白き天翼と誓い
少し長めです
皇宮内、光の届かない宮廷府の最深部。冷たい魔鋼の格子で囲まれた地下監獄の一室に、蒼真は静かに足を踏み入れていた。
そこには、焔光の治療術によって命だけは強制的に繋ぎ止められ、両手両足を重い呪縛の鎖で繋がれた烈真の無惨な姿があった。
「……烈真兄上」
蒼真が低く、悲しみを湛えた声をかけると、烈真は血走った瞳をゆっくりと持ち上げ、狂気じみた、しかし深い怨嗟の籠もった笑みを浮かべた。
「……ハッ、蒼真か。次期皇太子様が、わざわざのご足労。いちいち敗者を笑いに来るとは、 東の最重要利権を丸ごと抱え込んで、随分と景気が良いことだな……!?」
「なぜ、あのような外法の呪符や、隣国の闇に手を染めたのです! あなたほどの皇族が、なぜ国を売るような真似を!」
蒼真の問いかけに、烈真は突然、狂暴な笑い声を響かせ、鎖を激しく打ち鳴らした。
「なぜ?なぜだと……!? 決まっているだろうが! 黎真兄上(勇帝)だよ!! あの規格外の、完璧すぎる「長男」が、いつも俺の前を歩いていたからだ!!」
烈真の口から、長年宮廷の奥底でドロドロと腐らせてきた、凄まじいコンプレックスが吐き出された。
「お前も、陛下も、宮廷府も、誰も彼もが黎真兄上だけを称賛し、彼を「次代の皇帝」と信じて疑わなかった! だがな、蒼真……! 黎真兄上とお前、そして一番下の妹(紗夜)は「皇后陛下の子」だ。……だが、俺だけは、俺一人だけは「妃(カトリーヌの実家系)の子、所詮は側室の子」、母親が違うのだよ!!」
皇室の秘宝を管理する竜王家出身の皇后の子達。そして、財閥系から嫁いできた妃の子である自分。生まれ落ちたその瞬間から、宮廷内の役人や貴族たちは、烈真を「母親の身分が劣る次男」として、黎真の影としてしか見なさなかったのだ。
「どれだけ座学を完璧に修めようが、どれだけ「外法工廠」の疑似属性を磨こうが、誰も俺を見ようとはしなかった! 黎真兄上が魔王の邪気を相殺して死んだ時、俺はついに我が時代が来たと思った! なのに、陛下はお前(蒼真)を皇太子候補として俺と競り合わせた! どこまで俺を蔑めば気が済むのだッ!!」
烈真は息を荒くし、その黒く浮かび上がった血管をピキピキと震わせながら、激しい執念の瞳で蒼真を睨み据えた。
「俺には、後ろ盾が必要だった。だからこそ、メディチス財閥、隣国の闇の力をも受け入れた。……そして何より、俺の妻であるシェイラだけは……! 宮廷の誰もが俺を黎真兄上の「出来損ないの影」と見下す中、彼女だけは俺の才を信じ、俺の「外法工廠」の力を、俺という男の存在の全てを、本気で愛して支えてくれたのだ……っ!!」
大逆人と化し、皇国を内側から侵略する計画の手足となった男。だが、その狂気の根底にあったのは、誰よりも孤独で、誰よりも「一人の男」として認められたかった、哀れな次男の歪んだ愛と劣等感の歴史であった。
「……烈真兄上」
蒼真はそれ以上、何も言えなかった。彼がどれほど言葉を尽くそうとも、この地下深くで肥大化したコンプレックスの闇を払うことはできない。
蒼真は静かに背を向け、狂ったように笑い続ける烈真の声を後ろに受けながら、地下監獄を後にした。
歪んだ蒼真派閥の崩壊、そして始まった「国家正式調査」。表面上の大嵐は去ったが、皇宮の奥深くで交錯する闇は、未だに光は当たっていないのだった。
夜の皇宮の一角には、「静寂」が立ち込めていた。
謁見の間から退出し、風花を一度蒼真たちの元へ送り届けた焔光は、月明かりすら届かない皇宮の最奥、北翼の回廊を一人で歩いていた。
かつて四大英傑の筆頭であり、皇太子でもあった皇帝の長男「勇帝」黎真が生前、最強の武人と聖なる巫女の守護にふさわしい精鋭だけを厳選して結成した、皇国最強の伝説の騎士団——「白鳳天翼騎士団」。黎真が逝去したのち、彼らは皇帝直属の特務機関「鵺」へと秘密裏に編入され、今も皇国の闇を狩り続けている。
焔光が回廊の角を曲がった瞬間、周囲の空間が不自然に凪いだ。
音もなく、影が落ちるようにして、漆黒の夜の帳から数人の男女が姿を現した、彼らは完全に気配を消し、周囲の因果すら遮断する特務機関「鵺」の精鋭たちであった。
「——お初にお目にかかります、焔光殿下。お怪我はございませんか」
