皇太子と玉座
「──海流。そして星羅。よく来てくれましたわね」
皇立第二魔導武官学園(旧デカマギア・アカデミー)の総督室に、第一皇女・紗夜の涼やかな声が響いた。
その部屋に呼び出されていたのは、烈真の長男である海流と、長女の星羅だった。
かつて実の母であるシェイラから不倫の子である弟の「臥龍のための使い捨ての道具」と宣告され、絶望の淵に立たされていた兄妹の姿は、見違えるほど落ち着きを取り戻していた。
彼らの気の異常を察知した妹エミリの「蟻型ゴーレム」と、それを汲み取った焔光の機転によって救出された二人は、皇国への不敬を深く謝罪し、誠心誠意尽くすことを誓っていたのだ。
「紗夜殿下、僕たちのような大逆人の子供をわざわざこの地へお呼びいただき……感謝の言葉もございません」
海流が深く頭を下げる。
その隣で、表向きは淑やかだが計算高い一面も持つ星羅も、神妙に、しかしその怜悧な瞳に確かな覚悟を宿して控えていた。
「顔を上げなさい。貴方たちの父である烈真兄様は、地下監獄で涙を流して改心し、今やその優れた商才を活かして蒼真家の権限なき相談役として内政に尽くされています。カトリーヌ妃殿下もこのアカデミーの理事代理として、財閥傾倒派を完璧に抑え込まれました。罪は清算され、残されたのは貴方たちの未来ですわ」
紗夜は完璧な気品を湛えた微笑みを向けた後、視線を傍らに立つ焔光、そして六回生代表のシンイー・ルオへと移した。
「今回の交換留学期間の終了に伴い、私たちは学園へと凱旋します。それに伴い、本校(聖アウグスト皇立魔導武官学園)へと公式に「編入」させるべき才能があるか、検討したいのです」
「皇立学園への編入……ですか」
シンイーが長い黒髪を揺らしながら呟く。彼は先の人工魔獣テロや、地下書庫での一件を経て、焔光がただの「平凡な幸運皇子」ではなく、底の知れない圧倒的な胆力と何かを隠し持つ存在であると見抜いていた。それゆえに、この提案の重みを即座に理解する。
「海流殿下は十九歳で五回生。星羅殿下は十五歳で一回生。お二人の実力と、今後の皇国への忠誠を鑑みれば、本校への編入は妥当でしょう。烈真派閥の残党への抑え込みにもなります」
シンイーの言葉に、海流は拳を握りしめた。
「僕のギフトは「火」だ。烈真派閥の次世代筆頭などと持て囃されながら、臥龍への過剰な期待に焦り、道を誤りかけた。だが、これからはこの命に代えても、皇国と、僕たちを救ってくれた蒼真家を支える盾となる」
「私のギフトは「水」ですわ」
星羅も一歩前へ出て、可憐に微笑んだ。
「表舞台での謀略や、計算高い立ち回りは私の得意とするところ。これからはその力を、蒼真家を狙う不届き者を炙り出すために使わせていただきます」
焔光はその二人の気流を注意深く観察していた。外法の呪縛が完全に消え去り、澄み切った力強い気が二人から溢れている。
(うん、海流兄さんも星羅も、もう大丈夫そうだ。二人が本校に来てくれれば、実家を失った恵海里も寂しくないだろうしね)
「お二人の編入は決定ですね」
紗夜が頷き、さらに視線を巡らせる。
「──では、アカデミーの既存の生徒からはどうかしら、シンイー?」
シンイーは少し考えた後、一人の少年の名を挙げた。
「……二回生代表のゴウラン・バザル。あいつを推薦します。あいつの「土」と「風」による面制圧技術は確かだ。何より、人工魔獣テロの際、平凡でありながら前線に立ち続けた焔光殿下の「胆力」を最も認めている男の一人。皇国への編入を命じれば、二つ返事で従うでしょう」
「分かりましたわ。ゴウラン・バザルの編入も、カトリーヌ妃殿下を通じて手続きを進めましょう」
「後、海流殿下、星羅殿下、恵海里殿下の御三方を護衛する為、二人。4回生、エンホウ・ガロウと3回生、メイリン・ファンも編入はどうでしょうか?本人には私から話します。私も行きたい所ですが、旧アカデミーに残り他の生徒を見守る必要も有りますので。」
「わかりました。では、そちらも手続き進めますね」
