お迎えと杏色
『デカマギア・アカデミー』との交流武術大会は、皇立学園の、圧倒的な勝利と焔光の大いなる「強運」の証明という形で幕を閉じた。
中央宮廷府ではカトリーヌ妃、蒼真、第一皇女・紗夜、そして摂政の四名による、メディチス財閥への「国家正式調査」が本格的に開始されていた。
皇帝・応心の命により、未だ動乱の余波が残る烈真の屋敷から、次女である七歳の少女――恵海里を、学園へ保護を兼ねて呼び寄せることが決定した。
「お兄様、お洋服に少し埃がついておりますわ。私が風の力で綺麗に払い落として差し上げますから、じっとしていてくださいね」
皇宮の広大な回廊を歩きながら、風花・フォン・アウグストが過激なまでの熱量(狂信)を孕んだ瞳で、兄・焔光の身なりを整えていた。彼女の周囲には、お兄ちゃんへの愛が暴走するあまり、時折空間を歪ませるほどの鋭い「風」の気が微細に爆ぜている。大会後、焔光を侮辱する声を上げた不届き者達を風の刃で衣服ごとズタズタにした彼女の怒りは、未だ完全に鎮火したわけではない。
「ありがとう、風花。でも、そんなに警戒しなくても大丈夫だよ。ここは皇宮の、それもおじい様(皇帝)の膝元なんだから」
そんな会話する焔光の足元では、モフモフの白い翼を持つ聖獣・仙が、焔光の亜空間(格納庫)の扉を勝手にヒョコッと開けて顔を出し、満足げに「キュイン♪」と鳴いて顔を擦り付けていた。
二人が案内されたのは、皇宮の最奥、最高権威の象徴たる皇帝の執務室だった。
「おお、焔光、風花。よくぞ参った」
玉座に腰掛ける皇帝・応心は、白髪を湛えた厳格な老躯でありながら、その全身から圧倒的な覇気を放っていた。彼が即位した際に授かった絶対の権能、自身の「光」と融合した皇帝固有能力「皇帝覇気(光)」。覇気にのまれた者は、いかなる高出力のギフト保持者であっても出力を強制低下させられ、ひれ伏すしかなくなる。
だが、その絶対の皇帝が、孫たちを前にした瞬間に、優しげに目を細めた。
「大会での見事な「強運」、見事であった。誇らしく思うぞ」
「恐れ多いお言葉です、皇帝陛下(おじい様)」
焔光が完璧な皇族の作法で一礼する。応心は頷き、本題へと表情を引き締めた。
「烈真のしでかした愚行により、その家族もまた、茨の道を歩むことになる。……特に次女の恵海里だ。あの幼き子は、烈真家を包む不穏な空気を敏感に察知し、怯えておる。からくり人形を操る才能は本物だが、まだわずか七歳の子供。烈真の失脚により、周囲の者たちの汚い権力闘争の道具にされる前に、お前たちの通う学園へと引き取り、保護させたい。」
皇帝は真っ直ぐに焔光を見つめた。
「焔光よ。恵海里は、お前たち兄妹に最も懐いていると聞く。あの子の心を、その優しい器で救ってやってくれぬか。学園長である織姫にも、すでに話は通してある」
「御意に。恵海里は僕の大切な従妹です。必ず、僕たちの手で守り抜きます。…その事でお願いが…恵海里を守る為、一緒に伴う人選は、此方で決めさせて頂きたく。)
焔光の迷いのない言葉に、皇帝は満足そうに深く頷き、二人に許可の書状を手渡した。
だが、執務室を辞し、恵海里の待つ客宮へと向かう回廊の途中で、二人の前に影が立ち塞がった。
「――お待ちなさい、焔光、風花」
冷徹で、どこか悲痛な執念を宿した声。そこにいたのは、烈真の失脚により急速に衰えを見せる、皇帝妃カトリーヌだった。財閥家系の出身であり、烈真の母である彼女の瞳には、我が子と実家の財閥を救いたいという母親として財閥女帝としての切実な想いと、それを阻む蒼真家への昏い怨恨が混ざり合っていた。
