調停と平穏
メディチス財閥の「完全国営化」という激震は、皇国全土のみならず、隣国「エイシン国」の経済をも一晩で凍りつかせた。
メディチス財閥資産の七割を凍結。主要な流通網と鉱山開発権をすべて皇太子候補筆頭となった皇族三男・蒼真の管理下へ移行するという容赦のない電撃作戦は、天才内政官レイ・フォンの精緻な設計図のもとに遂行された。さらに、隣国船籍に対して課された「十倍の制裁関税」は、エイシンの息の根を物理的に締め上げる鉄鎖となった。拒否すればジーク・シルフィード率いる「蒼天碧流騎士団」と東のアズラエル辺境伯が海域を完全ロックダウンする構えである。もはや交渉の余地などなかった。
だが、蒼真の執った戦略は、ただの破壊では終わらない。
「実権なき内政監視者」として、かつて財閥を押し上げたカトリーヌ妃、そして地下監獄から解放され、妻の不倫と謀略の真実を知って涙を流し改心した皇族次男・烈真の「本物の商才」を相談役として据えたのだ。
「私たちは、エイシンの犬としてではなく、皇国の富を循環させる心臓として機能せねばならん。──それが、残された子供たちへの、せめてもの贖罪だ」
監獄の煤に汚れながらも、どこか憑き物が落ちたような目で帳簿に向かう烈真の背中を見て、実務を取り仕切るレイ・フォンは冷淡に、しかし確かな手応えを感じていた。メディチスはかつての二割の規模に縮小されながらも、外法の闇を削ぎ落とした「真面目な国営商会」として奇跡的な再建の第一歩を踏み出したのである。
一方、財閥失脚によって大混乱に陥るアカデミー内部の経済基盤を「学園と皇国の主導」で落ち着かせるため、一艘の巨大な魔導飛空艇が東の空へと飛び立った。「まったく、とんだ大仕事になっちゃったね、焔光くん」
飛空艇の特等客室。豪奢な長椅子に腰掛け、豊満な胸を小刻みに揺らしながらもやもやとした視線を投げかけるのは、大賢エミール・ノエルだった。
「建前は、留学を口実にしたアカデミーの安定化。でも、私がついて行くんだから、理由は一つしかないでしょう?」
「ノエル様、あまりお兄ちゃんにベタベタしないで頂けますか? 私の師匠とはいえ、泥棒猫の真似事をされるのでしたら、この部屋ごと風葬に処すことになりますが?」
焔光の隣を完璧にキープする双子の妹・風花が、その可憐な容姿に見合わない漆黒の笑顔で「風の刃」の微細な気流を発生させる。周囲の空気がピキピキと凍りつく中、専属執事の孔明と専属侍女のミーナは、もはや日常茶飯事となった光景に一礼するだけで表情を崩さない。
「はは……二人とも、仲が良いのは結構だけど、今回は皇室としての公式行事だからね」
苦笑いを浮かべながら、焔光・フォン・アウグストは窓の外を流れる雲を見つめていた。
その懐──亜空間の格納庫では、真っ白な相棒・仙が、焔光から貰った「クッション光弾」を器用に前足で転がしながら、ふふん、と鼻を鳴らしている。
世間での焔光の評価は、未だに「座学は完璧だが、ギフトの出力は石礫程度の光弾しか出せない、期待外れの幸運皇子」。
「手柄は他人に、奇跡は偶然に。今回も、目立たず平穏に終わらせよう」
少年は、自らの内に眠る勇帝のブラックホール、剣聖の神速・剣技、大賢の魔道・至高治癒、鍛神の気流読みという規格外のチート能力を完全に隠蔽したまま、アカデミーの牙城へと足を踏み入れた。
デカマギア・アカデミー。
それは皇国の【聖アウグスト皇立魔導武官学園】とは異なり、漆黒の魔鋼と無機質な魔石灯で構成された、要塞のような巨大学群だった。メディチス財閥の独自魔導技術と、実力至上主義が文字通り視覚化された空間。
飛空艇が中央発着場に降り立った瞬間、出迎えたのは息を呑むような重圧だった。
今回の交換留学に同行したのは、皇国側の最高権威としての象徴であり、学園の特別視察官(皇室顧問)、因果予測のギフトを持つ第一皇女・紗夜。そして学園生徒側から、焔光、風花、ノエル、一ノ瀬蓮、神楽凍華。これに孔明とミーナが影として従う、実質的な「最強の布陣」である。
「ようこそ、学園の皆様。──歓迎いたしますよ」
出迎えたのは、アカデミーの最上級生、六回生代表、シンイー・ルオだった。
