第51話 『看板の代償』
公開交渉が終わった後。
俺たちは、拍手とざわめきの中を抜け、情報屋ギルド第三支部――通称“蜘蛛の巣”へ戻った。
「……疲れた」
地下酒場の椅子に腰を下ろした瞬間、全身から力が抜けた。
肩。
腕。
脇腹。
全部痛い。
さらに熱もある。
正直、今すぐ床で寝られる。
「寝ないで」
隣からリゼの声。
「まだ何もしてない」
「目が寝ようとしてた」
「目でバレるの便利すぎない?」
「便利だから見てる」
リゼは真剣な顔で、俺の額に手を当てた。
「熱、上がってる」
「広場で頑張ったからな」
「頑張りすぎ」
「でも勝っただろ」
「勝ったけど」
リゼは少しだけ頬を膨らませる。
「勝ったからって、倒れていいわけじゃない」
「はい」
最近、リゼに逆らえない。
いや、逆らう気が起きないと言った方が正しいかもしれない。
怖いからではない。
心配してくれているのが分かるからだ。
……ちょっと怖いのもあるけど。
⸻
「さて」
ロザリアが卓上に分厚い書類を置いた。
「本題に入ろうか」
「今から?」
「もちろん」
「俺、怪我人なんだけど」
「怪我人でも契約は読める」
「この街、容赦ないな」
「自由都市だからね」
「その言葉、嫌いになりそう」
ロザリアは楽しそうに笑った。
赤い髪を揺らし、片目の眼帯を指で叩く。
「今日の公開交渉で、君たちは“商品”から“交渉主体”になった」
「その言い方は少しマシだな」
「でも、それだけじゃ足りない」
「まだあるのかよ」
「当然だろう?」
ロザリアは書類を一枚ずつ並べる。
「ノルンで名前を掲げるには、看板がいる」
「看板?」
「保証契約だ」
カインが露骨に嫌そうな顔をした。
「出たよ」
「何だよ保証契約って」
「簡単に言えば、ギルドが俺たちを保証する代わりに、俺たちはギルドを窓口にする」
「ふーん」
「そして、手数料を取られる」
「だと思った」
ロザリアがにこやかに頷く。
「良い理解だねぇ」
「良くない理解だよ」
⸻
セリアが書類に目を通す。
怪我をしているのに、姿勢だけはやたら綺麗だ。
「内容としては、悪くありません」
「そうなのか?」
「はい。少なくとも、この契約下では、第三支部を通さない捕獲交渉、強制連行、売買契約は敵対行為と見なされます」
「おお」
「ただし、手数料が高いです」
「やっぱり」
カインがため息をつく。
「ロザリアだからな」
「おや、信用してくれて嬉しいよ」
「信用してるんじゃない。性格を知ってるだけだ」
「褒め言葉として受け取るよ」
「受け取るな」
⸻
リゼが書類を覗き込む。
「これ、ユウトだけじゃなくて、私たち全員?」
「そうだねぇ」
ロザリアは頷く。
「ユウト、リゼリア、セリア、元看守長、カイン、ミラ、イヴ。全員まとめて保証対象」
「元看守長って呼び方やめない?」
看守長が眉を上げた。
「名前を名乗れば変えてやるよ」
「……」
「名乗らないなら元看守長だ」
「じゃあそれでいいわ」
「頑固だな、お前」
俺が言うと、看守長は笑った。
「名前は高いのよ」
「この街に馴染みすぎだろ」
⸻
イヴは書類よりも、卓上の茶菓子をじっと見ていた。
「それは食べられる?」
「食べられるよ」
ロザリアが答える。
「契約書より優先度が高い?」
「人によるねぇ」
イヴは少し考えてから、茶菓子を一つ取った。
「私にとっては高い」
「ブレないな」
イヴは小さくかじる。
数秒沈黙。
「甘い」
「おいしい?」
リゼが聞く。
「おいしい」
「よかった」
この二人、食べ物で妙に仲良くなっている。
世界核だの観測核だの言っていた存在が、今は菓子を食っている。
外の世界、悪いことばかりじゃない。
⸻
「で」
俺は契約書を見る。
「これにサインしたら、俺たちはノルンで守られるってことか?」
