霧消する黒耀と財閥の足掻き
九条朧と孔明が展開していた「外法遮断の特級暗黒結界」が、静かに、そして音もなく解除されていく。それと同時に、エドガー・レオンハートが「大暴発」させたという濃煙も、ジーク・シルフィード率いる「蒼天碧流騎士団」の風の複合魔導によって、演習場の上空へと一気に吸い上げられて霧散していった。
濃煙が無くなり、第一演習場が衆目に晒されると、そこに広がっていたのは息を呑むような惨状であった。
血の海の中で痙攣し、白目を剥いて完全に無力化されているのは、皇族が次男・烈真。その肉体に埋め込まれていた隣国の魔導兵器はことごとく火を吹き、胸の「身体強化用の外法の呪符」も黒い灰へと変わっていた。その周囲には、元英傑候補のヴァルターやゲオルグをはじめとする「黒耀騎士団」の全員が、大賢ノエルの至高の光によって外法の呪いだけを綺麗に清め落とされ、命だけを辛うじて繋ぎ止められた状態で、あちこちに転がっていた。
その中心に立っていたのは、長剣を静かに鞘へと収める【剣聖】一ノ瀬瞬、退屈そうに拳の骨を鳴らす【鍛神】千手破岩、そして【大賢】エミール・ノエルの三英傑。そして、不敵な風を纏って立つ皇族三男・蒼真とシルフ、その背後で衣服の一筋すら汚さずに、右手でパタパタと皇后のスクロールを仰いでいる少年、焔光の姿であった。
「……終わった、のか?」
観客席の生徒の一人が、恐る恐る呟いた。
安全結界を外され、外法の呪符によって異形の怪物と化した烈真たちが暴れたというのに、学園側には一般生徒も含めて生傷一つ負った者はいない。それどころか、エドガーのトラップ暴発の煙が晴れた瞬間には、国家転覆級の戦力を誇るはずだった黒耀騎士団が、文字通り「完膚なきまでに全滅」していた。
「おお……! やはり、異変を察知して乱入された三英傑の皆様と、蒼真様、蒼天碧流騎士団が、あの恐ろしい外法の暴走を瞬時に鎮圧されたのだな!」
「エドガー先生のトラップ暴発が、上手いこと騎士団の足止めになったお陰でもあるぞ!」
「それにしても、スクロールのお陰で無傷で生き残っている焔光殿下……あの御方の幸運度、一体どうなっているんだ……!?」
観客席の生徒たち、そして風花様親衛隊の面々は、焔光の仕組んだ「手柄の押し付け(シナリオ)」通り、完璧なまでの勘違いの嵐を巻き起こしていた。(まあ、英傑達は、ほぼ英傑の手柄では有るのだが…)
貴賓席の最上段から、皇帝・応心の冷徹極まりない視線が、血の海に伏せる我が子、烈真へと突き刺さる。その全身から放たれる【皇帝覇気】の絶対的な権能が、生存者全員のギフトの出力を強制的に低下させ、場を完全な平伏の静寂へと導く。
「——烈真。お前の犯した大逆、もはや万死に値する。宮廷府警察、および皇帝近衛騎士団よ、大逆人・烈真と黒耀騎士団の生存者全員を、今すぐ宮廷府の地下監獄へと連行せよ。隣国のスパイ容疑、および国家転覆罪として、その肉体と魂のすべてから、知っている情報を徹底的に搾り取れ」
「御意にございます!!」
近衛騎士たちが一斉に動き、身動きの取れない烈真たち、演習場から連行していった。
これにより、皇国内で蒼真家と激しく皇太子候補の座を競り合っていた「烈真派閥」は、そのトップが失脚し、崩壊を迎えたようにみえた。
続けて、皇帝の鋭い眼光が宮廷府の役人たちへと向けられる。
「今回の事案において、外法との繋がりが強く疑われるメディチス財閥だが……」
応心が言葉を続けようとしたその時、貴賓席の一角から、艶やかな絹衣装を身にまとったカトリーヌ妃が静かに、しかし毅然とした足取りで前へと進み出た。
「カトリーヌ、いつの間に来とった?」
「陛下。メディチス財閥が皇国に及ぼした害の可能性については、弁解の余地もございません。なれど、財閥のすべてが我が子、烈真の狂気に関わっていたわけではございませんわ。烈真の狂気の全貌と我が実家の全容を解明し、膿を完全に絞り出すため、公明正大なる「正式な調査」のお許しをいただきたく存じます」
