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オールゼロの英傑継承者〜魔導学園で「期待外れ」皇子は、すべてを亜空間で無効化(ミュート)する〜  作者: はる吉
第3章:東方領

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33/61

北の氷土と東の島

かなり長めです

第一演習場を揺るがした国家転覆未遂の事後処理は、宮廷府警察と摂政の手によって迅速に進められていたが、その功績を正式に称えるため、当事者たちは再び皇宮の重厚な謁見の間へと呼び出されていた。

今回召集されたのは、表向きの最大功労者であるエドガー、事案の渦中にいた焔光(こうえん)と風花(ふうか)、そして学園長であるオリヴィア・シルフィード(織姫)の四名である。

本来であれば、事態を直接収拾したことになっている三大英傑【剣聖】一ノ瀬瞬、【鍛神】千手破岩、【大賢】エミール・ノエルも同席するはずであったが、彼らは揃ってこの公式な謁見を辞退していた。

「いやぁ〜、焔光くんと一緒に皇宮へ行けないなんて、私は嫌! 皇宮でも一緒にいたいの……っ!」

出発直前の学園にて、ノエルは、豊満な胸を大きく上下させて焔光の袖にすがり付いていた。しかし、

「おいおい、大賢。俺たちの徹底的な隠蔽工作を無駄にする気か。英傑が揃ってホイホイ皇族のガキと並んで謁見の間に入ってみろ、世間の勘違いがさらに加速して焔光の仮面が剥がれるだろうが」

「お前はここに残れ。……ほら、破岩、その首根っこを掴んでおけ」

「ガハハ! 任せとけ瞬! ほら大人しくしやがれ、恋煩いの大賢様よぉ!」

という二大英傑の物理的な強制力によって、ノエルは涙目になりながら学園へ引き留められたのであった。その結果、皇宮へ向かう馬車の中は、非常に静かで平穏なものとなっていた。

そして現在、豪奢極まる皇宮の謁見の間。

玉座に鎮座する皇帝・応心(おうしん)は、その絶対の権能【皇帝覇気】を微かに漂わせながら、臣下の礼を取るエドガーへと重厚な視線を投げかけていた。

「——エドガー・レオンハート。お前が仕掛けた防衛用の自動トラップの「大暴発」が、結果として大逆人・烈真とその私兵たちの足止めとなり、三英傑が突入する決定的な勝機を作った。お前がその機知とギフトの応用力によって、皇族達、そして学園の生徒達を未曾有の危機から救った功績、更に先の財閥の汚染事件の手柄も有り、実に見事なものである。」

「はっ。過分なお言葉、恐縮にございます、陛下」

エドガーは恭しく頭を下げつつも、(ああ、めんどくさい。焔光殿下のせいで、なんで俺がこんなところで褒美を貰わなきゃならないんだ。早く学園の気楽な詰所に帰ってサボりたい)と、深い溜息を押し殺している。

「レオンハート家の誉れ高き血筋に相応しい活躍。……して、エドガーよ。今回の功績に対し、朕自ら褒美を授けよう。国家的な「爵位」の格上げか、あるいは皇国屈指の「勲章」か。お前が望むものを、何なりと言ってみせるが良い」

皇帝からの提案。普通の貴族であれば、家門の繁栄のために涙を流して喜ぶ場面だ。

しかし、超合理主義であり、実家のめんどくさい家督争いから逃げ出したエドガーにとって、これ以上自らの「貴族としての権威」が上がることは、平穏なサボりライフの完全な終焉を意味していた。爵位が上がれば、実家のお堅い兄や家臣たちが「それ見たことか、やはりエドガー様こそが次期当主に相応しい!」と大騒ぎして連れ戻しに来るに決まっている。

エドガーは一瞬の迷いもなく、極めて真面目な顔のまま、はっきりと言い切った。

「——では陛下。不躾ながら、私めは「金」を所望いたします」

「……何?」

玉座の応心が、一瞬だけ呆気にとられたように眉を動かした。傍らに控える宮廷府の役人たちも「金だと……!?」と目を見開いている。

「はっ。しがない一教師である私めにとって、名誉ある爵位や勲章などは、分に過ぎたる重荷にございます。それよりも、今後の学生たちの教材費、あるいは日々の生活を潤すための、具体的な「金財」を賜りたく存じます。どうか、一時の現金にて、この功績を贖っていただければ幸いにございます」

そのあまりにも私欲に塗れた、しかし「これ以上目立ちたくない」という切実な暴論に、横に控えていた学園長・織姫(オリヴィア)は、扇子で口元を隠しながら「クスクス……」と肩を震わせて大爆笑していた。

