12話 見栄
翌朝、朝食後を見計らって再びコルトー伯爵邸を訪れたルシアとジョスランは、昨日と同じ応接室でコルトー伯に相対している。
再度夫人へ会いたいと申し出てみたが、あっさりと首を横に振られてしまった。
「ならば、致し方ありません。このままでは、お嬢様は死にます。強引にならざるを得ません」
ルシアの強い言葉に、コルトー伯はたちまち剣呑な雰囲気に包まれる。
「黙れ。宰相閣下の庇護があるとはいえ、いい加減なことを。ただでは済まさないぞ」
「嘘だと仰るなら、お嬢様の様子を、一緒に見に行きましょう」
「そんなことをしても、無駄だ。部屋に閉じこもって、無視されるだけだからな」
「なるほど。最初から違和感がありましたが……お嬢様の命もまた、なくなったほうが良いとお考えなわけですね。全ては家のため? プライドのため? その両方でしょうか」
「なに⁉︎」
カッとなってソファから立ち上がったコルトー伯を、ルシアは睨め付ける。
「見栄と外聞だけでは、人は生きられませんよ」
途端にコルトー伯は拳を握り締め、ルシアへ見せつけるように振りかぶった。
「貴様、女の分際で」
(やはりメイドの証言は正しかった。短気で、すぐに暴力を振るう)
恐怖で従わせるような非道な手段に、ルシアは屈しない。
棚の上にある乙女の銅像にちらりと目を向け、一部分が変色しているのはやはり――と思考を巡らせている間に、ジョスランがルシアを庇って立ち、低い声を発した。
「女だから、なんだというのだ? 言っておくが、女に手をあげる男はクズだぞ」
「っ」
「このままでは、マノン嬢は死ぬ。本当にいいんだな?」
「貴様っ」
コルトー伯は、無謀にもジョスランにまで凄み始める。
ルシアは、怒りで我を忘れてしまう前にと、さらに早口で捲し立てた。
「蛇神レト伝説の本を、お嬢様は読んでいらした」
突然の話題に、コルトー伯は気勢を削がれた様子だ。
「蛇……神……?」
「ご存知ないですか? レトとは、雌雄同体の神のことです」
「しゆう?」
「言い伝えによると、その神に祈れば、娘は息子になる」
「何を訳の分からんことを!」
声を荒らげるコルトー伯へ、ルシアは冷静に言葉を返す。
「そのままの意味ですよ。閣下を見れば、一目瞭然です。この家で、女は価値を持たない。たとえ殴られようが殺されようが、どうでもいい存在。愚かな価値観です」
コルトー伯は、ルシアの言葉で再び激昂した。
「無礼にも程がある!」
「落ち着いてください」
ルシアはわざと伯爵を煽った上で、宥めるため声を掛ける。これもまた陰陽師の行う、『呪』の一種だ。心の乱れに、つけ込む。
「閣下。事実でないなら、否定してください」
「事実な訳がなかろう!」
「そうですか。では言い方を変えます。この辺りは、女性を船に乗せるのは非常識であるというお土地柄。女は男を支えるために在る」
「……そうだ。貿易にしろ漁にしろ、力のある男の仕事に決まっている」
「それを、お嬢様の前でも度々言っていた」
ルシアは、興奮のあまりふうふうと鼻息を鳴らすコルトー伯を尻目に、応接室の扉口へと近づいていく。
メイドの口から、聞いているだけで胸の痛くなるような『女性蔑視発言』『暴行』をしていた人物と言われれば、高位貴族であれど敬う気など失せている。
「一人娘に対して『女はいらん』と責め、目の前で奥様に暴力を振るう。男を産めなかったお前は役立たずだ、でしたっけ」
「ふん。跡取りを産まない妻は、務めを果たしていない!」
「だから、殺しても良いと?」
コルトー伯は、心底ルシアを見下したような態度で放つ。
「小娘! 侮辱罪で捕まえてやるぞ!」
「……お嬢様も、死なせる気ですか」
「なに?」
ルシアは扉を開け、廊下へ向かって叫んだ。
「ヒスイ!」
「ほーい」
元気に返事をしたヒスイは、マノンを横抱きにして連れてきた。マノンは顔面蒼白で、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「な、獣人だと⁉︎ 穢らわしい手で娘に触るなっ」
「彼も我々お見舞い係の一員です」
「胡散臭い奴らめ」
「どうせ大した仕事はしないはずだと、宰相のご機嫌取りで我々の訪問を受け入れたに過ぎなかったかもしれませんが。事態は深刻です」
「ふざけるな」
ルシアは構わずジョスランへ顔を向ける。
「ジョスラン様。戦いに備えてください」
「……! 分かった」
ジョスランが素直に帯剣の柄へ手を伸ばすのを、伯爵は憤怒の表情で見つめている。
その間、ヒスイはテキパキとマノンを応接ソファに寝かせた。
「貴様ら! 一体、なんだというのだ!」
「どちらか選んでください」
「あ⁉︎」
「お嬢様の命か、この家か」
「そんなもの、この家に決まっているだろう!」
「この子は、死んでも良いんですね?」
うぐ、とコルトー伯は一瞬言葉に詰まったが、すぐにギリリとルシアを睨み返した。
「伯爵家と子どもなら、伯爵家の方が大事だろう! 子どもは、また産ませれば良いんだ!」
その発言を受けて、ルシアは懐から紙片を取り出す。細長く、表面には文字のような絵のようなものが描かれているものだ。
