波乱の教室と、翡翠の打算
学園長室を後にした焔光は、1回生Aクラスの教室へと向かっていた。(途中、クラスに向かわず学園長室から焔光が出てくるのを待ち伏せた風花と一緒になるのはお約束?)
重厚な扉を開くと、教室内はすでに独特の熱気に包まれていた。皇族、皇室分家、四辺境伯、宮廷府の要職に就いてる者、大商家、の子息たち、ギフト能力が高いエリート――帝国の未来を担う若き特権階級の集まりだ。当然、正面回廊での「大賢ノエルによる抱擁騒動」の噂はすでに知れ渡っており、焔光が足を踏み入れた瞬間、教室内には突き刺さるような好奇と侮蔑の視線が集中した。
「おい、あれが噂の……」
「三大英傑に5年も教育されて、平凡な出力しか出せない『期待外れ皇子』だろ?」
「なぜそんな無能が大賢様にあれほど溺愛されているんだ……」「出来が悪く手がかかるから、大賢様の溢れる母性愛じゃないかな!」
そんな無遠慮な囁き声を、壇上に立つ男の気だるげな声が両断した。
「はいはい〜、そこまで。騒がしいのは戦場だけで十分だ。席につきな」
教壇に立っていたのは、細めのスクエアメガネをかけ、口元に「折れてクシャクシャになった煙草」をくわえた男――担任教師、エドガー・レオンハート。
学園内は禁煙であるため火はついておらず、手持ち無沙汰にただ噛んでいるだけだが、その姿からはおよそ教師らしからぬ、どこか退廃的な空気が漂っていた。
彼は【北】レオンハート辺境伯の「実の弟」であり、宮廷府からは「単独工廠」のコードネームで警戒される元超一級の危険分子(ギフト実力者)。政治劇に嫌気がさして、実家の辺境伯家から出奔し、行き場を失っていたところを学園長に拾われたため、学園長オリヴィアの命令にだけは絶対に逆らわない。
当然、彼もまた、オリヴィアの指示の元で焔光の「本質(規格外の英傑の気)」を完璧に把握している理解者の一人だった。
「俺は担任のエドガーだ。まぁ、厄介事は互いにナシの方向で頼むわ〜」
エドガーはクシャクシャの煙草をクイと動かし、穏やかな、しかし全てを見透かしたような笑みを焔光に向けた。
「じゃ、まずはそこの目立ってる二人から自己紹介といこうか」
促され、焔光が一歩前に出る。瞬と破岩に叩き込まれた完璧な宮廷作法で、彼は静かに一礼した。
「はじめまして。応心皇帝陛下が三男、蒼真が長男――焔光・フォン・アウグストです。ギフトは光属性と風属性の二つを持っています。まだ至らぬ身ですが、よろしくお願いいたします」
その完璧な礼儀作法には一同が感嘆したものの、直後に「やはり噂通り、出力は普通(平凡)なのだな」という侮りの色が教室に広がった。
続いて風花が前に出ると、その圧倒的な美貌と、蒼真家の次世代を担う天才としての佇まいに、男子生徒たちから息を呑む音が漏れた。
「風花・フォン・アウグストです。ギフトは無属性(空中遊泳)と風属性。お兄ちゃんに害をなす不届き者は、私がまとめて風で吹き飛ばします。よろしくお見知り置きを」
「(風花、最後の余計だよ……)」
焔光が心の中で頭を抱える中、エドガーは「はいはい、過保護な妹さんで結構。席はあそこだ」と、窓際の二連席を指差した。
二人が席につくと、すかさず一人の女子生徒が立ち上がり、焔光の席へと近づいてきた。
艶やかなライトグリーンのセミロングヘア。彼女が動くたびに、まるで新緑のような爽やかで甘い香りが周囲に漂う。知的なエメラルドグリーンの瞳を細め、完璧な淑女の微笑みを浮かべたその少女は――シャーロット・ヴァンダムだった。
「ご機嫌よう、焔光殿下。お隣、よろしいかしら?」
