幽閉先と出陣
皇国の西に位置する、険しき山嶺に囲まれた軍事国家――エイシン国。
その最奥には、光を拒絶するかのような漆黒の謁見の間が存在する。
冷徹なる支配者、聖リュウホウは、玉座に深く腰掛けたまま、眼前に平伏する実の娘を見下ろしていた。
皇国の次男・烈真の妻として潜入し、完全失脚の憂き目に遭って命からがら亡命してきた工作員――シェイラである。かつての華美なドレスは煤け、その表情には隠しきれない屈辱と疲弊が滲んでいた。
リュウホウが玉座の肘掛けから右腕を少し上げて、手を軽く振ると、側の御付きが「……面を上げよ」と声を発する。
「……シェイラ…戻ったか。ガルシアは連れ戻っておろうな?」
リュウホウの低く冷徹な声が、凍りついた空間に響く。シェイラは身震いしながらも、ゆっくりと顔を上げた。
「はい。ガルシアは一緒に連れ戻っております。…しかし、申し訳ございません、陛下……。烈真の愚行、そして三男・蒼真家の台頭により、我が工作網は完全に破綻いたしました。メディチス財閥の資産もその七割を凍結され、蒼真の管理下に置かれる始末にございます……」
「そうか。ガルシアだけは我が国にとって最重要であるからな。よくやった。まあ、烈真の無能さは想定内だ。外法工廠の技術を与えてやれば、勝手に自滅する程度の器に過ぎん。だが、財閥の利権を毟り取られたのは少々予定外であったな。……して、メディチスに運営させた、我がデカマギア・アカデミーの若輩どもはどう動いた?」
リュウホウの問いに、シェイラは悔しげに奥歯を噛み締めた。
「交流武術大会の機を狙った人工魔獣テロ……それ自体は皇国を揺るがすはずでした。ですが、アカデミーの生徒どもは所詮未熟。シンイーやバイレン等の生徒精鋭も学園側の防壁を崩すに至りませんでした。あやつらは、我が国直属の精鋭では無く……ただの使い捨ての駒に過ぎなかったとはいえ、不甲斐なき結果に」
「気にするな。アカデミーの雛どもに皇立学園を揺るがせるとは最初から思うてはおらん。……それよりも、肝心なのは「期待外れ」と噂される皇子、焔光はどうであった?」
その名が出た瞬間、シェイラは目を見開いた。驚きではなく、得体の知れない怪物を思い出したかのような、強い嫌悪と恐怖の色がその瞳に過る。
「……やはり、陛下がかねてより疑っていらした通りにございます。あの男は、決して期待外れなどではございません。その本質は……規格外。偶然や幸運を装ってますが、そんな事が続くはずもなく、また、底しれぬ「気」が見え隠れしております。我が懐刀たるクライドの「嵐」の萌芽すら、無に還されました。…」
「ククク……ハハハハ!」
リュウホウは驚くどころか、愉悦に満ちた低い笑い声をあげた。玉座の肘掛けをトントンと規則正しく叩く。
「やはりな。勇帝(黎真)と聖なる巫女の血を引く赤ん坊が、ただの死産で片付くはずがない。あの老いぼれ皇帝(応心)と蒼真め、よくも十五年もの間、その牙を隠し通したものだ。凡愚を演じ、世間を欺く……執念の教育というわけか。焔光、面白い男よ」
「ですが、陛下! 現在、メディチスから派遣させていた、マルキ・ド・サレが、皇国の中央宮廷府に捕縛されております! あやつが我が国の外法技術実験の情報を吐けば、さらなる痛手となります!」
シェイラの悲痛な訴えに、リュウホウの目が細められた。
「サレか……。魔人に忠義はないからなぁ、それは少々、耳障りな報せだな。シェイラ、お前に挽回の機会を与える。貴様がエイシン国より率いてきた直属の戦力を動かせ。あぁ、ついでにルシアン・バルテルも用済み。消せ!」
