新緑の乙女と、狂信者の勘違い(真実を暴く?)
学園の放課後。いつもなら多くの生徒で賑わう第一中庭の片隅で、シャーロット・ヴァンダムは、可憐な新緑色のセミロングヘアを揺らしながら激しい葛藤に身を焦がしていた。
「(どうしましょう……どうしましょう……!)」
彼女の、知的なエメラルド格子の瞳がせわしなく泳ぐ。
手元には、実家であるヴァンダム新興商会の最新流通網から取り寄せた、最高級の茶葉と手作りクッキーの包み。
当初の目的は、この色香と交渉術で「期待外れ皇子」の焔光を完璧に籠絡し、商会の操り人形にすることだった。……はずだった。
しかし、先日のあの夕暮れ。財閥の重圧に押しつぶされそうになった自分を、あの優しく底知れない器で救い出してくれた彼の温もりに触れて以来、シャーロットの頭脳から「打算」の二文字は綺麗さっぱり消失していた。今や、純粋な、そしてあまりにも初心なガチ恋の乙女である。
「こ、焔光様。ちょうど、良いお茶が手に入りまして……その、もしよろしければ……」
そんなセリフを脳内で何百回も練習し、ベンチで穏やかに本を読んでいる焔光へ一歩を踏み出そうとした、その時。
――ゴゴゴゴゴゴ……。
背後の茂み、および頭上の校舎の窓から、大気を細胞レベルでバラバラに切り刻むような、凄まじい「気」のプレッシャーがシャーロットの華奢な背中に突き刺さった。
「……あのお狐お嬢様、またお兄ちゃんに近づこうとしていますわ」
「ふふ、あれだけ笑顔で圧をかけておいたのに、あのヴァンダムの娘、焔光くんを狙うなんて、本当に良い度胸をしてるわねぇ」
振り返らずとも分かる。
一歩引いた廊下で琥珀色の瞳を恐ろしく濁らせ、フンスフンスと激しい鼻息を漏らしている双子の妹の風花。そして、5回生の特等席から天災規模の魔道の輝きをうっすらと指先に灯らせて微笑んでいる大賢ノエルだ。
「ひ、ひぇっ……!」
素の、情けないリアクションが口から漏れ出る。
世界最強クラスの美少女二人の、物理的かつ魔力的な殺気(嫉妬)の前に、シャーロットは生まれたての小鹿のように膝をガタガタと震わせた。一歩でも焔光に近づけば、本当に自分の存在がこの世界の因果から消し去られかねない。
「あの、シャーロットさん? どうしたの、そんなところで震えて」
「あ、あの、焔光様……っ! な、なんでもありませんわ! ほ、ほら、日差しが、日差しが眩しすぎますの! ごきげんようーーっ!!」
恋路を進めるどころか、最強の壁の前に完全敗北したシャーロットは、涙目になりながら、新緑の爽やかな香りを撒き散らして全速力でその場から逃げ出すのだった。
「おや……。日差し、そんなに強くないと思うんだけどな」
一人残された焔光は、不思議そうに穏やかな太陽を見上げるのだった。
焔光は、二人の圧は察知してるが、焔光自身にとっては、微風程度であり、大した事だと思って無い。
一方その頃、学園の正面廊下では、また別の「異常なドタバタ」が巻き起こっていた。
「――静粛に! 「至高の兄君」が、これより廊下を通過されるぞ……っ!」
「おい、粗相のないようにしろ! 視線を落とせ、だが敬意は最大だ!」
バッと一斉にモーゼの十戒のごとく廊下の左右に割れ、完璧な直立不動の姿勢を取ったのは、風花様親衛隊(非公認)の男子生徒たちであった。
彼らは、6回生のアルベール・ヴァルハイトから「焔光を貶めろ」と唆された結果、「もしそんな真似をしたら、お兄ちゃんを狂信的に愛する風花様とノエル様に、跡形もなくバラバラに殺される」という生存本能の恐怖から、完全なる勘違いの結論に達していた。
彼らにとって、焔光は「触れてはならない、この学園の絶対的な守護神(お兄ちゃん)」なのだ。
そこへ、何も知らない焔光が、シレッとしたいつもの頼りなげな笑みを浮かべて歩いてくる。
「あ、みんな、こんにちは。……って、どうしてそんなに硬くなっているの?」
焔光が不思議そうに声をかけると、親衛隊のリーダー格の男子生徒は、心臓を鷲掴みにされたような衝撃と共に、直角九十度の美しいお辞儀を繰り出した。
「こ、こんにちはにございます、焔光様っ!! 本日も、実に「期待外れ」感を完璧に演じられるその尊顔、拝謁できて光栄の極みにございますっ!」
「え? 期待外れを演じる……?」
「はっ! 我々親衛隊、重々承知しております! 焔光様が真の実力を隠し、平凡な皇子としてこの学園の平穏を守っておられる、その深遠なる「知略」! まさに至高の兄君であらせられます!」
(……待って。なんでこいつら、僕が隠蔽(平凡なフリ)していることを知ってるの!? 師匠たちとの約束がバレてる!?)
