東の心労と剣の心労
少し長めです
皇国東方の空は、常に重く湿った潮風を孕んでいる。
現皇太子候補である皇族三男、蒼真・フォン・アウグストが率いる一団は、ひたすらに東へと馬を走らせていた。その中心にいるのは、蒼真の私兵騎士団であり、堅牢な集団防壁陣形と圧倒的な生存率を誇る「蒼天碧流騎士団」。 ひときわ刃物のような鋭い眼光を光らせる西辺境伯家の次期当主候補、ジーク・シルフィードが団長としてその傍らに控えている。
その側の豪華な馬車の中でシレッと外を眺めているのが、焔光・フォン・アウグストであった。
「――来るぞ。前方、街道の林からだ!」
ジークの鋭い声が響くと同時に、碧流騎士団の面々が一糸乱れぬ動きで防陣を敷く。
林を割って現れたのは、巨大な甲殻を持った複数匹の魔獣だった。どす黒い気を放ち、「カチ!カチ!」と鋭い爪同士を鳴らして騎士たちへ飛びかかる。
だが、蒼天碧流騎士団の連携は完璧だった。
蒼真が軽く手を掲げると、彼の周囲に鉄壁の暴風障壁「風神の加護」が展開される。
「各員、慌てるな。いつも通り陣形を維持し、確実に各個撃破せよ」
蒼真の穏やかだが威厳に満ちた声が響く。ジークが「風と水」の2属性を解放し、細剣に水を刃のように纏わせて神速の突きを放った。一瞬にして魔獣の堅牢な甲殻がウォーターカッターと化した刃に両断され、汚れた血が吹き飛ぶ。
これだけの精鋭が揃っていれば、焔光がわざわざ出る幕などない。
(お見事、ジーク叔父様。これなら僕の「黒孔弾」も「絶対防御障壁」も、出番ないな)
焔光は馬上で怯えたふりをしながら、心の中で呟いた。世間的には「光弾が石礫程度しか出せない不器用な皇子」で通しているのだ。ここでうかつに規格外のチート能力を披露するわけにはいかない。
騎士団の鮮やかな手並みにより、魔獣たちの軍勢はものの数分で完全に駆逐された。蒼真が「風の矢」で最後の一匹を撃ち抜き、戦闘は終了する。傷を負ったわずかな騎士たちにも、蒼真の複合ギフト「風雨の癒し」の優しい雨が降り注ぎ、瞬時にその傷を癒していった。
戦火の余韻を洗い流すように進軍を再開した一団は、やがて目的の地へと到着した。
東の海域を守る防人の要塞。重厚な石造りの巨城がそびえ立つ――東アズラエル辺境伯家の本邸である。
城門には、知らせを聞き東辺境伯の騎士団が立ち並び出迎える。そのまま進み大広間へと通された焔光たちの前に、東辺境伯家当主、イザーク・アズラエルをはじめとする面々が姿を現した。
中央に立つのは、東辺境伯家当主、イザーク。海風にさらされた強面の、いかにも高潔な武人といった佇まいだが、その瞳にはどこか心労の影が滲んでいる。
その背後には、彼の弟であるイゴール・アズラエル、そしてアズラエル家の軍事部門を統括するヴァルハイト家の当主ゲオルグと、その妻であるエレノアが控えていた。
「蒼真殿下、焔光殿下、ようこそ我が東方領へ。魔獣の出没する街道を急がせてしまい、申し訳ありません」
イザークが深く頭を下げ、重々しい声で歓迎の意を示した。
蒼真は柔和な笑みを浮かべ、それを手で制する。
「気になさらないでください、イザーク辺境伯。我が騎士団の鍛錬にもなりました。それよりも……本日は急な訪問にもかかわらず、こうして出迎えていただき感謝いたします」
