黒き残滓と白き翼
新たな剣技を身につけた翌日、聖域を包む朝霧はいつも以上に濃く、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
この日、焔光は姉弟子である神楽凍華の案内に従い、文と結界術を司る名門・御神家が管理する、島で最も神聖な領域へと向かっていた。
目的地は、始祖の島の中央に位置する「神託の祠」。
「ねえ、焔光。本当にどこも痛むところはないの? 昨日は迅徹のじい様も師匠も、あなたに無茶な打ち込みをさせて……。もし少しでも体調が優れないなら、屋敷でゆっくり休みましょう」
道すがら、凍華は焔光の顔を覗き込み、過剰なまでの心配を口にしていた。プロポーション抜群の身体をこれでもかと近づけ、焔光の手や肩に触れて怪我がないかを執拗に確認してくる。
「あはは……大丈夫だよ、凍華お姉ちゃん。昨日も言ったけど、かすり傷一つないし、至高の治癒術もあるからピンピンしてるよ」
「それなら良いのだけれど……。あなたはいつも「シレッ」と平気な顔をして、裏でとんでもない無茶をするんだから。お姉ちゃんは心配でたまらないわ」
凍華はふんすと風花みたいに鼻を鳴らしつつも、この邪魔者が居ない贅沢な空間を噛みしめるように、嬉しそうに焔光の隣を歩き続けた。
やがて、鬱蒼とした神木林を抜けた先に、周囲を何重もの巨大な注連縄と、圧倒的な密度の光結界で遮断された古びた社が見えてきた。御神家当主、御神操が静かに微笑みながら一同を待っていた。
「ようこそおいでくださいました、焔光殿下。……そして凍華もな」
「操おじい様、おはようございます」
挨拶を交わす二人だったが、焔光は祠の鳥居をくぐった瞬間、自身の「気流読み」によって、その場の空気に混ざり込む「不穏な歪み」を即座に感知していた。
(……この、かすかに肌を刺すような、粘り気のある嫌な気。東辺境伯邸でマルキ・ド・サレから漂っていた「魔人」の気と同じだ。すでに、この聖域の心臓部にまで奴らの陰謀の手が伸びているのか?)
焔光が漆黒の瞳をわずかに細めた。サレとルシアンが仕掛けた船上強襲は事前にシレッと粉砕したものの、奴らの真の狙いは単なる皇族の暗殺だけではなかったのだ。
御神操は焔光の視線の鋭さに気づいたのか、深く息を吐き、静かに語り始めた。
「焔光殿下、お気づきになられましたな。……実はここ数年、祠の結界の基盤が、少しづつ外側ではなく「内側」から揺らいでおります。これは、魔王の残党である魔人たちが、この島に眠る「始祖の真実」を揺るがそうと呪術の楔を結界に少しづつ打ち込んでいる証拠なのです」
「始祖の真実、ですか?」
焔光の問いに、操は厳かに頷いた。
「代々、我が御神家が管理する最古の歴史の記録には、こう記されております。人類初のギフトを神から授かった初代皇帝――始祖がこの国を統べることができたのは、その強大すぎるギフトの力だけではない。神から直接、皇国の「地脈の楔」を護る、白い翼を持った聖獣を託されたからだと。魔人たちの狙いは、この祠の奥に眠る聖獣の力を汚染し、皇国全体の気流を崩壊させることにあります」
「なるほどね。……それじゃあ、これ以上奴らに好き勝手させるわけにはいかないな」
焔光は心の中でそう呟くと、操の案内で祠の最奥、地脈の気が噴き出す「神託の間」へと足を踏み入れた。
凍華と操が厳かな面持ちで見守る中、焔光が祭壇の前に進み出た、その時である。
祭壇の奥の空間が、前触れもなくぐにゃりと歪んだ。
「キサマ……我が主らの計画を阻む、忌々しい皇族の種め……!」
地脈の底から湧き上がるような、おぞましい魔人の声。サレが事前に商品の搬入時に少しづつ仕込んで来たと思われる、結界を内側から腐食させるための悪質な「呪術の残滓(魔人の気の塊)」が、実体を持ったドロドロとした黒い霧となって焔光へと襲いかかった。
「焔光――!?」
凍華が即座に刀を抜こうとしたが、空間ごと凍らせる彼女の剣技よりも、焔光の対応は遥かに「シレッ」としていた。
(ここは、身内だけの空間だ。遠慮なく消させてもらうよ)
焔光は全く動じることなく、右手をスッと前方に突き出した。昨日、一ノ瀬の道場で開眼したばかりの究極の絶技――「次元刀」の応用。
彼は武器を持つことなく、ただ指先を横になぞるように振るった。
パキィン――!
