奈落の雷雨と、神域の力
少し長めです
メディチス財閥の支店工場、最上階の支店長室に、空間を揺るがすほどの不穏な衝撃が走った。ヤケクソになった秘書の手でコントロール用の親符が燃やされた瞬間、外の林全体から立ち上る「気」が、これまでにない禍々しい怒号を上げて大爆発を起こしたのだ。
窓の外を見下ろせば、鬱蒼とした林の全域が、どす黒い濁流のような呪いの気の嵐に飲み込まれていくのが見えた。
「しまったなあ。」と言いながら焔光は光弾で秘書を気絶させる。
「――チッ。とち狂いやがって、本当にやってくれやがったな」
支店長室の片隅で、エドガー・レオンハートが折れてクシャクシャになった煙草をギリッと噛み砕き、スクエアメガネの奥の瞳にモロに鋭さを宿らせた。焔光は、亜空間を使い朧に連絡する。
「朧さん。申し訳ないけれど、この工場内の残党の制圧と証拠の保全は、全て「鵺」の直属部隊で押さえてもらえるかい?宮廷府警察は、包囲に専念して貰って。」
焔光はいつもの頼りなげな笑みを完全に消し去り、指示を出す。
「御意に、若様。ネズミ一匹、書類一枚たりとも逃しはしません」
九条朧が鵺の部隊を次々に動かす。
「エドガー先生。申し訳ないけれど、先生の『単独工廠』の力で、この工場と林の境界線に絶対の防壁を敷いてほしいんだ。呪いの気の津波が、これ以上外の街や工場に流れ込まないように」
「へいへい、了解だ。……焔光の坊ちゃん、お前こそ無茶はするなよ? 林の中にはまだ、お前の可愛い妹や3回生達が残されてるんだからな」
エドガーはダルそうに肩をすくめながらも、その両手から凄まじい『土』と『機』の気流を解き放ち、秒単位での大規模防塞の構築を開始した。
「うん、分かっているよ。――じゃあ、行ってくる」
焔光が小さく呟くと同時に、彼の第二ギフト「無」の絶技が発動する。亜空間の次元の隙間を通り、彼は一瞬にして、呪いの嵐が吹き荒れる林の中心部へと直接「転移」した。
――林の中は、文字通りの地獄絵図と化していた。
秘書が発動させた暴走術式により、地表を覆っていた泥水が巨大な津波となってせり上がり、それらが林にいた数十、数百のウォーター・ゾンビたちと融合。肉体そのものが巨大な一つの山のような質量へと変貌し、不死性を極限まで増大させた災厄の巨獣――『ウォーター・ゾンビ・キング』へと成り果てていた。
さらに最悪なのは、その横で凄まじい放電を繰り返している狂気の存在だった。
6回生のアルベール・ヴァルハイトは、懐に忍ばせていた【魔獣召喚符】の暴走に直撃し、呪いの泥水と自身の高出力の電撃が完全に拒絶反応を起こした結果、符の呪術に肉体ごと取り込まれてしまっていた。
「あ、が……、がはっ……! 俺は、俺はヴァルハイトの、最高、の……アガガガガッ!!」
泥水が皮膚を覆って異形の外殻を形成し、その周囲を禍々しい青紫色の雷光が荒れ狂う。水と雷の二つのギフトを持つ、おぞましき「魔獣」へと変化したアルベールは、自我を失い、ただ周囲を破壊するためだけの狂戦士と化していた。彼の放つ規格外の電撃が上空の雨雲を呼び寄せ、林全体が激しい雷雨の嵐に包まれる。
「みんな、これ以上は危険だ!回復が早いので、 一撃粉砕する為に集まらないと…一度後退して――っ!」
3回生の神楽凍華が、紅蓮の刃で泥水の津波を切り裂きながら叫ぶ。風花も、ノアも、シャーロットも、ミーナも、それぞれのギフトで奮戦していたが、天災規模の雷雨と、何度切り刻んでも泥水から即座に無限再生するウォーター・ゾンビ・キング、そして狂暴化したアルベールの無差別な雷撃を前に、徐々に防戦一方へと追い詰められつつあった。