挨拶もそこそこに、大広間の空気がわずかに張り詰めた。今回、蒼真がわざわざ東方まで赴いた目的の一つ。中央で失脚した皇族次男・烈真の件、そしてそれに深く関わっていた「メディチス財閥」の汚職と隠された闇について、東辺境伯家がどれほど浸食されているかを探るためと、聖域にわたる為の皇国船団の手配の為だ。(船団は、蒼真配下に管理が移るが、まだ引き継ぎ中の為)
着座し、長机を挟んで対話が始まると、蒼真は静かに切り出した。
「イザーク辺境伯。単刀直入に伺いたい。我が国の中央では、メディチス財閥による数々の不正、さらには人工的な魔獣災害の隠蔽までが発覚し、国家正式調査が始まっています。先の聖域への海域の管理について貿易も有り、メディチス財閥の関与が顕著で有るのでいち早く皇室管理に戻させて貰ったが、東の玄関口たるこの地において、現在、財閥にどこまでの権益と運営を任せているのか……その正確な現状を確認させてほしいのです」
その問いに、イザークは苦渋に満ちた表情を浮かべ、言葉を詰まらせた。東の海域警備には莫大な資金が必要であり、財閥からの巨額の寄付や海洋物流網の無償提供に頼らざるを得なかったのは事実だからだ。
しかし、兄の躊躇を遮るように、弟のイゴールが一歩前へ出た。その瞳はどこか不自然にギラついており、声音には異様な熱が籠っている。
「蒼真殿下、それは中央の過剰な邪推に過ぎません! 我が東方領の平穏は、メディチス財閥の莫大な資金と物流があってこそ維持されているのです。彼らを疑い、権益を奪うような真似をすれば、東の防衛線は一瞬で崩壊いたします。財閥こそが我が辺境伯家の最高のパートナーなのです!」
激しい口調で財閥を擁護するイゴール。イザークは「イゴール、殿下の前だぞ」と窘めるが、弟への情の厚さから強く突っぱねることができない。
蒼真はその様子をじっと見つめ、彼らの背後に潜む闇の深さを察していた。
その時、蒼真の斜め後ろに控えていた焔光の視線が、イゴールのさらに後ろ、影のように佇む一人の男へと注がれた。
男の名はマルキ・ド・サレ。財閥の「東国境特別顧問」を名乗る怪しげな大商人だ。
一見すると、ただの愛想の良い成金。だが、焔光が意識を集中させ、極限まで「気流」を読み解いた瞬間、男の体表から立ち上る異質な濁流がはっきりと見えた。
(……間違いない。この不快な気、人間のもんじゃない。魔人の生き残りだ)
人間の中に紛れ込み、精神干渉の術式を振りまく「魔人」。イゴールの不自然なまでの財閥狂信、そしてイザークの迷い。そのすべての元凶が、あのサレという男が放つ「魔族の気」による洗脳であると、焔光はシレッと看破した。
会話の矛先は席に同席していたヴァルハイト家へと移っていた。
軍事統括のゲオルグ・ヴァルハイトは、剣聖の親戚筋であることを笠に着て、皇族である蒼真に対しても傲慢な態度を隠さない。その妻(後妻)であるエレノアも、冷ややかな笑みを浮かべている。
蒼真は、ゲオルグに視線を向けた。
「ヴァルハイト卿。貴殿の息子であり、学園の6回生であるアルベール・ヴァルハイトの状況についても聞いておきたい。彼は先の学園の騒動において、烈真兄上の派閥に属し、不穏な動きに加担していた疑いがある。現在は実家で療養中と聞いているが?」
その言葉が出た瞬間、エレノアの顔が怒りと狂気で歪んだ。
「療養、でございますか? 蒼真殿下。我が最愛のアルベールは、学園で「ある期待外れの無能な皇子」のせいで不当な扱いを受け、心に深い傷を負って戻ってきたのですわ! 無能な皇子が運だけでもてはやされ、皇族と言うだけで、のうのうと生きている一方で、優秀な我が息子がなぜ奥の部屋で伏せっていなければならないのですか!?」
