影差す黒耀と蒼天の風、白き天翼
利権強奪。次男・烈真の派閥にとって、今回のメディチス財閥の不祥事に伴う「聖域」の交易権喪失は、あまりにも致命的な敗北であった。その焦燥は、皇宮の西翼に位置する蒼真派閥専用の訓練場へと、色濃い影を落としている。
「——遅い、遅すぎるぞ! そんな鈍鈍とした動きで、一ノ瀬のクソガキに追いつけると思っているのか!」
鼓膜を破らんばかりの怒号が響き渡る。声を荒らげていたのは、烈真が囲う私兵組織「黒耀騎士団」の主力の一人、ヴァルター・アズラエル(32歳)であった。
かつて四大英傑の選出の場で、現・剣聖(一ノ瀬瞬)の前に手も足も出ずに惨敗した男。その時の挫折と劣等感は、10年以上の歳月を経てもなお、彼の魂を醜く歪ませたままであった。
ヴァルターの全身から、凄まじい「気」が噴き出す。彼のギフトは「火」と「土」の二属性。
「溶爆城壁ッ!」
彼が地面に拳を叩きつけると同時に、対戦相手として駆り出されていた数名の団員たちの周囲から、一瞬にして巨大な岩壁がせり上がった。退路を完全に断たれた団員たちが悲鳴を上げる間もなく、その岩壁の内部へと凶悪な高熱が流し込まれる。岩がドロドロの溶岩へと変貌した次の瞬間、内側に向けて大爆発を起こした。
「ぎゃあああっ!?」
超高熱の土石流と爆風が吹き荒れ、訓練用の防具を身につけていたはずの団員たちが、黒焦げになって地面に転がる。
「チッ、これしきの熱量でへばるとは、どいつもこいつも使えん。だが……ふふふ、待っていろよ、剣聖」
ヴァルターは焼け焦げた自身の拳を見つめ、狂気じみた笑みを浮かべた。
「お前の愛弟子である、あの「期待外れ皇子」……焔光だったか。学園の演習という最高の舞台で、あの餓鬼を肉塊に変えてやる。お前が手塩にかけた弟子が、俺の溶岩の中で泣き叫ぶ姿を……特等席で見せてやるぞ」
英傑候補という過去の栄光に縋り付く男の執念は、すでに正気の一線を越えていた。
その訓練場の片隅。瓦礫の山に腰掛け、つまらなそうにその光景を眺めていたのは、もう一人の精鋭、ゲオルグ・ザックス(28歳)だ。
元・皇国正規騎士団の連隊長でありながら、任務中の過剰な民間人の虐殺という残虐行為を追及され、追放となった戦闘狂。彼のギフトは「木」と「雷」である。
「相変わらず、ヴァルターさんは無駄に熱いですねぇ。過去の復讐だなんて、僕にはどうでもいいのに」
ゲオルグは、細長く引き締まった指先で、紫色の電撃をパチパチと遊ばせていた。彼の足元からは、その電撃を纏った無数の強固な植物の茨が、まるで生き物のように蠢いている。
「迅雷の茨」。これに絡め取られれば、数万ボルトの電流が肉体を駆け巡り、即座に命を奪われる。
「僕はただ、皇族だろうが英傑の弟子だろうが、強い奴の肉体をこの茨で締め上げて、感電する、あの絶頂の瞬間が見られれば、それでいいんですよ。」
ゲオルグの薄い唇が、三日月のように吊り上がった。プライドなどという上等なものは持ち合わせていない。彼にあるのは、ただ純粋な「強者をいたぶり殺すこと」への渇望のみであった。
黒耀騎士団という、狂気と残虐を孕んだ牙が、間もなく学園の焔光へと向けられようとしていた。
血の匂いと硝煙が漂う西翼とは対照的に、皇宮の東翼に広がる「蒼天碧流騎士団」の訓練場は、澄み切った清涼な風に満たされていた。
そこは、蒼真の私兵騎士団の領域だ。蒼真の「風神の加護」(暴風障壁)をベースにした集団防壁陣形、そして「風雨の癒し」(治癒能力)に連動した高度な救護班の訓練が行われており、戦死者を決して出さないことで知られる皇国屈指の精鋭集団である。
「ふむ……相変わらず、ジークの指導は容赦がないな」
訓練場の様子を見下ろす高台で、蒼真が穏やかに微笑んだ。その隣には、焔光がシレッとした顔で並んでいる。