その戦場の中心に、一陣の空間の歪みと共に、焔光が音もなく姿を現した。
「――主!?」
影の中からいち早くその気配を察知した専属執事の孔明が、焔光の傍らに膝を突く。
焔光はシレッとした顔のまま、孔明に命令を下した。
「孔明。風花やシャーロットさん、ノア、それに凍華姉さん(姉弟子)たち3回生を連れて、今すぐこの林から強制的に撤退して。エドガー先生が工場との境界に防壁を作ってくれているから、そこまでみんなを誘導するんだ。……いいかい、一分もかけずに、全員をだ」
「……御意に。主の御心のままに」
孔明は主の内に秘められた圧倒的な「神域の気」を感じ取り、一瞬の躊躇もなく闇の中に溶けた。次の瞬間、林の各所で戦っていた風花たちの足元から巨大な【闇】の結界が立ち上り、彼女たちの身体を包み込んで空間ごと林の外へと強制転移させていく。
「お兄ちゃん!? どうしてお兄ちゃんがそこに――」
「焔光様――っ!?」
風花やシャーロットの悲鳴のような声が遠ざかり、林の中には、完全に焔光一人だけが残された。
周囲には、山のような質量を持つウォーター・ゾンビ・キング、誠に奇怪な落雷を撒き散らす魔獣アルベール。
「グルァァァァァッ!!」
「アガガガガッ! 死ね! 死ねぇぇぇ無能がぁぁっ!!」
二体の怪物が、同時に焔光へと牙を剥く。
だが、世界最強の英傑たちに育てられた少年は、ただシレッと、鷹の翼の装飾が施された短槍を緩く構えただけだった。
「やれやれ。誰も見てないし、手加減の必要もないね。……一瞬で片付けよう」
焔光の第一ギフト「光」に、第二ギフト「無」の絶技――四大英傑の一人、亡き父「勇帝」の力が上書きされる。
「光よ、集え。――黒孔弾」
焔光が小さく呟くと、彼の周囲に浮かび上がった十数個 の光弾が、一瞬にして光すらも透過させない漆黒の「極小のブラックホール」へと変質した。世界の質量を歪める、文字通りのチート大魔術。
――シュッ。
放たれた漆黒の光弾は、精密な制御能力により、ウォーター・ゾンビ・キングの巨体へと吸い込まれていった。
爆発音も、泥水の飛び散る音すらない。
漆黒の球体が着弾した瞬間、ウォーター・ゾンビ・キングの山のような巨体は、肉体も、水呪の気も、その不死性の根源たる呪術の術式すらも、ブラックホールの超圧縮によって亜空間の彼方へと一粒の塵すら残さず「すべてを飲み込み、消し去られた」のだ。
無限の再生能力を誇った災厄の巨獣が、文字通り、最初からそこに存在しなかったかのように一瞬で完全消滅した。
「……次は、アルベール先輩だね」
焔光は、落雷を撒き散らしながら飛びかかってくる魔獣アルベールを見つめた。
殺すのは簡単だ。だが、彼は巨大な財閥の思惑に踊らされ、実家から不味いものを押し付けられただけの哀れな操り人形に過ぎない。何より、ここで彼を殺してしまえば、ヴァルハイト家は悲劇として同情を誘い、余計に政治劇が泥沼化する可能性がある。蒼真(三男)家の平穏のためにも、ヴァルハイト家にも責任を取らせる為にも、ここは生かして捕らえるのが最善だった。
(アルベール先輩を救う方法……。符の呪術と、暴走した本人の「気」が最悪の形で同調している。なら、そのすべての呪いと部位欠損の拒絶を、ベースにある「気」の共鳴で強制的に清め癒やすしかないな)
焔光は短槍を収め、そっと両手を広げた。
彼の脳裏で、5回生の大賢ノエル――かつてノエルが14歳の時に、ギフトの気が同調したあの「現・大賢」の気のベースが完全に再現される。
