東海と崩壊
少し長めです
東方領の軍港から、重厚な汽笛が波間に響き渡る。聖域、始祖の島への出発。
用意された公用船は計3隻。
先頭を行く一号船には、皇太子候補たる皇族三男の蒼真、その息子である焔光、そしてジーク・シルフィードが率いる「蒼天碧流騎士団」の精鋭たちが乗り込んでいる。二号船には、里帰りを兼ねた「剣聖」一ノ瀬瞬とその愛弟子である神楽凍華、そして残りの騎士団員が乗船。最後の三号船は、皇族の身の回りの雑務や補給物資を取り扱う複数の雑務係が乗り込んでいたが、その実態は、一般の給仕に化けた皇宮直属特務機関「鵺」の精鋭たちであった。これら3隻の本船を、最近、蒼真管轄に再編された海域警備隊から派遣した6隻の警備船が前後左右を固めるという、厳重極まりない航路陣形である。
「ねえ、師匠。どうして私が焔光と別の船に乗らなきゃいけないのよ。同じ船でゆっくりお話しする絶好のチャンスだったのに」
出港直前、二号船の甲板で、神楽凍華はあからさまに不満げな表情を浮かべていた。氷色の美しい髪を潮風に揺らしながら、一号船の窓を見つめて頬を膨らませている。学園ではノエルや風花に阻まれ、昨夜ようやく二人きりになれたと思えば、旅路の同船まで阻まれ、イライラが頂点へと近づくのだった。
隣で瞬(剣聖)は「お前な〜、相手は皇族の要人だぞ。騎士団の配置バランスってものがあるんだよ。諦めて潮風でも浴びてろ」と気怠げに首の後ろを掻いていたが、凍華の焔光への執着には内心で苦笑するしかなかった。
港が水平線の彼方へ消え、出港から数時間が経過した頃。
一号船の豪華な船室にて、焔光は「船酔いをしてしまったので、少し休ませていただきます」と告げ、室内に引き籠っていた。
もちろん、船酔いなどただの言い訳である。
「さて、と。それじゃあ、害虫駆除といこうか」
誰もいなくなった室内で、焔光は気弱な皇子の表情を消し去った。ベッドの脇に立ち、亜空間から取り出した黒装束へと素早く着替える。最後に、顔の輪郭をすっぽりと覆い隠す、不気味な漆黒の仮面を装着した。
焔光が軽く指を弾くと、周囲の空間が水面に石を投じたかのようにぐにゃりと歪む。無属性のギフトによる亜空間の扉。彼はそのまま、現実世界の物理法則を完全に無視して、その裂け目へと足を踏み入れた。
次の瞬間、焔光が姿を現したのは、三号船――雑務係たちの乗る船の、奥まった一室だった。
部屋の薄暗い陰から、音もなく数名の男女が滑り出てくる。特務機関「鵺」、その部隊である。彼らもまた、夜闇に溶け込むような隠密装束を身に纏っていた。
「お待ちしておりました。事前にお伺いしていた通り、メディチス財閥とエイシン国の隠密部隊、および伏兵の配置、すべてこちらの「鵺」の網でも捕捉しております」
「うん。昨夜、サレの部屋からちょいと計画書を拝借しておいたからね。場所は完全に割れてる。……さ、行こうか。」
「御意に」
漆黒の仮面の奥で焔光が微笑む。彼が指を弾くと、皆の足元から亜空間が広がり、一瞬にしてその身体を飲み込んだ。
向かった先は、公用船から数海里離れた、海域の死角となる岩礁地帯。そこには、東辺境伯家の政務長であるルシアン・バルテルが偽造通行証を発行して引き入れた、サレの私兵たちと、隣国エイシン国が送り込んできた精鋭隠密部隊の乗る複数名の暗殺船が、息を潜めて待ち伏せしていた。
彼らは、標的の船が難所「鳴門の渦帯」に差し掛かり、足が鈍った瞬間に一斉に強襲を仕掛ける手筈だった。
だが、彼らの完璧な奇襲計画は、開始される前に完全な絶望へと変わる。
暗殺船の甲板に、突如として音もなく展開された亜空間の裂け目。そこから、黒装束に漆黒の仮面をつけた異形の少年と、複数名の部隊が出現した。
「なっ、何奴――!?」
エイシン国の隠密が動作を開始しようとした瞬間には、すでに勝負は決していた。
「鵺」の因果遮断の結界術が船全体を覆い、周辺すべてが外界から完全に隔離される。
鵺の部隊が音もなく散開し甲板上のすべての影が鋭い刃、あるいは漆黒の蛇となって跳ね上がり、暗殺者たちの肉体を容赦なく貫き、拘束していく。
「敵襲! 敵襲だァ!」鵺が動き始めてから数十秒遅れて、事態を察知する暗殺者と財閥の私兵達。
