廊下の邂逅、裏庭の密談
メディチス財閥の汚染隠蔽と、それに伴う利権の完全没収という激震は、皇国の政治中枢を一気に塗り替えつつあった。
長く豪奢な皇宮の回廊を一人で歩いていた焔光の前に、二つの影が立ちはだかった。
現皇帝の次男、烈真・フォン・アウグスト。そしてその妻であり、メディチス財閥を実家に持つシェイラ・フォン・アウグストだった。
利権の大部分を蒼真家に奪われたばかりの烈真派閥のトップ二人、烈真は、見るからに苛立ちを隠せない様子で、蛇のように冷酷な視線を焔光へと注いでいた。
「——これはこれは、噂の「期待外れ皇子」殿ではないか」
烈真が、底冷えするような笑みを浮かべて焔光を見下ろした。
「学園の校外実技で、ずいぶんと派手な泥仕合を演じたそうだな。財閥の失態に便乗し、我が弟の蒼真が随分と美味しい蜜を吸ったようだが……身の丈に合わぬ利権は、いずれ身を滅ぼすぞ」
その隣で、シェイラが贅沢な刺繍の施された扇子で口元を隠しながら、冷酷な瞳で焔光を値踏みするように見つめる。今回のメディチス財閥の大損害に、内心では狂わんばかりに激怒しているはずだった。
「本当に、お可哀想な焔光殿下。二大英傑の直弟子でありながら、石礫程度の光弾しか撃てぬとは。学園では、アズラエル辺境伯家の要職たるアルベール殿にも随分と見下されているのでしょう? 皇族の面汚しにならぬよう、精々お気をつけあそばせ」
公然たる侮辱。しかし、焔光の心は一ミリも揺るがない。むしろ「期待外れ」という評価が世間に定着すればするほど、自分の真のチート能力を隠しやすくなるため、好都合ですらあった。
「伯父上、伯母上。温かいお言葉、身に沁みます」
焔光はシレッとした顔で微笑んだ。
「おっしゃる通り、私の光弾は本当に不器用でして。アルベール先輩にもいつも厳しいご指導をいただいております。私のようなギフト能力が平凡な者が皇室の末席を汚していること、誠に申し訳ありません」
「そこまでにせよ、烈真兄上。自由奔放が過ぎるぞ、シェイラ義姉上」
鋭く、そして低く響く威厳のある声が回廊に木霊した。
同時に、烈真とシェイラの肌をチクチクと刺すような、狂暴に渦巻く「暴風の気」が周囲の空気を一変させる。
現れたのは、焔光の親である皇帝の三男、蒼真・フォン・アウグスト。そして西の辺境伯家出身であり、焔光の真の出生——亡き勇帝と聖なる巫女の遺児であるという秘密——を共有する母、シルフ。そして、お兄ちゃんを無能呼ばわりした二人に今すぐ風の刃を叩き込まんばかりに「フンス、フンス……!」と激しく息を巻く双子の妹、風花であった。
「蒼真……!」烈真が苦々しく顔を歪める。
「子供との些細な会話だ、目くじらを立てるな。それよりも、東の交易権を丸ごと抱え込み、随分と景気が良いな?」
「我が家は、陛下の仰せのままに皇国の治安と利益を守るだけです。皇国で愚かにも不正を働いた商会が粛清され、その利権が正当に組み替えられたに過ぎません…オット、メディチス財閥は義姉上の実家でしたな。コレは失礼を。」
蒼真は一歩前に出て、焔光と風花を背に庇うように烈真を睨み据えた。
その隣で、シルフが優しく風花の肩に手を置く。母の触球によって、風花の暴走しかけていた気が、辛うじて静まった。シルフは冷徹な眼差しを烈真へと向ける。
「烈真義兄上。今回の件は、メディチス財閥が引き起こした自業自得にございます。我が息子に八つ当たりをされるのは、お門違いかと。これ以上、私どもの子供を侮辱されるのであれば、西の辺境伯家としても黙ってはおりませんよ」
シルフの言葉には、西の辺境伯家特有の「風」の鋭さがあった。実家を動かされては、骨が折れる烈真は、忌々しげに奥歯を噛み締める。