「烈真をあのような地下監獄へ追いやり、今度はあの子の子供たちまで奪おうというのですか? 蒼真家の方々は、どこまで私達から強奪していくのですか?」
「カトリーヌ妃殿下、お言葉ですが、これは皇族全体のお話しです。しかも、これは皇帝陛下の正式な勅命なのです。」
風花が冷ややかに遮り、一歩前に出る。その足元から、カトリーヌの動きを牽制する不可視の風の糸がピキピキと走り始めた。
「……ふん、陛下を味方につけて勝ち誇るが良いわ。ですが、我がメディチス財閥は、これしきの調査で潰れはしません。我が子烈真の命、そしてこの財閥の誇りは、私が必ず守ってみせます」
カトリーヌ妃が歪んだ愛の執念を燃やして去ると、入れ替わるようにして、廊下の先から艶やかな笑みを浮かべた女性が姿を現した。
烈真の妻であるシェイラ・フォン・アウグスト。
「あらあら、手厳しいお義母様(カトリーヌ妃)ですこと。……ですが、焔光殿下。我が娘、恵海里を学園へ連れて行かれるというお話、母親として少々寂しいですわね。あの子は物静かで、実家の素晴らしい教育を受けている最中なのですから」
シェイラは、冷徹な瞳を妖艶な笑みの裏に隠しながら言ったのだった。
「シェイラ叔母様。恵海里が家の不穏な空気に怯えているのは事実です。ご実家のメディチス財閥が落ち着くまでは学園で、僕たちと一緒に過ごす方が、あの子の為になります。」
焔光が淡々と告げると、シェイラはフッと目を細めた。
「そうですか。……ならば、せめてもの母親の情です。あの子の身の回りを世話する為に学園に連れて行く侍女は、私が優秀な者を選びますわ。」
「いえ、連れて行く侍女は、恵海里の今の専属侍女であるローゼを連れて行く予定ですので、そちらもご心配なく」
「…我が家の侍女を勝手に…あんな線の細い、何もできない侍女を連れて行っても、学園では足手まといになるだけですわ。私は承諾できません」
「それは出来かねます!」
遮ったのは、焔光たちの背後に音もなく付き従っていた、若き専属執事、孔明だった。
「闇」を操り、影に潜む隠遁術と闇の壁で対象を守る、特務機関「鵺」の元エース・九条朧の直弟子。
「恵海里殿下の精神的な平穏のためには、日頃から最も信頼を寄せているローゼ殿の同行が不可欠。これもまた、陛下の許可の内に含まれております」
孔明が冷酷に言い放った、その瞬間だった。
「――随分と大きな口を叩く執事だね」
重苦しい空気の振動と共に、通路の奥から一人の少年が、数人の従者を引き連れて歩いてきた。烈真の長男である、海流。烈真派閥の次世代筆頭でありながらも、弟のガルシアへの過剰な周囲の期待に激しい焦燥を抱く、鋭利な刃物のような少年だった。
「海流兄上……」
「黙れ、期待外れの焔光。お前が武術大会で「たまたま」勝ったからといって、調子に乗るなよ。お前のような無能が皇族の面皮を被っているだけで反吐が出る」
海流が激しい火の気を周囲に滾らせる。
その海流の背後から、完璧な給仕の所作を崩さない一人の女性――メディチス財閥出身であり、海流の筆頭侍女であるシグネ・ヴァルアが、一歩前へと進み出た。
「武術大会では、ご活躍だそうで。……ですが、皇宮の回廊は少々、足元が滑りやすくなっておりますので、お気をつけなさいませ」
シグネが慇懃無礼に微笑んだ、まさにその刹那。
彼女の衣装のあちこちから、手のひらサイズの重い魔鋼製の「鉄球」が、音もなく数個、滑り落ちた。シグネの「機」のギフト(錬金術)が発動し鉄球が変形生成される。一瞬にして、空気を切り裂く鋭利な暗殺剣へと形状を変え、焔光の足元を狙って超高速で射出された。
傍目には、たまたま落とした鉄球が、事故で跳ね返ったかのように見せかけた、極めて冷徹な「警告」の奇襲。
キィィン!!