カトリーヌ妃の言葉には、商家の頂点に上り詰めた女傑としての、そして皇国に深く根を張る財閥の守護者としての、譲れない一線が含まれていた。いくら皇帝の権能をもってしても、国家予算の3割を動かす巨大財閥の全てを一度に強引に没収すれば、皇国の経済そのものが大混乱に陥ることは火を見るより明らかであった。
「……ふむ」
応心は冷徹に状況を天秤にかけ、重厚に頷いた。
「良いだろう。カトリーヌ妃の言葉にも一理ある。メディチス財閥の全てを本日この瞬間をもって即座に斬罪する事はせぬ。……だが、烈真との繋がりが明白である財閥関係の工場、支店、および利権についてはすべて没収とし、皇国預かりの国営組織とする。そのすべての監視・運営権、ならびに東側「聖域(始祖の島)」の海域全ての交易権は、蒼真へと移譲する」
皇帝の冷徹な妥協案。蒼真家にとっての勝利であることに変わりはなかったが、同時に新たなる政治闘争の幕開けをも意味していた。
「そして、残されたメディチス財閥の本体、および疑惑の残る部門については、今後、カトリーヌ妃、蒼真、第一皇女・紗夜、ならびに宮廷府の長たる摂政の四名を中心とした「国家正式調査機関」を立ち上げ、厳重なる調査を行うものとする」
裏庭の温室で焔光へ宣戦布告をしたカトリーヌ妃、そして高い知性と「神の天秤」による予知能力を持つ才女・紗夜、そして蒼真と摂政。皇国の頭脳たちが、メディチスという巨大な利権と闇を巡って、本格的に水面下で噛み合い始めることが、ここに決定した。
激動の演習が幕を閉じ、事後処理が宮廷府へと引き渡された数時間後。
夕暮れの茜色の光が差し込む学園長室には、今回の「裏の主役」たちが集まり、ようやく訪れた静寂を噛み締めていた。
「——はぁ。全く、ダルすぎる。俺をあんな大根役者の舞台に引っ張り出すなんて、人使いが荒いって」
ソファーにだらしなく腰掛け、火のついていないクシャクシャの煙草をガリガリと噛み締めているのは、担任教師のエドガー・レオンハートだ。
今回の公式記録では「エドガーのトラップ暴発が黒耀騎士団の動きを止め、三英傑が突入する隙を作った」ということになっており、彼は宮廷府から、そして皇国全体から、英雄として過剰なまでの称賛を受ける羽目になっていた。
「俺ぁただのしがない一教師ですよ? 宮廷府から「単独工廠」のコードネームでさらに警戒度を上げられちまって、めんどくさくて仕方がありません。学園長、俺のこの労力、次のボーナスに色をつけてもらわなきゃ割に合いませんよ?」
エドガーがやれやれと首を振る。その隣で、九条朧が腕を組み、切れ長の瞳をさらに鋭くして呆れたように吐き捨てる。
「お前が不甲斐ない大根演技をするから、私が裏で「闇」の出力を調整するのにどれだけ苦労したと思っている、エドガー。少しは感謝しろ」
大人たちがそんなやり取りをしている中、ソファーの端で静かに紅茶を啜っていた焔光が、シレッとした顔のまま、少しだけ申し訳なさそうな笑みを浮かべてエドガーへと歩み寄った。
「あの……、エドガー先生。本当にすみません」
「ん? なんですか?。今更そんな殊勝な顔をして〜。また何か俺に押し付ける企みでも考えてるんじゃないでしょうね?」
エドガーが警戒を露わにする。焔光はポリポリと頬を掻きながら、シレッと言い放った。
「いえ、実はですね……今回の模擬戦で、エドガー先生が残虐な黒耀騎士団の暴走を食い止め、学園と皇族を守ったという最大の手柄をあげてしまったせいで……宮廷府と皇室から、エドガー先生に対して「爵位」とか、それに準ずる何かものすごい勲章とかの褒美が近々、正式に授与される方向で話が進んでしまいまして」
「……は?」
エドガーの動きがピタリと止まった。口元のクシャクシャの煙草が、ポろりと床へ落ちる。
「エドガー先生には本当に本当に、心苦しくて申し訳ないのですが……それほどの栄誉が与えられるとなると、いくら厄介事を嫌って実家を離れたとはいえ、実家である「北のレオンハート辺境伯家」の当主であるお兄様やご家族にも、流石に無視するわけにはいかなくなります。……ですので、近いうちに、エドガー先生には絶対に、北辺境伯家の方々と「公式な場で会っていただく」ことになると思います」