「ふん、精々今だけ笑っているが良い。近々、学園には面白い「レクチャー」を用意してやる。シェイラの実家の失態を詫びるという名目でな。我が私兵騎士団から選りすぐりの精鋭を連れて、私が直々に学生どもの戦闘術を鍛え直してやろう。……お前のその息子が、騎士たちの前で恥をさらさぬ様、今からでも鍛えるのだな。英傑の愛弟子の実力、今から楽しみだ。行くぞ、シェイラ」
「ええ、あなた。それでは皆様、ごきげんよう」
烈真とシェイラは、不敵な笑みを残して去っていった。その背中を見送りながら、蒼真は焔光の肩に手を置いた。
「すまなかったな、焔光。不愉快な思いをさせた」
「いいえ、父上。私にとっては、いつも通りのことですし、むしろ、期待外れと言ってもらえる方が、此方の思惑通りに進んでいると言う事。ますます動きやすくなり助かります」
平然と言ってのける15歳の少年に、蒼真とシルフは互いに顔を見合わせ、この「規格外の息子」の肝の据わり方に、改めて感嘆と苦笑を隠せないのだった。
その後、蒼真やシルフ、そして未だに不機嫌そうに「フンス」と息を巻いている風花と一度別れた焔光は、一人で皇宮の喧騒から離れた北側の静かな裏庭へと足を運んでいた。そこは美しいガラス張りの温室があり、皇族でも滅多に立ち入らない、秘められた場所があった。
なぜ焔光がここへ赴いたのかといえば、謁見の直後、宮廷府の役人を通じて「カトリーヌ妃が裏庭の温室にて待つ」という、拒否権のない事実上の呼び出しを受けたからであった。
カトリーヌ妃。現皇帝の妃であり、メディチス財閥の母体であるメディチス商会出身の女傑。何より、今回失脚した財閥トップたちの後ろ盾であり、自身の血を継ぐ唯一の息子、現皇帝の次男である烈真の派閥を資金面から牛耳る最重要人物だ。
温室の扉を開けると、むっとするような薔薇の香気が出迎えた。
艶やかな最高級の絹衣装を身にまとったカトリーヌ妃は、咲き誇る大輪の紅い薔薇を愛おしそうに指先で愛でていたが、焔光の足音に気づくと、ゆっくりと振り返った。その瞳には、商家の頂点にまで上り詰めた者特有の、底知れない知性と冷徹な打算がギラリと光っている。
「お待ちしておりましたよ、焔光」
カトリーヌ妃の声は、鈴を転がすように美しかったが、その響きには凍りつくような圧迫感が含まれていた。
「今回のメディチス財閥の不祥事……我が実家ながら、実に見苦しい真似をしてくれたものです。結果として、東の聖域の利権を含め、お前の父上である蒼真の元へと渡った。……実に見事な手際ですこと」
「カトリーヌ妃殿下」
焔光は完璧な作法で一礼し、適切な距離を保ったまま答えた。
「私のような学園の1回生に、そのような大層な政治の話をされましても、お答えに窮してしまいます。すべては陛下のご聖断であり、私はただ、校外実技の折、エドガー先生の後ろで震えていただけにございますので」
「ふふ、まだそのような「お芝居」を続けるのですか?」
カトリーヌ妃は、ふわりと一歩、焔光へと近づいた。かすかに甘く危険な香水の香りが漂う。
「我がメディチスを出し抜いたのが、単なる偶然だとは思えません。それに、お前の身の回りで起きる奇妙な事象の数々……。ヴァンダム新興商会の娘、シャーロットを救ったのもお前だと聞いています。彼女は今や、お前に完全なガチ恋状態だとか? 当初は我が財閥を勝手にライバル視する商会の彼女が、お前を籠絡するようなら、メディチスで救ってやろうと思ってましたのに……完全に牙を抜かれてしまった」
カトリーヌ妃の言葉は、焔光の本質を抉り出そうとするかのように鋭く、容赦がない。
「お前は、世間から「期待外れ」と噂されている。光弾の威力は石礫程度、風属性のギフトにいたっては突風を起こすのが精一杯の皇子。……ですが、座学や礼儀作法は完璧、戦闘になっても傷一つ負わずに帰還する幸運、そして今回の事件の裏に見え隠れする、あまりにも蒼真家にとって都合の良い「偶然」の数々。……焔光、お前は一体、何を隠しているのです?」