だが、その刃が焔光に触れるよりも早く、焔光の影が爆発的に跳ね上がった。
「――我が主の前で、その玩具を片付けろ」
孔明のギフト「闇」が瞬時に発動し、焔光の目の前に強固な「闇の防壁」を展開した。シグネの放った可変暗殺剣は、その絶対的な闇の壁に激突し、不気味な火花を散らして床へと弾き落とされる。
「……あら、見事な反応ですこと」
シグネの衣装の袖から、再び複数の鉄球がチリチリと錬金術の音を立てて出現する。
「これ以上、主に不敬を働くのであれば、この影の中に沈めるぞ?」
孔明の瞳が完全に漆黒の闇へと染まり、二人の間で、息を呑むような殺気の気流が激しく衝突し、回廊の空気をガタガタと細かく震わせた。
「そこまでにしなさい、シグネ。海流も、これ以上醜態を晒すのはおやめ。――行きましょう」
シェイラが冷酷に命じると、シグネは一瞬で鉄球を衣装へと収め、孔明を冷たく睨みつけながら、海流と共に去っていった。
「……お兄様、今すぐあの者たちを風の糸で細切れに――」
「いいよ、風花。孔明が守ってくれたし、僕たちは恵海里を迎えに行くのが仕事だからね」
焔光は何事も無かったが如く、シレッと歩き出した。
恵海里の待つ客宮の扉を静かに開けた。
「……あ、焔光お兄様……風花お姉様……!」
部屋の隅で、手乗りサイズの愛らしいからくり人形をぎゅっと抱きしめながら、怯えたように座っていた七歳の少女――恵海里が、二人を見るなり顔を輝かせて駆け寄ってきた。その隣には、物静かでどこか儚げな雰囲気をまとう、清潔感のある黒髪の少女――恵海里の専属侍女、ローゼが静かに控えていた。
ローゼは、メディチス財閥からの監視や圧迫、そして「余計なことを吹き込めば命はない」という脅迫により、肉体的にも精神的にも極限の軟禁・監視状態に置かれ、今にも折れてしまいそうなほど線が細くなっていた。だが、彼女の「無」のギフトによる極小の「静寂の壁」は、自身の周囲に、物理的な干渉や「音・視線」を完全に遮断し、二人だけの静かで安全な空間を作り、今日までエミリ個人を絶対に守るという強い意志で、この部屋の安全を護り続けてきたのだ。
「恵海里、もう大丈夫だよ。一緒に学園に行こう。美味しいお茶処もあるし、そこには面白い玩具を作ってくれるノアっていうお姉さんもいるんだ」
焔光が優しく微笑み、恵海里の小さな頭を撫でる。
「うん……! エミリ、お兄様たちと一緒に行く……!」
恵海里は初めて、その瞳に安堵の涙を浮かべて深く頷いた。
「ローゼ殿。貴女も一緒です。荷物をまとめなさい」
孔明の言葉に、ローゼは信じられないというように目を見開き、それから、焔光と風花の圧倒的な器、そして自分たちに差し伸べられた一縷の望みに、深く頭を垂れた。
「……はい。この命に代えましても、恵海里様とお二人にお仕えいたします」
こうして、烈真家の闇から、幼き次女、恵海里と、その唯一の理解者であるローゼの救出が完了した。
夕暮れ時、皇宮を後にする蒼真家の馬車の中。
恵海里は焔光の膝の上で、からくり人形を抱いたまま、安心しきったように穏やかな寝息を立てていた。その横では、風花が「これでお兄様の可愛い従妹が一人増えましたわね(でもお兄様の隣は私のものですわ)」と、もやもやとした愛の重さをフンスフンスと募らせている。
「ローゼ。学園に着いたら、まずはゆっくり休むといいよ。あそこは、風がよく通る、とても安全な場所だからね」
焔光の優しい言葉に、ローゼは杏色の夕日に染まる車窓を見つめながら、胸の奥に眠る不屈の意志を、今度こそ正しい主のために捧げることを、静かに誓うのだった。
馬車は、次なる激動の舞台――交換留学生を待つ【聖アウグスト皇立魔導武官学園】へと向けて、静かに走り去っていった。




