戦利品と、無音の贈り物
帝都の商業街から学園の敷地へと戻った焔光は、皇室だと、なかなか自由に買い物も出来無かったストレスを発散したとばかりに、満面の笑みをしながら、大きな包みを抱え、まず最初に学園長室のドアを叩いた。
「織姫叔母様、ただいま戻りました」
「あら、焔光。おかえりなさい。街の空気はどうだったかしら?」
執務机で優雅に書類に目を通していた学園長オリヴィア(織姫)が、凛々しく美しい顔に優しい微笑みを浮かべて顔を上げた。
焔光は包みから、深い深い藍色の、夜空を切り取ったようなデザインの気品ある髪飾りを取り出し、両手で差し出した。
「これ、叔母様に。いつも僕や風花のために、裏でたくさんの心配りをして守ってくださって、本当にありがとうございます。叔母様の瞳の色に似合うと思って選んだんだ」
「――え?」
厳格な学園長として周囲から畏怖される織姫の瞳が、驚きに丸くなる。恩人の遺児を守ることは彼女にとって義務であり、見返りなど求めたことはなかった。それなのに、あの子はただ純粋に、日頃の感謝を伝えるためにこれを選んでくれたのだ。
「ありがとう、焔光……。本当に、優しい子ね。大切に使わせてもらうわ」
織姫は愛おしそうに髪飾りを胸に抱きしめ、いつになく少女のように頬を染めた。
学園長室を後にした焔光が廊下を歩いていると、天井の梁から音もなく黒髪ロングポニーテールのしなやかな美しさを持つ――九条朧が舞い降りてきた。
「お出かけでしたか、若様」
「あ、朧さん。ちょうどよかった。はい、これ、朧さんに」
焔光がシレッと差し出したのは、実戦でも邪魔にならない、黒の組紐で作られたシックで頑丈な髪飾りだった。
「私に……ですか?」
普段は軍服スーツをきっちりと着こなし、暗殺者を狩るスペシャリストとして冷徹な彼女が、珍しく戸惑いの声を上げる。
「いつも「鵺」の仕事や学園の警護で、僕たちの影にいてくれてありがとうございます。たまには、髪型を少し変えてお洒落するのも、息抜きになっていいかなって」
朧にとって、出産時に立ち会った焔光は、自分の息子の様な、微かな感情を抱いていた。その焔光からのプレゼントは、朧と言えど心が揺れた。
「……感謝いたします、若。この朧、生涯を賭けて貴方様の影となりましょう」
切れ長の瞳を潤ませ、深く頭を垂れる朧。普段のズボラな一面はどこへやら、彼女の忠誠心は今の一言で完全に限界突破していた。
次に向かったのは、1回生寮の談話室だ。そこには、焔光の帰りを今か今かと待ち構えていた風花と大賢者ノエル、そしてミーナが、なぜか息を呑んで立ち尽くしていた。
「みんな、ただいま。お土産があるんだ」
焔光がそう言って包みを開けると、女子陣の視線が一斉に釘付けになる。
「風花、これは君に。いつも僕の隣にいてくれて、蒼真(三男)家の期待を背負って頑張ってくれてありがとう。君の風のギフトみたいに、爽やかで綺麗な水色のリボンだよ」
「お、お兄ちゃん……っ!!」
風花は水色の髪飾りを受け取ると、あまりの嬉しさと兄への愛しさに胸をかきむしり、「お兄ちゃんから貰う髪飾り……! 一生、死んでも家宝にしますわ!」とフンスフンスと激しい鼻息を漏らして歓喜に震えた。
「それからノエル様。いつも修行をつけてくれて、学園でも僕のことを気にかけてくれてありがとうございます。ノエル様の豊満な美しさに負けない、鮮やかな真紅の薔薇の髪飾りです」
「まぁ……っ! 私に真っ赤な薔薇を贈るなんて、それって実質プロポーズなんじゃないの?、焔光くん!❤」
5回生の大賢者は薔薇を髪に差すと、プロポーション抜群の身体を焔光にしなだれかけ、至高の治癒術士らしからぬ熱い吐息を漏らしてガチ恋の笑みを浮かべた。「師匠〜!、お兄ちゃんから離れなさい!」と風花が即座に割り込み、二人の間で激しい気の火花が散り始める。
「ミーナも、いつも完璧な給仕と美味しいご飯をありがとう。君の『木』の優しさに合う、若草色のブローチだよ。髪飾りじゃなくてごめんね」
「いいえ……! 主直々のご褒美、このミーナ、身に余る光栄にございます!」
ミーナはいつもの笑顔を崩さなかったが、受け取ったブローチを愛おしそうに握りしめ、(主の私への愛がブローチに……。やはり、主に害をなす虫どもは、より迅速に粉砕せねばなりませんわね……)と、裏で狂信的な決意をさらに滾らせていた。
一通りのプレゼントを渡し終え、談話室の嵐(女子達の小競り合い)から逃れるように、焔光は一人、静かな中庭へと連なる廊下へ出た。
その後ろには、やはり影のように音もなく、専属執事の孔明が従っていた。