探るような、すべてを見透かしようとする視線。普通の15歳であれば、国家の最高権力者の一人である妃の圧力を前に、冷や汗を流して平伏するだろう。
しかし、焔光の心根は微塵も揺らがなかった。ここで動揺すれば負けだ。焔光は、かつて10歳から15歳までの5年間、二大英傑である剣聖(一ノ瀬瞬)と鍛神(千手破岩)から血の滲むような鍛錬と共に叩き込まれた「徹底的な隠蔽」の極意を思い出す。
「お前の力は規格外すぎる。世間から隠し、平凡な力に見せかけろ。それがお前の身を守り、皇国を守る盾となる」
師たちの容赦ない、しかし深い愛のある言葉が脳裏をよぎる。世間を欺くには、まず己の立ち位置を完璧に平凡として演じきること。それが、この過酷な宮廷劇を波風立てないための最大の武器なのだ。
「隠している、ですか?」
焔光は困ったように眉を下げ、自らの手のひらに、か細い光を灯してみせた。パチパチと小さく爆ぜる、本当に石礫程度の、微小な光弾の雛形だ。
「私が隠せるものなど、この貧弱なギフトの出力くらいなものです。シャーロットさんの件も、私はただ、彼女が実家からのプレッシャーに押しつぶされそうになっていたのを見かねて、少しお話を聞いただけにございます。彼女が私をどう思っているかは分かりませんが……私はただ、己の無力さを知る、しがない皇族の一人に過ぎません」
完璧なまでの演技。その表情には、一切の嘘も、逆に一切の驕りもない。
だが、その瞳の奥にある、カトリーヌ妃の精神的圧力を前にしてなお、1ミリの揺らぎすら見せない絶対的な静寂——。それこそが、最強の「気」を秘めた者が持つ本質であった。カトリーヌ妃はそのわずかな違和感を、長年の権力闘争で培った直感で見逃さなかった。
(……恐ろしい子。この私の威圧を前にして、ここまで完璧に、平然と「平凡」を演じきるとは。普通なら気の流れが乱れるはずなのに、この少年の気は、凪いだ海のように静かすぎる。やはり、この少年には何かがある)
カトリーヌ妃は、ふっと妖艶な笑みを浮かべて扇子をパチンと閉じた。これ以上追及しても、煙に巻かれるだけだと察したのだ。
「良いでしょう。今日のところは、その言葉を信じておきます。ですが、我が実家の失態への「お詫び」として、烈真の私兵騎士団を学園へ赴かせます。選りすぐりの優秀な騎士たちが、学生たちに直々に戦闘のレクチャーを行うためにね」
それは、明確な警告であり、次なる戦いの宣戦布告であった。
「烈真の目的は、そのレクチャーの場で、お前のその「平凡」な力を鍛え直すこと」蒼真家の威信を公衆の面前で叩き潰されないよう頑張りなさい。優秀なプロの騎士たちを前に、お前のその「偶然」とやらがどこまで通用するか……私はとても楽しみにしていますよ、焔光」
「貴重なアドバイス、恐縮にございます。叔父上直属の立派な騎士団の方々に鍛えていただけるなど、一回生の端くれとして、今から緊張で身が引き締まる思いにございます」
焔光は再び深く頭を下げた。
その心の中ではすでに、(烈真叔父上の私兵騎士団か……。きっと公開競技か模擬戦で僕を指名して、ボコボコにしようとするんだろうな。まぁ、何が起きても、また偶然を装うか、エドガー先生のトラップが誤作動したことにでもして、シレッと解決するだけだけど)と、至ってマイペースな計画を立てていた。
カトリーヌ妃は最後にフッと微笑むと、薔薇のトゲをハサミで切り落とし、そのまま温室を去っていった。
一人残された焔光は、手のひらの小さな光弾を消し、静かに息を吐き出す。
皇宮の奥深くで交錯する、財閥の焦燥、そして烈真(次男)派閥が仕掛ける学園への「私兵騎士団レクチャー」という新たなる罠。しかし、世界最強のチート能力を隠し持つ15歳の少年は、今日も周囲の勘違いや愛の重い身内を他所に、己の平穏な学園生活を守るために、シレッと動き出すのだった。




