11話 邂逅
昼過ぎのコルトーの港町は、船乗りたちの仕事が終わった頃らしく、ダラダラと道端で雑談している姿が目につく。
ルシアとジョスランは、そんな怠惰な空気の中を散策してみることにする。
町の男たちはジョスランが近づくと、帯剣や名誉騎士の徽章を見るなり「騎士様が何の用だ」と吐き捨て視線を逸らす。ルシアに至っては「女は船に近づくんじゃねえ」などと凄まれる始末。
あまりにも成果がなく、ふたりで途方に暮れていると――
「にゃ〜」
突然、一匹の猫が現れた。白い毛に黒い縞模様、緑色の目をしている。白トラ猫は太い尾を左右にゆっくり振りながら、二人の前に座った。
「おい、なんだこいつは」
「にゃ〜」
目を細めて返事をした猫は、ふたりの周りをたたっと走ってから、誘導するように前へ歩を進めたのち、振り返った。
「どうやら、道案内してくれるみたいですよ」
「……はあ。仕方がない。気分転換に散歩するか」
道から浜辺に降りた二人と一匹は、波打ち際を並んで歩く。
穏やかな陽気のもと、寄せては返す波が、白い砂の上に黒い軌跡を描いている。
「ルシア嬢。メイドの話からすると、コルトー家の問題は根深そうだったな……マノン嬢は、蛇の魔物に取り憑かれてるのか?」
コルトー伯爵邸を出る前、ルシアが目をつけていたメイドに、内部事情を聴取していた。
そのメイドはもう辞めるつもりだからと、言いづらい出来事も話してくれた。日常的に繰り広げられていた、コルトー伯爵の暴力や暴言。聞くだけで胸の痛くなるような、数々のことをだ。
「コルトー伯爵夫人も、関係ありそうだな」
ルシアは答えず、黙々とジョスランの隣を歩くのみだ。太陽光をキラキラと反射させながら飛沫を立てる、遠くの白波を見つめている。
返事をしないルシアに業を煮やしたのか、ジョスランの一人語りが始まった。
「コルトー伯は頑なに『夫人は留守』だと言い張っていたが、俺の目には確かに夫人が見えていた」
不安定な砂の上を歩いていても、ジョスランの上体は全くぶれていない。さすがだなとルシアは妙なところに感心しながら、黙って耳を傾ける。
「俺の今までの経験上、あれは、この世のものではない。ルシア嬢は、どう考えている?」
「……結論を急ぐのは良くありません。マノンが持っていた本に書かれていた、『レト島の伝説』を確かめる必要があります」
「ふむ。もう少し、意図や情報を共有してくれても、いいんじゃないか?」
ザーンと一際大きな波が、足元近くまで打ち寄せてきた。
ルシアは、ジョスランの不満には無言だけを返す。
『相棒』になったばかりで、距離も実力も測りかねている。何よりジョスランが――
「じゃないと、さっさとあの蛇をぶっ倒して帰るだけになるぞ」
物騒な脅しを吐くほどの、熱血漢であることが分かった。
口数少なく見た目も冷たい雰囲気なので、きっと中身もだろうと思い込んでいたルシアは、必死で認識の修正を図っているところだ。
剣凶と恐れられる彼を御せる自信などないから、迂闊に情報を渡せないのである。
「ジョスラン様。倒したからといって終わりません。根本を祓わねば」
「はらう? 侯爵の時のようなものか? ならば、あれは『呪い』なのだな」
「おそらくは」
ざ、とジョスランが不意に足を止めた。
「なるほどな」
ジョスランの目線の先には、波打ち際に乗り上げるようにして置かれている小舟があった。人が二人も乗られれば良いくらいの、古いものだ。
一足先に白トラ猫が舟に飛び乗って、こちらを見ながら鳴いている。
「……呼んでますね」
「ルシア嬢は、猫とも会話ができるのか?」
「なんとなく、です」
「俺にはさっぱり分からん」
文句を言いつつも舟に向かうジョスランに、ルシアは眉尻を下げる。
「行ってくれるのですか」
「ああ。俺が行かないと、大変なことになる」
「え?」
ジョスランは、苦い何かを飲み込むかのように言った。
「だが、さすがに舟は漕いだことがない。下手でも笑うなよ」
「笑いません」
「約束だぞ」