皇帝・応心もまた、エドガーのその「徹底して政治から距離を置きたがる本質」を察し、苦笑を浮かべて顎を引いた。

「……ハハハ! 良いだろう! 名誉を嫌い、実利を取るか。実にお前らしい。宮廷府よ、エドガーに対し、国営鉱山から採掘された特級の金貨を、破格の山として下賜せよ」

「ははっ! ありがたき幸せにございます!」

エドガーは内心で(よし、これで爵位は回避した。実家の兄貴たちへの目眩らしにはなるだろう)と、ほっと胸を撫で下ろすのだった。


エドガーへの黄金の下賜が決定した後、皇帝・応心は視線をその隣に立つ焔光へと移した。その瞳には、先ほどまでの統治者としての顔から、孫を愛する祖父としての微かな温かみが融け込んでいた。

「——さて、焔光。今回はお前に、皇帝として、一つ「公式な御使い(勅命)」を言い渡さねばならん。」

「はっ。陛下(おじい様)、何なりとお申し付けください」

焔光が完璧な皇族の礼を取ると、応心は重厚に言葉を継いだ。

「現在、失脚した烈真に連なり、東辺境伯がメディチス財閥に運営させていた、管理領域から没収した東側の海域……すなわち、我が皇国の「聖域」の島を含めた交易権だが、これは現在、お前の父である蒼真が国営組織として管理・運営を行っている」

始祖の出身地であり独自文化が根付くその聖域の島は、地理的には東のアズラエル辺境伯家が代理統治する地域になるが、実際の島自体を仕切っているのは、焔光の母方の親族にあたる神楽源馬(かぐら・げんま)をはじめとする「三家老家(さんかろうけ)」である。

「その聖域の島を統治している三家老家の代表から、宮廷府へ直々に書状が届いてな。「利権の組み替えは承知したが、新しく東の海域を統括する三男・蒼真殿下、そしてその次代となる息子と直接公式の場で対面せねば、この広大な海域を安心して任せるわけにはいかん。」との要求があったのだ」

「私と、お父様に対面を、ですか」

焔光は思考を巡らせた。

(今まで会うことが出来なかった神楽家か。楽しみだね)

焔光は即座に「畏まりました。父上と共に、近いうちにその聖域の島へ赴き、家老家の方々にご挨拶をして参ります」と承諾した。

「お兄ちゃん! それでしたら、この風花もお供いたしますわ!」

その瞬間、横にいた風花が琥珀色の瞳を輝かせ、一歩前に踏み出した。お兄ちゃんと離れるなど、彼女の過激な溺愛(狂信)が許すはずもなかった。

「東の海域には、失脚したメディチスの残党や、不穏なアズラエル辺境伯家の影があるやもしれません! お兄ちゃんに万一のことがないよう、私が風の身体強化を以て、完璧に護衛の警備を務めさせていただきますわ!」

しかし、その請願は、謁見の間の入り口に控えていた蒼真と、その妻シルフによって、即座に遮られることとなった。

「——却下だ、風花」

 蒼真が厳しい声音で言った。

「今回の聖域行きは、あくまで新しく獲得した東の交易権の、公式な実務の窓口責任者としての訪問だ。学園の1回生であるお前が、授業を長期間休んで同行する大義名分はない」

「そんな……! お父様、お兄ちゃんだって1回生ではございませんか!」

「焔光は、先方の指名だ。」

シルフが優しく、しかし有無を言わせぬ圧を微かに漂わせながら、風花の肩に手を置いた。

「コレは公務なのよ…それにね、風花ちゃん。学園には、転入してきたフォックスもいるし、ギルバートくんたちの商会の動きもあるわ。あなたが学園を空けては、皇族として纏め役が居ない状態を作ってしまうわ! 焔光のことは、お父様とジーク叔父様、そして蒼天碧流騎士団が責任を持って守るから、あなたは学園でしっかりとお勉強をしていなさい」

「う、ううっ……お母様まで……。お兄ちゃんと離れるなんて、私、もやもやして風の刃で学園の裏山を更地にしてしまいそうですわ……っ!」

風花はフンスフンスと激しく悔しがっていたが、両親からの絶対的な却下には逆らえず、焔光の右袖をぎゅっと握りしめて涙目で耐えるしかなかった。焔光は「すぐ戻るから、お土産を買ってくるね」と妹の頭を撫て宥めつつ、東の聖域での物流と警備網の進行に、静かに思考を走らせるのだった。