訓練場の中央では、一人の男が神速の動きで騎士たちを圧倒していた。
ジーク・シルフィード(30歳)。蒼真の妻シルフの弟であり、風花の叔父。西の辺境伯家の直系であり、ギフトは「風」と「水」の二属性。
「動きが止まっているぞ! 風を纏え! 刃の軌道を先読みしろ!」
ジークの「風」による神速の身体強化。その細剣には、あらゆる装甲を切り裂く【水】の刃——ウォーターカッターが薄く纏わされている。彼の放つ「神速の青嵐」の前に、騎士たちは次々と武器を弾き飛ばされていった。
ひとしきり訓練を終えたジークが、こちらに気づいて汗を拭いながら高台へと上がってきた。
「これは、蒼真様。……それと、焔光殿下」
ジークは周囲に他の騎士がいないことを確認すると、焔光に対して、一人の武人として、そして「秘密」を共有する者としての、深い敬意を込めた一礼を捧げた。彼は、焔光が双子として偽装された経緯のすべてを知り、その真の本質——四大英傑すべての力を超える世界最強のチート能力をも、完全に把握している核心人物の一人だ。
「ジーク叔父様、お疲れ様です。素晴らしい剣技ですね。風と水の複合、いつもながら勉強になります」
焔光がいつものように謙虚に、シレッと言う。だが、ジークは苦笑して首を振った。
「焔光殿下、その台詞は私への皮肉ですか? あなたが本気を出せば、私の神速など止まって見えるでしょうに。……全く、あなたのその圧倒的な「気」の器を見るたびに、私は自分の未熟さを痛感しますよ。あなたこそが、この国を背負うべき本物の器だ」
「買い被りですよ。私は学園でも「期待外れ皇子」と噂される身ですから」
「ははは! その「期待外れ」が、裏では四大英傑の絶技を同等以上に使いこなしているのですから、世の天才(強者)どもは形無しですな」
ジークは焔光の優しさと、その規格外の器に心底惚れ込んでいた。この少年の平穏を、そしてその未来を、命を賭けて守る。それが西の辺境伯家、そしてこの蒼天碧流騎士団の誓いでもあった。
ジークが次の訓練のために場を離れた後、蒼真は焔光を促し、訓練場の裏手に広がる、静かな並木道へと歩を進めた。初夏の風が、二人の髪を優しく揺らす。
しばらく無言で歩いていた蒼真だったが、ふと立ち止まり、遠い空を見上げるようにして口を開いた。
「……焔光。先ほど、烈真兄上が学園での「レクチャー」を口にしていただろう」
「はい、父上。黒耀騎士団の精鋭を連れてくるとか」
「ああ。恐らく、かつて英傑候補だったヴァルターや、凶暴なゲオルグを差し向けてくるはずだ。お前の力なき所を晒し、我が家を公衆の面前で貶めるために。……だが、心配するな。学園にはエドガーさんも、朧もいる。お前がその真の力を出しても外にでないように私たちが必ず守りきる」
蒼真の言葉には、不器用ながらも深い親としての、そして「伯父」としての愛が詰まっていた。彼は、焔光の実の父親である、亡き四大英傑【勇帝】黎真の最期を知る数少ない一人だ。
「焔光。お前の本当の父親……黎真兄上は、本当に強い男だった」
蒼真の声が、かすかに震える。
「ブラックホールを操り、全てを無に帰す、前線最強の英傑。だが、それ以上に……誰よりも優しく、不条理を許さない人だった。魔王討伐の最終局面、魔王の全生命力から放たれた壊滅的な一撃と、英傑たちの気がぶつかり合い、世界が崩壊しかけた時……兄上は自らの命を賭して、その大爆発を自身の亜空間へと超圧縮し、閉じ込めたそうだ」
焔光は静かに胸に手を当てた。自分の第二のギフト「無」、そしてそこに眠る膨大な四大英傑の「気」の源流。それは、10歳の時に結成が解け、自らに流れ込んできた父の、そして英傑たちの遺産そのものだった。
「そして、黎真(勇帝)兄上には、彼を信奉し、命を捧げた伝説の私兵騎士団がいた。……【白鳳天翼騎士団】だ」
「白鳳天翼……」