エレノアの刺すような視線が、蒼真の後ろにいる焔光へと向けられる。それは皇族に対する公然たる侮辱であり、言い逃れのできない完全な不敬罪であった。
「――そこまでだ!」
一瞬にして、大広間の空気が凍りついた。
声を放ったのはジーク・シルフィード。その瞳からは先ほどまでの軽妙さが完全に消え失せ、冷徹な戦士の光が宿っていた。
「ヴァルハイト夫人。貴殿の今の言動は、皇国が定める絶対の法――皇族に対する著しい不敬罪にあたる。ジーク・シルフィードの名において、直ちに身柄を拘束する」
「な、なんですって!?」
「騎士団、捕らえろ!」
ジークの鋭い怒声と共に、控えていた蒼天碧流騎士団の精鋭たちが一斉に動き、エレノアを取り囲む。
「し、しま――! 迎撃せよ!」
ゲオルグが焦りのあまり叫ぶと、広間に控えていた東辺境伯騎士団の面々も、ヴァルハイト夫人を守るために慌てて剣の柄に手をかけ、動こうとした。しかし、東辺境伯騎士団の者たちも、エレノアの言葉が明らかな不敬罪であることは重々理解している。本気で皇族の私兵と戦う大義などなく、その動きには一瞬の躊躇いと迷いがあった。
その隙を、ジーク率いる碧流騎士団は見逃さなかった。
「動くな!」
鋭い牽制の暴風が広間に吹き荒れ、碧流騎士団の騎士たちが、東辺境伯騎士団の前進を完全に遮断。武器を抜くことすらさせず、完璧にその動きを阻止した。
一歩遅れて、事態の重さに顔を青ざめさせた東辺境伯イザークから、裂けんばかりの怒声が広間に響き渡る。
「控えよ!! 武器を収めぬか! 蒼真殿下に対し、何を血迷っている!」
当主からの絶対の命令を受け、東辺境伯騎士団は安堵したように即座に剣から手を離し、その場に平伏した。
「待ってくだされ、殿下! 妻は息子を想うあまり、少々取り乱しただけでございます!」
ゲオルグが青白くなって色めき立ち、声を荒らげる。イザークもまた、「蒼真殿下、どうか此度は私の顔に免じて……!」と必死に取りなそうとしたが、ジークも騎士団も一切その手を緩めず、エレノアの身柄を厳然と抑え込もうとする。
広間が混乱の極みに達しようとしたその時――。
「――おやおや、身内が随分と見苦しい真似をしているようだな」
大広間の重厚な扉が開き、凛とした声が響き渡った。
そこに現れたのは、政務長のルシアン。だが、その後ろから進み出てきた二人の人物を見た瞬間、その場の全員が息を呑んだ。
一人は、気怠げながらも底知れぬ鋭さを全身から放つ男――三大英傑の一角、「剣聖」一ノ瀬 瞬。
そしてもう一人、その愛弟子であり、焔光と3年間の修行を共にした姉弟子、「氷結の剣技」の使い手、神楽 凍華であった。剣聖が正式に東辺境伯領への訪問を告げたため、ルシアン自らが出迎えて案内してきたのだ。
瞬は広間に一歩足を踏入いれると、その凄まじい「気」を無造作に解放した。
ドォン、と大気が物理的に震えるような衝撃が走り、エレノアを拘束していた碧流騎士団の騎士たちが、抗いきれぬ圧力によって思わず数歩引き剥がされる。
「叔母上、少し黙っている事だ」
瞬は冷ややかな一瞥をエレノアにくれると、まっすぐに蒼真、あるいは焔光の前へと歩み寄り、その場に深く頭を下げた。
「蒼真殿下、そして……焔光。私の叔母家族が、とんだ不敬を働いた。剣聖の名と顔に免じて、此度は、その首を繋ぎ止めてはもらえないだろうか。ゲオルグ、お前も叔母上を連れて下がれ」
