蒼天と聖樹
少し長めです
皇太子へと冊立された蒼真・フォン・アウグストの執務室は、大陸西方の不穏な地鳴りを受け、張り詰めた緊張感に支配されていた。
窓外には、皇国の国防を担う精鋭兵たちが整然と整列している。皇国の実質的な軍事中枢は、この蒼真家および彼を支える三大分家や辺境伯らの手に委ねられていた。
重厚な扉が開き、一人の若き武人が入室してくる。
シルフの弟であり、風花や焔光にとっては叔父にあたる、ジーク・シルフィード(30歳)である。西辺境伯家の当主バルトロの長男にして、次期当主候補序列1位。彼は蒼真の私兵騎士団である「蒼天碧流騎士団」の団長を務めていた。
「皇太子殿下、お呼びにより参上いたしました」
ジークは腰の細剣に手を添え、寸分の隙もない美しい騎士の礼を取る。
蒼真は机上の大陸地図から視線を上げ、義弟であり信頼する右腕でもあるジークを見つめた。その瞳には、かつてないほど苛烈な意思が宿っている。
「ジーク、堅苦しい挨拶は抜きだ。北西のドリアード聖王国から届いた救援要請の詳細は、すでに耳に入っているな?」
「はっ。隣国エイシン国が放った電撃侵略軍……。総大将はランバルト・メディチス。新兵器機甲、万象機甲部隊を投入し、聖王国の防衛線を崩壊寸前まで追い込んでいるとのこと。……経済包囲網で行き詰まった末の、なりふり構わぬ食料・資源強奪にございますな」
「その通りだ」蒼真は地図のドリアード聖王国、そしてエイシン国の国境線へと力強く指を突き立てた。「これは明らかな暴挙であり、我が皇国に対する間接的な宣戦布告に等しい。ドリアードの水源と穀倉地帯がエイシン国に掌握されれば、レイ(レイ・フォン)が進めてくれている経済包囲網の意味がなくなる。ここで叩かねばならん」
蒼真は立ち上がり、背後の窓を開け放った。吹き込む強い風が、彼の「風」のギフトと共鳴し、室内の書類をわずかに揺らす。
「ジーク・シルフィード団長。お前に命ずる。我が私兵騎士団「蒼天碧流騎士団」の全軍を率い、即座にドリアード聖王国へ出陣せよ」
「――! 我らが単独で前線を支えよ、と?」
「いや、それだけではない」蒼真は首を振った。「今回は私の権限を以て、皇国十三騎士団より「4つの騎士団」に出陣を要請、および命令した。……すでに各騎士団は動いている」
ジークの端正な顔に、驚きと、それに続く戦慄が走った。
皇国騎士団――それは、外敵や魔獣に対抗するために組織された、国最高峰の軍事力である。
「義兄上……それは、本気でエイシン国を圧殺するおつもりですな」
「ああ。表向きは、保留されていたドリアードのソフィア王女と我が家の婚約話を建前とし、「婚約者候補の危機を救うため、皇国の騎士団と学園の精鋭が自発的に駆けつけた」という大義名分を整えた。これならば、宮廷府の役人どもも文句は言えまい。……各騎士団の陣容を伝える」
蒼真は地図の上に、4つの異なる紋章が刻まれた駒を並べていった。
「まず、お前が率いる「蒼天碧流騎士団」。「風神の加護」をベースとした集団防壁陣形と、独自の救護班による圧倒的な戦線復帰率を以て、前線の瓦解を絶対に防げ。どれだけ傷つこうとも即座に戦線へ復帰させる、不滅の盾となれ」
「はっ。我が「神速の青嵐」の剣技、存分に振るってご覧にいれます」
「次に、第七騎士団はドリアードの東方海域のロックダウン、および東辺境伯と連携し後方支援として働いて貰う。海域の関税封鎖を完璧にするためだ」
ジークは頷く。東の海が封鎖されれば、エイシン国の退路と補給は完全に断たれる。
「そして、第八騎士団、第九騎士団には、ランバルトの「嵐」の進撃を物理的に足止めする最大の要となる。すでに北西の国境へ向けて進軍を開始している。…最後は、第十一騎士団。屈指の機動力を活かして縦横無尽に動いて貰う。本陣も脅かすはずだ」
蒼真はすべての駒をドリアード聖王国の中心へと集めた。皇国が誇る4騎士団が、一国の救援のために同時展開する。これほどの規模の軍事行動は、十五年前の魔王討伐以来であった。
「ジーク。お前は「先行組」の総大将として、学園の精鋭たち……風花や、海流たちを護衛しつつ、最優先でドリアードの本陣へ合流せよ。彼らの若き力が、聖王国の民の希望となる。……そして」