「絶技」――至高の治療術(大賢の気の共鳴による、光ギフトの奇跡)。
「すべてを清め、癒やし給え。――「神聖なる浄化」」
焔光の身体から、林全体の暗雲を強制的に吹き飛ばすほどの、眩いばかりの至高の光が解き放たれた。それは大賢ノエルをも超える、聖なる巫女の血を引いた焔光だからこそ扱える、奇跡の絶対治癒の波動。
「ガ、あ、ああああああああっ!?」
光の波動に包まれた魔獣アルベールが、激しい悲鳴を上げる。だがそれは苦痛の叫びではなかった。彼の身体を覆っていた禍々しい泥水の呪術の外殻が、光に触れた瞬間からサラサラと純粋な水へと還り、蒸発していく。全身の細胞を蝕んでいた符の致死の呪いが、圧倒的な奇跡の力によって根こそぎ「清められ、癒やされて」いくのだ。
ドサリ、と地面に倒れ込んだのは、完全に人間の姿に戻ったアルベールだった。
その顔には魔獣の面影など微塵もなく、符の暴走による肉体の欠損すらも完全に再生され、ただ精神的な疲労からぐったりと気絶しているだけの、無害な上級生の姿があった。
「ふぅ……。上手くいって良かった。これで完璧に制圧完了だね」
激しかった雷雨は完全に止み、雲の隙間から美しい日の光が林へと降り注ぐ。
折れた木々もほぼなく、焦げ跡一つない。ただ、気絶したアルベールだけが泥の上に転がっているという、先程の光景が幻かと勘違いしそうな、あまりにもシレッとした解決劇だった。
数日後。
魔鋼工場の環境汚染隠蔽、人工的な魔獣発生、そして禁忌の魔獣召喚符の暴走という大スキャンダルは、皇国中央を激震させた。
だが、世間に発表された内容は、焔光の意図した通り、実際の真実とは大きく異なっていた。
「――聖アウグスト学園の遠征部隊が、メディチス財閥の工場排気による魔獣の暴走に遭遇。しかし、学園教論であるエドガー・レオンハート氏が、自身の固有能力「単独工廠」を用いて工場と林を完璧に完全封鎖。さらに、皇宮直属特務機関「鵺」を率いた九条朧氏と連携し、事件の首謀者であるメディチス財閥支店長をはじめ、事件に関与したとみられる関係者を電撃的に完全制圧・摘発した」
この圧倒的な手柄により、エドガーと朧の二人は、現皇帝・応心から直接の褒美を授与されるため、皇宮への公式な呼び出しを命じられることとなった。
「あー……。クソめんどくせえ。マジで反吐が出るほどめんどくせえ〜……」
学園の教員室。クシャクシャになった煙草をいつにも増して激しく噛み砕きながら、エドガー・レオンハートは机に突っ伏して盛大な愚痴をこぼしていた。
「おい、朧さんよ。なんで俺がわざわざ皇宮なんて泥臭い政治の巣窟に行かなきゃならねえんだ? 手柄なんて全部お前ら「鵺」のモンにして、俺はここでサボらせてくれよ。レオンハート(北辺境伯)の兄貴達の耳に入ったら、また勝手に家督争いだなんだと周囲が騒ぎ出すに決まってんだろ〜……」
「諦めなさい、エドガー。既に耳に入ってるはずですし。レオンハート家にもエドガーへの褒美の件、報告行ってます。」
隣のソファーで、軍服スーツの襟を正しながら、九条朧が冷淡に、だがどこか楽しげに告げた。
「今回の件は、学園長(織姫)の息もかかっています。それに、皇帝陛下からの直々の勅命です。拒否すればそれこそ宮廷府の役人どもに突っ込まれますよ。……それに、陛下からの要請は、私たちだけではありません」
朧は教員室のドアの近くで、シレッとした顔で佇んでいる焔光、あるいはその腕に幸せそうに抱きついている風花へと視線を向けた。