長い黒髪を風に流し、その鋭い双眸は焔光の一挙手一投足を見逃さないように凝視している。シンイーの背後には、五回生のバイレン・シュウ、四回生のエンホウ・ガロウ、三回生のメイリン・ファン、そして二回生代表のゴウラン・バザルが不敵な笑みを浮かべて控えていた。
亡命したセド・カドスの姿はない。だが、残された五人の精鋭が放つ「気」の総量は、先の交流会以上の殺気と恐怖を含んでいた。
「ご丁寧に恐れ入ります、シンイー殿。今回の留学が、両学校の新たな絆の礎となることを、我が皇室も切に願っておりますわ」
視察官として同行した紗夜が、気品に満ちた完璧な微笑みで挨拶を返す。彼女の背後で自動展開されている「光」の精神平穏の結界が、アカデミー側の放つ威圧をシレっと霧散させていた。
歓迎式典の最中、焔光は一歩下がった位置で、注意深く周囲の気流を観察していた。
(……なるほど。財閥の国営化と十倍関税のせいで、アカデミーの維持に必要な「魔石」の供給ラインが完全に詰まりかけているな。生徒たちの武器や防具、施設の動力源にある気が、どれも飢えている)
実力主義を謳うアカデミーの生徒たちの間には、皇国に対する激しい敵意と、同時に「明日からの魔導研究が立ち行かなくなるのではないか」という、隠しきれない焦燥と恐怖が蔓延していた。シェイラや財閥がばら撒いた甘い汁が途絶えた瞬間、この要塞は内側から干からびる寸前だったのだ。
「チッ、どいつもこいつも、学園の温室育ちが……」
四回生のエンホウ・ガロウが、赤髪を乱暴にかきむしりながら、一ノ瀬蓮に向かって鋭い視線を飛ばす。蓮は愛刀の柄に手をかけたまま、氷のような視線でそれを受け流していた。
「おい、そこにいる「ラッキーぷりんす」」
不意に、二回生代表の鉄仮面の武人、ゴウラン・バザルが重苦しい声をあげた。その隣では、六回生のシンイーもまた、焔光をじっと見つめている。
「先の人工魔獣テロ、殿下は平凡な風と、威度の低い光弾しか持たぬ落ちこぼれと聞いているが……あの混沌の戦場において、一歩も引かずに前線に立ち続けてましたね」
シンイーの言葉に、アカデミーの生徒たちがざわめく。
「ただの偶然と幸運で生き残ったと報告にはあったが……お前の歩き方、そして「気の揺らぎ」。妙だな。底が、まったく見えん」
実戦を潜り抜けてきた上級生だからこそ、平凡の殻に隠された焔光の「異常な胆力」に、微かな違和感を抱き始めていた。
「いえいえ、とんでもありません!」
焔光は慌てて、いかにも気弱そうな、しかし座学と礼儀作法だけは完璧な「期待外れの皇子」の笑みを浮かべた。
「あの時は、周囲にいた皆さんが、魔獣を吹き飛ばしてくれたのです。私はただ、腰が抜けて動けなかっただけでして……本当に、運が良かっただけなんです」
「……ふん。運も実力のうち、と言うがな」
ゴウランが鉄仮面の奥で鼻を鳴らす。完全に見くびっているわけではない。だが、これ以上の追及を遮るように、五回生のバイレン・シュウが妖艶な一歩を踏み出した。
「あら、そんな小物の運否天賦なんてどうでもいいわ。それよりも──」
バイレンの蛇のような瞳が、焔光を通り過ぎてノエルへと向けられる。
「エミール・ノエル。私は未だに納得いっていないのよ。エイシン国が誇る最強の武人、ランバルト・メディチス様を差し置いて、たかが九歳の時に「秘術の継承」だけで大賢の座に就いた貴女の存在をね。前回の交流会では不覚をとったけれど、このアカデミーの地脈の元なら、私の「紫電の毒沼」が貴女の偽物の奇跡を剥ぎ取ってみせるわ」
バイレンの指先から、バチバチと不穏な高熱の雷水が滲み出る。
その瞬間。
「へえ……」
ノエルの顔から、一切の感情が消えた。
美しく、そして底なしに昏い「暗黒微笑」が室内の温度を絶対零度へと叩き落とす。
「継承だけで手に入れた偽物の力、ですか。いいですよ。そこまで言うなら、このアカデミーの敷地ごと、塵一つ残さず消し去ってあげましょうか? ──私の、焔光くんを侮辱した罪は、万死に値しますから」
「な──!?」
大賢が放った、天災規模の「気の圧迫」。建物全体がミシリと軋み、窓ガラスに一斉にヒビが入る。バイレンは息を吸うことすらできず、その場に膝をつきかけた。
(待って待ってノエル様! ここアカデミーだから!)