焔光は内心で滝のような冷や汗を流し、笑顔を張り付かせたまま一歩後退した。
「い、いや、僕は本当に平凡な、石礫程度の光弾しか出せない皇子なんだけど……」
「ハッ! その徹底的な隠蔽の姿勢、恐れ入ります! おい、お前ら! 焔光様が「平凡だ」と仰っているのだから、我々は今後、世界一完璧な「平凡」としてお噂を流すのだ! 良いな!?」
「「「応っ!!!(血涙)」」」
「わ、わかったから、みんな大きな声を出さないで……!」
怯える親衛隊たちの、あまりの必死さと過剰な敬いっぷりに、焔光は完全にドン引きしながら、逃げるようにその場を去っていった。
「ふぅ……。至高の兄君か。主の偉大さが、ようやくあの愚民どもにも理解できたようですね、ミーナ」
「ええ、孔明。ですが、主に近づく不埒な害虫であることには変わりありませんから、いつでもすり潰せるよう、身体強化は維持しておきますわ❤」
影からそれを見届けていた専属主従は、親衛隊の(命がけの)勘違いを「主の器による当然の帰結」として冷徹に納得し、さらに狂信的な忠誠心を深めるのだった。
「おい、焔光。何そんなところで、魂が抜けたようなツラして突っ立ってんだ?」
放課後の無人の教室。折れてクシャクシャになった煙草をカリカリと噛み砕きながら、担任のエドガー・レオンハートがスクエアメガネの奥の瞳を向けた。
焔光はワラにもすがる思いで、教壇のエドガーに駆け寄る。
「エドガー先生! 大変なんです! 僕の「徹底的な隠蔽」が、あの風花様親衛隊の男子生徒たちに完全にバレていました! 僕がチート能力を隠していることや、真の実力があることまで筒抜けで……! どこから漏れたんでしょうか!?」
滝のような冷や汗を流して焦りまくる焔光。もし英傑たちとの「平凡を装え」という約束を破れば、どんな地獄の追加修行が待っているか分からない。
そんな哀れな教え子の姿を見たエドガーは、一瞬だけ呆気に取られた後、盛大に吹き出した。
「ク、ククク……ハハハハ! なんだ、そんなことかよ!」
「わ、笑い事じゃありません! 僕は深刻なんです!」
「安心しろ、坊ちゃん。真実は真逆だ」
エドガーはポンと焔光の肩を叩き、真実を告げた。
「あいつらはな、お前の実力を正確に見抜いたんじゃねえ。ただの生存本能だ。アルベールのバカに「焔光を貶めろか」って唆された結果、それをやったらお前を盲愛してる風花やノエル様に細胞レベルでバラバラに殺されるって恐怖してな。お前を怒らせないために、勝手に「知略を隠した至高の兄君」って神格化して、過剰に敬い始めただけさ。完全な勘違い、つまりはお前の被害妄想だ」
「……え? 勘違い、ですか?」
「ああ。誰も本当のチート能力(絶技)なんて気づいちゃいねえよ。ただの命乞いだ」
エドガーの言葉を聞き、焔光は一瞬で憑き物が落ちたようにヘナヘナと安堵の息を漏らした。
「な、なんだ……。本当に良かったです……」
胸を撫で下ろす焔光の、どこまでもシレッとした無害な横顔を見つめながら、エドガーは(まあ、あいつらの勘違いの方が、結果的に真実に近いってのが一番の皮肉なんだがな)と心の中で苦笑し、再び火のつかない煙草を深く噛み締めるのだった。
ガチ恋の乙女と、生き残るために狂信的な忠誠を誓う親衛隊。
焔光の望む「平穏な学園生活」のハードルは、天高くへと跳ね上がっていた。




