編入と日常
皇太子冊立の熱狂から数日後。
焔光たちの主戦場は、再び【聖アウグスト皇立魔導武官学園】の緑豊かな敷地へと戻っていた。
しかし、その「日常」は、以前よりも遥かに賑やかで、混沌としたものへと変貌を遂げていた。
学園の大講堂。そこには、デカマギア・アカデミーから特例として編入が認められた三人の精鋭が並んでいた。
四回生、エンホウ・ガロウ。
三回生、メイリン・ファン。
二回生、ゴウラン・バザル。
交流武術大会、そしてあの凄惨な「人工魔獣テロ」を経て、両学校のパワーバランスと関係性は大きく変わろうとしていた。特に、テロの最中に見せた学園側の対応、そして一部の生徒たちの動きは、アカデミーの精鋭たちの心に消えない爪痕を残している。
壇上に立つ学園長オリヴィアが、厳格な声音で編入生たちを紹介していく中、新入生や上級生たちの視線が彼らに集まる。だが、編入組の三人が見つめている先は、ただ一人だった。
一回生の列の隅で、いかにも「目立ちたくない」というオーラを全身から醸し出しながら、平凡な佇まいで立つ少年――焔光・フォン・アウグスト。
世間からは座学だけが完璧な「期待外れ皇子」と噂され、先のテロでも「たまたま運良く生き残ったラッキーぷりんす(幸運皇子)」などと非公認親衛隊に崇められている少年だ。
「……おい、ゴウラン。お前、さっきからあの期待外れ皇子ばかり見てるな」
赤髪を不機嫌そうに揺らしながら、四回生のエンホウが低く呟いた。その視線は、一ノ瀬蓮の姿も捉えている。スピード勝負で火花を散らした好敵手への対抗心を燃やしつつも、やはり焔光の存在が引っかかっているようだった。
鉄仮面の奥から、ゴウラン・バザルは静かに、だが確固たる響きを持つ声で返した。
「エンホウ、言葉を慎め。あの御方は……期待外れなどではない」
「あ? 何を言ってやがる。出力は石礫程度、風もようやく突風を起こすだけの無能だってのが、皇国内でのもっぱらの噂だろ。テロの時だって、周りの戦力や偶然が重なっただけだって――」
「違う」
ゴウランの声に、明確な重みが混じる。
「人工魔獣が暴れ狂う地獄のような前線。我らも含め誰もが恐怖し、逃げ惑う中で、あの御方だけは一歩も引かずに前線に居続けた。気を練る出力がどうあれ、あの死地を前にして微塵も揺らがなかったあの胆力……底が知れない。アカデミーの六回生筆頭であるシンイーですら、あの御方の「気の揺らぎ」と胆力には一目を置いておられた。俺は、あの御方を期待外れとは絶対に認めない」
ゴウランの言葉に、三回生の呪術師、メイリン・ファンも薄い唇を吊り上げて妖しく微笑んだ。
「ふふ、そうね。私の「幻影の鎖」を仕掛けようとした時も、なぜか気流が不自然に霧散したのよ。単なる偶然にしては、あの人の周りだけ世界の理が奇妙に歪んでいる気がするわ……興味深い存在ね、焔光殿下は」
そんな編入組たちの熱い視線と密談を、焔光は鋭い「気流読み」で完璧に察知していた。
(……凄く見られてる。特に二回生のゴウラン先輩からの視線が熱すぎる。テロの時に、目立たないようにただ突っ立ってほんの少し、加勢しただけなのに、なんで「前線に居続けた胆力の持ち主」なんて評価になってるんだ? お願いだからこれ以上、僕を評価しないでほしい……!)