謁見を無事に終え、皇宮の広大な西翼にある高級な来賓館の応接室へと移動した一行。

エドガーは下賜された金貨の目録を懐に収め、「ふぅ、これで当分の間はサボるための金には困りませんね」と、ようやく一息ついてソファーに深く腰掛けていた。

しかし、平穏な時間は長くは続かなかった。

応接室の重厚な扉が、地響きのような凄まじい足音とともに、文字通り「ドガァアンッ!!」と力任せに叩き開けられたのだ。

「——エドガーーーーーーッ!! 無事だったか我が自慢の弟よぉおおおおッ!!」

室内に怒号のような大声を響かせながらなだれ込んできたのは、熊のように大柄で、無精髭に数々の戦傷が刻まれた強面の武人——「北」レオンハート辺境伯家現当主であり、エドガーの実の兄であるドルド・レオンハート(33歳)であった。ギフトは「土」と「機」の二属性、北の防人の象徴たる脳筋当主だ。

「ぶふっ!? げ、兄貴……!? なんでここにいるんだよ!」

エドガーがソファーから飛び上がって絶叫する。

「当たり前だ! 宮廷府から「エドガー・レオンハートが、財閥の工場汚染事件で手柄を立て、さらに黒耀騎士団の暴走を食い止めた」という立て続けの活躍を聞いて、北の全家臣が沸き立っているのだ! 「やはりエドガー様こそが当主に相応しい。」等と、また話が出てな〜「兄派、弟派」論がでたから、「俺は最初から弟派だ」と改めて、宣言しといたわ!さあ、今すぐ北へ戻り、俺の代わりに当主になれ! 爵位を蹴って「金」を要求したというその実利主義!北の男らしくて最高だぞ!」

「なるかボケ〜! その勝手に始まる家督相続が心底めんどくさいから、俺は実家を離れて教師やってるんだよ! そもそも兄貴が脳筋だからって、シグザールに政治を丸投げするな!」

「ドルド様、お静かに。エドガー様が怒りのあまり血管を破裂させかねません」

ドルドの背後から、三つ揃えのスーツを完璧に着こなした眼鏡の男、北辺境伯家総家令のシグザール・ヴァレンティー(48歳)が冷徹にステップを踏み出した。

ギフトは「土」と「無(並列思考・高速計算)」。無属性「神速演算(ハイ・プロセッサー)」により領内の財政や交渉を常人の数十倍で処理するマシーンのような男だ。

「エドガー様。今回の褒美の一件に伴い、レオンハート家を正しく存続させるには、頭脳明晰で応用力のあるあなた様が当主、又は補佐になるしかないという計算が、私の脳内で算出されました。……もう逃がしませんよ」

「ひ、ひえぇ……シグザール、お前まで……! 目がマジだ、超合理主義のマシーンの目で俺を見るな!」

エドガーがガタガタと震えていると、さらに部屋の奥から、背筋の伸びた白髪白髭の老紳士が、ハンカチを握りしめて大号泣しながら猛烈な速度で突進してきた。エドガーを赤ん坊の頃から育てた「爺や」こと、筆頭侍従のモーリス・ボーモン(82歳)である。

「おおお……、エドガー坊っちゃま……! お怪我がなくて本当に、本当に良かったですぅうう! このモーリス、坊っちゃまが残虐な黒耀騎士団の前に立ちはだかったと聞いて、心配で心配で! ほら、北部特産の最高級黒毛和牛と、体を温めるための最高級茶葉を、私の独断で学園の倉庫に三トンほど差し入れておきましたからね! 毎日しっかりと召し上がるのですよ!!」

「爺や!! ありがたいけど重過ぎる!」 (一番邪険に扱えない相手だから、精神的にめちゃくちゃ疲れるんだよ!!)

北の脳筋当主、超合理主義の総家令、そして過保護の塊である爺やの三連撃を受け、エドガーは完全に魂が抜けた顔でソファーに深く沈み込んでいた。

ひとしきりエドガーへの過剰な絡みを終えたドルドたちは、ようやく部屋の奥にいたオリヴィア(織姫)に気づき、慌てて背筋を伸ばして一礼した。

「——これは、オリヴィア学園長。我が不肖の弟が、学園で大変お世話になっております」

「いいえ、ドルド殿。エドガー先生は本当に優秀な教師よ。今回の件も、彼の「大暴発」がなければどうなっていたか分からないわ。今後とも、学園のために彼をしっかりと使わせていただくわね」