「ハッ! クライド、シグネ、そして影より這い出る双子の暗殺者リンとレン。これらに加え、我が国が誇る暗殺武人どもを率い、中央宮廷府の地下監獄へ侵入いたします。何が何でもサレを救い出し、あるいは……バルテル共に口を封じてご覧に入れます」
「うむ。手遅れにならぬうちに動け」
シェイラが深く一礼し、影に溶けるように退出しようとしたその時――謁見の間の重厚な扉が開き、一人の伝令兵が血相を変えて飛び込んできた。
「報! 聖リュウホウ陛下! 我が国の経済包囲網に対抗すべく進めておりました、宗教国家「ドリアード聖王国」への進撃……その前線より緊急入電にございます!」
リュウホウは眉一つ動かさず、淡々と促す。
「申せ。ランバルトはどう動いた」
「ハッ! 我が国最強の武人、ランバルト・メディチス総大将率いる魔導兵団、ならびに万象機甲部隊が、ドリアード聖王国の防衛線を猛撃! 雷と風の複合絶技「嵐」をもって、聖王国の「力の神の幹」たる聖騎士団長ウリエルの防壁を圧倒! 穀倉地帯の制圧を開始いたしました!」
その報告を聞き、足を止めたシェイラの口元に歪んだ笑みが浮かぶ。
これこそが、経済的に追い詰められたエイシン国が放つ、乾坤一擲の電撃侵略作戦であった。豊かな水源と食料、そして資源を強奪すれば、皇国の経済包囲網など容易に突破できる。
「クク……流石はランバルト。我が甥にして、大陸最強の破壊者。皇国が内政を整える隙に、ドリアードを完全に我が物としてくれよう」
リュウホウは不敵に笑み、眼下のシェイラを見据えた。
「行くが良い、シェイラ。皇国の喉元を掻き切り、我が国の覇道を確たるものにするのだ」
「御意にございます、我が父(主上)よ――」
漆黒の謁見の間から、不吉な殺気が解き放たれ、大陸の運命を大きく揺るがす大乱の幕が、静かに上がろうとしていた。
一方、皇国が誇るエリート養成機関「聖アウグスト皇立魔導武官学園」。
学園内は表面上の平穏を取り戻しつつあったが、水面下では激動の余波が広がっていた。
「お兄ちゃん! またノエル様が、お兄ちゃんの教室の前に不審者のように張り付いています!」
一回生の教室。朝の静寂を破ったのは、焔光の実の妹(表向きは双子の妹)、風花の怒声であった。その周囲には、彼女の激しい気流が渦巻き、クラスメイトたちは一斉に風花から距離を取っている。
「まあまあ、風花。ノエル様は大賢としての公務がお忙しいはずだから、そんなはずは……」
焔光は困ったように笑いながら、手にした「クッション光弾」をぽんぽんと弄んでいた。世間からは「石礫程度の威力しか出せない不器用な期待外れ皇子」と噂されているが、その実、彼は背後の亜空間に無数のチート能力を隠し持つ、世界最凶の怪物である。
「本当です! 「焔光くんに何かしたら、分かっているわね?」って相変わらず、笑顔で圧をかけられた生徒会長のクラリス様が、廊下でガタガタ震えてるんですからね! もう、あの泥棒猫(世界最強クラス)め……! 私の大好きな師匠ですけど、お兄ちゃんを狙うのだけは絶対に許しません!」
フンス、と鼻息を荒くする風花の後ろから、モフモフとした白い毛玉が、焔光の影(亜空間)からひょっこりと顔を出した。
聖獣・仙である。3本の尻尾をフリフリと振りながら、焔光のクッション光弾を「ぱくり」と美味しそうに食べると、満足そうに長い白い眉を揺らした。
「キュー」
「よしよし、セン。お前は可愛いなぁ」
「ちょっとお兄ちゃん! 私の話を聞いてますか!?」
