15話 口火
王都の片隅。
日が暮れると、少し脇道に入っただけで、視界が効かなくなるほどの闇に包まれる。
その脇道で、黒いフードを目深に被ったマント姿の男が、呆れたように深く息を吐いた。
「腐った国は、もはや滅ぼすしかない。そう思わないか? ゾランダー」
ゾランダーと呼ばれた男は跪き、畏まった様子で頭を下げた。
「仰せのままに。マイロード」
皺だらけの肌と少なくなった白い頭髪で、老人に見えるが――声には張りがある。
「古の魔法使いならば、決してその存在を勘付かれるな。コルトーでは危うかっただろう」
「は」
言いたいことだけ言うと、マイロードと呼ばれた男はあっという間に姿を消した。
ゾランダーは、男の気配がなくなったのを確かめてから立ち上がると、忌々しげに独りごちる。
「あの女め……お見舞い係、だったか。宰相補佐官まで肩入れしているのならば、ここから始めることにしよう」
ゾランダーが振り返った先の建物は、非常に古い教会だ。
レンガ壁のあちこちがボロボロと崩れていて、周囲に雑草が生い茂っている。
貧しさが如実に現れている外観だが、中からは子どもたちの無邪気な声がした。
「ククク。活きのいい贄が、たくさんだ。まずはマイロードの憂う組織を――ひねり潰そうか」
○●
王都の片隅に、『五体満足』という食堂がある。
従士――この王国では貴族階級の子息又は貴族の推薦者、騎士登用試験の合格者のいずれかでなければ騎士にはなれない。平民は従士として騎士団に入る――だった主人が、戦争から五体満足で帰ってきて、引退後開いた小さな店だ。
その主人は亡くなっているが、妻が女将として切り盛りしており、低価格で食事を提供していることからも庶民の憩いの場になっている。
王都には、たくさんの人々が暮らしている。
乗合馬車の御者や、街路掃除人に、煙突掃除人。
粉挽きに理髪師、物売り(食べ物や花、雑貨)、織物工や煉瓦職人などだ。
王宮に近いからといって、誰もが裕福というわけではない。ただ、日々の暮らしに困らないくらいの仕事には、ありつける。華やかな街並みを歩き、貴族たちの暮らしを覗き見ることもできる。
生まれた村の狭い社会で、自然に振り回されながら畑を耕して働くよりは安定しているかもしれないが――生活への不満や不安は常に付きまとう。
「王宮で贅沢されちゃあ、俺らの暮らしなんてすぐ貧しくなる」
「最近、窃盗が増えた気がするなあ。騎士様たちは何をやってるんだか」
「税が少しずつ上がってる。金が足りなけりゃ、盗むしかないだろう」
外憂がなくなったとはいえ、内憂は常に抱えている。何しろ、全てはお貴族様の匙加減だ。庶民は、常に特権階級に首根っこを掴まれているようなものである。
だから皆、食事時に、愚痴る。朝と夕の一日二食。食べたり飲んだりすることが、娯楽でもある。誰とも知れない相手ならば余計に、何も気にせず、不満を垂れる。
「はい、今日のチキンスープはおすすめだよ。パンを浸してお食べ」
「ありがと!」
夕方の早い時間。
テーブルに女将が置いた皿には、良い香りのする白く濁った液体が湯気を立てている。鶏ガラごと煮込まれたスープは、くず野菜もトロトロで、胃を優しく満たしてくれる。
硬いパンも、スープに浸せば倍に膨らむ。温かい食事が、凝り固まった心を自然とほぐしていく。
「あんたも、占ってもらうかい?」
トントン腰を叩きながら、女将が話しかけてきたので、スープを頼んだ男――道端で靴磨きをしている――は、軽く首を横に振った。
それから靴磨きは少し目線を上げる。店の奥の木の衝立の向こうで、男たちが数人テーブルに着いているのが見えた。まだ早い時間のせいか、いつも人だかりができている一角には、その一組しかいないようだ。だから女将は気を遣って、常連の自分に声をかけてくれたのか、と合点がいった。
「せっかくだけど、今日は持ち合わせがないんだ。ありがと」
「そうかい。ゴタイさんたら、最近騎士様たちにものすごく贔屓にしてもらっててねえ。なかなか手が回らなくなってきたそうだよ」
「へえ! それは繁盛してるね。どうりで騎士様たち、上機嫌だ」
靴磨きの青年は、乾いた笑いを返す。夜の街を、非番の騎士連中が千鳥足で歩いているのは、日常風景だ。有事がない証拠だが、あまり見ていて気持ちのいいものではない。自分より若いのに、騎士というだけで身分も金もあり、酔うほど飲み歩けるのだから。
今、青年の手には、申し訳程度の度数しかないミードの入ったジョッキがあるだけ。それでも今日は、いつもより多く靴磨きをした後の、自分へのご褒美である。
『ゴタイさん』は――夕方から夜にかけて『五体満足』に居る人物のことだ。ちょっとした不運やお金のなさを嘆くと、未来を占ってくれる。よく当たると口コミで広まり、有名になりつつある。ローブのフードを目深に被っているため顔は見えないが、声や手からすると、若い男性のようである。
『しばらく、東門方面には行かない方がいい』
『明日最初に会う女性には、親切にした方がいい』
――そういった助言が、よく当たるのだそうだ。今では多くの客に慕われ、食事や酒ではなくゴタイ目当てという者も多い。だから最近、占いするのに金を取るようになった。それでも、という客は後を絶たない。
出自も顔も本名も不明。女将さんも「そこのテーブルを貸しているだけ」にもかかわらず、警戒心を抱かせず人の心にするりと入り込む。
「ここが繁盛しているのも、ゴタイさんのお陰だよ。だから夜、もう少し遅くまで営業しようと思ってね」