こうして、アカデミーからの編入組が確定した。海流、星羅、そしてゴウラン、エンホウ、メイリン。彼らという「新たな血脈」を本校へと組み込むことで、第一学園と第二学園の繋がりはより強固なものとなる。
「(これでよし……。海流兄さんたちが盾になってくれれば、僕の「平凡な幸運皇子」としての立場もさらに安定するはずだ)」
焔光は内心でシレっと満足の笑みを浮かべていた。その懐の亜空間では、真っ白な相棒・仙が、フフン、と誇らしげに翼を羽ばたかせている。
交換留学の期間が満了し、皇国が誇る巨大魔導飛空艇は、再び東の空から中央の皇都へと向けて出港した。
往路とは異なり、帰路の艇内には平穏な、しかし確かな勝利の熱気が満ちていた。
特等客室には、紗夜、焔光、風花、ノエル、凍華、蓮、そして新たに加わった、海流や星羅の姿がある。
「あーあ、終わっちゃった。もうちょっとアカデミーで焔光くんと二人きりの課外授業とか、したかったのになぁ」
大賢ノエルが、抜群のプロポーションを長椅子に預けながら、もやもやとした視線を焔光に送る。
「ノエル様、その「二人きり」という不適切な単語は聞き捨てなりません。お兄ちゃんの専属護衛であり、唯一無二の妹であるこの風花を差し置いて、何を教授なさるおつもりですか?」
風花が「風」と「水」の気をピキピキと周囲に漂わせ、狂信的な溺愛オーラを全開にする。
「え、ええっと、二人とも落ち着いて……」
焔光が苦笑しながら二人を宥めていると、客室の魔導通信機が青い光を放ち、立体映像を映し出した。
現れたのは、蒼真直属の内政最高責任者へと大抜擢された十六歳の天才、レイ・フォンであった。
その怜悧な黒髪の少年は、いつものように冷静な手際で数々の帳簿やグラフのデータを展開していく。
「──焔光殿下、紗夜皇女殿下。交換留学の完遂、および第二学園の皇立化の成功、お見事です。こちらでも、メディチス財閥利権の「完全吸収」が完了いたしましたので、ご報告いたします」
レイ・フォンの報告は、あまりにも完璧で容赦のない経済的完全包囲の証明だった。
「まず、メディチス財閥が皇国内に保有していた全資産の七割の凍結を解除し、すべて国営の「アウグスト中央流通機構」へと編入しました。これにより、国家予算の三割に相当する資金および流通網、そして東方海域の魔石鉱山の開発権が、名実ともに蒼真殿下──蒼真家の管理下へと移行いたしました」
「国家予算の三割……!」
海流が驚愕の声を漏らす。かつて自分たちの実家が握っていた莫大な富が、これほどの手際で完全に解体され、皇国の血肉へと変わったのだ。
「さらに、ヴァンダム新興商会のゴドル総帥を国営組織の「筆頭代理人」として据える手続きも完了しました。これにより、シャーロット様の皇宮内、および学園での立場は絶対的なものとなります」
レイ・フォンは、かつて自身が仕えていたお嬢様への密かな思慕をプロとしての冷徹な仕事の中に隠しながら、言葉を続けた。
「そして、隣国「エイシン国」への「経済的宣戦布告(関税封鎖)」の推移ですが……。「十倍の制裁関税」により、隣国船籍の入港は激減。拒否を試みたエイシンの密貿易船三隻は、ジーク・シルフィード団長率いる「蒼天碧流騎士団」と東のアズラエル辺境伯家によって海域を完全にロックダウンされ、一斉に拿捕されました」
「ジーク叔父様、相変わらず容赦ないですね……」
風花が感心したように呟く。
「隣国の資金源は、追い詰められています。シェイラ元殿下が脱走の際に残した外法の通信記録も、こちらのデータと照合し、皇国内の細かな内通者のリストアップを完了しました。宮廷府の裏切り、および摂政の目を掻い潜る暴走派閥の全容も、間もなく完全に炙り出されるでしょう」
「見事な手際ですわ、レイ・フォン」
紗夜が満足そうに頷く。
「貴方がいてくれたからこそ、私たちは前線で憂いなく動くことができました」
「過分なお言葉です。ですが、真に恐るべきは……ヴァンダム新興商会のお茶処で、私の「無」と「風」の本質を瞬時に見抜き、この座へと引っ張り上げられた焔光殿下の「眼力」ですが」
レイ・フォンが、立体映像越しに焔光へと深い敬意を込めた一礼を送る。
