皇宮の再会と、見えざる波紋
重厚な魔導馬車が、幾重もの高精度な結界を滑るように通り抜け、帝国の中心――皇宮の巨大な白磁の門へと滑り込んだ。
馬車から降り立った焔光と風花、その後ろから続くエドガーと朧を待っていたのは、煌びやかな近衛騎士たちの列、そして、誰よりも早く駆け寄ってくる二つの人影だった。
「――焔光! 風花! よくぞ、よくぞ無事で……!」
毅然とした気品の中に、父親としての深い焦燥を滲ませて二人を抱きしめたのは、現皇帝の三男である蒼真・フォン・アウグスト。そしてその隣で、普段の辺境伯出身としての強靭な精神を忘れ、涙目で二人の身体に傷がないかを確かめる母のシルフだった。
「父上、母上、ただいま戻りました。そんなに心配しなくても、僕たちはかすり傷一つ負っていませんよ」
焔光がシレッとしたいつもの頼りなげな笑みを浮かべると、風花も嬉しそうに母の手に触れた。
「そうですわ、お母様。お兄ちゃんが、皇后様からいただいた素晴らしいスクロールを完璧なタイミングで発動してくださいましたの。風花の「風」の出番すらありませんでしたわ!」
「スクロール、か……」
蒼真は一瞬だけ瞳を細め、我が子の顔を見つめた。それが世間を欺くための「言い訳(隠蔽)」であることは重々承知している。だが、だからこそ、何千というウォーター・ゾンビと禁忌の符の暴走を前にして、それを「無傷の奇跡」で片付けてのけた息子の底知れない規格外ぶりに、背筋が震える思いだった。
「お母様(皇后)にお礼を言っておかねばな。……とにかく、無事でよかった。よくぞ、生き残ってくれた」(シルフの実家(西辺境伯家)の恩人であり、敬愛する兄上たる勇帝の遺児に何か有れば、悔やんでも悔やみきれんからな。)
「あなたたちの無事が、何よりのご褒美ですわ」
両親の温かい言葉に、焔光は胸の奥をじんわりと満たしながらも、「全ては裏で動いてくれたエドガー先生と朧さんのおかげです」と、表向きの謙虚さを貫くのだった。
次に、蒼真、シルフがエドガーのもとに移動した。
シルフが、慈愛に満ちた、しかしどこか切ない微笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「エドガー先生、本当にありがとうございました。風花はもちろんですが……何より、世間から「期待外れ」と蔑まれ、過酷な宿命を背負わされているあの焔光を、一人の生徒として、真っ当に守り、導いてくださって」
「勘弁してくださいよ、シルフ様。俺はただ、織姫様に「あの二人の盾になれ」って脅されてるだけの、しがない雇われ教師ですよ」
エドガーはスクエアメガネの奥の目をすぼめ、苦笑を漏らす。
「それに……「期待外れ」だなんて噂、あいつらの本質を前にしちまえば、ただの笑い話だ。風花お嬢様の才覚は言わずもがなんですが、焔光のあの坊主……あれは規格外なんて言葉じゃ収まらねえ。あんな「怪物の気」を隠しながら、学園じゃ「石礫程度の光弾」でドジを踏んだフリをしてのける。大した役者ですよ、親の顔が見てみたいくらいだ」
「ふっ、手厳しいな」蒼真が思わず破顔する。
「だけどね」エドガーは、少しだけ真剣な、教師の顔になった。「あいつがどれだけチートな力を持っていようが、俺のクラスの生徒である以上、ただの15歳のガキです。理不尽な大人たちの利権争いや、嫌がらせなんぞに、あいつの青春を汚れさせるわけにはいかない。……平穏に学園生活に馴染ませるためなら、担任としての当然の職務(仕事)ですよ」
その言葉に、シルフの目元がじわりと潤む。
エドガーはただの「一人の子供」として焔光を見てくれているのだ。親として感謝しか無かった。
次に朧のもとへ
「朧、本当にありがとう。いつもあの子達を守ってくれて」
「……私は、己の責務を果たしたまでにございます。」
「朧。貴方は専属執事の孔明を育て上げ、あの子の周りに完璧な盾を築いてくれた。風花がどれだけお兄ちゃんへの愛で暴走しても、貴方が優しく(時には物理的に)手綱を握ってくれている。貴方が学園の教官として影から見守ってくれているからこそ、私たちは親として、安心していられるのよ」
「シルフ様……」
「それにさ、朧」
蒼真が少し悪戯っぽく笑いました。