そんな兄妹の微笑ましい(?)光景のなか、焔光は思い出していた。
蒼真の「内政最高責任者」へと大抜擢した天才少年、レイ・フォンとの会話である。
「メディチス財閥の国営化、および資産の七割の凍結は完了。これにより、皇国の国家予算は潤沢となりました。エイシン国船籍への十倍の制裁関税も正常に機能しております。今やあちらの資金源は干渉不能なレベルまでロックされておりますが……窮鼠猫を噛む、という言葉もあります。必ず、何かしらの暴挙に出てくるはず」その予測は、あまりにも正確だった。
ドタドタと慌ただしい足音が響き、一回生の担任教師であり、北のレオンハート辺境伯家の次男であるエドガーが、顔を真っ青にして教室に飛び込んできた。
「おい! 焔光殿下、風花殿下! 緊急事態だ! 中央宮廷府より、緊急の招集要請が届いた!」
エドガーの絶叫に、教室内の空気が一変する。
焔光は静かにセンを亜空間へと戻し、鋭い光をその瞳に宿した。
「エドガー先生。何が起きたのですか?」
「北西のドリアード聖王国が、エイシン国の電撃侵略を受けた! 率いるはエイシン国最強の武人と言われる、ランバルト・メディチス! 聖王国の防衛線が突破され、皇国へ正式な救援要請が届いたんだ!」
その言葉に、風花の目がカッと見開かれた。
「ランバルト……! あの、海流兄様たちを道具扱いしたシェイラの不倫相手……!」
「それだけじゃない」エドガーは額の汗を拭う。「この救援要請に伴い、保留されていたドリアード聖王国の第二王女、ソフィア・ルーサル王女とお前――焔光との縁談話を建前として、「婚約者候補の危機を救うため」という名目と次世代の交流目的で、我が学園の精鋭を「自発的な外交隊」として派遣することが決定した!」
「え……?」
焔光が呆然とする中、隣の風花から、かつてないほどのドス黒い殺気(暴風)が吹き荒れた。
「……婚約? お兄ちゃんの、婚約者……? どこの馬の骨とも知れない隣国の王女が、お兄ちゃんを掻っ攫おうと……? 許さない……絶対に、ミンチにして差し上げますわ……!」
「風花、落ち着いて! 笑顔が怖いから!」
混乱を極める学園の教室。しかし、焔光の脳裏には、すでに次なる戦いへの冷徹な盤面が描かれつつあった。
深夜。皇国の中枢たる中央宮廷府の地下監獄は、静まり返っていた。
厳重な結界と、厳選された警察機構の警備兵たちが巡回する中、空間が不自然に歪む。
「……ここね。捕らえられた間抜けなサレが幽閉されている場所は」
闇の中から現れたのは、亡命したはずのシェイラ。その背後には、ランバルト直伝の「嵐」の使い手クライド・バロウ、工作員たるシグネ、そして不気味な気配を放つ双子の暗殺者リンとレン、さらにはエイシン国の精鋭暗殺武人どもが控えていた。
「シグネ、結界の解除を。クライド、警備の無力化を急ぎなさい。サレを引きずり出して、即座に連れ帰るわよ」
「御意」
シグネが呪術的な手触りで結界の歪みに干渉しようとした、その瞬間。
「――そこまでだ、侵入者ども」
冷徹極まりない声が、地下通路の四方から響き渡った。
影が爆発するように広がり、そこから一人の執事服を纏った男が姿を現す。焔光の専属執事であり、皇宮直属特務機関「鵺」の元エース・九条朧を師に持つ、孔明であった。
その腕には、焔光から授かった「無音の腕輪」が鈍い光を放っている。
「なっ……!? なぜここに執事風情が……!」
シェイラが驚愕の声をあげる。