「え、いや、僕はただ、レイさんなら父上(蒼真)を助けてくれると思っただけで……」
焔光は慌てて手を振ったが、海流や星羅、そしてノエルまでもが、「流石は焔光くん(焔光殿下)……」と、その深謀遠慮(勘違い)に改めて感嘆の溜め息を漏らしていた。
「──すべての条件は整いました」
レイ・フォンが顔を上げる。
「皇都に到着次第、蒼真様の「皇太子冊立式典」が執り行われます。皇国は今、新たな皇太子を迎えるのです」
皇国の中心たる皇宮──大政殿。
その空間は、代々伝わる魔導灯の黄金色の光と、数千人の貴族、騎士、そして宮廷府の役人たちが放つ、息を呑むような重圧に満ちていた。
「──皇帝陛下、お成り!!」
典礼官の声が響き渡ると同時に、大政殿の全貴族が一斉に平伏した。
玉座へと歩みを進めるのは、皇帝・応心。
その背後から溢れ出るのは、固有能力「皇帝覇気(光)」。皇帝に即位した際に授かる絶対の権能。応心の場合は自身の「光」と融合しており、その覇気に当てられた者は、いかに強大なギフトの保持者であっても、出力を強制的に低下、または一時的に封印され、ひれ伏すしかなくなる絶対の威圧。
応心を中心に展開される周囲約百メートルの絶対領域「皇帝の聖域」が、大政殿全体の奇襲、暗殺、呪術を完全に無効化していた。
応心が玉座に腰掛け、その鋭い双眸を見開く。
「──これより、次代の皇太子を冊立する」
皇帝の厳格な声が響く。
「長男・黎真(勇帝)は魔王討伐の折に崩御。次男・烈真は外法の闇に手を染め失脚。今、この皇国の防人たる四辺境伯、そして三大分家の支持を受け、皇国の未来を託すに足る者は一人しかいない。──三男、蒼真。前へ」
大政殿の重厚な扉が開き、蒼真・フォン・アウグストが歩みを進めた。
その身に纏うのは、次期皇帝にふさわしい深青の礼服。彼の周囲には、「風」と「水」の二属性ギフトが織りなす「風神の加護」が、静かに、しかし鉄壁の暴風障壁として展開されていた。烈真の放つ電撃や魔導兵器の攻撃をも防ぎ切る、絶縁・減衰の暴風。
蒼真が皇帝の前で片膝をつく。
「蒼真よ。お前はメディチス財閥の闇を暴き、国営化を成し遂げ、隣国エイシンへの経済的包囲網を完璧に構築した。その功績、そして皇国への忠誠は疑うべくもない。──よって、お前を次代の皇太子、皇位継承者第一位に指名する」
皇帝応心が光輝く王剣を蒼真の肩へと授ける。
その瞬間、大政殿全体から、割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こった。
「謹んで、その大任を拝命いたします、皇帝陛下」
蒼真の声が、風の制御によって大政殿の隅々にまで響き渡る。
「我が「蒼天碧流騎士団」の防壁、そして「風雨の癒し(ヒール・レイン)」を以て、どれだけ傷ついても復帰する、最も戦死者を出さない強固な皇国を築いてみせましょう」
列席していた西辺境伯バルトロ(じいじ)や、その甥である隠密頭領フェルナンが、満足そうに頷く。彼らは、蒼真の背後に立つ焔光が、実は「黎真(勇帝)と聖なる巫女の遺児」であり、世界最強クラスのチート能力を秘めていることを完璧に把握している核心人物たちだ。
(黎真、咲夜。お前たちの遺児は、今やこの皇国の最大の「隠し札」として成長しているぞ)
バルトロは内心で狂信的な忠誠を誓いながら、孫を見つめていた。
貴族・一般参列者達の列の中では、風花様親衛隊の面々が、焔光の姿を見てガタガタと震えながら拝んでいた。
「(お、おい見ろよ……! あのラッキーぷりんす(幸運皇子)、自分のお父様が皇太子になったっていうのに、一変の傲慢さも見せないぞ……!)」
「(当たり前だろ、あいつは偶然と幸運だけで烈真派閥を完全崩壊させた、本物の化け物(幸運の奇跡を操る者)なんだからな……! 目を合わせるな、呪われるぞ!)」
焔光は、親衛隊の過剰な拝みっぷりに(また勘違いが加速してる……)と遠い目をしながら、父の晴れ舞台をただ静かに見守っていた。
これで、蒼真家は名実ともに皇国の支配権を完全に掌握したのである。




