14話 思惑
「うーん。やっぱり組んですぐの二人には、荷が重かったかなあ」
王宮にある、宰相執務室。お見舞い係から直接報告を聴き終えた宰相のフラビオは、執務机の天板に肘を突いてから、大きな溜息を吐いた。
すると宰相補佐官のクロヴィスが、フラビオの前に紅茶の入ったティーカップを置く。宰相室は機密情報だらけのため、メイドは最低限しか置かない。お茶を淹れるのも、補佐官の重要な仕事のひとつである。
少し上体を前に傾けたクロヴィスの、真ん中分けにした紫色の前髪が、銀縁眼鏡の縁をさらりと撫でながら落ちた。髪の毛で見えないが、彼の水色の瞳は鋭く光っていることだろう。
「そう仰いますが。最低限の成果は、持ち帰ったではありませんか」
「珍しく優しいことを言うなあ、クロヴィス。あ、ひょっとしてルシアには甘いのか? まだジョスランとは正式に婚約してないし、付け入る隙はあると思うぞ」
クロヴィスは上体を起こすと、両手を腰の後ろで軽く組み、宰相を見下ろす。
「次の依頼は、いかがされますか」
発言をスルーされたことに、フラビオは怒らない。いつものことだからだ。
「うん。どでかいやつが来たよ」
フラビオは、机の端に置いてある書類の角を人差し指でトントン叩く。びっしりと書かれた文字の下欄には、既に何人かの署名が書かれていた。
「財務大臣ドナ・アギヨン伯爵が、国王陛下の御前会議で、臨時予算案を提出する」
切れ長の水色の瞳が、見開かれた。
「……まさか」
「平和な世。先の戦争は二十年前。隣国外交に問題なし。つまりは、懸念なし」
「騎士団予算の縮小! 本気ですか」
「うん」
しばらくの間、クロヴィスは口を噤んだ。フラビオは彼の思考を邪魔しないよう、目の前のカップに注がれた紅茶を楽しむことにする。今日は珍しく、ミルクティだ。濃いめのアッサムはまろやかな風味で、ミルクによく合う。胃への負担を考えてくれたのだろう、とクロヴィスの細やかな気遣いに、フラビオの頬が緩む。
「ニヤついているところ恐縮ですが……署名されるおつもりですか」
「んふふ」
フラビオはお茶を口に含んだ。ほのかに甘い風味がし、はちみつも落としてあることに気づく。疲労度も把握しているのか、とフラビオの眉尻が下がる一方で、クロヴィスの眉根は寄る。
「ご存知かと思いますが、アギヨン伯爵には、黒い噂が付きまとっています」
「私的に国庫を使っている、だったか。金がなくなったから、一番金のかかる騎士の飯を減らすのは、珍しく合理的だなあ。一体誰の浅知恵だろうね?」
「閣下」
クロヴィスの諌めるような口調を受けて、フラビオはカップをソーサーに戻した。
「なんだい」
「何をお考えですか」
「おー? 珍しく、分からないのか?」
「っ……騎士団長のガエル・グランブルは、元騎士団長であらせられる王弟殿下への対抗心が強い。副団長でいらっしゃるジョスラン様の兄、マルスラン様との軋轢に懸念がございます。そこへ予算削減となると」
「はっはっは! さすがクロヴィス。騎士団の内情に明るいのは当たり前にしても、ああそうか、第一師団長だったマルスランを、副団長に推す後押しをしたのだったな」
「名誉騎士をお見舞い係になどと、前例がございませんでしたので。団長の説得に苦労しました」
「そりゃそうだ」
クロヴィスに向かって大きく笑って見せた後で、フラビオはうーんと大きく両腕を上げて伸びをした。クロヴィスは、その一連の動作を眺めてから、口を開く。
「この件についての閣下のお考えが何か。私への課題になさるということですね」
「うん。儂は、クロヴィスを信頼しているぞ」
姿勢を正したクロヴィスは綺麗な礼をしてから、キビキビとした動作で宰相室を出て行った。
バタン、という無機質な扉の音の後で、静寂が訪れる。
「やれやれ。腐った国の宰相なんて、すぐにでも引退したいんだけどなあ。可愛い娘も、増えることだし」
優しい顔をするフラビオの一番近くにある書類には『養子縁組届』がある――
○●
報告を終えたルシアとジョスランが王宮の廊下を歩いていると、あちこちでヒソヒソと何か言われているのが耳に入る。
騎士や役人、メイドや従僕など、働いている人だけではなく、何の用事か貴族の面々もだ。
特に女性たちは、扇子を広げてあからさまに眉根を寄せている表情なので、話し声は聞こえずともお察しである。
居心地の悪い思いをしていると、進行方向から屈強な分厚い体躯を騎士服に包んだ、壮年の男性が歩いてくるのが見えた。
白髪まじりの短く刈り込んだ茶髪で、頬の切り傷が目立ち、鋭い眼光を放っている。
身長はジョスランの目の辺りまで、とそれほど高くはないものの、筋肉で盛り上がった二の腕は騎士服の生地を破らんばかりで、何より威厳がある。間違いない、このお方は、とルシアは背筋に力を入れた。
苦笑しながらジョスランが「団長、お久しぶりです」と頭を下げると、団長と呼ばれた王国騎士団長ガエル・ドランブルは二人の真正面で足を止め、低く渋い声を発する。
「ジョスラン。貴様が妙な部署に異動したというのは、本当だったのか」