蒼真は声を潜め、義弟の目を見つめた。
「焔光の「真の本質(世界最強チート)」を完璧に知るお前だからこそ、頼みがある。……今回は、あの子を「後発組」に回した。紗夜の予知もあり、エイシン国が皇国内部、あるいは中央宮廷府のサレやバルテルの奪還に向けて裏で動く兆候があったためだ。もし前線が限界を迎えるようなことがあれば……後から焔光達や後続部隊が、追い討ちをかける。それまで、ドリアードの誇りと、子供たちの命を繋ぎ止めろ」
ジークはその言葉の重みを、魂で受け止めた。
甥である焔光――世間からは「期待外れ」と蔑まれる少年の背後にある、世界を滅ぼし、また救うこともできる不条理なまでの力。それを隠蔽しつつ、大局を動かすための壮大な盤面が、このドリアードの地で完成しようとしている。
「――すべて、御意のままに。このジーク・シルフィード、命に代えましても聖王国の防衛線を死守し、風花たち若き芽を守り抜いてみせましょう。蒼天の誉れ、碧流の如く戦場を潤さんことを!」
ジークは力強く胸に手を当てると、翻るマントと共に、熱気に満ちた皇国の空へと飛び出していった。
皇国の北西に位置する、豊かな穀倉地帯と聖なる大樹を戴く国――ドリアード聖王国。
世界を包み込むとされるドリアード神を信仰するこの宗教国家は、今、建国以来最大の危機に瀕していた。
聖都の奥深くに鎮座する「白聖宮」。その大謁見の間では、国の最高権威たる面々が、青ざめた顔で軍事地図を囲んでいた。
「……力の神の幹たる、我が聖騎士団の第一、第二防衛線が突破されました。ランバルト・メディチスの「嵐」……あれは、人間の域を超えております。昔、英傑に並び立とうとしただけはある。」
苦渋に満ちた声をあげたのは、聖騎士団長ウリエル・レドヴィッチ(42歳)であった。金髪の端正な顔立ちには数多の煤と焦げ跡が残り、屈強な体躯を包む白銀の甲冑は、激しい雷撃によって一部が黒く熔解していた。彼の「光」と「火」のギフトを以てしても、エイシン国の最新兵器「万象機甲」の物量と、ランバルトの圧倒的な武力の前には、後退を余儀なくされていた。
「ウリエル、貴方の不覚ではありません。エイシン国は、我が国の豊富な水源と食料を奪うため、文字通り狂気的な物量を投入してきているのですから……」
玉座から、優しくも凛とした声が響く。
「知恵の象徴(神の「根」)」たる女王、ラサ・ルーサル(24歳)である。艶やかな黒髪ストレートを腰まで伸ばした知的美人であり、その瞳には3柱の「知恵の神」の地上代行者としての深い理知が宿っていた。しかし、その白い手は、膝の上でかすかに震えている。
「ラサ姉様……! ボクも前線に出るよ! ボクの「木」と「水」のギフトがあれば、傷ついた聖騎士たちの治療や、敵の進撃を阻む植物の壁くらいは作れる!」
姉の前に進み出たのは、王女ソフィア・ルーサル(18歳)だった。黒髪のショートヘアに、活発な気性を感じさせる健康的な美貌。普段は男勝りな「ボクっ娘」として周囲を和ませる彼女だったが、国の危機を前に、その瞳には強い決意が灯っていた。
「いけません、ソフィア」ラサは静かに首を振った。「貴女は我が国の未来、そして皇国との絆を繋ぐ大事な身の上です。……保留されていた、あの皇国の烈真家、海琉殿下、または、蒼真家(皇太子家)の焔光殿下との縁談。ドリアード神より授かった神託は、まさにこの危機の最中にこそ、その縁を頼れと示されました」
「神託、ですか……?」
ソフィアが小首を傾げると、玉座の傍らに控えていた漆黒の司祭服の男が、静かに一歩前に出た。
宰相レスフォード・イルマー(57歳)である。穏やかな笑みを絶やさないが、その目の奥は一切笑っていない。彼はラサ女王を支えつつ、裏で国の汚い泥仕事をすべて独断で処理してきた、冷徹なる政治の権化であった。
「左様にございます、ソフィア様」レスフォードは慇懃に頭を下げた。「ラサ様が授かられたドリアード神の神託――「ドリアードの危機を救うため、皇国の若き精鋭たちの力を借りよ」。これに基づき、私は即座に皇国の応心皇帝陛下と蒼真殿下へ、ソフィア様との婚約話を建前とした正式な救援要請を送りいたしました」