焔光は内心で頭を抱えながら、そっとノエルの袖を引いた。
「ノエル様。僕は大丈夫です。ノエル様が、いつも見守って、その至高の癒しで包んでいてくれるだけで……どんな言葉にも耐えられる勇気が湧くんです。だから、どうかその素晴らしい力を、こんなところで無駄に消費しないでください」
「ふぇっ!?」
殺し文句の直撃。
先ほどまで世界を滅ぼさんばかりのオーラを放っていた大賢は、一瞬で顔を真っ赤に染め、両手で顔を覆って激しく悶え始めた。
「も、もう……焔光くんがそこまで言うなら、今回は許してあげるんだから……っ!」
「(チッ、チョロインめ……)」
背後で、風花がバイレンとノエルの両方に極大の呪詛の視線を送っていたのは言うまでもない。
一触即発の空気を、パン、と澄んだ手の音が弾いた。
「そこまでにいたしましょう」
第一皇女・紗夜が、すべての因果を予測し尽くしたような、泰然とした態度で中央へ進み出る。
「私たちは、このアカデミーを破壊しに来たのではありません。──むしろ、その逆。メディチス財閥の不正によって失われた、皆様の「未来」を保障しに来たのです」
紗夜の言葉とともに、同行していた孔明が、一通の巨大な魔導羊皮紙を広げた。そこには、レイ・フォンが起草し、蒼真が承認した「アカデミー救済条項」が刻まれていた。
「──メディチス国営商会による、デカマギア・アカデミーへの「魔石および霊木流通の優先再開に関する協定書」、です」
孔明の静かな声が、謁見の間に響き渡る。
それまで敵意を剥き出しにしていたアカデミーの教職員、そしてシンイーをはじめとする生徒たちの目が、一斉に驚愕へと見開かれた。
「な、んだと……? 皇国は、我らアカデミーへの制裁をさらに強めるのではなかったのか?」
エンホウが声を荒げる。
「我が皇国が罰するのは、外法の闇に手を染めた財閥の幹部、および不当な侵略を企てた一部の人間のみです」
紗夜は、凛とした声で宣言した。
「このアカデミーで学ぶ若き才能に、罪はありません。メディチスは国営化されました。資産の七割は凍結されましたが、二割程の流通網は、カトリーヌ妃殿下と烈真殿下の監視の元、極めて健全に再建されつつあります。そして──本日より、ヴァンダム新興商会がその筆頭代理人として、アカデミーが必要とする正規の魔石を、これまでの「適正価格」で供給することを約束いたします」
それは、あまりにも完璧な「飴と鞭」だった。
エイシン国籍の一般商船には十倍の関税を課して国家の資金源を干渉不能なレベルまで追い詰め、メディチス財閥の資産も凍結しメディチス関係施設への投資を止めつつ、アカデミーという「未来の盾」に対しては、皇国の慈悲として生命線を握り直してやる。これによって、アカデミーは皇国からの物資供給に依存せざるを得なくなり、実質的な経済的無力化──すなわち、内側からの「無血開城」が完了するのだ。
「……信じられんな」
シンイーが、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「これほどの好条件、ただで呑めと言うわけではあるまい。皇国側の条件は何だ?」
「条件は極めてシンプルです」
紗夜に代わり、一歩前へ出たのは焔光だった。彼は、いかにも交渉事には不慣れな「ただの連絡係」としての体裁を取りながら、懐から一冊の帳簿を取り出した。
「今回の交換留学期間中、我が学園の生徒、および視察員に対して、学園内における「一切の隠密行動・呪術的干渉の禁止」。そして、没収された財閥資産の確認作業に伴う、学園長室および地下書庫への、我が専属執事らの立ち入り許可。──それだけです」
「地下書庫の立ち入り……?」
三回生の呪術師、メイリン・ファンが怪訝そうに眉をひそめる。
「ええ。シェイラ元妃が残した、外法技術の残滓を完全に清算するためです。お互いに、不穏な火種は早く消したいでしょう?」