「半分正解」
ロザリアが言う。
「半分?」
「守られる。ただし、君たちも価値を示し続ける必要がある」
「価値って言い方」
「嫌いかい?」
「嫌いだな」
「でもここでは必要だ」
ロザリアの片目が細くなる。
「君たちが“ただの逃亡者”なら、誰かに狩られる」
「君たちが“価値ある交渉相手”なら、誰も軽く手を出せない」
「その違いを作るのが看板だよ」
ムカつくほど正論だった。
結局、俺たちはまだ弱い。
名前を叫んだだけでは世界は変わらない。
でも、叫ばなければ物にされる。
なら、叫び続けるしかない。
「分かった」
俺はペンを取った。
「サインする」
「ユウト」
リゼが俺を見る。
「いいの?」
「ああ」
「勝手に売られないための契約だろ」
リゼは少しだけ考え、頷いた。
「なら、私も」
セリアも。
看守長も。
カインは渋々。
ミラは「治療費回収のため」と言いながら。
イヴは茶菓子を食べ終わってから。
全員が契約書に名前を書いた。
⸻
ロザリアは全員分の署名を確認し、満足そうに笑った。
「これで君たちは、第三支部保証対象だ」
「つまり?」
「今日から、誰かが君たちを捕まえようとしたら」
ロザリアはにやりと笑う。
「私に喧嘩を売ったことになる」
「頼もしいような、不安なような」
「両方で正解だね」
⸻
契約が終わると、ミラが俺の前に立った。
「次は治療」
「今?」
「今」
「飯は?」
「治療後」
「寝るのは?」
「治療後」
「拒否権は?」
「ない」
「この世界、拒否権ないこと多くない?」
リゼが俺の背中を押す。
「行くよ」
「リゼまで」
「ちゃんと診てもらって」
「はい」
今日何度目か分からない敗北だった。
⸻
情報屋ギルドの奥には、簡易の治療室兼浴室があった。
どうやら、負傷した情報屋や傭兵が使う場所らしい。
温水が出る。
清潔な布がある。
薬もある。
素晴らしい。
……問題は。
「なんで全員いるの?」
俺は上着を脱ぎかけた姿で固まった。
リゼ。
セリア。
看守長。
ミラ。
イヴ。
全員、部屋にいる。
「治療のため」
ミラが即答。
「医者は分かる」
「私は補助」
リゼが言う。
「補助?」
「包帯とか」
「目が泳いでるぞ」
「泳いでない!」
セリアは真面目に頷く。
「警護です」
「治療室で?」
「襲撃の可能性があります」
「否定できないのが嫌だな」
看守長は当然のように椅子へ腰かけた。
「観察よ」
「帰れ」
「冷たいわねぇ」
イヴは手を上げた。
「普通の治療に興味がある」
「研究見学みたいに言うな」
⸻
「脱いで」
ミラが淡々と言った。
「いや、この状況で?」
「傷を見るため」
「分かるけど!」
リゼが真っ赤になって顔を背ける。
「み、見ないから!」
「じゃあ何でいるんだよ!」
「補助!」
「補助する気ある!?」
セリアも少しだけ視線を外した。
「必要時のみ確認します」
「必要時とは?」
「出血が増えた場合など」
「冷静に怖い」
看守長だけは遠慮なく見ている。
「ふーん」
「見るな!」
「鍛えてはないけど、悪くない体ね」
「品評するな!!」
イヴが首を傾げる。
「悪くない体、とは?」
「イヴは覚えなくていい!」
⸻
結局、俺は半分諦めて上着を脱いだ。
ミラが傷を確認する。
肩。
腕。
脇腹。
包帯を外すたびに、リゼが小さく息を呑んだ。
「……こんなに」
「大げさだろ」
「大げさじゃない」
リゼの声が震える。
「こんなになるまで、何回も前に出た」
「……」
「次からは、本当に怒る」
「今も怒ってない?」
「今は心配してる」
その言葉が、胸に刺さった。
痛い。
傷より、少しだけ。
「悪かった」
「うん」
「次は、相談する」
「戦闘中に?」
「できるだけ」
「信用できない」
「だよな」
リゼはため息をついて、それでも包帯を渡してくれた。