焔光が内心で冷や汗を流しながら、困ったように微笑んでやり過ごそうとした、その時。
焔光のすぐ隣にいた妹の風花が、ゴウランたちの視線に気づき、その美しい容姿をピキリと凍り付かせた。周囲の空気が、国家転覆レベルの凄まじい威圧感と共に凝固し、歪み始める。
「お兄ちゃん……あのアカデミーの編入生たち、さっきから不躾な視線をお兄ちゃんに送っています。もし、またお兄ちゃんを「期待外れ」などと侮辱するつもりなら――今すぐこの場で、衣服ごとズタズタに引き裂いて暴風の藻屑にして差し上げます」
「ま、待って風花! 落ち着いて! 彼らはきっと、ただ挨拶のタイミングを計っているだけだから! ほら、笑顔、笑顔!」
焔光は必死に風花の腕を掴み、その狂信的な暴走を止めにかかる。
その様子を遠くから見ていたシャーロットは、「また風花様のガチな威圧が……ひぇっ!」と小さく身を震わせつつも、焔光を見つめていた。
壇上から降りてきたゴウランは、まっすぐに焔光の元へと歩み寄る。
そして、鉄仮面をつけたまま、皇国の礼法としては異例なほど深い、武人としての最大級の敬礼を焔光に捧げた。
「焔光殿下。デカマギア・アカデミーより編入いたしました、ゴウラン・バザルです。先の戦いでの貴方の高潔な立ち姿、この胸に刻まれております。学園が変わろうとも、私は貴方のその胆力に、敬意を払い続ける所存です」
「あ、ははは……よろしくおねがいします、ゴウラン先輩。僕はただ、運が良かっただけですから……」
焔光は引きつった笑みを浮かべながら、心の中で「やっぱり勘違いされてる〜!」と絶叫するのだった。こうして、新たな波乱と因縁を孕んだ、アカデミー編入組を交えた学園生活が幕を開けた。
数日後
「──こら! フォックス! 私の特製工具セットを勝手に触らないでください!」
「へへっ、いいじゃねぇかノア。ちょっと可変重速射砲のバレルを磨くのを手伝ってやろうと思っただけだって」
中庭のベンチでは、一回生のノア・メイリンが、チャラ男の演技をしながら空回り護衛を続けるフォックスを工具のスパナで追い回していた。
その様子を少し離れた位置から眺めているのは、二回生に編入してきたゴウラン・バザルだった。鉄仮面の奥の瞳は相変わらず無口だが、学園の平和な空気にどこか安堵しているようでもある。
「──お兄様。お姉様」
小さな、物静かな声が、焔光の衣服の裾を引いた。
見下ろすと、そこには七歳になった烈真の次女──恵海里がいた。彼女の手には、霊木と魔鋼から生成された、手乗りサイズの愛らしい木製ゴーレムが握られている。
「エミリ、どうしたの?」
焔光が屈んで目線を合わせると、エミリの小さな顔に、かつての恐怖に怯える影は一切なかった。
「あのね……ゴーレム、新しく作ったの。ノアお姉ちゃんに、ネジの回し方、教えてもらったの。……焔光お兄様たちに、見てほしくて」
「わあ、凄いねエミリ! 動きが前よりもずっと滑らかになってる!」
風花がエミリを抱き上げ、その頬をすりすりとする。
「恵海里様、あまり風花お嬢様に甘やかされると、お兄様への独占欲が暴発してゴーレムを暴走させ周囲を巻き込む様になりますよ。」
背後から、恵海里の専属侍女であるローゼが、穏やかな微笑みを浮かべて現れた。「無」の空間遮断能力で過酷な戦いを生き抜いてきた彼女も、今や再び恵海里の専属として、そして影から自分たちを守ってくれる孔明への密かな好意を募らせながら、この学園での静養を楽しんでいた。
「ふふん、からくり人形のメンテナンスならセンもお手伝いできるのですよ!」と言わんばかりに
焔光の肩の上で、三本の尻尾を揺らした白い相棒・仙が、自分で勝手に亜空間の扉を開けてノコノコと飛び出してきた。
「あ、セン! 勝手に出てきちゃダメだって!」
「キュウ!」
センはエミリの手乗りゴーレムの頭の上にトコトコと飛び乗り、小さな白い翼をパタパタと羽ばたかせて見せる。それを見たエミリの顔に、鈴を転がしたような純粋な笑顔が弾けた。
「──ギルバート、そっちの角度から追え」
「分かっているよ、フォックス。僕の「からくり蜘蛛人形」の糸で、対象の退路はすでに断ってある」
不意に、中庭の奥の茂みから、凄まじい息の合った連携を見せる声が響いた。
フォックスの「風の糸」と、ギルバート・ケッセルの「木」と「機」を融合させたからくり蜘蛛型人形の糸が、一瞬で空間を制圧する。彼らが排除したのは、失脚した烈真派閥の残党が送り込んできた極小の偵察用魔導蟲だった。
「ふん、相変わらず不真面目なチャラ男のくせに、風の糸の精度だけは一丁前だね」
「お前こそ、成金商会の天才人形師様が、ずいぶんと泥臭い仕事に付き合ってくれるじゃねぇか」