子供みたいなことを言う、とルシアの口先から息が漏れた。
「笑うなって言ったばかりだろ」
「まだ乗ってません」
「にゃあん!」
舟の舳先で、猫が一際大きく鳴いた。
「はあ。待ちくたびれてるみたいだ。行くか」
「あら。猫の言葉、分かってるじゃないですか」
ジョスランは苦笑だけを返して、舟の縁へ足をかけ飛び乗ると、最後部からルシアへ手を差し出した。
「その服装で正解だったな。大きく跨げ」
「ほんとですね。これ、制服にしようかしら……あ、そっか、袴!」
袴であればブーツを合わせてもおかしくはなく、ドレスのように小振袖を作れば、貴族にも受け入れられやすいだろう。袂に道具を入れることができ、動きやすい。
「ハカマ?」
舟底に足を揃えスウォートに座ると、ルシアは大きく頷いた。
「はい。王都に戻ったら、お見舞い係の制服を仕立てようと思います」
「いいな。俺のも頼む」
ジョスランはルシアが乗ったのを確かめると、一旦舟から飛び降り舟の最後部を押す。舟底が砂から離れ水に浮いたところでさっと飛び乗り、櫓を持った。
舟は初めてと言ったものの、慣れた所作にルシアは目を瞬かせる。
「ジョスラン様のも?」
「一目で『お見舞い係』と分かる方がいいだろう」
ルシアは武官束帯姿のジョスランを想像し、似合うと思ってしまった。
ぎい、とジョスランが櫓で波を漕ぎ始めると、猫が船首に両足をついて先を見つめ、「ニャーニャー」と鳴く。
「あの島へ行け、だな?」
猫の目線の先に、小島が浮かんでいた。
○●
波は穏やかであるものの、舟が小さいためよく揺れる。ルシアは乗ったことを後悔したが、時すでに遅しだ。
「大丈夫か? ルシア嬢」
「うぶ」
「はあ、やはり酔ったか。もう少しの我慢だ」
「はい……」
ルシアがハンカチーフで口元を押さえつつ振り向くと、ジョスランは眉尻を下げた。
顔だけで心配されているのが分かって、居た堪れない。
「海流が舟を引き寄せるかのようだ。これなら島まで、安易に辿り着けるに違いない。まるで呼ばれてるみたいだな」
島に近づいたところで、ジョスランはざばりと浅瀬に飛び降りた。それから舟の先端に付いている縄を引き、砂浜に生えている木の幹にくくりつけた。
それから舳先へ戻ってくると、ルシアに背を向けて構える。
「乗れ」
「いえ、恐れ多いです」
「構わん」
さすがに躊躇われたが、かといってルシアに、波間へ飛び降りる勇気はない。おずおずとジョスランの肩に手を乗せると、あっという間にルシアを背負い、ざぶざぶと砂地へ向かって歩いてくれる。
ルシアの肩には、ちゃっかり白トラ猫が乗っていた。
「申し訳ございません」
「遠慮するな。相棒だろう」
王国の名誉騎士に背負われているという罪悪感は、ジョスランの言葉と太陽が照っている海の上の小島の美しさで、かき消えていく。
「……今日は、良いお天気で良かったですわね」
「確かにな。散歩日和だ」
陸に上がると、ルシアはするりとジョスランの背から降り、肩を並べて立つ。ふたりが周囲の様子を観察する間、猫はルシアの肩の上で器用に前足で顔を洗っていた。
島は白浜に囲まれていて、真ん中に丘があるだけの本当に小さなもの。建物などはなく、一周するのにそれほど時間はかからないだろう。
「にゃ〜」
地面が砂浜から芝生に変わったところで、猫はルシアの肩から飛び降り、振り返って鳴いた。
「猫の道案内、か」
「そうですわね。行きましょう」
猫の後ろをついていくと、島の中央にある緩やかな丘を登っていくことになった。
すぐに一番高い広場のような場所に着く。
中央に生えている大きなクスノキの下に、膝ぐらいの高さの平たい石板が立っているのを見つけた。表面に何かが彫ってあり、手前に千切れた縄のようなものが落ちている。
彫ってあるものを読み終えたルシアは、大きく息を吐いた。
「ルシア嬢、何か分かったのか?」
「ええ。でも先に……待たせて、ごめんね」
突然猫に話しかけたルシアに対し、ジョスランは眉根を寄せた。