「でも、信じたい」
「……頑張る」
⸻
治療が終わる頃には、俺は完全にぐったりしていた。
「もう無理。寝る」
「その前に体を拭く」
ミラが濡れ布を差し出す。
「自分でやる」
「背中は無理」
「じゃあ誰が」
沈黙。
リゼが真っ赤になる。
セリアが真面目に一歩前へ出る。
「私が」
「いや、待て」
看守長が笑って立ち上がる。
「私がやってあげてもいいわよ」
「一番ダメなやつ!」
イヴが手を上げる。
「経験として」
「もっとダメ!」
結局、ミラが無表情で俺の背中を拭いた。
「医療行為」
「ありがとうございます……」
「請求に含む」
「そこ取るの!?」
⸻
治療室を出ると、ロザリアが待っていた。
「部屋を用意したよ」
「助かる」
「ただし、訳あり客用だから広くはない」
「寝られれば何でもいい」
「二部屋だ」
「……二部屋?」
嫌な予感がした。
「男部屋と女部屋?」
「そんな上品な分け方はしてない」
ロザリアはにやっと笑った。
「重傷者部屋と、その他部屋だ」
「なるほど」
「ユウト、セリア、リゼは重傷者部屋」
「待て」
俺とリゼの声が重なった。
「なんで私も?」
リゼが聞く。
「共鳴疲労。魔力消耗。あとユウトの監視役」
「最後おかしくない?」
「一番重要だろう?」
ロザリアは楽しそうに笑う。
「君がいないと、彼はまた無茶する」
反論できない。
リゼも反論できない顔をしている。
セリアが真面目に頷いた。
「妥当です」
「妥当なの!?」
「監視は必要です」
「セリアまで!」
俺は天井を見上げた。
「これ、寝られる?」
リゼが小さく言う。
「私が見張る」
「いや寝ろ」
「ユウトが寝たら寝る」
「母親か」
「監視役です」
少し得意げに言うな。
⸻
重傷者部屋は、思ったより綺麗だった。
ベッドが三つ。
小さなテーブル。
窓はないが、換気用の魔導具が回っている。
俺はベッドに倒れ込んだ。
「……天国」
「まだ靴」
リゼが俺の靴を脱がせようとする。
「自分でやるって」
「動かないで」
「はい」
もう抵抗する力がない。
リゼは少し不器用に、でも丁寧に靴を脱がせてくれた。
「ありがとう」
「うん」
小さく返事。
その顔は少し赤かった。
⸻
セリアは部屋の扉側のベッドに座り、剣を壁に立てかけた。
「休めよ」
「休みます」
「目が見張りする目なんだよ」
「癖です」
「悪い癖だな」
「あなたに言われたくありません」
「確かに」
リゼが布団を俺にかける。
「寝て」
「うん」
「本当に寝て」
「分かった」
「起きて作戦考えないで」
「バレてる」
「寝て」
「はい」
⸻
目を閉じた。
体が沈んでいく。
久しぶりに、ちゃんと眠れそうだった。
逃げて、戦って、名前を叫んで。
ようやく少しだけ息ができる。
⸻
けれど。
眠りに落ちる直前。
部屋の扉が、静かに叩かれた。
コン、コン。
セリアが即座に剣へ手を伸ばす。
リゼも俺の前に立つ。
「……誰」
セリアの声が低い。
扉の向こうから、少女の声がした。
「情報屋ギルドのニアです」
「支部長から緊急伝言です」
俺は目を開けた。
「また?」
「はい」
ニアの声は、さっきまでより硬かった。
「白鴉と名乗る人物から、ユウトさん宛てに書状が届きました」
部屋の空気が変わる。
セリアの表情が鋭くなる。
「白鴉……」
ニアは扉越しに続けた。
「内容は一文だけです」
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『任務ではなく、話がしたい』
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眠気が、一瞬で消えた。
まだ休ませてくれないらしい。
この世界は、本当に容赦がない。