織姫が楽しそうにクスクスと笑うと、ドルドは「ガハハ! ありがたき幸せ!」と胸を叩いた。

そして、ドルドはその大きな身体をくるりと翻し、エドガーの少し後ろにいた焔光、そして風花の前に立つと、強面を精一杯崩して、豪快ながらも深い敬意を込めた一礼を捧げた。

「——不躾な乱入、失礼いたしました。焔光殿下、そして風花殿下。北辺境伯レオンハート家当主、ドルドにございます。我が自慢の弟エドガーが、殿下方の担任を務めさせていただいているとのこと、兄としてこの上なき誉れに存じます!」

「レオンハート辺境伯、ご丁寧にありがとうございます」

「ご挨拶、感謝いたしますわ」

焔光と風花が上品に頭を下げると、続いてシグザールもその冷徹な視線を和らげ、完璧な貴族の礼を取った。

「お初にお目にかかります、焔光殿下、風花殿下。総家令のシグザールにございます。エドガー様は少々サボり癖がございますが、その頭脳と技術は本物。もし学園で不手際がございましたら、いつでも実家の方へご連絡ください。即座に北へ強制連行いたしますので」

「あ、シグザールさん、ご丁寧にありがとうございます」

焔光はいつも通りの「期待外れ皇子」の穏やかな笑顔で頭を下げた。

(なるほど。この人が北の総家令シグザールさんか。無属性の「神速演算」の気流……ものすごく細かく、高速で並列思考が行われているのが分かる。レイ・フォンくんの内政能力にも似ているけれど、こちらはさらに老練な政治劇のシミュレーションに特化しているね。ただ、レオンハート兄弟が絡むと気流が乱れてるみたいだけど…エドガー先生が彼らから逃げ出したくなる気持ちも、ちょっとだけ分かるなぁ)

「エドガー先生にはいつも本当に素晴らしいご指導をいただいています。これからもよろしくお願いしますね、シグザールさん」

焔光がシレッと微笑むと、エドガーはソファーの陰から「焔光殿下、お願いだから余計な燃料を投下しないでくれ……!」と、消え入りそうな声で懇願するのだった。


その日の夜。皇宮の滞在先に用意された焔光の居室は、月明かりだけに照らされた静寂の中にあった。

風花が隣の部屋で「お兄ちゃんと離れるなんて……!」と枕を涙で濡らしながらようやく眠りについた頃、焔光の部屋のベランダの窓が、音もなく、滑るようにして開いた。

現れたのは、非常に高い知性と、気品あふれる美貌を持つ皇国第一皇女——紗夜(さよ)・フォン・アウグストであった。

【筆頭分家】竜王家との強力なパイプ役であり、周囲の気の揺らぎから数分先の未来を完璧にシミュレーションして予測する超高精度予知能力「神の天秤(ディバイン・スケール)」を持つ才女。彼女は、甥である焔光が「期待外れ」などではなく、規格外のチート能力を秘めていることを完璧に見抜いている、心強い味方の一人だ。

「——深夜に忍び込むなんて、行儀良く無いですよ。」

「あら!もう気づいたの?焔光」

紗夜は艶やかな夜着を翻し、焔光のベッドの端に腰掛ると、優しくその頬を撫でた。

「紗夜お姉(叔母)様。お久しぶりです。……このような夜更けに、しかも「神の天秤」の気配を完全に遮断してお忍びで来られたと言う事は、宮廷府(中央)の正式な調査に、何か進展があったのですね?」

焔光が尋ねると、紗夜は知性あふれる瞳を微かに細め、真剣な面持ちで顎を引いた。

「ええ、その通りよ。カトリーヌ妃殿下、蒼真兄上、摂政と私で立ち上げた「メディチス財閥への国家正式調査」だけれど……。烈真兄上を地下監獄へ連行し、没収した闇ルートの書類から、かなり重大な事実が分かってきたわ。……メディチス財閥が、かつて隣国「エイシン国」からの後ろ盾を得て、この皇国にて商売を行ってきた、という極めて黒い歴史が浮かび上がってきたのよ」

紗夜の言葉には、皇国の根幹を揺るがす重みがあった。

「ただ、これらはまだ古い物流の記録や金の流れ、噂の範疇に過ぎなくてね。……まだ彼らを追及するには弱くて、決定的な「物証(証拠)」が足りないのよ。カトリーヌ妃殿下は実に狡猾よ。実家の過去の暗部を烈真兄上だけに押し付け、自身は「正式な調査に協力する」というスタンスを完璧に保っているわ。だから、大逆人となった烈真兄上への追及、そしてカトリーヌ妃殿下への追及は、明確な証拠が出るまで先になるわね。今焦って動けば、エイシン国に繋がりを持つ本隊に逃げられる」