「……お聞きになりましたか、奥様」
ルシアがその紙片を投げると、まるで何かにくっついたかのように、ぴたりと空中で浮いた。やがてふんわりと姿を現したのは――コルトー伯爵夫人、メルイーズだった。胸に、ルシアの投げた紙札が付いている。
「ひ!」
驚愕の表情で後退りしたコルトー伯を一瞥もせず、メルイーズは今にも泣きそうな表情で、ソファに寝かされたマノンを見下ろしている。
キャラメルブラウンの髪の毛を後頭部で一つに結び、アフタヌーンドレスというには質素すぎるワンピースに身を包んだ伯爵夫人は、額から血を流した姿だ。カラカラに乾いた黒いものが頬を伝い、首元まで覆っていた。腕で血を拭ったのか、肘裏から手のひらに至るまで血みどろである。見るからに痛々しい。
「ああ、マノン……ごめんなさい……」
「なぜだ! なぜ……いや、生きているはずがない! さては、偽者だな!?」
コルトー伯がメルイーズを殺したという言質とも取れるが、ルシアはあえて聞き流す。
「いいえ、ご本人ですよ閣下。一応伝えておきますが、宰相閣下はメルイーズ様の手紙を読んで、わたくしたちを派遣なさいました。暴力が過激になっていったのなら、最期に託された遺書のようなものだったに違いありません」
宰相が受け取った手紙は、メルイーズの遺言だったのではとルシアは思った。だから長旅にもかかわらず、ルシアたちに依頼したのではないかと推察している。
「な、んだと?」
「閣下は、先触れを受け取ったに過ぎない。でなければ最初に『話はどこまで聞いているのか』などと確認する必要はないはずです」
子どもの命より家の方が大事だと豪語するような人間の家を、あの宰相が「同じ親として心配」などと言うわけがない。相変わらず人を試さずにはいられないお人だ、とルシアは小さくため息を吐く。
「貴様……さっきから訳の分からんことを! 全員出ていけ!」
さて次はどうしようかとルシアが考えを巡らせる前に、ジョスランが「チッ、斬るか」と唸った。
「ジョスラン様。お気持ちはわかりますが、曲がりなりにも伯爵でいらっしゃる」
「名誉騎士なら、殺人犯を斬って捨てたところで」
「私刑はダメです。こんな蛆虫相手に、称号を汚さないでください」
「っ」
するとマノンの様子を見ていたヒスイが「オイラの守りの腕輪、もう限界だ」と警告する。
「……メルイーズ様」
「覚悟は、できております」
キッパリと言い切ったメルイーズの表情には、迷いがない。ルシアはすかさず口の中で何かを唱えつつ、右手の人差し指と中指をジョスランの鞘に軽く滑らせた。
「ジョスラン様。メルイーズ様の髪をこの剣で切り落としてください」
「わかった」
「おい、貴様ら! 一体何を!」
顔を真っ赤にして近寄ろうとする伯爵を、ヒスイが遮る。
「どけ! 獣人の分際で無礼な!」
ジョスランは、顔を真っ赤にしてヒスイに迫るコルトー伯を尻目に、素早くメルイーズの髪を肩上で切り落とした。
ルシアはすかさずその髪束を手でつかみ取ると、マノンの眼前へ掲げながら、歌うように告げる。
「蛇神レトよ、新たな供物はこれへ。我らの過ちを正したい。どうか戻られよ」
――すると、突如として生ぬるい風が、応接室に吹き荒れ始めた。
「な、な、なん⁉︎」
ルシアは動揺するコルトー伯を一瞥すると、髪束を握りしめたままの右手で『九字切り』を行う。
「怒りを鎮めたまえ。淀みを清めたまえ。臨兵闘者皆陣烈在前!」
やがて発生した風が、マノンの体の上で渦巻きを作った。ルシアが持っている髪を巻き上げるので、素直に手放すと――髪はぐるぐると竜巻を描きながら蛇の姿に成っていく。
ルシアの目には、マノンの全身に巻き付いていた蛇神が、メルイーズの髪へその身を移していくのが見えている。
『我が名は、レト。このか弱き者が、我に祈った。それを過ちと言うならば問う。汝は、男に成リたいのではないのか』
蛇神の呪縛から解放されたマノンが、ゆっくりと上体を起こし、ゴクリと喉を鳴らしてから言葉を発した。
「お母様……わたくしが、男でないから、お母様は……」
「マノン! 喋れるではないか!」
目を見開いたコルトー伯に、ヒスイが屈託なく言う。
「蛇神様が離れたからだよー。見えないの?」
「何を言っている! おい、メルイーズ! 生きていたなら、なぜ姿を消していたのだっ」
さめざめと泣きながら、メルイーズが首を横に振る。
「わたくしはあの銅像で殴られました。頭から大量の血が出て、そのまま」
「な! なにを言っているのだ!」
コルトー伯が慌てるのを無視して、ルシアはマノンを見やる。
「マノンさん。自分の命を守るためには、お母様の言う通りに『男になる』と願うしかなかったかもしれませんが。今は、神様の御前です。本心を話して?」
「神様に、本心……」
「ええ。正直でなければなりません」
十二歳の伯爵令嬢は、潤んだ目をパチパチと瞬いてから、母親を見上げる。
「お母様、ごめんなさい」
無言で頷くメルイーズを見てから、マノンは蛇神へ向かってキッパリとした口調で告げた。
「……普通に暮らしたい。私は、私のままで」