美しいガラスの割れるような音が響き、黒い霧の目の前の空間そのものが、物理的に真っ二つに両断される。切り裂かれた空間の裂け目の向こう側には、虚無の「亜空間」が顔を覗かせていた。
「黒孔弾」焔光は、ブラックホール光弾を複数つくりだした。、
「な、何だと!? 空間を切り裂――」
魔人の呪術の残滓は、その言葉すら紡ぎ終える前に、次元の裂け目が放つ圧倒的な吸引力によって、一寸の残滓も残さず亜空間の奥底へと吸い込まれ、完全に無へと還されていくなか、一緒に黒孔弾を裂け目に放り込むのだった。さらに、至高の浄化術「神聖なる浄化」の気を祠全体に優しく馴染ませ、腐食しかけていた地脈の汚れを綺麗さっぱりと清めていく。
「……信じられない。空間そのものを、指先一つで切り裂いて無に還すなんて……」
凍華は呆然と呟き、御神操もまた、驚愕のあまり身体をがたがたと震わせた。勇帝と聖なる巫女の血を引き、四英傑の力を宿した少年は、老人たちの想像を遥かに超える神域の強さに達していた。
凍華、操は知らないが、亜空間に放たれた黒孔弾は、魔人の呪術の残滓から発生元である聖域から遥か先のエイシン国のとある場所にある巨大魔法陣とその周りで儀式を執り行う者達のもとに亜空間から転送され、魔法陣もろとも、消し去さるのだった。
静寂を取り戻した祠の奥。地脈の霧が晴れた祭壇の中央から、今度は温かく、どこまでも清らかな白い光が溢れ出した。
その光の中心から、トコトコと、目に見えない足場を蹴るようにして、小さな生き物が現れた。
「ミィ……?」
それは、全身が雪のように真っ白で、モフモフとした極上の毛並みを持つ小さな子狐の姿をしていた。お尻には、ふさふさとした3本の尻尾が嬉しそうに揺れている。さらに特徴的なのは、白い仙人のような長い眉が顔の横側から後ろに向けて流れるようにピンと伸び、綺麗に輝いている。そして背中には、まるで天使のような、愛らしい一対の白い翼が生えていた。
「あら……? 可愛い……」
凍華が思わず頬を緩める。そのモフモフの生き物は、大空を駆け回るようにトントンと宙を歩き、まっすぐに焔光の前までやってくると、その小さな鼻を焔光の指先に擦り付けた。
(懐かしい気……お父さんと、お母さんの結界と同じ優しい匂いがする)
焔光が「気流読み」でその小さな聖獣の魂に触れた瞬間、言葉ではなく、純粋な感情が流れ込んできた。この小さな聖獣は、15年前に聖なる巫女が赤ん坊の焔光に張った結界の「気」を覚えていたのだ。始祖の時代からこの祠で眠り、地脈を護ってきた聖獣は、最近自身を縛っていた魔人の呪縛から救い出してくれた焔光を、最初から「自らの主」として認識していた。
「ミィ!」
愛らしく鳴いた子狐は、焔光が手をかざすよりも早く、自ら空間の隙間を器用にこじ開けると、焔光が常に展開している「亜空間(格納庫)」の中へと、楽しそうにダイブしていった。どうやら、そこを自身の新たな棲処として完全に気に入ってしまったらしい。
亜空間の中から、「ここ、すっごく居心地がいいみぃ!」という至福の感情が脳に直接伝わってくる。
「ほっほっほ……。まさか、始祖の聖獣が自ら主を選び、その懐に飛び込むとはな」
御神操は感極まったように涙を拭い、深く頭を下げた。
「焔光殿下、その聖獣こそが、我が皇国の地脈を護る象徴。どうか、その子に新たな名を与え、共に歩んでやってくだされ。」
焔光は自身の亜空間へと意識を向けた。格納庫の中で、真っ白な翼をパタパタとさせながら、主の呼びかけを待ちわびているモフモフの子狐。
「眉が真っ白で仙人のように長いから……。よし、君の名前は「仙」だ。これからよろしくね、セン」
名前を呼ばれた瞬間、亜空間の中でセンは「ミィィ!」と大喜びで鳴き声を上げた。嬉しさのあまり、自分でも小さな光弾を生み出すと、それを器用にハート型や星型に可愛く成形して、焔光に見せびらかすように亜空間の中でトコトコと踊り狂っている。さらに、主が放つ「クッション光弾」の優しい気の匂いを嗅ぎつけ、それが大好物だと言わんばかりに「クッション光弾、作って、それちょうだいみぃ!」とおねだりをしてくる始末だった。
「ふふ、可愛い相棒ができたわね、焔光。……でも、コレからは、その子にも過保護に迫られちゃうかしら?」
凍華が少しだけ嫉妬深そうに、しかし愛おしげに微笑んだ。
不穏な魔人の陰謀をシレッと空間ごと切り裂き、皇国最古の聖獣「仙」を新たな相棒として迎え入れた焔光。聖域で新たな力を獲得し、聖域での日々を過ごすのだった。
白羽を仙に名前変更しました