「なるほど。だからこそ、おじい様(皇帝)は僕と父上を、東の海域にある「聖域の島」へ行かせようとしたのですね」

焔光の言葉に、紗夜は「流石は私の賢い甥ね」と嬉しそうに微笑んだ。

「その通りよ。メディチス財閥の動きに制限をかけつつ、新しく東の交易権が蒼真兄上に渡ったけれど、あの海域はエイシン国からの密輸ルートの目と鼻の先。聖域を統治する神楽家は、アズラエル辺境伯家の動きも含めて、独自の網を張っているわ。カトリーヌ妃殿下たちの動向を中央で抑えている間に、東の海域の安全を完璧に掌握し、エイシン国とメディチス財閥を包囲する必要があるのよ。それに、神楽家当主からの正式な依頼なのは間違いないの。」

紗夜は立ち上がり、焔光の額に優しくキスを落とした。

「「神の天秤」が、東の海域で小さからぬ因果の揺らぎを予測しているわ。まあ、世界最強のチート能力を隠し持つ焔光が行くのだから、私は何も心配していないけどね。……学園のことは、ノエルや風花、あるいはあのチャラ男隠密のフォックスくんに任せて、お前は聖域での実務を片付けてきなさいな。織姫叔母上もいらっしゃるけど、私も気にかけとくから。」

「ありがとうございます、紗夜お姉(叔母)様。お気をつけて」

「フフッ!よくできました。」

紗夜はフッと夜風に溶けるようにして、音もなくベランダから去っていった。東の海域に、新たなる謀略の影が蠢いていることを確信しながら、焔光は静かに目を閉じるのだった。


翌日の早朝。皇宮の東翼にある蒼真の執務室には、朝日に照らされた蒼真、シルフ、工程の確認を行う焔光の三人の姿があった。

デスクの上には、東側「聖域(始祖の島)」の広大な海図と、新しく実務の最高責任者の一人に大抜擢された天才番頭レイ・フォンが神速演算で整理した、最新の物流帳簿が広げられていた。

「——焔光、昨夜、紗夜から話は聞いたかい?」

蒼真が真剣な面持ちで尋ねる。

「はい、父上。カトリーヌ妃殿下たちの追及を先送りにし、まずは東の海域の安全と、神楽家との公式な連携を固めるための聖域行きですね。財閥がエイシン国を後ろ盾にしてきた歴史の全容解明も、あちらの島での物流からヒントが得られるかもしれません」

「ああ、その通りだ」

蒼真は海図の島を指差した。

「聖域の島を仕切る三家老家(さんかろうけ)の代表、神楽源馬殿からわざわざ「蒼真とその息子に会わねば海域を任せられん」と公式な大義名分を作ってくれたのも、烈真兄上の残党や宮廷府の役人の目を欺きながら、我々との連絡網をバックアップするための完璧な舞台装置(シナリオ)だ。それに、焔光にとっては、実の祖父だしな。」

「東のアズラエル辺境伯家は、東の領土を皇帝代理で統治してるけど、東の聖域の島自体は神楽家の絶対的な権威の下にあるわ」

シルフが優しく微笑みながら言葉を添えた。

「お前が島へ赴き、源馬様と直接会うことで、東の防衛網は蒼真家のものとして掌握できるわ」

「なるほど。レイ・フォンくんが整理してくれたこの物流データを見ても、聖域の海域警備の予算が一部アズラエル家に流れていた痕跡がありますね。神楽家と会談する窓口として、実務はすべてレイくんに任せ、僕はただの「平凡な皇子」として、お茶会をシレッと楽しむことにします」

15歳の少年の、相変わらずのマイペースな口調に、蒼真とシルフは互いに顔を見合わせ、深く、満足そうに苦笑した。

「よし、針路はまずアズラエル辺境伯へ寄って、聖域・始祖の島へ行く。ジークの蒼天碧流騎士団を率い、間もなく出発する。」

宮廷の奥深くで交錯する過去の商売の闇、財閥の焦燥、東アズラエル辺境伯家の動向、そして東方の聖域で待ち受ける名門・神楽家の眼差し。

家族の愛と最強の味方たちを盤面に配し、新たなる嵐の中へと、シレッと足を進める準備が進むのであった。

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