「学園長(織姫叔母上)からも聞いたぞ? 「朧は普段あんなにクールな顔をしているのに、学園の食堂で焔光が美味そうに飯を食っているのを、物陰から本当に嬉しそうに眺めている」とな」
「なっ……! 織姫様は、何を根も葉もないことを……!」
いつも冷静沈着な「鵺」の元エースが、一瞬で顔を真っ赤にして狼狽した様子をみて、蒼真もシルフも、堪えきれずにクスクスと笑ったのでした。
その後、厳かな静寂が支配する「玉座の間」へと通された。
広大な空間の最奥、一段高い玉座に鎮座するのは、皇国の絶対権力者であり、焔光たちから見れば祖父にあたる現皇帝――応心・フォン・アウグスト。
そしてその傍らには、皇帝が最も信頼を寄せる旧知の仲であり、宮廷府の政務を筆頭として差配する摂政が、鋭い知性を宿した瞳で控えていた。
「聖アウグスト学園遠征部隊の担任教論、エドガー・レオンハート。ならびに、皇宮直属特務機関「鵺」の九条朧。……両名とも、今回のメディチス財閥の不祥事における、迅速かつ見事な摘発、大義であった」
皇帝・応心の低く威厳に満ちた声が玉座の間に響き渡る。
呼び出されたエドガーは、クシャクシャになった煙草を(さすがに今は口に含めず)手の中で弄びながら、ダルそうに頭を垂れていた。その隣で、朧は完璧な軍服スーツ姿で一礼を返す。
「陛下。今回のウォーター・ゾンビの大量発生、ならびに召喚符の暴走は、すべてメディチス財閥支店による工場汚染の隠蔽工作が発端にございます…」
エドガーが事前に焔光から「全てエドガー先生と朧さんの手柄と言うことで」と頼まれていた通りに、固有能力「単独工廠」によって林と工場の境界に絶対の防壁を敷き、呪いの拡散を完璧に封じ込めた顛末を理路整然と(だが本人は酷くめんどくさそうに)報告した。
応心はエドガーの手柄の報告を聞き届けた後、「エドガーよ。久しいな。レオンハート辺境伯も喜んでいるだろう」エドガーは、頭を垂れながらダルそうに「であれば、嬉しいです」とだけ答えた。
皇帝は、その厳格な視線を、一段下がった場所に控える焔光と風花へと移した。その瞬間、皇帝の瞳に、身内としての深い、深い光が混ざり合う。
「……焔光、風花。前へ」
「はい、皇帝陛下(おじい様)」
二人が歩み出ると、応心は身を乗り出すようにして、二人をじっと見つめた。
「今回の校外実技、まさか財閥の泥臭い政治劇の罠に、我が孫たちが巻き込まれることになるとはな。……無事か? どこか、痛むところや、呪いに蝕まれたような感覚は残っておらんか?」
皇帝としての威厳を忘れ、ただの祖父として孫たちの身を案じる応心の言葉に、摂政も静かに微笑みながら頷いた。
「恐れ入ります、おじい様。僕も風花も、ご覧の通り元気そのものです」
焔光がシレッと微笑むと、応心は大きくホッと胸を撫で下ろした。
「そうか……無事ならば良い。お前たちに何かあれば、息子達に顔向けができぬところであった。学園にも近衛騎士を常駐させる案、考えねばな……して、織姫(学園長オリヴィア)の様子はどうだ? 学園で、お前たちをしっかり守れているか?」
「はい。織姫叔母様は、いつも学園を風で包み込むように見守ってくださっています。僕たちのことも、すごく気にかけてくださって、とても優しい大叔母様です」
「くくく、あの織姫が「優しい」か。あやつ、お前たちの前では随分と猫を被っているようだな」
応心は愉しげに笑い、摂政も「学園長が裏で完璧に目を光らせていたからこそ、今回の「鵺」の電撃的な包囲も成功したのでしょう」と同意した。
皇帝と摂政からの温かい労いを受け、今回の手柄の処理と、蒼真家への利権(「聖域」の交易権含む)の譲渡の公式な発表、実施が静かに確定していくのだった。
謁見を終えた後、焔光は一人、皇宮の奥深くにある「皇后宮」へと足を運んでいた。
そこに待っていたのは、皇室の秘宝や秘術を管理する【筆頭分家】竜王家出身であり、焔光の祖母にあたる皇后ベアトリスであった。
「皇后陛下(おばあ様)、ご挨拶に伺いました。……それと、これ、先日のお礼です」
焔光は懐から、戦闘で「皇后(おばあ様)から貰ったスクロール(紙切れ)を使った」という建前を今後も維持するため、お礼兼ねて新しく用意した美しい刺繍の施された白のハンカチを両手で差し出した。
「あら、焔光。ふふ、わざわざありがとうね」