「そうだ。複数属性持ちや、規格外の高出力ギフト保持者だけを兄上が自ら厳選して結成した、皇国史上最強の騎士団。だが、兄上が亡くなり、お前の実の母である聖なる巫女も命を落とした後……その騎士団は表舞台から姿を消した」
蒼真は焔光の目を真っ直ぐに見つめた。
「消えたのではない。守るべき主を失った彼らは、お前の祖父である皇帝のご聖断により、皇宮直属特務機関「鵺」へと秘密裏に編入されたのだ。……朧がその元エースだったのは、知っているな?」
「はい」
「彼らは今も、闇に潜みながら、皇国を、そして黎真(勇帝)兄上の血脈を守り続けている。鵺は、お前の味方と思って間違いない。彼らは、お前や風花の学園生活を支えている。だから焔光、お前は一人ではない。お前には兄上の遺した翼が、そして我が家の「風」がある。烈真兄上の姑息な罠など、恐れるに足りん…烈真兄上も幼少期はあれで、優しい面もあったのだが…結婚してから皇太子への執着が激しくなった気がする。そう言う意味では、今回の件で、少しでも考えを改めてくれると良かったのだが。」
「……ありがとうございます、父上」
焔光は深く頭を下げた。胸の奥が、温かい何かで満たされていくのを感じる。実の両親は亡くなったが、自分にはこれほどまでに多くの、命を懸けてくれる「家族」がいるのだ。ならば、自分はその期待に応え、このチート能力を完璧に隠匿し、誰も傷つけずに全てを「シレッと解決」してみせる。それが、己の課した誓いだった。
しんみりとした空気が流れていた、その時。
突如として、蒼天碧流騎士団の訓練場の入り口の方から、凄まじい「気圧の乱れ」が伝わってきた。並木道の木々が激しくざわめき、突風が吹き荒れる。
「あ、あれは……」
蒼真が頬を引きつらせた。
並木道の向こうから、凄まじい速度でこちらへと突進してくる一つの影。それは、美しい亜麻色の髪を振り乱し、琥珀色の瞳を爛々と輝かせた、焔光の双子の妹——風花であった。
「お兄ちゃんんんんっ! 探しましたわよ!」
「風花?」
焔光が振り返る間もなく、風花は猛烈な風の加護を纏ったまま、凄まじい制動能力で焔光の目の前に着地した。
「ハァ、ハァ……っ! 皇宮の回廊でお別れした後、お兄ちゃんが一人でどこかへ行かれたと聞いて、もしや烈真伯父さん派閥のあの陰険なトカゲどもに闇討ちでもされているのではないかと心配で心配で、心臓が止まるかと思いましたわ!」
「いや、ここは父上の騎士団の訓練場だから、安全だよ……」
「いいえ! あの卑劣な者たちなら、どこから暗殺者を差し向けるか分かりません! もしお兄ちゃんのその美しいお体に傷一つでもつけようものなら、私、この皇宮ごとあの者たちを風の塵に分解して差し上げるところでしたわ!」
「フンス、フンス!」と、激しい鼻息と共にとんでもない国家転覆レベルの発言を繰り出す風花。大賢ノエルに師事し、三英傑に近づく実力を持つ彼女の「気」は、すでに周囲の空間を物理的に歪ませていた。
「風花、落ち着きなさい。私の前で物騒なことを言うな」
蒼真が苦笑しながら窘めるが、風花はお兄ちゃんへの暴走する溺愛(狂信)のあまり、耳に入っていない様子だ。
「さあ、お兄ちゃん! 学園へ戻りましょう! 孔明もミーナも待っています! これからは一歩たりとも、私の目の届かない場所へ行くことは許しませんからね!」
焔光の手をがっちりと握りしめ、まるで宝物を引きずるようにして歩き出す風花。
「やれやれ……」
焔光は、背後で頭を抱えている蒼真と、遠くで同じく苦笑しているジーク叔父様に目配せをしながら、いつも通りのシレッとした顔で、妹の強引な牽引に身を任せるのだった。
間もなく始まるだろう、黒耀騎士団による学園レクチャー。どんな嵐が待ち受けていようとも、この賑やかで愛の重い家族がいる限り、退屈することだけはなさそうであった。