焔光の言葉は、至極真っ当に聞こえた。だが、その真の狙いは別のところにあった。
その日の夜。
アカデミーの特別客舎。周囲の監視の目が、最も薄くなる深夜の静寂の中。
「──配置につきました、焔光殿下」
影の中から、孔明の声が響く。
彼の隣には、恵海里の専属侍女であり、今回の作戦のために密かに別の便で合流していたローゼの姿があった。ローゼは自身のギフト「無(空間遮断)」を発動させ、彼らの周囲の音、視線、気配を完全に遮断する「静寂の壁」を完璧に維持している。
「ありがとう、ローゼ。体調はもう大丈夫かい?」
「はい……焔光殿下のおかげで、恵海里様も私も、もう何も恐れていません。この命、恵海里様と、私たちを救ってくださった焔光殿下のために捧げます」
ローゼの細い瞳の奥に、不屈の意志が宿る。彼女は、隣で影を操る孔明の横顔に、微かな信頼の視線を送っていた。隠密職人同士、通じ合うものがあるのだろう。
「孔明、ローゼ。二人は学園長室の地下へ向かってくれ。シェイラがエイシン本国へ極秘情報を送信していた「次元の歪み」の通信残滓が残っているはずだ。それを、僕のこの魔石に記録してきてほしい」
焔光は、自身の亜空間から取り出した特製の魔石を孔明へ手渡した。
「承知いたしました。──されど、焔光殿下。上級生のシンイー、および呪術師のメイリンが、未だ貴方様の「本質」を疑い、夜間巡回を強化している模様。ご無理はなさらぬよう」
「大丈夫。僕には、最強の護衛たちがついているからね」
焔光が微笑むと同時に、客室の扉が音もなく開いた。
「よお、焔光。こんな夜更けに、女の子の部屋へ忍び込もうなんて、不埒な真似は感心しねぇなぁ?」
月光を浴びて現れたのは、癖のある金茶色の髪を揺らしたチャラ男──フォックス・シルフィードだった。彼は西辺境伯家からの極密任務「風花と焔光の護衛」を遂行するため、チャラ男の演技の裏で、極限まで神経を研ぎ澄ませていた。
「フォックスさん。どうしてここに?」
「決まってんだろ? 俺は叔母様から、お前ら大切な従兄弟を「命がけで守れ」って言われてんだ。お前、座学は天才だけど、ギフトは石礫だろ? アカデミーの奴らが裏で何企んでるか分かったもんじゃねぇ。安心しろ、このフォックスお兄さんが、裏で完璧に盾になってやるからよ」
フォックスは、「風の糸」を空間に張り巡らせ、近づく敵の足音を完全に探知する体勢をとる。さらに「無」の「狐の欺瞞」で、部屋の光を屈折させ、焔光がそこにただ眠っているかのような「完璧な幻影」を作り出した。
「(フォックスさん……僕の真の実力、本当に何も知らないんだな……)」
焔光は内心で極大の苦笑を浮かべながらも、その裏表のない純粋な「兄貴肌」の優しさに、深い感謝を覚えていた。
「ありがとうございます、フォックスさん。頼りにしています」
「おう、任せとけって!」
完璧に空回りしながらも、最高の目眩ましとして機能してくれるフォックスを見送り、焔光は自身のベッドに腰掛けた。
その膝の上に、ポン、と空間が割れて、モフモフの白い物体が飛び出してくる。
「キュウ!」
三本の尻尾を嬉しそうに振りながら、聖獣・仙が焔光の胸元に飛び込んできた。
「よしよし、セン。お留守番、偉かったね」
焔光がクッション程度の衝撃に調整した、ほんのり温かい「光弾」を指先から生み出すと、センはそれを嬉しそうに口でキャッチし、もぐもぐと美味しそうに食べ始めた。
「──さて」
窓の外、要塞のようなアカデミーの夜景を見下ろしながら、焔光の瞳が英傑の輝きを帯びる。
「財閥の処分と流通の掌握で、アカデミーの表面は抑え込んだ。あとは、隣国がこの地で何を企んでいるか……その根を、引き抜くだけだ」
皇国の「期待外れ皇子」が静かに笑うのだった。




