、今まで無かったに違いない。
順番待ちの列の最後尾に着くと、ルシアの目の前に並んでいる男性の二人組が、ゆらゆら体を揺らしながら会話している。どこかで一杯飲んできた後なのかもしれない。ふたりとも、頬がほんのり赤い。服装から見て、掃除人だろうとルシアは見当を付け、会話に耳を澄ませた。
「今日はゴタイさんがいるらしいから、そりゃあ混んでるよなぁ」
「騎士様ならまだしも、俺ら庶民はひたすら待つしかねぇ」
「銀貨五枚だっけ?」
「んな大金、払えるかよ。俺らにゃ一生かかっても無理だ」
ルシアたちは、お互い顔を見合わせ、頷きあった。
「あの、すみません」
「ん?」
この場で一番下の身分なのは、従士の扮装をしているルシアだ。無理して低い声を出しつつ、尋ねる。
「騎士料金て、なんでしょうか?」
振り返った男たちは、ジョスランとクロヴィスの格好を見て、あからさまにギョッとした。
「あー、ああ。騎士様なら裏口回って、銀貨五枚払えばすぐ入れるぜ」
「ありがとうございます」
ぺこりと礼をしたルシアの横から、マントのフードを目深に被ったジョスランが「情報感謝する」と銀貨を二枚握らせた。
目を見開くふたりに、ジョスランはしーっと人差し指を立て「その代わり、俺たちのことは内緒にしといてくれ」と続ける。
「なんでわざわざ口止めなんか」
列から離れてからルシアが問うと、ジョスランはぶっきらぼうに答える。
「念のためだ」
「そうですね……裏口の情報は、前までありませんでした」
クロヴィスが同意しつつも表情を曇らせる。騎士の失踪と紐づけても、ルシアには悪い予感しかない。
「わざわざ裏口を設けて差別化しているとなると、意図的に騎士を対象として何かしているとしか思えませんわ」
ルシアの警告に、ジョスランとクロヴィスは無言で頷きながら、店の裏手へと回る。
すると、壁に背をもたれるようにして足を投げ出し、ぐったりと項垂れている人物が目に入った。薄暗い建物の影、店の裏手という人通りのほとんどない場所だ。裏口から入ろうとする騎士ならば気付いたかもしれないが、今は周囲に誰もいない。服装からして庶民であるのに、なぜこの青年は、騎士用の裏口にいるのか。
ルシアが考えている間に、ジョスランが地面に片膝を突いて声を掛けていた。
「おい、大丈夫か」
「……だめ、です。入ったら……」
弱々しい声で、彼はさらに不穏な言を放った。
「おかしい……から……」
ルシアは素早くジョスランの隣に片膝を突くと、青年の顎に左手を添えて顔を上げさせた。
「おい!」
「しっ」
止めようとするジョスランを制しおもむろに右手で印を結ぶと、「六根清浄、急急如律令」と囁く。
するとたちまち、彼の虚だった目に、光が差し込んだようだ。
「あ……」
「どうですか。具合は良くなりましたか」
瞬きを繰り返し戸惑う彼は、どこか夢見心地のままルシアに頷き返す。もう大丈夫だろうとルシアが彼の顎から手を離すと、しっかりと顔を上げられていた。
「ありがとう、ございます……あの、そこから入る気ですか? やめた方が」
「なぜですか」
「僕、ここの常連なんですが……友人が、従士で……ゴタイさんに占ってもらいたいっていうので、紹介したんです。そしたら、いきなり王都を出て西へ行くって言い出して」
青年は身を起こし、頭を左右に振った。徐々に意識がはっきりしてきているのが、見て取れる。
「たくさん修行して、やっと、やっと従士になれたんですよ! それなのにそんなこと言うなんて、絶対おかしいです。でも、止めたら殴られました。そんな奴じゃなかったのに」
悔しげに下唇を噛み、俯いた青年の目には涙が滲んでいる。ルシアは、裏口の扉を睨んだ。
「それは……変ですね」
「ああ。失踪どころじゃなさそうだ」
ルシアの横で同じように青年の様子を見ていたジョスランが、フードの中の紅色の目をギラギラと光らせている。
今度はクロヴィスが、口止め料にと青年へ銀貨を一枚手渡した。
「我々のことは、内密にしていただけませんか?」
青年は、それをぎゅっと握りしめてから、ルシアたちを見つめた。
「騎士様たち、調べに来てくださったんですね。もちろん秘密にします。僕は、あいつに戻ってきて欲しい。どうか、よろしくお願いします」
深く頭を下げてから去っていく背中を見送ってから、ルシアは人が一人通れるぐらいの小さな勝手口を見やり、提案する。
「とりあえず、ノックしてみましょうか」
ジョスランとクロヴィスが頷いたので、ルシアはローブの内側ポケットから式札を取り出して宙へ投げる。
「にゃあん!」
白トラ猫の姿をしたヒスイが、空中でくるんと一回転してから、地面にトンと降り立った。
「ヒスイ、先に中へ」
「にゃあん」
返事をすると、ヒスイはあっという間に壁を駆け上がり、屋根の上へ姿を消した。
