第52話 『唯一の男は、誰のものでもない』
白鴉から届いた書状は、たった一文だった。
『任務ではなく、話がしたい』
俺はベッドの上で、それを何度も読み返した。
「……罠だよな」
「罠の可能性は高いです」
セリアが即答した。
剣はもう手元にある。
寝る気ゼロの顔だ。
「でも」
リゼが小さく言う。
「本当に話したいのかもしれない」
「リゼは優しいな」
「違うよ」
リゼは首を振った。
「白鴉さん、最後……襲ってこなかった」
ノルン中央広場の時計塔。
欠けた白い仮面。
あの時、白鴉は確かに俺たちを見ていた。
けれど、剣を抜かなかった。
任務ではなく。
話がしたい。
「……行くか」
「ダメです」
セリアが即座に立ち上がった。
「あなたは重傷者です」
「セリアもだろ」
「私は歩けます」
「俺も歩ける」
「あなたは倒れます」
「断言するな」
「実績があります」
「何も言えねぇ」
リゼが俺の額に手を当てた。
「熱、まだある」
「でも話は今日じゃないとダメな気がする」
「……」
「逃げ続けるだけじゃ終わらないって、さっき言ったばっかだしな」
リゼは少しだけ黙った。
そして、俺の手を握った。
「じゃあ、一緒に行く」
「危ないぞ」
「知ってる」
「白鴉だぞ」
「知ってる」
「俺、守れるか分からんぞ」
「なら私も守る」
強くなった。
監獄島で、鎖に繋がれて、外を知らなかった少女はもういない。
ここにいるのは、自分の足で外を選んだリゼリアだった。
セリアはため息をつく。
「……分かりました」
「いいのか?」
「止めても行くのでしょう」
「まあ」
「なら、私も行きます」
「怪我人パーティだな」
「あなたが筆頭です」
「ですよね」
その時、扉の外から看守長の声がした。
「もちろん私も行くわよ」
「聞いてたのかよ」
「壁が薄いのよ」
「絶対嘘だろ」
カインの声も続く。
「俺も行く。情報屋としては、この面談は見逃せない」
ミラが淡々と付け加える。
「私は行かない。怪我人が増えたら困るから治療室で待つ」
「それが一番正しい」
イヴは廊下から顔を出した。
「私も行く」
「理由は?」
「白鴉という個体の行動変化に興味がある」
「研究者っぽいな」
「あと、帰りに甘いものを買いたい」
「そっちが本音じゃない?」
「両方」
俺は笑った。
このメンバーで普通の旅は無理だ。
でも、悪くない。
⸻
白鴉が指定した場所は、ノルンの外れにある古い鐘楼だった。
夜。
街の喧騒から少し離れた場所。
壊れかけの階段を上がると、彼女はそこにいた。
白い仮面は、半分欠けたまま。
黒い外套が夜風に揺れている。
「来たのですね」
「呼んだのそっちだろ」
「罠だとは思わなかったのですか」
「思った」
「ならなぜ」
「話したいって書いてあったから」
白鴉は黙った。
セリアが一歩前に出る。
「白鴉」
「セリア」
二人の間に、昔からの何かがあるのは分かった。
任務。
監獄。
戦闘部隊。
置いてきたもの。
捨てたもの。
「あなたは、戻らないのですね」
「はい」
「任務を捨ててまで?」
「任務では守れないものがありました」
セリアは静かに言った。
「だから選びました」
「……そうですか」
白鴉の声には、怒りがなかった。
それが逆に意外だった。
「で、話って何だよ」
俺が聞くと、白鴉は俺を見た。
「監獄島への追跡任務は凍結されました」
「凍結?」
「あなた方がノルンで交渉主体として認められたため、王国研究院、ノルン、各勢力の間で政治問題になっています」
「……俺たち、政治問題になったのか」
カインが横で苦笑する。
「今さらだな」
「スケールでかすぎるんだよ」
白鴉は続けた。
「私は任務を外されました」
「それで?」
「自由になりました」
その言葉は、短かった。
でも、重かった。
「自由になったら、何すればいいか分からなくなったとか?」
白鴉は答えない。
ただ、少しだけ視線を伏せた。
図星らしい。
リゼが一歩前に出る。
「じゃあ、一緒に来ますか?」
「リゼ!?」
俺もセリアも同時に声を上げた。
白鴉まで、わずかに目を見開く。
「私はあなた方を追っていた敵です」
「でも今は話しに来た」
「……」
「私も、外に出たばかりの時、何をしたらいいか分からなかった」
リゼは笑った。
「でも、歩いたら、食べ物があって、空があって、人がいて、怖いこともあって……少しずつ分かりました」
「……」
「だから、歩いてみたらいいと思います」
白鴉は何も言わなかった。
けれど、欠けた仮面の奥の目が、わずかに揺れた。
セリアが剣から手を離す。
「白鴉」
「何ですか」
「あなたが任務ではなく、自分の意思で来たのなら」
セリアは静かに言った。
「私は、あなたを斬りません」
「甘くなりましたね」
「ええ」
