揺り籠へ
焔光たちは【聖アウグスト皇立魔導武官学園】への帰路に就いていた。
皇都の喧騒を離れ、広大な街道をしばらく進んだ頃、一行は街道沿いにある古風な佇まいの茶屋に立ち寄り、小休憩を取ることにした。
「ふぅ……。やっぱり、皇宮の空気は肌に合いませんね。肩が凝って仕方がありません」
木製の長椅子に腰掛け、運ばれてきた温かい緑茶をずずっと啜ったのは、一回生の担任教師であるエドガー・レオンハートだ。その口元には、相変わらず火のついていない、クシャクシャに噛み潰された煙草が挟まれている。禁煙の学園内だけでなく、外でもこうして手持ち無沙汰を紛らわせるのが彼の癖だった。
「お前はただ、宮廷府の役人どもが仕掛けてくる泥臭い政治劇から逃げたいだけだろう、エドガー」
エドガーの向かい側に腰掛け、冷めた目で団子を口に運んでいたのは、九条朧だ。きっちりとした軍服スーツを乱れなく着こなしているが、お茶を飲む所作の端々には、元「鵺」のエースとしての鋭い警戒心が滲み出ている。自身の放つ結界内で「因果」すら遮断する彼女は、今この瞬間も、周囲の気の揺らぎを完全に把握していた。
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよ、朧さん。俺はただ、しがない一教師として、可愛い生徒たちの安全を守る大役を果たしてるだけですから!」
「……お前が言うと、どうしてもサボるための口実に聞こえるな」
二人のやり取りを、焔光はいつものようにシレッとした顔で微笑みながら眺めていた。
(まぁ、エドガー先生の本質は、近代兵器を自動構築する怪物だし、朧さんは僕の赤ん坊の頃からの命の恩人で有り鵺の元エース。この二人が引率している時点で、どんな奇襲があっても僕が手を下す必要なんてないんだけどね)
心の中でそんな呑気なことを考えていると、隣から「フンス、フンス!」と、凄まじい鼻息が聞こえてきた。
「お兄ちゃん! ほら、このみたらし団子、とても美味しそうですわ! はい、あーん、してください!」
亜麻色の髪を揺らし、琥珀色の瞳を爛々と輝かせた双子の妹、風花が、タレのたっぷりついた団子を焔光の口元へと突きつけていた。皇宮でお兄ちゃんを侮辱した烈真たちへの怒りは、お兄ちゃんへのお世話(溺愛)という形で完全に暴走していた。
「あ、ありがとう、風花。自分でも食べられるから大丈夫だよ?」
「いいえ! お兄ちゃんは皇宮で悪いトカゲどもに無駄な気を使わされて、心身ともにお疲れのはずです! 妹であるこの私が、お兄ちゃんの栄養補給を完璧にサポートせねばなりませんわ!」
「……相変わらず、風花様の愛の重さは世界を滅ぼしかねないレベルですね」
朧が呆れたように呟く。風花のギフトは「風」と「無(空中遊泳)」だが、その背後から吹き出す「気」の圧力は、近くの草木を不自然に平伏させていた。
「まぁまぁ、仲が良いのは結構なことですよ。学園に戻れば、また面倒な視線が増えるんですから。今のうちに、その温かい団子で鋭気を養っておくこった」
エドガーはクシャクシャの煙草を器用に口の端で転がしながら、遠くに見え始めた学園の巨大な尖塔を見つめるのだった。
数時間の旅路を経て、一行は無事に【聖アウグスト皇立魔導武官学園】の正門へと到着した。6年制の格式高き皇立学園。その重厚な石造りの門をくぐった瞬間、待ち構えていた二人の少女が駆け寄ってきた。
「——焔光くん! 風花さん! お帰りなさい!」
抜群のプロポーションを誇る5回生——現「大賢」のエミール・ノエルが、大輪の薔薇が咲いたような笑顔で焔光へと飛びついてきた。焔光への恋心を著しく成長させている彼女は、周囲の目を一切気にせず、焔光の腕を自身の豊満な果実へと抱き込む。
「ノエル様! 離れてくださいまし! お兄ちゃんに変な虫がつかないよう、私が警備しているのです!」
案の定、風花が即座に割り込み、ノエルを睨み据えた。大好きな師匠でありながら、お兄ちゃんを狙う泥棒猫(※世界最強クラス)でもある存在に、風花は限界突破寸前のもやもやを募らせて「フンス!」と息を巻く。
「あら、風花ちゃん。私は焔光くんの「気の共鳴」を確かめているだけよ? ほら、皇宮で悪い気に当てられていないか、お姉さんが優しく癒やしてあげようと思って」