「我が主、焔光殿下の見立て通りにございます。「窮したエイシン国は、必ずサレの口封じ、あるいは奪還に動く」と。これより先は、皇国の絶対防衛圏。一歩たりとも通しはいたしません」
孔明の背後から、さらに数人の影が現れる。
「ふん、遠路はるばるネズミが群れて入ってきたと思えば、失脚した元妃様か」
学園6回生筆頭の実力者、レイハルト・バルツが騎士剣を抜き、その身に揺らめく炎を纏わせる。さらに、剣聖の遠縁にして神速の剣士、一ノ瀬蓮が、光と風の気を足元に集中させ、凄まじいプレッシャーを放ち始めた。
「ちっ、学生如きが待ち伏せか……! クライド、リン、レン! 敵を排除し、対象を確保しろ!」
シェイラが叫ぶ。
「無駄だ」
孔明の「闇」のギフトが発動し、地下通路全体が完全な暗黒と静寂に包まれる。隠遁術と闇の壁が展開され、エイシン国の暗殺武人たちの攻撃はすべて強固な防壁に弾かれた。
さらに、レイハルトの「遅延発動型の炎」が通路の至る所で爆発し、侵入者たちの退路を断つ。
「神速流――「瞬光」!」
一ノ瀬蓮の姿が掻き消えた。次の瞬間、凄まじい衝撃波とともに、エイシン国の暗殺武人たちが次々と峰打ちで叩き伏せられていく。
「くっ、これほどの戦力とは……! クライド!」
シェイラが叫ぶが、クライドは孔明の放つ底知れぬ「闇」の圧力に完全に押さえ込まれていた。
「なぜ、何故だ?コイツラの前だとギフトが乱れる……」焔光が「無音の腕輪」を通して気流を乱していたのであるが、クライドでは看破出来ない。
「おのれ、焔光……! どこまで我が道を阻むというのか……!」
激しい戦闘の末、今回はサレの奪還が不可能であると悟ったシェイラは、懐からエイシン国特有の転移呪符を取り出した。
「撤退よ! これ以上は被害が大きすぎる!」
「逃がすか!」レイハルトが炎の斬撃を放つが、シェイラとクライド、そして傷ついた暗殺者たちは、間一髪で次元の歪みへと飛び込み、逃げ延びていった。
残された地下通路には、倒れ伏した暗殺武人たちと、静かに剣を収める皇国陣営の姿があった。
「……仕留めきれませんでしたか。ですが、サレの身柄は完全に守られました。焔光殿下への報告を」
孔明は静かに一礼し、影の中へと消えていった。
翌朝、皇立学園の広場には、ドリアード聖王国への救援を名目とした「先行組」の面々が集結していた。
「お兄ちゃん、行ってまいります! 泥棒猫王女の鼻をヘシ折って、ランバルトの首を取ってまいりますわ!」
風花は不敵な(しかし兄への愛に満ちた)笑みを浮かべ、風の刃を研ぎ澄ましている。その隣には、汚名返上のために燃える海流や、血気盛んな編入生エンホウ・ガロウ、そしてチャラ男を演じつつも鋭い視線を周囲に走らせるフォックス・シルフィードらの姿があった。
「ああ、気をつけてね、風花。みんなも、無理はしないで」
焔光は手を振りながら、見送りの人混みの中に佇んでいた。
その傍らには、紗夜が静かに寄り添い、予知能力を込めた瞳で遠くを見つめていた。
「焔光、エイシン国は裏でまだ何かを企んでいるわ。あなたの出立は「後発組」として、機が熟すまで待ちなさい。戦場へ降り立つその時が来るまで……」
「わかっているよ、紗夜叔母様。僕たちの本気は、まだ世間には見せられないからね」
焔光は微笑み、背後の亜空間に触れた。そこでは、可変機構を持つ「鷹の翼の短槍」が、いつでも主の絶技に応じるべく、神刀「カタナ」への変形機構を静かに脈動させていた。
モフモフの相棒・センも、亜空間の奥で「キュー!」と、主の出陣を待ち望むように鳴声をあげている。
動乱の歯車は、未来へと回り始めたのである。