シャーロットの実家「ヴァンダム新興商会」は、同じく商家から皇帝妃へと上り詰めたカトリーヌ妃をモデルとし、財閥を上回る野望を抱いていた。両親から「妃でいいから皇室に嫁ぎ、我が家を高みへ導くのです」と過酷な英才教育(マナー、交渉、色仕掛けの基礎)を叩き込まれてきた彼女は、極めて打算的に動いていた。
(世間では「期待外れ」と噂されているけれど、腐っても皇族の三男家の長男。今のうちに彼を籠絡して妻の座に収まるのが、私の義務。私の魅力なら、これくらいの男、簡単に落とせるわ――)
そんな打算を胸の内に完璧に隠し、シャーロットは艶然と焔光に微笑みかける。
「私、シャーロット・ヴァンダムと申します。ギフトは木属性。これからの学園生活、殿下を私が色々と「お世話」して差し上げますわ?」
しかし、その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった。
教室内全体の空気が、物理的な自重を伴って「ズシン」と沈み込んだ。
「……あら? 今、お兄ちゃんに「お世話」、し・て・さ・し・あ・げ・ま・す? って言ったかしら?貴方如きがお兄ちゃんのお世話をねぇ!!」
風花の瞳からハイライトが消え、髪が風もないのに逆立つ。彼女から放たれるのは、大賢と辺境伯の母から譲り受けた、三英傑に迫るガチの威圧の気配。
さらに、タイミングを見計らったかのように、窓の外に巨大な影が降ってきた。
「焔光くぅーん! 授業が始まる前に、もう一回チャージしにきちゃったわぁ〜!」
5回生の校舎から空中転移で飛んできた大賢ノエルが、窓ガラス越しに凄まじい魔力(物理的な圧)を放ちながら、満面の笑みで浮いていた。
「ひぇっ……!?」
世界最強クラスの女二人からの、逃げ場のない「ガチの威圧」を同時に正面から喰らったシャーロットは、商家の娘らしい素のリアクションで短い悲鳴を上げた。
美少女としての余裕の笑みは完全に消し飛び、エメラルドグリーンの瞳を丸くしてガタガタと震え出す。
「おいおい、大賢様。1回生の教室にまでおしかけて、俺の仕事を増やすんじゃねえよ。学園長に言いつけるぞ」
エドガーが口元の煙草をガリッと噛みながら窓を開けると、ノエルは「ちぇー、エドガーのケチ。焔光くん、また放課後にね!」と言い残し、風のように去っていった。風花の威圧も、焔光が「風花、そこまで」と宥めたことでようやく収まる。
「う、うぅ……な、何なんですの、今の……」
涙目で胸を押さえ、今にも泣き出しそうなシャーロット。プレッシャーに押しつぶされそうな彼女の脆さが、一瞬だけ露わになった。
そんな彼女に、焔光は困ったように苦笑しながら、そっとハンカチを差し出した。
「驚かせてごめんね、ヴァンダム嬢。僕の周囲は、いつも少し騒がしいんだ。……これからよろしくね」
差し出された手の温もりと、何者をも包み込むような、底深く優しい焔光の器。
その瞬間、シャーロットの胸の中で、義務感と打算で塗り固められていた何かが、パキリと音を立てて割れたような気がした。
(な、何……? ただの無能な皇子のはずなのに、この、胸の奥が熱くなるような感覚は……?)
赤くなる顔を隠すようにハンカチをひったくるシャーロット。彼女の打算が、純粋な恋へと変わり始める最初の瞬間だった。
それを見守る教壇のエドガーは、折れた煙草を指先で弄びながら、内心でニヤリと笑っていた。
「(お前が力を隠そうが、その器のデカさまでは隠しきれねえよ、焔光。……さあて、退屈な教師生活も、少しは面白くなりそうだな)、さあシャーロットも席に着け〜、まだまだ自己紹介中だ!」
隠蔽された怪物の周囲には、初日から早くも、新たな運命の歯車が回り始めていた。