ノエルは暗黒微笑を浮かべながら、その至高の光ギフトの気をピキピキと震わせる。世界最強の二人による、焔光を挟んだ無言の火花。その凄まじい威圧感に、周囲を通る他の学生たちは「ひえっ……!」と顔を青くして逃げ出していった。
そんな修羅場の少し後ろで、控えめに、しかし熱い視線を焔光へと送っている少女がいた。
1回生のシャーロット・ヴァンダムだ。艶やかなライトグリーンのセミロングヘアを揺らし、エメラルドグリーンの瞳を潤ませている。
「あ、あの……焔光様。お、お帰りなさいませ……っ」
シャーロットは焔光と目が合った瞬間、顔を林檎のように真っ赤にして、素のリアクションで視線を彷徨わせた。
当初は実家の「ヴァンダム新興商会」の利益のため、カトリーヌ妃をモデルとした打算と色仕掛けで「無能な皇子を籠絡せよ」と命じられていた彼女。しかし、以前、メディチス財閥の娘に「新興商会の猿真似が」と嫌味を言われ、精神的に追い詰められていた所を、焔光の底知れない優しい器に救われた。その結果、打算は完全に消え去り、純粋な「ガチ恋乙女」へと変化してしまったのだ。
さらに、シャーロットにとっては追い風が吹いていた。
今回のメディチス財閥の不祥事により、財閥の工場や支店は国営組織として没収され、その全ての監視・運営権が、三男である蒼真へと譲渡された。これにより、財閥の絶対的な支配力が揺らぎ、経済のパワーバランスが大きく変動したのだ。
実家のヴァンダム新興商会からは、すぐさまシャーロットの元へ「メディチスが失脚し、蒼真家が大勝利を収めた。下手に焦って失敗するより、焔光様の籠絡は時間をかけて、慎重に行うように」との指令が届いていた。実家からの過度なプレッシャーが弱まったことで、彼女は義務感から解放され、より純粋に、焔光への恋心を募らせることができるようになっていた。
「ただいま、シャーロットさん。僕のいない間、クラスの方は変わりなかった?」
焔光が優しい笑みを向けると、シャーロットは「は、はい……っ! な、何事も、ありませんでしたわ……!」と、胸元をぎゅっと押さえて初々しく赤面する。
(ふん、またお兄ちゃんを狙う泥棒猫予備軍が……。まぁ、ノエル様ほど実力がガチではないから、まだ許してあげますけれど……!)
風花が背後からシャーロットをジロリと睨みつける。その威圧に、シャーロットは「ひぇっ……!」と素の悲鳴を上げ、執事や侍女の監視の目も忘れ、ただただ焔光の背中に隠れるのだった。
翌日。放課後の静まり返った学園長室に、三つの影があった。
厳格で公平な学園長であり、現皇帝の妹でもあるオリヴィア・シルフィード(学園長。皇室名は織姫)。そして担任のエドガー、そして焔光である。
織姫は豪奢なデスクに肘をつき、美しい顔に深い深い溜息を刻み込んでいた。
「——全く、あの狐女め。自分の実家がやらかした汚染隠蔽の失態を、まさかこんな形で誤魔化そうとしてくるとはね」
織姫のギフトは「風」と「無(空間把握・対話)」。学園内に吹く風を通じて、全ての密談を把握する彼女は、今回の烈真派閥の動きに、激しい不快感を抱いていた。
「カトリーヌ妃殿下からの公式な要請、ですか」
エドガーがクシャクシャの煙草を噛み締めながら確認する。
「ええ。表向きは「メディチス財閥支店が学生たちを危険に晒したことへのお詫び」。その体裁で、烈真直属の「黒耀騎士団から優秀な数名を学園へ派遣し、学生たちに戦闘術をレクチャーする、という計画よ。宮廷府の許可も正式に下りているわ。義理の姉(カトリーヌ妃)からの直々の要請とあっては、皇族の血を引く私としても、拒否する大義名分がないのよ。本当に忌々しいわね」
織姫は不機嫌そうに扇子を机に叩きつけた。彼女は、焔光が亡き勇帝と聖なる巫女の遺児であり、その本質が世界最強のチート能力であることを完璧に共有している。だからこそ、烈真の狙いがどこにあるかを瞬時に見抜いていた。
「烈真の狙いは明確よ。お詫びという名の公開演習の場で、焔光、あなたを名指しで模擬戦の舞台に引きずり出すこと。そして、プロの騎士たちの圧倒的な暴力によって、あなたの「期待外れ」の仮面を剥ぎ取り、公衆の面前で赤恥をかかせる。それによって、利権を奪った、蒼真家の次期世代のイメージを落とし、流れを自分達の次期世代に持ってくる算段よ」