「おいおいおいおいおい!!! 待ってくれ焔光〜!!!ってか、こうなる事推察してたんじゃあ〜??」そっと目を逸らす焔光だった。
それまでどれだけ命の危機に瀕しても平然としていたエドガーが、今日一番の絶叫を上げて跳び上がった。
「俺がなんで実家を離れてこんなところで燻煙草噛んでると思ってるんですか!? 実家のあのめんどくさい家族や、周囲が勝手に始める泥臭い家督争いが、心底、骨の髄からめんどくさかったからですよ! 爵位!? 辺境伯家との対談!? 冗談じゃない、そんなことになったら俺の平穏なサボりライフが完全に崩壊しちまう!!」
「すみません、先生。でも、全ては「エドガー先生のトラップが術式ミスで大暴発した」という設定のお陰で、皇国や学園が守られた結果ですので……ここはどうか諦めて、お兄様と仲良くお話ししてきてください」
焔光は至ってマイペースに、完璧なまでのシレッとした笑顔でエドガーの肩をポンポンと叩いた。
「素晴らしいわ、エドガー。これであなたも皇国の英雄ね。北辺境伯家との対談には、私も学園長として喜んで同行してあげるわ」
デスクの後ろで、織姫学園長が楽しそうにクスクスと大爆笑している。
「学園長まで面白がらないでくださいよ! ああ……クソ、これだから皇族の、いや、焔光殿下の策略(ハメ技)に関わるんじゃなかった〜っ!」
エドガーは頭を抱え、新しいクシャクシャの煙草をヤケクソ気味に口から放り出すのだった。
学園長室を出て、夕暮れの回廊を一人で歩いていた焔光の元へ、猛烈な「気流の乱れ」とともに、二人の少女が同時に突進してきた。
「——お兄ちゃんんんんっ!! 無事ですか、お体に不都合な箇所はございませんか!?」
案の定、双子の妹の風花が、琥珀色の瞳を爛々と輝かせながら、猛烈な風の加護を纏って焔光の左腕をがっちりとホールドした。お兄ちゃんが演習場で溶岩の爆発に包まれた瞬間、心臓が止まるかと思った彼女の溺愛は、今や限界突破して周囲の空気を物理的にフンスフンスと凝固させている。
「焔光様! お怪我がなくて、本当に、本当に良かったですわ……っ!」
右側から駆け寄ってきたのは、1回生のシャーロット・ヴァンダムだ。ライトグリーンのセミロングヘアを揺らし、エメラルドグリーンの瞳に涙を浮かべながら、素のリアクションで赤面して焔光の右袖をぎゅっと握りしめる。
実家のヴァンダム新興商会からのプレッシャーから完全に解放された彼女は、今や打算の一切ない、純度100%の「ガチ恋乙女」として焔光の無事を心底から喜んでいた。
「二人とも、ありがとう。僕はスクロールのお陰で本当に無傷だから、大丈夫だよ」
左右を二人の美少女に囲まれ、相変わらずの修羅場の中心でシレッと微笑む焔光。
(やれやれ……。烈真叔父上は片付いたけれど、エドガー先生には悪いことをしちゃったな。でも、これでしばらくは平穏な学園生活に戻れるかな)
そんな賑やかな光景を、学園の正門の影から、琥珀色の吊り上がった瞳で見つめている男がいた。
シルフの弟の子であり、風花の従兄にあたる転入生——フォックス・シルフィード(17歳)だ。
飄々としたチャラ男を演じながらも、その本質は西辺境伯家が誇る最年少の精鋭。彼は、実家からの極秘任務である「風花と、焔光の護衛」を遂行するため、その不可視の風の糸「風の糸」を周囲に張り巡らせ、冷徹な戦術眼で周囲を警戒していた。
「——へぇ、なかなかに賑やかじゃねぇか。焔光も風花も元気そうだな。焔光も運良く怪我なくて良かった。……まぁ、あいつの仮面の裏に何があるかは知らねぇが、叔母様が必死に育てた大切な家族だ。学園内で蔑まれるってなら、この俺が裏で、しっかり盾になって守ってやらねぇとな」
フォックスは不敵に笑い、気配を消して空間へと溶け込んでいった。
彼はまだ知らない。自分が守ろうとしているその従弟が、実は自分を遥かに凌駕する世界最強のチート能力を秘めており、自分の方が守られる側になるという事を。




