学園長室の審問、「織姫伯母様」との密談
正面回廊であれだけの騒ぎを起こせば、当然、学園上層部の耳に入るのは一瞬だった。
焔光、風花、そして事の元凶である大賢ノエルの三人は、最高権力者の部屋――つまり、学園長室へと呼び出されていた。
重厚なマホガニーのデスクの後ろに佇むのは、現皇帝の妹であり、西の辺境伯家に嫁いでいた大貴族、オリヴィア・シルフィード学園長である。
全生徒、ひいては帝国の貴族たちからも畏怖と尊敬を集める「強き女性」である彼女は、厳格な表情で三人を見据えていた。彼女のギフト、「風」により、学園の敷地内に吹く風を通じ、学園内のあらゆる出来事を把握できる彼女にとって、先ほどの騒動の顛末などすべてお見通しだった。
「入学初日の朝から、ずいぶんと賑やかなことね。エミール・ノエル、貴女は5回生であり、世界の魔道の頂点に立つ英傑でしょう?。1回生を捕まえて、衆目の面前であのような醜態を晒すなど、大賢の名が泣きますよ」
「……申し訳ありません、学園長」
さしもの大賢ノエルも、厳格なオリヴィアの前では形無しだった。しゅん、と豊満な胸を縮こまらせて頭を下げる。だが、その視線はこっそりと隣の焔光を追っており、全く反省していないのは一目瞭然だった。
「風花もです。いくら兄が愛おしいからと、学園内で本気の「気」を放って突風を巻き起こすなど、周囲への被害を考えなさい」
「うぅ……ごめんなさい、学園長先生(伯母様)……」
風花も大賢(と母親)を師に持つ身であり、英傑に近づく力があれど、オリヴィアの放つ、有無を言わせぬ圧力を前にしては、頭を下げるしかなかった。オリヴィアの表情が、ふっと優しい笑顔になり、「それにしても、風花の風は会わない間に強く成りましたね。よく頑張っていて偉いわ。ノエルにも風花の伯母として、良き指導に感謝を…」表情が元に戻り、「さあ、ノエル、貴女は5回生の校舎へ戻りなさい。風花も、先にクラスへ向かいなさい。――焔光、貴方だけは少々、個別に話があります。残りなさい」
「はい」
ノエルは名残惜しそうに何度も焔光を振り返りながら退室し、風花も「お兄ちゃん、また後でね」と心配そうに視線を残して部屋を出て行った。
パタン、と重厚な扉が閉まる。
部屋の中に、焔光とオリヴィアの二人だけが残された。
すると、先ほどまでの張り詰めた空気が、霧散するように一瞬で消え去った。
オリヴィアは深く溜息をつくと、椅子の背もたれに体を預け、厳格な学園長から「一人の身内」の顔へと表情を和らげた。
「――さあ、焔光。誰もいなくなりましたよ。何と呼ぶべきか、分かっていますね?」
「……。お久しぶりです、織姫伯母様」
「ふふ、よく出来ました。やはり貴方のその声を聞くと、心が洗われるわ」
オリヴィアは嬉しそうに目を細めると、デスクから立ち上がり、焔光の元へと歩み寄った。そして、先ほどのノエルとはまた違う、包容力に満ちた優しい仕草で、焔光の手を包み込むように握った。
彼女の西の辺境伯家は、かつて謎の呪術によって滅びかけた際、若き日の勇帝・黎真と聖なる巫女・咲夜の二人によって救われた。その最大級の恩人の遺児であり、今は亡き最愛の甥の息子。それが、目の前にいる焔光なのだ。
世間からは「期待外れ」と蔑まれていても、オリヴィアはその本質が父をも凌駕する最強の力であること、そして双子として偽装された経緯のすべてを共有している、数少ない理解者だった。
「さあ、お掛けなさい。紅茶の良いのが手に入ってるの、今淹れましょうね。今朝焼いたクッキーもあるわ。」と嬉しそうな笑顔を向けて、そう言った。