先頭に立つ黒髪の隠密が、底知れない忠誠の「気」を纏いながら、音もなく床に膝をつき、深く頭を下げた。生前の勇帝、そして出産時の無防備な隙を暗殺者に襲われて命を落とした聖なる巫女・咲夜。主たちを失った彼らにとって、目の前に立つ15歳の少年こそが、命を賭して守るべき唯一無二の至高の主君であり、今度こそは主を守り切ると悲壮感させ漂う誓いを立てている精鋭達。
「みんな、わざわざ出迎えてくれてありがとう。僕なら見ての通り無傷だよ。今回は朧さんやエドガー先生の完璧なサポートのお陰で、僕の「平凡」の仮面も守られた。裏での汚れ仕事の片付け、いつも感謝しているよ」
焔光がいつも通りのシレッとした、しかし穏やかな笑みを浮かべて声をかけると、鵺のメンバーたちの肩が微かに震えた。15歳にして四大英傑すべての力を同等以上に使いこなし、この修羅の宮廷劇をマイペースにコントロールしてみせる主君の圧倒的な器。
「殿下のお言葉、勿体なきお言葉にございます。我ら白鳳天翼の生き残り、この命が尽きるその瞬間まで、殿下の平穏と、その御身の盾となることをここに誓います。……東の海域へ赴かれる際も、我らが闇に潜み、焔光殿下の手を煩わせず排除致します。」
「うん、よろしく頼むよ。でも、あんまり派手に動いてジーク叔父様に怪しまれないようにね。」
焔光がシレッと言い残し、静かに歩み去っていく。鵺のメンバー達はその背中を、かつての主の翼を見るかのような熱烈な羨望の眼差しで見送り、再び影の中へと溶けて消えるのだった。
時を同じくして、皇宮の西翼に位置する豪奢な妃の離宮。
そこには、皇帝の妃であり、メディチス財閥の母体であるメディチス商会出身の女傑・カトリーヌ妃と、地下監獄へ連行された烈真の妻であるシェイラの二人の姿があった。
ガラス張りの温室には、むっとするような薔薇の香気が満ちている。カトリーヌ妃は、ハサミで薔薇のトゲを冷徹に切り落とし、正面に立つ義理の娘、シェイラへと視線を向けた。その瞳には、商家の頂点にまで上り詰めた者特有の鋭い知性と、それ以上に「我が子を奪われた母親の、深い焦燥と悲痛」が宿っていた。
「——烈真が地下監獄へ連行され、メディチスの工場や支店の一部、そして東の最重要利権が丸ごと蒼真の手に渡った。……実に見苦しい失態ですね、シェイラ」
カトリーヌ妃の声は美しかったが、その響きには張り詰めた緊迫感が含まれていた。カトリーヌ妃が皇帝陛下へ直訴したお陰で、メディチス財閥の本体は「正式な国家調査」という名の檻の中に守られ、全没収を回避している。
カトリーヌ妃は、烈真の延命に執着していた。どれほど大逆の罪を犯し、外法に手を染めて醜く歪んでしまおうとも、烈真はカトリーヌ妃が腹を痛めて産んだ、唯一無二の「我が子」だからだ。生きて虜囚として地下にいれば、まだ救い出す道はある。母としての執念が、彼女を動かしていた。
それに対して、シェイラは贅沢な刺繍の施された扇子で口元を隠し、冷酷な瞳のまま平然と答えた。
「お義母様(カトリーヌ妃)が財閥本体と夫の延命に必死になられるのは結構ですが、エイシン国の方針は至ってシンプルにございます。メディチス財閥が、かつて隣国エイシン国からの後ろ盾を得て、この皇国にて商売を行ってきたという古い歴史……。それが中央の国家調査でどこまで暴かれようとも、最終的に皇国を内側から乗っ取る計画さえ進行出来れば、財閥の形など今となってはどうでも良いのですよ」
シェイラにとっては、夫の烈真や財閥の存続すらも計画の為の踏み台に過ぎない。
「私と、私の生んだ愛おしい子供達さえ無事に、最高の座に就ければ、それで十分なのですから。近々、カイルやセレナをあの学園へと転入させ、焔光たちの盤面を崩させます。お義母様は中央でしっかりと正式調査を煙に巻いていてくださいな」
カトリーヌ妃は我が子・烈真を救うため、シェイラは自身の子供たちの未来のため、それぞれ異なる目的を抱えながら、中央の国家調査という名の盤面を煙に巻くための冷酷な同盟を維持するのだった。
カトリーヌ妃との密談を終えたシェイラは、自身の子供たちを伴って、皇宮の中央回廊を歩いていた。
そこへ、反対側の角から歩いてきた、焔光と風花の二人の姿があった。
「——あら、これはこれは。噂の「期待外れ皇子」殿下と、風花殿下ではございませんか」