混乱する彼らがギフトを発動しようとするが、それよりも早く、仮面の少年――焔光が動いた。
焔光は自身の固有能力である「気流読み」によって、敵がギフトを発動するために練り上げようとする「気」の根源的な流れを一瞬で看破。敵の気の流れを指先一つで完全に遮断、あるいは無効化していく。
「が、あ……っ!? 気、気が練れん……!」
「嘘だろ、何だこの化け物は!?」
ギフトを封じられ、ただの無力な人間と化した暗殺者や私兵たちに対し、焔光と転送されてきた「鵺」の精鋭たちは容赦なく牙を剥いた。一切の慈悲は無い。皇族の命を狙い、国家を内側から乗っ取ろうとする者どもへ下されるのは、絶対的な「死」のみである。
わずか数分の蹂躙。エイシン国の精鋭も、財閥の私兵も、悲鳴一つ結界の外に漏らすことを許されぬまま、甲板の上でことごとく物言わぬ肉塊へと変えられていった。
「残りの船の処理は任せるよ。僕はちょっと、海のお掃除をしてくる」
「はっ。死体および船の処分、完璧に執り行います。……お気をつけて」
「鵺」をそれぞれの配置へと亜空間で帰還させた後、焔光は一人、暗殺船の縁から暗い海へと静かに身を投げた。
ドボン、という音は響かない。
焔光の身体の周囲には、無属性の絶技によって生成された、ごく薄い「絶対防御障壁」が展開されていた。この障壁は、迫り来る水圧も海水もすべて「亜空間へ吸収して無に還す」ため、海中にありながら彼の衣服や髪は一滴の水分すら通さず、完全に乾いたままである。
焔光が海中を深く潜っていくと、そこにはメディチス財閥の秘密研究所で非道な肉体改造を施され、飼い慣らされた獰猛な魔獣――「魔魚」の群れと、凶暴化した数匹の巨大魚が、公用船の船底を食い破るために獰猛な牙を剥いて待機していた。
(本当に、ドロドロとした嫌な気を出してるな〜。メディチスも、こんな不気味なものを海に放つなよ〜!本当に悪趣味だこと。)
漆黒の仮面の奥で、焔光の瞳が冷たく光る。
彼は海中で、右手をそっと前方に突き出した。
「光よ、集え。――黒孔弾」
海中であるため、声は振動となって周囲に伝わるだけだが、彼の放ったギフトの威力は規格外だった。
焔光の指先から放たれた複数の光弾。それは精密な軌道コントロールによって魔魚たちの中心へと着弾した瞬間、空間を強烈に歪ませる極小のブラックホールへと変化した。
ゴ、ォォォ、と海中に凄まじい水流の渦が発生する。
暴走した魔獣や巨大魚たちは、その圧倒的な重力の前に逃げる術すら持たず、肉体も、魂も、放っていた邪悪な気も、すべてがブラックホールの中心へと吸い込まれ、一瞬にしてこの世界から消滅した。
それだけではない。焔光はさらに、至高の治療・浄化術「神聖なる浄化」の気を海中に解き放った。魔魚たちが撒き散らしていた汚れた血や魔王の邪気が、眩い光の波動によって完全に清められ、透き通った美しい東方の海へと戻っていく。
「ふぅ……こんなもんかな」
周囲の海域に、一匹の魔獣の気配も残っていないことを確認し、焔光は満足したように呟いた。
彼は再び亜空間の扉を開き、一号船の自身の船室へとシレッと帰還した。黒装束を脱ぎ捨て、再びいつもの気弱そうな皇子の服に着替えてベッドに潜り込む。外で天災規模の無双劇が行われていたなど、誰も気づきようがなかった。
やがて、公用船の一団は、海域の難所として名高い「鳴門の渦帯」へと差し掛かった。
激しい白波と、あちこちに発生する巨大な潮の渦。船の速度が物理的に落とされ、進軍の足が鈍る。
計画では、ここでサレの私兵、エイシン国の隠密、そして魔魚の軍勢が一斉に襲いかかり、公用船を壊滅させるはずだった。
だが――。
「突撃ィ! 皇族の船を襲え! 金を貰った分は働けー!援軍が来たら、金目の物だけ奪って、速やかに撤退だー!」
渦の合間から現れたのは、サレたちが「金で雇った」、ただの目眩ましの壁。地元の浅ましい海賊船の数隻のみであった。
海賊たちは、計画通りに自分たちが突撃すれば、周囲から強力な財閥の私兵や、エイシン国の精鋭、さらには恐ろしい魔魚の大軍が同時に現れて、公用船を挟み撃ちにするものとばかり信じ込んでいた。
しかし、いくら海を見渡しても、味方の姿はどこにもない。海面は不自然なほどに美しく澄み渡っている。