皇后ベアトリスは、すべてを察したような慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、ハンカチを受け取った。彼女は竜王家の出身であり、皇室の隠蔽の経緯も、目の前の少年がどれほど規格外の力を秘めているかも、うっすらと見抜いている。
「学園の入学から日も浅いのに、随分と大変な目に遭わせてしまったわね。でも、あのような不届き者たちの企みなど、あなたの前にはただの羽虫のようなもの。必要なら私の名前は好きに使いなさい。……それにしても、よく頑張りましたね、焔光」
皇后は優しく焔光の頭を撫でた。その手の温もりに、焔光は心が解きほぐされるのを感じる。
「お褒めいただき、光栄です」
「いいのよ、そんなにかしこまらなくて。世間があなたを「期待外れ」と噂しようと、私たちがあなたの本質を誰よりも愛しているわ。だからね、焔光。どうか無理をせず、ただの一人の生徒として、あなたの学園生活を全力で楽しみなさい。それが、私の一番の願いよ」
「――はい。ありがとうございます、おばあ様」
皇后からの、心からの優しい激励を受け、焔光は「平凡なフリ」をこれからも徹底的に突き通し、静かな学園生活を守り抜こうと、改めて心に誓うのだった。
その日の夜。皇宮に用意された焔光の私室にて、彼がのんびりとベッドで読書をしていると、静かにドアがノックされた。
「入っていいかしら、焔光くん」
現れたのは、非常に高い知性と気品あふれる美貌を持ち、全貴族・国民から絶大な人気を誇る第一皇女――紗夜であった。
実母の実家である竜王家との強力なパイプ役であり、皇帝と宮廷府を繋ぐ皇室の象徴・外交役。現在、メディチス財閥の不祥事による戦後処理や利権の譲渡、政務機関との調整の真っ只中にいる彼女は、分刻みのスケジュールをこなす超多忙の身であった。
「あ、紗夜叔母様。こんな夜遅くに、どうしたんですか?」
「もう、叔母様なんて呼ばないでっていつも言っているでしょう? お姉様、と呼びなさい」
紗夜はクスッと妖艶に微笑むと、多忙の疲れを微塵も見せず、焔光のベッドの端へと腰を下ろした。彼女の張る「光」の聖なる導きの結界が、周囲の盗聴を完璧に遮断する。
「今回の魔鋼工場の件、因果予測するまでもなく、あなたがシレッと裏で全てを片付けたこと、完璧に見抜いているわよ?」
紗夜は美しい瞳を細め、いたずらっぽく焔光の顔を覗き込んだ。
「エドガー先生の「単独工廠」を手柄の隠れ蓑にするなんて、相変わらず平凡を装うのが上手ねぇ。おかげで蒼真兄様には、「聖域」の交易権を含む激アツな利権の一部が転がり込んできて、蒼真兄様も大喜びよ。……ありがとう、焔光くん。あなたのおかげで、メディチス財閥の調子に乗った動きを叩き潰せたわ」
「いや、僕はただ……おばあ様のスクロールに助けられただけで…」
「ふふ、まだ私にまで隠し通すつもり? 本当に可愛いわね❤」
紗夜は身を乗り出し、焔光の頬を優しく指先で撫でた。その高い知性と気品の中に、焔光への歪みのない、深い深い溺愛の情が満ち溢れている。
「今回は、烈真兄様の派閥や、メディチス財閥が学園のあなたや風花を狙って不穏な動きを見せ始めたから、私も裏で色々と「お仕事」を片付けているの。……本当に、しつこいわね。シェイラ義姉(烈真の妻でありメディチス財閥最高幹部の養女)に釘刺さないとね。安心して、あなたたちの平穏な学園生活を邪魔するものは、このお姉様が政務の表舞台からすべて叩き潰してあげるから」
「あはは……頼りにしてるよ、紗夜お姉様」
焔光が苦笑しながらそう呼ぶと、紗夜は「ふふ、よく言えました❤」と満足そうに微笑んだ。
「さあ、私はこれからまた、宮廷府の摂政殿との緊急会議に戻らなくちゃ。……学園に戻っても、あの5回生の大賢や、クラスの商家の娘なんかに、あまりうつつを抜かしちゃ駄目よ?将来お嫁さんにしてくれるんでしょ?」
「いや、それは小さい頃の…」焔光が言い終える前に、ウインクを一つ残し、超多忙な第一皇女は、風のように優雅に部屋を去っていった。
一人残された焔光は、嵐のような姉(叔母)の襲来に苦笑しつつも、自分の周りの「(過剰な)愛情」に守られていることを実感し、再び静かに本を広げるのだった。




