揺れる新緑、蠢く財閥の闇
放課後の廊下、新緑の残り香を追うように、二つの凄まじい「気」が静かに、だが確実に膨れ上がっていた。
「……ねえ、風花ちゃん。あなたも気づてるかしら?」
学園の5回生でありながら魔道の頂点に立つ大賢者ノエルは、豊満な胸を不満げに波打たせ、廊下の窓から中庭を見下ろしていた。その美しい顔には、至高の治癒術士らしからぬ、どろりとした独占欲が浮かんでいる。
「ええ、気づきましたわ、ノエル師匠」
その隣に立つ1回生の風花も、琥珀色の瞳を極限まで鋭く尖らせ、フンスと激しい鼻息を漏らしていた。彼女の周囲で、目に見えない風の刃がパチパチと空間を削り取っている。
「あのお狐お嬢様、最初はただの不埒な打算で近づいていたはずなのに……さっきお兄ちゃんに手を握られた時の顔、完全に「ガチ」の目になっていましたわ! 今でも泥棒猫(※世界最強クラス)が居るのに、今度は商家の娘までお兄ちゃんを狙うなんて……! 許せません、風花の刃でバラバラにして差し上げます!」
「あら、誰の事?私は泥棒猫じゃなくて未来のお嫁さん、風花ちゃんの未来の義姉よ? でも、あのヴァンダムの娘は調子に乗りすぎね」
ノエルはクスクスと微笑みながらも、その瞳の奥には天災規模の魔道を操る英傑としての冷徹な光が宿っていた。
「焔光くんに何かしたら分かっているわね、ってあの生徒会長のクラリスにも圧をかけておいたのに……ヴァンダム新興商会が焔光くんの無垢な優しさを狙うなんて。これ以上変な虫がつくなら、ちょっと「お掃除」が必要かしら?」
学園トップクラスの力を持つ二人が、一人の商家の娘を標的に凄まじいもやもや(修羅場)を募らせる中、その数歩後ろの「影」には、専属主従の二人が微動だにせず控えていた。
「孔明。あのシャーロットという女、主にガチ恋の気配ですわね」
ミーナは完璧な給仕の笑顔を保ったまま、植物の生命力を練り上げた拳をピキピキと鳴らした。
「最初の打算の時点で物理的にすり潰しておくべきでしたわ。主の清らかな心を惑わすなど、侍女として万死に値すると判断します」
「……いや、待てミーナ」
孔明は影の中に半身を沈めたまま、冷徹な切れ長の瞳を光らせ、顎に手を当てた。
「我が師・朧様の教えを思い出すんだ。あの女はヴァンダム新興商会の娘。彼女が完全に主の軍門に降る(ガチ恋になる)ということは、財閥を上回ろうとするヴァンダムの資金力と物流網が、そのまま蒼真(三男家)――ひいては主の隠された「盾」として機能することを意味する」
「……おや、それはつまり?」
「実家の謀略に利用されるのではなく、主の器によって逆に取り込まれたのだ。結果として主の安全圏が広がるのであれば、執事としては静観、および利用価値の搾取に舵を切るのが合理的。……まぁ、主にこれ以上近づきすぎるなら、その時は私が裏で処理するがね」
主へのカンストした忠誠心を持つ主従は、それぞれが冷酷かつ狂信的な結論を出し、主の平穏を守るための次なる一手を暗暗のうちに巡らせていた。
同じ頃、学園の保健室。
先の武術大会で焔光に「適当に振り回された木剣(※中身は剣聖と鍛神のチート絶技)」によって鳩尾を砕かれ、全身ボロボロになってベッドに横たわっていたアルベール・ヴァルハイトの元に、実家であるヴァルハイト家からの一通の手紙が届けられていた。
「う、ぐ……、あの……無能皇子め……! 運良く俺の攻撃を避けて、たまたま当たっただけのくせに……!」
まだ痛む脇腹を押さえながら、アルベールは怒りに震える手で手紙の封を切った。
差出人は、アズラエル辺境伯家の要職を務め、烈真(次男)派閥の重鎮である彼の父親からだった。しかし、その文面を読み進めるうちに、アルベールの顔は屈辱と焦燥、環境への畏怖へと染まっていく。
『――アルベールよ。お前が学園で焔光・フォン・アウグストに不覚を取ったとの報が入った。誠に遺憾である。