「この猫が、どうしたというんだ?」
「マノンの腕輪とその翡翠色の目を見て、すぐに分かったわ。この子は、わたくしの式神に違いありません」
「シキガミ?」
「はい」
ジョスランは戸惑った様子だが、見守ることにしたようだ。
ルシアは息を整えてから、自身の体の前で指印を素早くいくつか結ぶ。それから西に向かって、反閇と呼ばれる独特の歩法を行い始めた。
猫はお尻を地面につけて座り、その一連の動作を目を細め見つめている。
「懸けまくも畏き天地の神よ。諸諸の禍事罪穢有らむをば、清め祓うが為我が為に。西の門を開き、夜の守り日の守りに護り幸給いと、恐み恐みも白す」
ルシアの祝詞が止むと同時に、ぶわりと猫の全身の毛と尻尾が逆立ち、猫自身もびょん! と飛び上がった。
それから宙でくるりと回転すると、しゅたんと地に降り立つ――その姿は、人に成っていた。
正確に言えば、人ではなく、小柄な猫の獣人である。十五歳くらいに見える男性で、癖のある短めの髪の毛は白く、一部は黒い。頭頂には、ピンと三角の耳が二つ立っていた。
目尻の上がった大きな翠色の目がくりくりと動くので、好奇心旺盛な印象だ。
見目だけでなく格好も変わっていて、顔の脇だけ長く伸ばされた髪の毛は茶色の革紐で編まれ、紐の先には緑色の小石が付いている。水干と呼ばれる白い衣を身につけた腰の辺りからは、黒いトラ模様の入った白く太い尾が生えていた。
「な!」
驚いたジョスランがズサッと足裏で地面を掻くと同時に、膝を軽く曲げ重心を沈め、剣の柄に手を掛けた。
尋常でない殺気を発するが、猫獣人は全く気にせず、ルシアへ明るい笑顔を向けている。
「やっと会えたね、主!」
それを聞いたルシアは、口角を上げた。
「ええ、ヒスイ。心強いわ」
「ううん。また役に立てるなら、嬉しい!」
「おい、ルシア嬢! 一体こいつは、なんなんだっ」
「ですから、式神です」
戸惑うジョスランを、ヒスイと呼ばれた獣人は満面の笑みで振り返った。
「オイラ、ヒスイ。よろしくな、おっかねえ奴!」
「いやちょっと待て、訳が分からん。なぜ猫が獣人になる?」
ジョスランの戸惑いに、ヒスイは肩を竦めてからけろりと答えた。
「オイラ、主の守り神だよ」
「守り神、だと?」
眉根を寄せたまま首を傾げるジョスランに、ヒスイは肩を竦めてみせた。
「それよか早くしないと、間に合わなくなるよ」
「ええそうね」
「おい。頼むからちゃんと説明してくれ、ルシア嬢」
イライラが頂点に達したジョスランがさらに殺気を出しはじめたので、ルシアは慌てて石碑を指差した。
「どうか、殺気は引っ込めてくださいませ。あの石碑に書いてあるレト神の言い伝えを読みました。それから、マノン嬢の髪の毛、短かったでしょう?」
「ああ。貴族令嬢にしては、珍しいと思った」
「レト神に捧げたからです」
「っ! そこに落ちているのは縄ではなく、髪の毛か!」
「はい。レトという蛇神に髪を捧げ、呪いが行われた――それこそが、マノンに起こっていること」
ジョスランの目が、ぱちぱちと瞬いた。
「へび、がみ?」
「はい。蛇は、見た目では雌雄判別が難しい生き物なのは、ご存知ですか」
ジョスランとヒスイがお互いに顔を見合わせてから、ルシアを見つめた。
「……確かに」
「言われてみたら、そうだな! 蛇の男のアレって、どこにあんの? 這ってる時、邪魔だよね」
邪気なく聞いたヒスイ後頭部を、ジョスランがベシッと叩いた。
「いって!」
「下品だ」
「うわー、お上品」
「なんだと?」
「ベー」
イタズラっぽく舌を出したヒスイに、ジョスランが掴みかかりそうだったので、ルシアは大きな咳払いで気を逸らした。
「体内です。そのために、両性と言い伝えられている蛇神もいます」
「それが、レト……じゃあ、今マノンに巻き付いているのは!」
確信を持ったジョスランに対し、ルシアは是も非も答えず、今度は来た道を指差した。
「戻りましょう。今日はもう日が暮れてしまいます。明日、もう一度コルトー伯爵邸に行きます」