織姫の言葉に、エドガーはやれやれと首を振った。
「元・四大英傑候補のヴァルター・アズラエルに、戦闘狂のゲオルグ・ザックスですか。お詫びに連れてくる面子にしちゃあ、物騒が過ぎますねぇ。完全に生徒をハメ殺す気満々だ」
二人の深刻な会話。しかし、当事者である焔光は、やっぱりシレッとした顔で紅茶を飲んでいた。
「学園長、エドガー先生。お気になさらないでください。叔父上の立派な騎士団の方々に鍛えていただけるのは、一回生の私にとって光栄なことです」
「焔光、あなたねぇ……。相手は本気であなたを壊しに来るのよ?」
織姫が心配そうに眉をひそめる。だが、焔光の心根は凪のように静かだった。
(カイルやセレナが来るならともかく、烈真叔父上の私兵か。ヴァルターとかいう人は、僕の師匠(剣聖)に完敗した腹いせを僕にぶつけたいみたいだし、ゲオルグって人はただの戦闘狂。……まぁ、何が起きても、また皇后様のスクロールを誤作動させたことにするか、エドガー先生が仕掛けた演習用の自動罠が暴走したことにでもして、シレッと解決するだけだからね。それに、ジーク叔父様の「蒼天碧流騎士団」も裏で動いてくれるみたいだし、僕が本気を出すまでもないかもよ)
かつて10歳から15歳までの修行で英傑たちから叩き込まれた「徹底的な隠蔽」の命令。世間から隠し、平凡な力に見せかけること。その教えがある限り、焔光の仮面が剥がれることなどあり得ないのだ。
「まぁ、いざとなったら俺の「土」と「機」のギフトで、訓練場ごと騎士団の足元に即死級の自動トラップでも埋め込んでおきますよ。学園長からの頼みなら、俺も微力を尽くしますんで」
エドガーが不敵に笑う。
「頼むわよ、エドガー。朧にも裏からの監視を強めさせているけれど……焔光、あなたも絶対に無理はしないこと。いいわね?」
「はい、織姫叔母様」
焔光がそう呼ぶと、織姫は嬉しそうに表情を緩ませ、「よろしい」と頷くのだった。
それから、数週間の時が流れた。
学園内は、間もなく訪れる「黒耀騎士団による特別レクチャー」の話題で持ち切りとなっていた。
その間、学園内での人間関係にも小さな変化が起きていた。
「風花様親衛隊(非公認)」を自称する男子生徒たちは、当初アルベール・ヴァルハイトから「焔光を貶めろ」と唆されていた。しかし、生存本能が働いた彼らは、完全に逆の行動を取っていた。
「おい、聞いたか? 烈真派閥の騎士団が焔光様を狙っているらしいぞ」
「馬鹿な真似を……。もし焔光様に何かあったら、あの風花様と大賢ノエル様に、跡形もなく風と光の塵にされるぞ! 命がいくつあっても足りん!」
「そもそも、あの二人にそこまで溺愛されている焔光様が、ただの無能なはずがない。きっと実力を隠した至高の兄君に違いないんだ……!」
彼らは「命がけの勘違い」により、逆に焔光を過剰に敬い、裏で彼を護衛するような動きすら見せ始めていた。
また、専属執事の孔明は、焔光から日頃の感謝として「無音の腕輪」をコソッとプレゼントされたことで、忠誠度がカンスト。影に潜む隠遁術と闇の防壁にさらなる磨きをかけ、いつでも主のために命を捨てる覚悟を完了していた。
そして——ついに、その日が訪れた。
聖アウグスト皇立魔導武官学園の正門へと続く一本道。
ガシャガシャと不穏な金属音を響かせ、漆黒の魔鋼装甲に身を包んだ集団が姿を現した。その先頭を進む、不敵な笑みを浮かべた次男・烈真。
そしてその背後には、凄まじい「溶岩の気」を放つ元英傑候補ヴァルター・アズラエルと、紫色の電撃を指先で弾かせ、冷酷な飢餓感を湛えたゲオルグ・ザックスの姿があった。
「——さあ、始めようか。我が弟・蒼真の自慢の息子が、どれほど無様に泣き叫ぶか……じっくりと見物させてもらおう」
烈真の冷徹な声が、学園の敷地内へと響き渡る。
黒耀騎士団の来襲。烈真派閥が仕掛ける、学園を舞台にした新たなる謀略の幕が、今まさに切って落とされようとしていた。しかし、彼らはまだ知らない。自分たちが挑もうとしている「期待外れ皇子」が、世界を容易く破滅させられるほどの、規格外中の規格外チートを秘めているということを。