「し、瞬……!」
傲慢だったゲオルグも、本物の英傑である瞬の言葉には一言も返せず、青い顔のままエレノアを抱え上げて下がった。
頭を下げる高邁な師の姿を見て、焔光は困ったように眉を下げ、いつもの「出来損ない」を装った柔らかい笑みを浮かべた。
「瞬師匠!頭を上げてください。僕のような期待外れのせいで、先生が頭を下げるなんて滅相もないです。父上、僕自身は全く気にしていませんから……どうか、ヴァルハイト夫人の処分は寛大なものにしていただけませんか?」
焔光が蒼真を促すと、蒼真もまた、息子の意図を汲んで小さく頷いた。
「焔光がそう言うのであれば、此度は不問に処しましょう。剣聖殿、貴殿の配慮に感謝する」
「感謝いたします、蒼真殿下。……焔光、すまなかったな」
瞬は顔を上げ、焔光と視線を交わした。その瞳の奥には、「相変わらず完璧な隠蔽っぷりだな」という呆れと信頼が混ざり合っている。東辺境伯イザークもまた、額の汗を拭いながら「蒼真殿下、焔光殿下、臣下が大変なご無礼を働き、誠に申し訳御座いません。此度の寛大な御心、一堂に代わり深く感謝いたします……!」と、改めて深く謝罪の言葉を述べた。
その大広間の喧騒からわずかに外れた壁際、大柱の影で、マルキ・ド・サレは隣に立つ東辺境伯家政務長、ルシアン・バルテルへと顔を寄せ、声のトーンを落としてコソコソと囁き交わしていた。
「……随分と鋭い指摘。あの三男坊、財閥の息の根を完全に止めに来ていますね」
サレが細い目をさらに細め、不気味に唇を歪める。ルシアンは額にじっとりとした汗を浮かべ、懐の羊皮紙に触れながら、早口で応じた。
「ええ。ですがこちらも抜かりはありません。東の港や関所を通る不審船の偽造書類はすでに処理済みです。中央の調査団が来ようとも、アズラエル辺境伯の許可印さえあれば、書類上の突合は不可能ですから。しかし……イゴール様があそこまで熱くなっては、かえって怪しまれる」
「ふふ、彼には少々、私の「飴(魔人の気)」が効きすぎているようです。まあ、道化としては上出来ですよ。要は、この東の海を我らの支配下に置き続ければ良いのです。カトリーヌ妃の件で中央が揺れている今こそ、エイシン国への情報送信を加速させねばなりません」
「わかっております。サレ殿、ヴァルハイト家にも釘を刺しておいてください。あの傲慢な親子が暴発しては、我らの計画が台無しだ」
「ご心配なく。彼らも利権の奴隷ですから……」
二人で冷酷な算段を交わしていたのだ……
一連の騒動が収まると、姉弟子の凍華が、どこか楽しげな足取りで焔光の隣へと歩み寄ってきた。美しくも冷徹な氷の気を纏う彼女だが、焔光に向ける笑みはどこまでも身内に対する優しさに満ちている。
「ふふ、相変わらずね、焔光。――ところで蒼真殿下、私たちが今回こうして東方に足を運んだ理由なのですが…」
「ああ」
瞬が首の後ろを掻きながら、蒼真へと視線を戻した。
「そちらの一団が、近々「聖域(始祖の島)」へ向かうと聞いてな。ちょうど私と凍華も、久しぶりの里帰りがてら、同行させてもらおうと思って足を運んだ次第だ。……構わないだろう?」
その言葉に、焔光は(なるほど、心強い味方が増えたな)と内心で頷いた。
これから向かう始祖の島への旅路は、剣聖とその愛弟子の合流により、さらに賑やかで、そして裏の隠蔽工作を含めて盤石なものになろうとしていた。