クロヴィスが驚いた顔で、ヒスイの足跡を目で追ってからルシアを振り返った。
「あの猫は?」
「わたくしの、式神……従僕のようなものですわ」
「従僕……猫が、言うことを聞くのですか。すごいですね」
クロヴィスが素直な感嘆の息を漏らすのを、どこか面映く感じたルシアは、あえて淡々と裏口の扉をノックする。
コンコン。
コンコン。
――返事は、ない。
「反応ありませんね」
「ルシア、替われ。騎士用の裏口ならおそらく」
ジョスランがルシアの背後から覆い被さるようにして、ガントレットを着けた拳で、乱暴に木の扉上方を叩く。
ドンドン。
先ほどより大きな音を響かせると――しばらくしてギイイとわずかな幅のみ扉が開き、分厚くてごつごつした手のひらがにゅっと出てきた。
ジョスランはその手のひらの上に、黙って銀貨を五枚載せる。
扉がバタンと閉じられたかと思うと、すぐに大きく開かれた。
オレンジ色の光に包まれている店内には、賑やかな客たちの声が充満している。
裏路地に漏れ出す光を遮るのは、顔中に髭の生えた、全身が筋肉で盛り上がっているような中年の男だ。肌着とズボンの上にエプロンを着けている。だんご鼻の頭には黒い煤がついていて、動くと脂の匂いが漂ってきた。
しわがれ声で男が
「五枚だから、占えるのはひとりだけだぞ」
と言うと、ジョスランがわざと粗雑に返答した。
「いい。後ろのは、ただの連れだ」
「ふうん。酒は人数分頼めよ」
「分かってる」
髭男は、顎でぐいっと店内を指した。
ルシアたちは三人ともフードを目深に被っているが、咎められることはない。ということは、顔を隠したい身分の騎士も、訪れているのかもしれない。
ルシアは警戒心を高めつつ、店内の様子を観察した。
フロアに雑然と並べられたいくつもの四人掛けテーブル――四角もあれば丸もある――には、木ジョッキを片手に語り合う人々。カウンターもあり、常連と思われる面々が店員たちと、笑顔で会話を交わしている。木の床には食べこぼしや飲みこぼし、傷や凹みが多数あり、気を付けないと足を取られる。歩く度にギシギシ鳴っているようだが、騒がしさで自分の耳まで上って来ない。
街の食堂や酒場と、なんら変わらない雰囲気であったが、店の奥まった場所に木の衝立で囲われたテーブルが一つあり、先客が座っていた。そこだけは、空気が違っている。
「あそこか」
「ええ。やはり何らかの術の気配がします。警戒してください」
ルシアは続けて、ジョスランに問う。
「ジョー、何か見えますか?」
「いいや、特には」
「わたくしもです」
少なくとも今は生きている人間しかいない。
「クロ。顔見知りはいますか」
本名を伏せておくため、クロヴィスを勝手にそう呼んだルシアに対し、クロヴィスは淡々と返事をした。
「今のところはいないようです」
「そう……」
三人は、木の衝立近くのテーブルに空きを見つけて腰を下ろした。
表では満席と言われたが、この辺りは騎士のために空けてあるに違いない。
「エールふたつと、ミードひとつ」
ジョスランが注文を取りに来た店員に勝手に注文したのを、クロヴィスが「エールひとつ、ミードふたつで」と訂正した。
「ミードだと?」
「私は、あまり飲めませんので」
「嘘つくな」
「本当ですよ」
ルシアは、待っている間の雑談代わりにと、ジョスランへ尋ねる。
「ジョーは、なぜクロに対してそのような態度なのです?」
「俺にあの通り名をつけた張本人だからだ」
「なるほど」
ところが当のクロヴィスは、いかにも心外とばかりにそれを否定する。
「名付けだなんて。凶々しくも素晴らしい剣の使い手だ、と褒めただけです」
「全くありがたくない評価だな」
「まさかそんなに広まるとは思いませんでした」
「確信犯だろう」
話題を振ったのは自分である。それでもルシアは際限のない言い合いが面倒になってきた。
そこへ店員がやってきて、ドン、ドン、ドン! とテーブルに三人分のジョッキが乱暴に置かれ、会話が途切れたのがありがたい。
「ええと、とりあえず入れてよかったです」
「ああ」
「そうですね」
気を取り直したルシアがジョッキを持ち上げると、ジョスランとクロヴィスもそれに倣った。
飲み物に口を付けた途端、衝立の向こうの先客たちが、ガタガタと立ち上がっている。
「西へ、行くぞ」
「西」
「西だ」
三人組――装備からして、巡回の騎士だろう――が、そう頷き合いながら裏口から出ていくのを、ルシアたちは黙って見送る。
(西……?)
「次の方、どうぞ」
柔らかな男性の声で呼ばれ、ジョスランが「行こう」と小声で呼びかけながら立ち上がった。ルシアも椅子から立つと、クロヴィスが下唇を噛み締めている。
「クロ?」
ハッと顔を上げたクロヴィスは、フードを目深に被り直した。
「はい。行きましょう」