「おい、話が違うぞ!? 財閥の応援部隊はどうした! 魔獣はどこへ行ったんだよ!?」
「知るか! クソッ、前方の騎士団の構えを見ろ! 本気だぞ!」
海賊たちからすれば、完全に梯子を外された状態だった。
待ち受けているのは、一切の奇襲を受けず、無傷で万全の体制を維持している皇国最強の「蒼天碧流騎士団」と、警備船6隻による鉄壁の防陣である。さらに二号船からは、里帰りがてら乗船していた「剣聖」一ノ瀬瞬が、甲板から凄まじい覇気を放って海賊たちを睨みつけていた。
「おいおい、どこの馬鹿かと思えば、ただの海賊風情が皇族の船に牙を剥くか。凍華、やっておしまい!」
「ええ、喜んで。此方はイライラ全開。焔光の旅路を邪魔する不届き者は、全員凍らせてあげるわ」
凍華が「水」と「無(氷結)」の発展系ギフトを発動する。彼女が手をかざした瞬間、鳴門の渦帯の激しい白波が一瞬にして巨大な氷の槍へと姿を変え、海賊船の退路を完全に塞いだ。ジーク率いる碧流騎士団の精鋭たちが、暴風の加護をまとって海賊船へと飛び移り、瞬く間に彼らを制圧していく。
戦闘というのもおこがましい、海賊たちはあっさりと全員が捕縛された。
そして、降伏した海賊船の船長室を騎士たちが捜索した際、決定的なものが発見される。
何故か、海賊たちが隠し持っていた宝箱の底から、エイシン国の最高機密印が押された「今回の皇族襲撃計画書の控え」と、ルシアン・バルテルが発行した「偽造通行証の控え」が、これ見よがしに転がり出てきたのだ。
もちろん、これらは先ほど焔光がサレの部屋から亜空間経由でシレッと盗み出し、海賊船に放り込んでおいた「完璧な証拠」であった。
「殿下、ジーク団長! 大変なものが見つかりました!」
届けられた書類の数々を目にした蒼真とジークは、その内容の生々しさに息を呑んだ。そこには、東辺境伯領の政務長ルシアンの名前、そして財閥顧問サレの署名、さらには隣国エイシン国が関与している動かぬ証拠が克明に記されていたからだ。
「……ここまで、完全に根を張られていたか」
蒼真は悔しげに拳を握りしめた。だが同時に、この決定的な証拠があれば、これ以上メディチス財閥やルシアンたちの暴走を許さずに済む。
一団は、いったん聖域(始祖の島)の近くの安全な海域まで船を進め、そこで今後の対応を協議した。
このまま全員で引き返すわけにはいかない。蒼真、焔光の聖域訪問という大義があり、始祖の島での地固めも最優先事項であるからだ。
「ジーク、貴殿の率いる碧流騎士団の精鋭と、6隻の警備船は、この捕らえた海賊と証拠を持って、直ちに東方の中央へと戻ってくれ。そして、この証拠を宮廷府(摂政)へ即座に転送し、マルキ・ド・サレを中心としたメディチス財閥の関係者、および政務長ルシアン・バルテルを直ちに拘束、取り調べを行わせるんだ」
「承知いたしました、蒼真殿下。ですが、東辺境伯イザーク様の処分はどうなさいますか? 彼の印もありますが……」
「イザーク辺境伯自身は、弟のイゴールを人質(洗脳)に取られ、利用されていた側面が大きい。それに、東の防人を今すぐ完全に失脚させれば、それこそエイシン国の思う壺だ。取り調べや拘束は、あくまで東辺境伯家の中に留めて行うよう、宮廷府へ上奏し、私が東辺境伯領に戻る迄待つように!イザーク辺境伯には、己の領内の泥を自ら吐き出してもらう」
「最も聡明なご判断です。では、これより我らは反転し、害虫どもの巣を叩き潰しに戻ります!ただ、計画書には、財閥やエイシン国の部隊や、何やら「魔魚」なる魔獣迄が投入される予定だったんですが、来なかった、何処行ったんでしょ?海賊騙しても捕縛されるだけで、あちらに得なんて無いんですが……まぁ、奴らを捕らえて問い詰めるか。」
ジークは力強く一礼すると、碧流騎士団の精鋭たちを伴って警備船へと移った。
焔光は、「ありゃあ、問い詰めるのね。戻ったら軽く誤魔化しいれるかあ」と独り言を呟いた。
こうして、強力な証拠を中央へ送り届け、裏切り者たちの排除への布石を完璧に打った状態で、蒼真、焔光、そして剣聖と凍華を乗せた公用船は、夕日を浴びながら、神聖なる【聖域(始祖の島)】へと向かって再び静かに舵を切るのだった。