「すべては、シャーロットお嬢様と焔光殿下が良い関係を進める為、ヴァンダム新興商会の合理的な打算だよ」
仲が良いのか悪いのか分からない最高に息の合った「犬猿のコンビ」のやり取りに、焔光は苦笑いを浮かべる。シャーロット本人は、今や焔光を見るたびに顔を真っ赤にしてお弁当を差し出してくる、完全な恋乙女と化していた。
「──焔光」
中庭の回廊から、新しく学園に編入してきた海流と星羅、そして二人を案内していた第一皇女・紗夜が歩み寄ってきた。
「学園の特別視察官(臨時の皇室顧問)としての仕事、なかなか賑やかで楽しいですわ。ノエル殿との裏での火花(お姉さん同士の焔光争奪戦)も、これからが本番ですし」
紗夜が楽しそうにクスりと笑う。その高い知性と因果予測から、焔光の規格外のチート能力を完璧に見抜いている彼女は、今後海流や星羅を最高責任者としてすり替えながら、焔光が世間の謀略に巻き込まれないよう全力で庇護する構えだった。
「焔光殿下」
海流が、かつての不敬を完全に拭い去った、真っ直ぐな目で焔光を見つめる。
「僕たちの新しい生活は、ここから始まる。烈真の子供としてではなく、皇太子となった蒼真殿下の、忠実な臣下として、この学園で全力を尽くすことを、改めて誓うよ」
「私もですわ、焔光殿下」
星羅が淑やかに一礼しつつ、その計算高い瞳でシャーロットや風花を牽制する。
「これからの学園生活、蒼真家の栄光のため、私の頭脳を存分にこき使ってくださいませ」
「二人とも、ありがとう。これから一緒に、頑張ろうね。ただ、前の通り呼び捨てで構わないよ。」
焔光は、優しく、打算のない笑みを返した。
隣国「エイシン国」の支配者・聖リュウホウ、そして亡命したシェイラや最強の武人ランバルトが、未だ闇の奥で牙を研いでいるのは分かっている。次世代の怪物、臥龍の存在も、いずれ皇国の脅威となるだろう。
(でも、今の僕たちなら……どんな外法の闇が来ても、シレっと皆で無に還せるよね)
肩の上で、センがもう一つ光弾を催促するように、「きゅぅ」、と甘えた声を上げた。
その日の夜、蒼真家の皇都別邸。
皇太子冊立に伴い、別邸の警備は近衛騎士団の精鋭、そして「蒼天碧流騎士団」の救護班が常駐する最高厳戒態勢へと引き上げられていたが、内部の空気は至ってアットホームなものだった。
広大なリビングでは、新たに共同生活を始めた海流、星羅、恵海里、そしてローゼを歓迎するための晩餐会が催されていた。
「さあさあ、海流くんも星羅ちゃんも、遠慮せずにたくさん食べなさい。これからは実家なんて関係なく、我が家の大切な家族なんだからね」
蒼真の妻であり、西辺境伯出身のシルフが、母親としての深い愛情を湛えた微笑みで、大皿の料理を次々と二人の前に取り分けていく。
「叔母様……ありがとうございます」
海流は、かつて実の母シェイラから一度も向けられたことのない本物の「家族の温かさ」に、胸が熱くなるのを堪えきれなかった。
「恵海里、スープ熱くない?」
「うん……お兄ちゃん、美味しい」
恵海里は、焔光の隣の席で、ローゼに手伝ってもらいながら嬉しそうにスプーンを動かしている。その様子を、専属執事の孔明が、影の中から静かに、しかし確かな守護の意志を伴って見守っていた。ローゼと孔明の視線が不意に交わり、二人が同時に僅かに頬を染めて視線を外すという、小さくも微笑ましい光景も、この夜の平穏を彩っている。
「──お兄ちゃん」
ふと、隣に座る風花が、焔光の耳元で小さく囁いた。
その可憐な顔には、昼間の暴走気味な狂信オーラではなく、実の兄を心から信頼する、真摯な瞳があった。
「交換留学も、財閥の処分も、本当にお疲れ様。お兄ちゃんが裏でどれだけ世界を救うような絶技を使って、どれほど徹底的にそれを隠し通したか……風花は、全部知っているからね」
風花は、焔光の手の上に自らの手をそっと重ねた。
「お父様が皇太子になって、これからもっと面倒な政治劇や、隣国の罠が押し寄せてくると思う。でも、風花の「暴風」と「風の刃」は、いつだってお兄ちゃんの敵をズタズタに切り裂くためにあるの。だから──」
「うん、ありがとう、風花」
焔光は優しく風花の頭を撫でた。
「風花が隣にいてくれるだけで、僕はどんな「期待外れ皇子」の演技だって完璧にこなせるよ。これからは海流兄さんたちも、学園の仲間たちもいる。僕たちの日常は、きっともっと面白くなるはずさ」
「キュウ!」
亜空間の格納庫から、センが満足そうに顔を出し、風花の手のひらにモフモフの頭を擦り付ける。
世界最強のチート能力を隠し持ち、ただの平凡を装う少年、焔光・フォン・アウグスト。
新たなる仲間、新たなる絆、そして国営化された利権という絶対の盾を手に入れた彼は、大切な家族と共に、静かに温かい眠りへと就くのだった。