「5年間の地獄のような修行、本当によく耐えましたね。瞬と破岩の教育は容赦がなかったでしょう。でも、貴方のその気流の隠蔽技術、見事なものだわ。私の「風」をもってしても、注意深く探らなければ、ただの平凡なギフトにしか見えない。合格点よ」
「ありがとうございます、織姫伯母様。二人の師匠には、少しでも気を抜いたら(相手の)首が飛ぶと言われていたので……」
「あの一物たちなら言いそうね。……でも、無理だけはしないで。ここは学園。貴方は「蒼真の息子」として、一人の生徒として、少しは青春を楽しみなさい」
焔光の頬を愛おしそうに撫で、優しく微笑むオリヴィア。しかし、その知的なエメラルドグリーンの瞳が、ふと真剣な光を帯びた。
「……さて、再会の喜びは、ここまでとして、裏の情勢について話しておきましょうか。焔光、貴方がここへ入学したことで、宮廷の「蟻の巣」が本格的に動き出しているわ」
オリヴィアは声を潜め、学園の窓から見える外の世界へと視線を向けた。
「長男――貴方の本当の父親である黎真が亡くなってから、次男の烈真と、三男の蒼真(貴方の表向きの父親)の間で、皇太子候補としての競り合いが激化しているのは知っているわね?」
「はい。父上(蒼真)は、伯母様と母上の実家である西辺境伯家の力もあって、なんとか対抗できていると聞いています」
「ええ。だからこそ、烈真派閥は焦っている。彼らは蒼真家の威信を落とすためなら、手段を選ばない。この学園には、東のアズラエル辺境伯家を後ろ盾に持つ、烈真派閥のアルベール・ヴァルハイトという3回生がいるわ。彼は貴方を「無能な皇子」と公衆の面前で辱め、蒼真家の評価を失墜させようと画策している」
オリヴィアの言葉に、焔光は静かに頷いた。「しかし、幾ら辺境伯家が付いていても、公然と言葉にすれば、不敬罪を問われても文句言えないのに、怖く無いのか…」先ほど回廊の遠くから、自分を睨みつけていた男の視線を思い出す。
「烈真派閥が揉み消せると思ってるみたいね。ただの愚か者だけど。それだけではないわ。摂政が率いる「宮廷府」。基本的に皇帝の味方であるはずの機関だけど……摂政の目を掻い潜り、暴走や裏切りを目論む不穏な影が潜んでいる。5年前、貴方の母上を襲った暗殺者たちの出所も、未だ完全には掴めていないの。学園内にも、その手引きをする者が紛れ込んでいる可能性があるわ」
オリヴィアのギフトは「風」と「無(空間把握・対話)」。学園内に吹く風を通じて、どんな密談も把握できる彼女が危機感を募らせている。事態はそれほど深刻だった。
「だからこそ、焔光。貴方に害をなそうとする者がいれば、私の風が即座に察知して、裏から(九条)朧を動かして処理します。」
「朧さんかあ。僕の出産時に助けてくれた、僕には命の恩人です。後で挨拶に行かなきゃ。」
「朧は今、学園の特別戦闘実技顧問(教官)として着任して貰ってます。朧も会いたがってたし、そのうち現れますよ。貴方はただ、英傑たちとの約束通り、力を隠し、平穏を装っていなさい」
「……分かりました。でも、もしも僕の周囲の人たち、風花や、僕を信じてくれる人にまで害が及ぶようなら」
焔光の瞳の奥で、父譲りの圧倒的な「無」の気配が、一瞬だけ揺らめいた。
「その時は、僕の力で終わらせます」
その頼もしくも、あまりに強大すぎる少年の言葉に、オリヴィアは再び優しい笑みを浮かべた。
「ええ。その時は、お前の好きになさい。……さあ、話は終わりよ。クラスへ行きなさい。私の可愛い、焔光」
オリヴィアに見送られながら、焔光は学園長室を後にした。
隠蔽された最強の力と、動き出す宮廷や烈真派閥の陰謀。少年の、激動の学園生活が本格的に幕を開けた。