「ボ、ボクの婚約……。でも、海琉殿下の烈真家は失脚し、噂に聞く焔光殿下って……座学や作法は完璧だけど、ギフトの出力は「期待外れ」って言われている皇子様だよね? 助けに来てくれるのは嬉しいけど、あの凶悪なランバルトに勝てるのかな……?」
ソフィアの純粋な疑問に、レスフォードは細い目をさらに細めた。
「表向きの噂など、政治の場においては何の意味も持ちません。重要なのは、大義名分にございます。「婚約者候補の危機を救うため、皇国の若き親衛隊や学園の精鋭が自発的に駆けつけた」。この形を整えることで、皇国は公式な国際紛争の枠組みを無視し、超法規的にその強大な軍事力を我が国へ投入できるのです。現に、皇国三男家からは蒼真殿下の右腕、ジーク・シルフィード団長率いる「蒼天碧流騎士団」の派遣が決定いたしました。さらに……」
レスフォードは軍事地図の各所に、皇国の四騎士団の紋章を描き込んでいく。
「皇国の四つの騎士団までもが、我が国を包囲するように進軍を開始しております。これは単なる救援にあらず。皇国がエイシン国を完膚なきまでに圧殺するための、国家規模の大号令にございます」
ウリエル聖騎士団長が、感嘆の息を漏らした。
「流石は皇国……。次男の失脚を経てなお、これほどの軍事統率力を維持しているとは。これならば、ランバルトの進撃を食い止めることも不可能ではない」
「ええ」ラサ女王は聖都の窓外、遥か東の空を見つめた。「ですが……私の心には、もう一つの予感があるのです。ドリアード神の神託は、単に「軍隊」を呼べと言ったのではない。我が国に今、欠けているもの……「奇跡の象徴(神の「葉」)」の空席。それを埋める存在が、皇国の若き精鋭の中にいるのではないかと」
「奇跡の象徴、ですか……」
ソフィアは自身の胸に手を当てた。
「とにかく、ボクたちのために命を懸けて駆けつけてくれる皇国の人たちを、無礼な態度で迎えるわけにはいかないや。ラサ姉様、ボクは聖都の正門で、最初に到着する「先行組」の皆さんをお迎えしてくる!」
「ええ、頼みますよ、ソフィア。くれぐれも失礼のないように」
ソフィアは元気よく返事をすると、短い黒髪を揺らしながら、大謁見の間を飛び出していった。
残されたレスフォード宰相は、その背中を見送りながら、冷徹な笑みをその薄い唇に刻んでいた。
(皇国の「期待外れ皇子」、焔光……。噂が真実か、あるいは何らかの欺瞞か。我が国の命運を賭けるに足る器か否か、このレスフォード、その裏の裏まで見定めさせていただきましょうぞ……)
聖王国の首脳陣がそれぞれの思惑を抱く中、前線からの爆鳴は、確実に聖都のすぐ近くまで迫りつつあった。
聖都「白聖」の正門前。
遥か遠方の地平線からは、絶え間なく黒煙が立ち上り、ドカン!ドカン!と大地を揺らす重低音が響いていた。エイシン国の万象機甲部隊が放つ魔導砲撃の音だ。防衛線の崩壊は時間の問題であり、避難を急ぐ領民たちの不安な声が、聖都を包んでいた。
ソフィア王女は、正門の防壁の上に立ち、東の街道を食い入るように見つめていた。
「まだかな……。皇国の救援軍、本当にランバルトの「嵐」に間に合うのかな……」
その時、彼女の「水」のギフトが、大気中の水分(気流)の急激な「乱れ」を感知した。
東の街道の遥か彼方、もうもうと立ち上る砂塵を切り裂き、猛烈な「蒼い光の弾丸」が接近してくるのが見えた。
「――来た!?」
ソフィアが身を乗り出した瞬間、聖都の正門前に、地響きと共に数騎の軍馬、そして異様な熱気を放つ若者たちが滑り込んできた。
最前線に立つのは、細剣を抜いた一人の美しい騎士。蒼真の義弟、ジーク・シルフィードである。彼の周囲には、水分を刃のように纏わせた「風」と「水」の複合オーラ――「神速の青嵐」が激しく渦巻いていた。
「ドリアード聖王国、ソフィア・ルーサル王女とお見受けいたす! 皇国皇太子、蒼真・フォン・アウグストが名代、ジーク・シルフィード! 「蒼天碧流騎士団」を率いて学園の「先行組」皇族、風花殿下、海琉殿下皆様をお連れ致しました。」
ジークの凛とした声が響き渡る。その背後には、皇立学園の精鋭たちが控えていた。