現在、我がヴァルハイト家、ひいては東のアズラエル辺境伯家は、国家予算の3割を動かす「メディチス財閥」からの巨額の寄付、および海洋物流網の無償提供により、これまでにない莫大な利権を得ている。財閥の総帥が望むのは、カトリーヌ妃殿下の子たる烈真様を確実に皇太子へ据えることだ。
財閥の思惑としては、次期皇太子候補の競り合いで蒼真(三男)家の威信を徹底的に叩き落とすため、学園内の蒼真(三男)家の子供たち(焔光と風花)、特に無能と噂される焔光に注目を集め、早急に失脚させたい意向である。お前が公衆の面前で無能に敗北したという失態は、メディチス財閥への不義理となりかねん。ヴァルハイトの誇りに賭けて、早急に巻き返しを量り、今度こそ蒼真(三男)家の無能を白日の下に晒せ。しくじれば、我が家の地位もないと思え』
手紙を読み終えたアルベールは、クシャクシャに手紙を握りつぶし、ベッドを激しく叩いた。
「メディチス財閥……! 結局、俺たちヴァルハイトも、あの成金どもの金と利権の手のひらの上で踊らされているだけだというのか……!」
アルベールは、実家が財閥に完全に抱き込まれている現実への不快感を露呈させながらも、同時に、その圧倒的な資本力に言い知れぬ恐怖を感じていた。
ふと見ると、手紙の入っていた封筒の底に、もう一枚、禍々しい「気」を放つ黒い羊皮紙が同封されていることに気づく。
『追伸。同封したのは、メディチス財閥から裏で「提供」された、高位の魔獣を強制配置する【魔獣召喚符】である。……ただしアルベールよ、これの使用はヴァルハイト家としても極めて「不味い(リスクが高すぎる)」と思っている。もし学園内で魔獣の暴走が起き、それが我が家の仕業だと宮廷府の警察機構や学園長に露見すれば、東辺境伯家をも巻き込む大スキャンダルになりかねん。これはあくまで、お前の力だけでどうしても蒼真(三男)家を失脚させられない場合の、文字通りの「最終手段(毒薬)」として持っておけ。使う際は、絶対に足がつかぬよう細心の注意を払え』
アルベールはその黒い符を手に取り、じっと見つめた。
実家すら「不味い」と躊躇する禁忌のアイテム。それを平然と手渡してくるメディチス財閥の底知れぬ思惑と、それを受け入れざるを得ない実家の逼迫した状況が、アルベールの心に重くのしかかる。
「クソッ……! 実家からも財閥からも突き上げを喰らい、こんな危険なものまで押し付けられるとは……! それもこれも、あの期待外れ皇子が、運良く俺に恥をかかせたせいだ……!」
アルベールは額に青筋を浮かべ、どす黒い嫉妬と憎悪を滾らせる。
「いいだろう……。メディチス財閥の思惑通り、蒼真(三男)家のガキどもを徹底的に引きずり下ろしてやる。この符を使うまでもない。あの無能皇子……次こそは、俺の本気の「雷」で、二度と立ち上がれないように焼き尽くしてやる……!」
巨大な財閥の影に操られ、禁忌の符を握りしめながら、ボロボロの上級生は、焔光への狂気混じりの復讐心を募らせていくのだった。
手紙を握りしめ、憎悪の笑みを浮かべるアルベールの頭上――開いた窓から、一陣の柔らかな「風」がすうっと吹き抜けていった。
その風は学園の敷地を滑るように駆け抜け、最上階にある学園長室へと流れ込む。
「――あらあら。東のヴァルハイトの坊ちゃん、実家からずいぶんと「不味いもの」を押し付けられてしまったのね」
デスクで書類に目を通していた学園長オリヴィア(織姫)は、風が運んできた保健室の密談と黒い符の気の揺らぎを完璧に【空間把握】し、妖艶な唇を吊り上げた。
彼女の第一ギフト「風」と第二ギフト「無」は、学園内に吹く風を通じて、誰がどんな密談をしているかをすべて網羅する。
「メディチス財閥も、我が学園を随分と舐めてくれたものだわ。……エドガー、朧。少し裏から風通しを良くしておいてちょうだい。あの子(焔光)の平穏な学園生活に、これ以上の害虫を近づけさせないためにね」
織姫は静かに窓の外を見つめ、恩人の遺児を守るための冷徹な眼光を、夕闇の学園へと放つのだった。