「女将さん、忙しくなるじゃないか。大丈夫なの?」
「手伝ってくれる若いのがいるから、大丈夫さ」
カウンターを振り返る女将の目線の先で、見慣れない若者が二、三人、料理を作っていた。屈強な体つきで、目つきも鋭い。
あれなら酔った騎士相手でも、なんとかなるだろう。
「そっか。実は僕の友達が、今度ゴタイさんに占ってもらいたいんだって。連れて来るよ」
「そうかい! その時は、優先してもらうように言っておくよ」
「ありがとう」
食事を終えた青年と入れ違いに入ってきた騎士が、ドカドカと派手な足音を鳴らしながら、ゴタイのいるテーブルへ向かっていく。
「おい、出世するにはどうしたらいい? 占え!」
――騎士なんだから、強くなればいいじゃないか。
青年は大きな溜息を吐きながら、日が暮れた王都の冷たい風を感じつつ、家路に着いた。
○●
王宮の宰相執務室。
宰相のフラビオは、挨拶もそこそこにルシアたちをからかった。
「戻って早々、すまないね。二人でバルビゼに行ったっていう報せをもらった時は、てっきり正式に婚約したのかと」
即座に反応したのは、ジョスランだ。
「自分は、そのつもりだったのですが」
「ジョスラン! 違います。していません」
ルシアが慌てて否定すると、フラビオはぐいっと口角を上げた。
「でもルシア。ジョスランを呼び捨てするぐらい、仲良くなったんだね。良かったなあ」
「……閣下。そのニヤケ顔を今すぐやめないと、酷い目に遭いますよ」
「わー! 分かった、分かった」
王国宰相を冗談でも脅すことができるのは、ルシアぐらいだ。もはや日常風景となりつつあることに、ジョスランも補佐官たちも苦笑を禁じ得ない。
「雑談は結構です。本題に入っていただけませんか?」
「分かったよ、ルシア。じゃあ早速紹介させてくれ。儂の有能な補佐官だ」
にこやかな宰相が差し出した右手の先に、青年が一人立っている。紫色の髪を真ん中分けにした、銀縁眼鏡の二十代前半くらい。
彼はツカツカと机の脇に歩いてくると、ビシッと立ち止まり丁寧に礼をした。
(補佐官というよりは、騎士のような動きね)
「閣下。クロヴィスを改めて紹介とは、一体何事ですか」
先にジョスランが発言したので、思わず見上げる。今まで、クロヴィスを知っているような素振りを、一度も見たことがなかったからだ。
「ジョスランのお知り合いでしたか」
「騎士団にいた時の、同期だ」
ルシアの問いにぶっきらぼうに答えた様子を鑑みるに、同期ではあっても仲良くはないらしい――ルシアは、クロヴィスを観察する。均整の取れた体つきは、未だに鍛えているに違いない。騎士から宰相補佐官へというのは、異例中の異例な人事ではなかろうか。
ルシアが疑問に思っていると、クロヴィスと目が合い微笑まれた。口角は上がっているが、眼鏡の向こうにある水色の鋭い瞳は、笑っていない。
「クロヴィス・グランブルと申します」
「グランブル? というと……」
「ええ。現騎士団長ガエル・グランブルは私の養父です。孤児院にいた私を、引き取っていただきました」
軽くはない出生をあっさり話されたので、ルシアは「そうですか」とだけ答える。
先日騎士団長が、『俺の息子が肩入れしている』と言っていたが、それがクロヴィスなのだろう。
「クロヴィス様。不躾ですが、騎士から宰相補佐官になることを、団長は反対されなかったのですか?」
「ええ。騎士には向いていませんでしたから。引き受けてくださった宰相閣下には、心より感謝いたしております」
クロヴィスからは、豪胆な騎士団長とは真逆でなんの感情も表に出さず、かといって嫌味もない印象を受けた。
ただしジョスランは、別のようだ。
「向いていなかった、だと? 戦略と暗殺のスキルでは、他の追従を許さなかっただろう」
「剣凶ほどではございません」
「よく言う。ルシア、気をつけろ。こいつは言葉通り、寝首をかく」
ルシアがどう反応すべきか考えている間にも、男二人の舌戦は続く。
「寝首とは心外ですが、そこまでジョスラン様に警戒いただけるとは光栄ですね」
「貴様に持ち上げられるのは、嘘臭い」
「嫌われてしまいましたか」
「そっちこそだろうが」
子どものいがみ合いを見ている気分になったルシアは、色々考えるのをやめ、素直に笑った。
「ふふふ」
その声で男二人が我に返ったところで、宰相が口を挟む。
「久しぶりに年相応の二人を見られたのは嬉しいがね。儂もこう見えて忙しい。クロヴィス?」
「は。失礼をいたしました。お見舞い係へ、新たな依頼がございます。言うまでもないことですが、機密事項であるため、ご内密にお願いいたします」
ルシアとジョスランが居住いを正し頷いたのを見てから、クロヴィスは再び口を開いた。
「今、騎士たちの間で『ゴタイ』なる人物に占ってもらう、というのが流行っているようです。これがなかなか当たるそうですが……」
ルシアは、ジョスランと目を合わせた。ジョスランが仕入れた噂話に関する依頼に違いないだろう。
「クロヴィス。ただの占いなら、俺たちに依頼するようなことではない」
「ではこれならどうでしょう。――占いの後で、行方知れずになる騎士が後を絶ちません。このままでは、騎士団の士気に関わる」
(行方知れず……?)
「なんだと? 騎士団の士気は、すなわち国防に関わる」
ジョスランの厳しい声にクロヴィスが頷くと、ルシアは身を乗り出した。
「詳しくお聞かせ願えますか」