「わあ……! 本当に来てくれたんだ!」
ソフィアが防壁から飛び降り、彼らの前に駆け寄ったその時、ジークの後ろから、尋常ではない殺気と風圧を纏った一人の美少女が進み出てきた。
焔光の妹、風花である。彼女の艶やかな髪は「風」のギフトによって逆立ち、その瞳には隣国の侵略者、そして何より「兄の婚約者候補」に対する、激しい敵意と嫉妬の炎がメラメラと燃え盛っていた。
「……貴女が、ソフィア・ルーサル王女ですね?」
風花の声は、氷点下よりも冷たかった。周囲の地面の草木が、彼女の放つ「風の刃」の微細な余波によって、チリチリとズタズタに切り刻まれていく。
「え、ええ。ボクがソフィアだけど……君は?」
「私は風花・フォン・アウグスト。貴女が裏で姑息な神託などを利用し、我が最愛のお兄ちゃん(焔光)との縁談を強制的に進めようとしている、不届きな隣国の王女ですね? 勘違いしないでください。私たちがここに奔ったのは、お兄ちゃんとの婚約話を進めようとする泥棒猫(貴女)の見極め、そして我が陣営の大事な身内を傷つけたエイシン国のランバルトを、ズタズタに引き裂くためです!」
「ひ、ひえっ……!?」
ソフィアは、風花のガチすぎる威圧(物理的・魔力的な圧)を正面から受け、生存本能から「ひぇっ……!」と短い悲鳴をあげて一歩下がった。世界最強クラスの大賢ノエルの威圧に匹敵する、あまりにも容赦のない「ブラコンの暴風」が、聖王国の王女を完全に圧倒していた。
「まあまあ、風花殿下。そこまでにいたしましょう。王女殿下が怯えていらっしゃいます」
風花の暴走を宥めるように一歩前に出たのは、焔光たちに救われて汚名返上のために志願した海流だった。学園の先輩としての威厳を取り戻した彼は、ソフィアに向けて優しく、しかし力強く一礼した。
「ソフィア殿下、お久しぶりにございます。かつて貴女の婚約候補として名を連ねながら、我が家の不徳により話を保留にしたままである事、深くお詫び申し上げます。ですが、今の私は皇国の男として、貴女とこの聖王国を命がけで守るために、汚名返上の前線に立つ覚悟で参りました」
「海流……! 君も来てくれたんだね! 頼もしいよ!」
ソフィアは知った顔の登場に、少しだけホッとした表情を見せる。
「ハッハハハ! 挨拶はそこまでだ! 待ちかねたぜ、ランバルトの「嵐」とやらをよ!」
赤髪を激しく揺らしながら、デカマギア・アカデミーからの編入生、エンホウ・ガロウが自身の拳から「烈火の暴風」の爆炎を噴き上がらせた。学園への編入早々、大陸最強クラスの武人を直にぶち破る機会を得て、彼の血気は最高潮に達していた。
「前線のサポートは、このカレ・ミディムにお任せあれ。任意の地面を液状化させて、敵の部隊を泥沼に沈めて差し上げます!」
カレ・ミディムが勝気なポニーテールを揺らしながら不敵に笑う。その影には、チャラ男の演技をかなぐり捨て、鋭い隠密の目で周囲の気流を警戒するフォックス・シルフィードの姿もあった。
「……主(焔光、風花)の専属侍女として、このドリアードの戦地、縦横無尽に駆け抜けてご覧にいれます」
専属侍女ミーナも、植物の生命力を身体強化に転化し、そこらの騎士では太刀打ちできない圧倒的なオーラをその身に宿していた。
ジークは、集結した若き精鋭たちの顔ぶれを見渡し、細剣をランバルトの進撃してくる西の空へと向けた。
「よし、これより「先行組」、直ちにウリエル聖騎士団長の防衛線へと合流する! 蒼天碧流騎士団、集団防壁陣形を展開! 敵の遠距離砲撃をすべて絶縁・減衰の暴風で吹き飛ばすぞ! 行くぞ、皇国の若き獅子たちよ!」
「「「おおお!!!」」」
風花が放つ圧倒的な暴風を先頭に、皇国の「先行組」は、崩壊寸前の戦場へと向かって凄まじい速度で突撃を開始した。
その戦いぶりは、ランバルト・メディチスという大陸最強クラスの壁にどこまで通用するのか。
そして、未だ皇国にて「機」を待つ、世界最強のチート皇子――焔光がこの地に降り立つ時、聖王国にはいかなる「奇跡」がもたらされるのか。
ドリアードの大地を引き裂く、大乱の激突が、今まさに始まろうとしていた。