シェイラがわざとらしく扇子を広げ、底冷えするような笑みを浮かべて焔光を見下ろした。夫である烈真を地下監獄へと引きずり落とすきっかけを作った、子供達(まあ逆恨みではあるが…)に対し、その瞳には隠しきれない呪詛の光が宿っている。
「シェイラ叔母様、海流兄上、星羅、恵海里、臥龍。みんな、お久しぶりです」
焔光がいつも通りの完璧な笑顔で挨拶をすると、長男の海流は鼻で笑い、公然と見下すような声をかけた。
「ふん、石礫程度の光弾しか撃てぬ無能が、ずいぶんと澄ました顔をしているな。運良くスクロールのお陰で生き残っただけのラッキーぷりんすが、我が蒼真家を出し抜いたと勘違いせぬことだ」
「ええ、本当にお可哀想な焔光様。学園ではアズラエル辺境伯家のアルベール殿にも見下されているのでしょう? 皇族の面汚しにならぬよう、精々お気をつけあそばせ」
星羅もまた、兄に同調して冷酷な言葉を投げかける。
「お、お兄ちゃん……ッ!!」
その公然たる侮辱に、隣の風花が限界を迎えつつあった。彼女の琥珀色の瞳に、海流と星羅を今すぐバラバラに切り刻まんと狂暴に渦巻く「暴風の気」が宿り、回廊の空気が物理的に平伏し始める。
「風花、落ち着いて。お兄様方は僕の未熟さを心配してくださっているんだよ」
焔光はシレッと妹の手を握り、その異常な気流を完璧に宥めた。
「——焔光お兄ちゃん、風花お姉ちゃん……! 会えて、嬉しい……っ」
海流たちの後ろから、小さなからくり人形をぎゅっと抱きしめた7歳の恵海里が、トコトコと嬉しそうな顔で歩み出てきた。
蒼真家の冷酷で不穏な空気に怯え、静かに心を閉ざしがちだった恵海里。しかし、彼女は家族の誰より、焔光のあの底知れない優しい器、そして風花の温かい風の気配に懐いていたのだ。
「恵海里、元気だったかい? そのからくり人形、とても上手にできているね」
焔光がしゃがみ込み、優しい笑顔で恵海里の頭を撫でると、恵海里は「うん……! えへへ……」と、家の閉塞感を忘れたかのような、純粋な愛らしい笑顔を浮かべた。
「ちょっと、恵海里。無能にあまり懐くものではありませんよ」
シェイラが不快そうに恵海里の手を引っ張って引き離すが、恵海里は名残惜しそうに焔光の服の端を見つめ続けていた。
焔光は立ち上がり、シェイラたちを見送ろうとした、その瞬間。
シェイラの後ろで、英才教育されていると言う5歳の臥龍の姿に、焔光の「気の精密な分析能力」がピタリとロックオンした。
(……なるほど。……ふむ。確かに、5歳にしては異常なまでの「気の総量」を秘めているね。次世代の英傑候補として英才教育を受けるのも、納得の数値だ)
焔光は、臥龍の体内を流れる莫大な魔導の気流を、その瞳の奥の絶対的な静寂で視透かしていた。
(……ただ、はっきり言うと、実際の気の「総量」そのものは、僕はもちろんのこと、大賢ノエル様や、風花の気の密度に比べれば、まだまだ遠く及ばないレベル。だけど、僕が今、少しだけ気になるのは、実際の総量なんかじゃない)
焔光は、臥龍の魂の根源にある「気流の構造」の、ある決定的な違和感に気づいていた。
(……気になるのは、気の入れ物としての「器の大きさ」。あの5歳の子供の肉体の奥にある空間の歪み……気の総量に対して、それを蓄えるための「器」の容量が、あまりにも歪に、あるいは無限に近く広がっている。……もし、あの子がこれからさらにその器の限界まで気を満たしていったとしたら……。もしかしたら、あの「器の大きさ」だけは、本当に——三大英傑たちに匹敵するレベルの怪物に大化けするかもしれないな)
5歳の子供の裏にある、不気味な可能性の片鱗。
しかし、15歳の世界最強のチート皇子・焔光は、その恐るべき可能性をシレッと見抜いた上で、(まぁ、どれだけ大きな器になろうとも、真っ直ぐ育ってくれたら良いんだけどね。)と、至ってマイペースに考えていた。
「それでは伯母上、海流兄上、皆様、ごきげんよう」
焔光は完璧な作法で一礼し、風花を伴って回廊を歩き出す。
背後から向けられる海流たちの焦燥の牙、そして臥龍という異形の器。なれど、全てを自分の想定内に計算した少年皇子は、今日も平凡な「期待外れ」の仮面を被りながら、シレッと足を進めていく。