孔明は先ほどの買い出しの際、主の護衛とチンピラの排除に全神経を注いでおり、自分の買い物など一切していなかった。欲しいものなどあるはずがない、それが影に生きる者の宿命だからだ。
だが、焔光は立ち止まり、振り返った。
「孔明。これ、僕からのプレゼント」
焔光の手のひらにあったのは、美しく磨かれた、深い銀色の鈍い輝きを放つ小さな腕輪だった。
「え……? これは……」
孔明の冷徹な瞳が、初めて微かに揺れた。それは商業街の魔導具店で、孔明が「自身の放つ闇の結界内の音や気配を、さらに完全に遮断できる」という、隠遁の補助に最適な一級品だと一瞬だけ目を留めていた【無音の腕輪】だった。
「コソッと買っておいたんだ。孔明はいつも、自分のことより僕の安全ばかり優先してくれるから。今日のチンピラたちの時も、僕に心配をかけないように、完璧に音もなく片付けてくれただろう? いつも影から僕の平穏を守ってくれて、本当にありがとう。これ、君の隠遁の助けになるといいなと思って」
優しく微笑み、感謝を伝える焔光。
孔明はその場に跪き、震える手でその腕輪を受け取った。
「……主。執事として、このような至高の贈り物をいただくなど、恐悦至極に存じます。我が師・朧様より受け継ぎしこの命、そしてこの『闇』の全て……今後とも、永久に貴方様のためだけに捧げることを、ここに誓います」
「大袈裟だなぁ〜、今のままで十分感謝してるよ」
影の執事の胸の奥で、主へのカンストした忠誠心が、熱い熱い焔となって燃え上がった。自分を「道具」ではなく、一人の「大切な存在」として見てくれる、焔光の計り知れない優しい器。孔明は腕輪をしっかりと手首に嵌め、一生外さないと心に誓うのだった。
場所は変わり、聖アウグスト皇立魔導武官学園・生徒会長室。
カチ、カチ、と静かに時計の針が刻む部屋の中で、5回生の生徒会長クラリス・ヴァルハイトは、机に両肘をつき、深い、深いため息をついていた。
その対面のソファーでは、6回生の異母兄アルベール・ヴァルハイトが、髪をボサボサに振り乱し、幽霊のような顔でブツブツと呪詛を吐き散らしていた。
「おかしい……。何かがおかしいんだ、クラリス……! 俺の完璧な作戦、完璧な舞台だったはずなんだ……! チンピラどもがボコるタイミングを見計らって、俺の『雷』で颯爽と現れるはずだったのに……。なぜだ、なぜ俺の出番が一度も来なかったんだ……!?」
アルベールはガタガタと震えながら、今日一日の出来事を妹に報告していた。
路地裏の奥で息を潜め、最高のセリフを何度も練習しながら待機していた事。どれだけ待っても悲鳴一つ聞こえず、しびれを切らして覗き込んだら、雇った精鋭のチンピラたちが綺麗に一列に並べられて、白目を剥いて転がっていたこと。
「地形も壊れていなければ、争った形跡すら皆無だったんだぞ……! まるで、最初から俺の計画が世界の法則によって「なかったこと」にされたかのように……! あの無能皇子は髪飾りを片手にヘラヘラと笑って歩いていった! 意味が分からん! 怖すぎるだろうがぁぁっ!!」
頭を抱えて絶叫する兄を見つめながら、クラリスの目は完全に死んでいた。
「……お兄様。本当にお馬鹿さんを通り越して、哀れになってきましたわ」
「なんだと、クラリス! 俺は真剣に――」
「静かにしてください。お兄様の声が響くだけで、私の知性が下がりそうですわ」
クラリスは冷淡に兄の言葉を遮り、冷ややかな視線を向けた。
(当然ですわ。あの無能皇子の後ろには、元『鵺』のエースの愛弟子である、あの恐ろしい執事が付いていたのですから。街のチンピラごとき、息をするよりも簡単に、音もなく処理されて当たり前ですわ。それを、出番がないだの、世界の法則だの……恥ずかしくないのかしら)
クラリスは、兄が禁忌の【魔獣召喚符】をまだ使わなかったことだけは安堵したが、彼の頭の悪さには、これ以上ないほど呆れ果てていた。
(今回の失敗、やはり母上にも実家にも報告する価値はありませんわね。メディチス財閥の不義理になる以前に、ただお兄様が一人で空回りして自滅しただけ。……可哀想なお兄様。次期皇太子候補の競り合いに我が家を巻き込まないで、そのまま保健室のベッドで一生眠っていればよろしいのに)
「クソッ、クソォォォッ! 次こそは! 次こそは俺の『雷』で、あの無能皇子のヘラヘラした面を剥ぎ取ってやるからな――っ!!」
生徒会室に響き渡るアルベールの無駄な咆哮を、クラリスは冷たい紅茶を啜りながら、完全に無視して次の書類へと目を移すのだった。