「今回は、事件の現場に居合わせた、皇族であり、蒼真(三男)家の太子達として、焔光様、風花様。お二人も同時に皇宮へ来るようにとの要請が入っています。皇帝陛下……つまり、お二人からすれば「おじい様」が、お孫さんたちの無事を直接この目で確かめたいとの事です」
「えっ、僕たちもですか?」
「若様、今回メディチス財閥が関わっています。カトリーヌ妃殿下の手前、皇族が直接証言する方が間違いないので…」
焔光は困ったように眉を下げた。皇宮に行くとなれば、また烈真(次男)派閥の嫌がらせや、親戚一同のドロドロした視線に晒されることになる。せっかく学園で「期待外れ皇子」としての平凡な平穏を築きつつあり、エドガー先生に全て押し付けたのに。非常にめんどくさい。
「お兄ちゃん、おじい様(皇帝)に会いに行くのですか? 風花、お兄ちゃん一緒なら、どこへだって付いていきますわ!」
フンス、と鼻息を荒くする可愛い妹に免じて、焔光は「はは……分かったよ。じゃあ、一緒に行こうか」と苦笑するしかなかった。
しかし、今回の事件による本当の「最大の地殻変動」は、表舞台の手柄の授与などではなく、裏の利権のパワーバランスの大きな変動にあった。
公式な監督責任、および環境汚染と暗殺者の雇用という明確な大罪を宮廷府警察と「鵺」に完璧に差し押さえられたメディチス財閥。皇帝と摂政からの追及を避ける為、すぐさま、支店長の単独暴走として声明発表、尻尾のトカゲ切りと言うには被害がデカく、皇国でのその膨大な発言力は大打撃を受けることとなった。とはいえ、国家予算の3割を動かす巨大組織であり、完全にすべてを喪失したわけではない。しかし、その一部に走った亀裂は深刻だった。
結果として、皇帝・応心からの厳しい裁定が下る。
問題となった巨大な魔鋼工場、およびメディチス財閥で工場管轄していた支店の全組織、全資産は、すべて「皇室預かり」の運営企業、すなわち国営組織として国に没収されることが決定した。
そして――。
その没収された工場および支店のすべての監視権、運営権、および莫大な海洋物流網の利権、これは流石にすべてではなく、その「一部」。それも、人類初のギフトを神から授かったとされる――東側「聖域(始祖の島)」の交易権を含む最重要利権が、現皇帝の三男であり、風花の父親である「蒼真・フォン・アウグスト」へとすべて譲渡されることになったのだ。
「聖域」の交易権や海域警備を巡り、これまでメディチス財閥からの巨額の寄付を必要としていた東のアズラエル辺境伯家、あるいはその要職であるヴァルハイト家は、この利権が三男の蒼真の手へと渡った事により、一気に行動の生命線を握られる形となった。次男の烈真を皇太子に据えるための資金ルートの一角を、根底から完全に崩された形である。
「やれやれ……。俺が裏で泥を被ってやったおかげで、蒼真(三男)家は「聖域」の交易権を含む激アツな利権の一部をごっそり手中に収めたってわけか。聞いた話じゃ、このメディチス財閥への制裁条件、焔光殿下の坊っちゃんが父君の蒼真殿下を通して、皇帝に進言したって事だが?」エドガーが、焔光を見るが、焔光は黙って肩をあげて、「さぁ?」と答えただけだった。
「本当に、期待外れの坊ちゃんの「シレッとした無双」には、誰も敵わねえな」
エドガーは立ち上がり、呆れ果てたように焔光を見つめながらも、その口元に確かな戦友としての不敵な笑みを浮かべた。
巨大な財閥の思惑を、その圧倒的な器と不可視の絶技で逆にハメ返し、実家の経済力を押し上げた少年は、今日も変わらず、どこまでも平凡で無害な「期待外れ皇子」としての笑みを浮かべるのだった。