「お見舞い係ですよ、団長」
「ふん」
ぎろりと睨まれたので、ルシアはただ頭を下げておく。下手に発言はしないほうが良いだろうとの判断だ。
それでも存在を無視してはもらえず、ガエルの舌鋒の矛先は、ルシアに向けられた。
「しかも求婚しているというのは本当なのか? 女のくせに役人になるなどと。跳ねっ返りにも程があるだろう。大体お見舞い係などとふざけた……」
名誉騎士を異動させたなら、これほどの嫌味も致し方ないか、とルシアはその発言をひたすら聞き流すことにする。
ところがジョスランは、無視できなかったようだ。
「団長。どうかそこまでに」
ビキキ、と何か音がすると思うと、ジョスランが拳が握り込んだ音だった。
「ふ。怒りを覚えるぐらいには、本気か」
「……はあ。こんなところで俺を試すとは。全く底意地が悪いですね」
「ガハハハハ!」
先ほどまでの剣呑な雰囲気と打って変わって、人好きのする笑顔を浮かべたガエルが、ジョスランの肩をバシバシと叩く。
てっきり騎士団からお見舞い係への異動は不本意なのではと思っていたが――
「気をつけろ。気に食わない奴らと、利用しようとする奴ら。両方が手ぐすね引いて待ってるぞ」
「うんざりしますが、ご忠告感謝申し上げます」
「貴様のためじゃないぞ。ルシア嬢のためだ」
思わず顔を上げたルシアに、ガエルは不器用なウィンクを放った。
「俺の息子が、ずいぶん肩入れしているみたいだからな」
「団長の、ご子息様が……?」
「ま、それだけじゃない。この俺に対峙して怯まない令嬢なんて初めて見た。気に入ったぞ。なあジョスラン」
「ええ。ルシア嬢は胆力も素晴らしい」
「はは! 剣凶が褒めるとは」
騎士団長と名誉騎士の話す内容は、ルシアにはさっぱり分からない。
「それ、本当に褒めているのですか? ジョスラン様」
仕返しとばかりに、ルシアは持ち歩いている式札を取り出し、人差し指と中指で挟んでジョスランへ向かって構えて見せた。
「あー。うん。悪かった。悪かったから、それは勘弁してくれ」
ジョスランが、頭が痛いかのようなポーズをする。
コルトー伯爵夫人の姿を浮き上がらせたり、式神のヒスイを呼び出したりしているのに使っているから、式札が何か怖い技であるのは認識しているらしい。
「なんと。剣凶を引かせるとは。これは愉快だ。わっはっは。これからも、励めよ」
大袈裟に肩を揺らして笑っているガエルだが、目は笑っていない。
(なるほど。お見舞い係の喧伝でもあるのか)
ルシアは、周りへさっと目を走らせる。
自分が思っている以上に、貴族の間へ『お見舞い係』の名は広がっているに違いない。
こうして騎士団長が直々に友好な様子を見せつけるだけで、抑止できるものもあるのだろう。
ルシアはガエルへ深い感謝の念を抱き、深く膝を曲げ最大級のカーテシーを行った。
ジョスランもそれに合わせて、ボウアンドスクレープする。
ガエルは軽く手を挙げ、今度は茶でもしようと軽く言ってから、去っていった。
「ふう。大丈夫かルシア嬢」
「ええ。噂の人物像と少し違っていて、戸惑いました」
「猪突猛進、という噂か? なら、合っているぞ」
「そうですか」
戦場では肉弾戦を得意とするガエルはかつて、ジョスランの父が騎士団長を務めていた時の副団長である。
知略家の王弟とは不仲であるともっぱらの噂で、ルシアも「きっと武闘派で、戦術など向かない人物なのだろう」と勝手に思っていたが――
「でも、先ほどのは」
「長いこと王宮に出入りしていれば、多少の政治も身につける。不器用なあのお方らしい、叱咤激励だ」
「なるほど……」
ルシアとジョスランが再び馬車止めへ向かって歩き始めると、野次馬をしていた人々も噂話を続けつつ、持ち場へ戻っていく。
「それで、団長のご子息が肩入れ、とはどういう?」
「あーうん。まあ、そのうち、な」
ジョスランが珍しく言葉を濁らせるので、ルシアもそれ以上は追求はしないことにした。
「ところで。次の依頼が来るまで、わたくしはバルビゼ領に帰ろうと思うのですが、ジョスラン様はどうされます?」
バルビゼは紙の産地である。
式札に適した材料を選定して、作ってもらう必要があった。ヒスイの出番が増えれば、必然消費も増える。
「バルビゼ……俺も、同行して良いか」
「それは別に良いのですが、面白くないですよ。自然しかないようなところです」
「好都合だ。お見舞い係としての修行をしたい。ヒスイとやらの実力も知りたいしな」
「なるほど。それは賛成です。先ほどのように式札に萎縮されては困りますし、慣れていただかなくては」
「っ! フハハ」
ジョスランが、さもおかしそうに笑うので、ルシアは首を傾げた。
「全く、ルシア嬢は……この俺に、萎縮するな、だと⁉︎ そんなことを言われたのは、初めてだ!」
「はあ」
(やっぱり騎士の考えることは、さっぱり分からない)
ルシアは、ジョスランが外堀を埋めるべく、自分の母への挨拶を目論んでいることまでは、思い至っていなかった。