セリアは少しだけ笑った。
「悪くありません」
白鴉は空を見上げた。
ノルンの夜。
魔導灯が遠くにまたたいている。
「……私は、まだ一緒には行けません」
「そっか」
リゼは残念そうに、でも納得したように頷いた。
「ですが」
白鴉は俺を見る。
「次に会う時、私は任務ではなく、私の意思であなた方の前に立ちます」
「敵として?」
「分かりません」
「分からないのかよ」
「自由とは、不便ですね」
「ほんとそれな」
俺は笑った。
心から。
「でも、悪くないぞ」
白鴉は何も言わなかった。
ただ、ほんの少しだけ口元を緩めた気がした。
⸻
翌朝。
俺たちはノルンを出る準備をしていた。
正式には、完全に出るわけではない。
第三支部の保証を受けながら、ノルン周辺の汚染地帯を調査する。
研究院とは限定的に情報交換。
ノルン評議会とは交渉継続。
情報屋ギルドは仲介手数料で儲ける。
ミラは治療費を請求する。
つまり——
「全然、平和じゃないな」
俺が呟くと、リゼが隣で笑った。
「でも、監獄島より自由だよ」
「それは間違いない」
広場の屋台で、リゼとイヴは朝食を買っていた。
焼きたてのパン。
卵。
甘い果実水。
リゼは両手でパンを持って、嬉しそうに笑う。
「ユウト、半分こ」
「また?」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあ半分こ」
差し出されたパンを受け取る。
温かい。
柔らかい。
普通の朝食。
ただそれだけなのに、胸に沁みた。
「おいしい?」
リゼが聞く。
「ああ」
「よかった」
「リゼは?」
「すごくおいしい」
リゼは空を見上げた。
青い空。
監獄島では見られなかった空。
「外に出てよかった」
「怖いことだらけだったけどな」
「うん」
「追われたし、滝落ちたし、地下水路潜ったし、世界の底まで行ったし」
「普通じゃなかったね」
「普通じゃないにも程がある」
リゼは少し笑った。
「でも、今は普通みたい」
「パン食ってるだけだもんな」
「うん」
それで十分だった。
⸻
セリアは新しい外套を羽織っていた。
まだ傷は治っていない。
でも、顔色は少し良くなった。
「セリア、無茶するなよ」
「あなたもです」
「先に言われた」
「当然です」
看守長は相変わらず名前を名乗らないまま、荷物を軽く背負っている。
「そろそろ名前教えてくれてもいいんじゃないか?」
「そうねぇ」
「お」
「最終回っぽい空気に流されて教えると思った?」
「思った」
「残念」
「お前なぁ!」
カインが横で笑った。
「そいつの名前は高いぞ」
「いくら?」
「国ひとつ分くらい」
「高すぎる」
イヴは甘い菓子を大切そうに持っていた。
「普通の旅、開始?」
「たぶん普通じゃない旅、開始だな」
「了解。普通じゃない旅を記録する」
「それでいい」
⸻
ノルンの門を出る前に、エレナが待っていた。
白い研究服。
相変わらず堅い表情。
「ユウト」
「今度は何の記録?」
「同行申請です」
「……は?」
全員が固まった。
エレナは淡々と言う。
「研究院との交渉窓口として、一定期間あなた方に同行します」
「それ、監視では?」
「監視も含みます」
「正直!」
「ただし、強制回収はしません」
「今のところ?」
「今後も、その方針を維持する努力をします」
「微妙に信用できる言い方やめろ」
リゼが少し笑った。
「でも、名前で呼んでくれるならいいよ」
エレナは一瞬だけ黙った。
そして、俺を見る。
「ユウト」
「何だよ」
「よろしくお願いします」
堅い。
でも、確かに少し変わった。
「こちらこそ」
俺は手を差し出す。
エレナは少し戸惑ってから、その手を握った。
研究対象ではなく。
交渉相手として。
人間として。
⸻
門の外。
道は続いている。
汚染地帯もある。
国の思惑もある。
ノルンの商人も、傭兵も、情報屋も、きっと俺たちを放っておかない。
ハルトが遺した名前。
一人目の失敗。
俺とリゼの共鳴。
まだまだ分からないことだらけだ。
でも。
もう、俺は誰かの器じゃない。
材料でもない。
国家資源でもない。
唯一の男だろうが、浄化する男だろうが、異界適応者だろうが。
その前に——
「ユウト」
リゼが呼ぶ。
「行こう」
「ああ」
俺はリゼの手を握った。
少し照れくさい。
でも、もう離す気はなかった。
「行こう」
俺たちは歩き出す。
空の下。
自由都市の外へ。
誰かに決められた役割ではなく。
自分たちで選ぶ未来へ。
⸻
俺は、俺だ。
リゼは、リゼだ。
俺たちは商品じゃない。
器じゃない。
材料じゃない。
名前を持った、人間だ。
だから今日も歩く。
食べて、笑って、怒られて。
たまに無茶して。
また怒られて。
それでも、隣に誰かがいるなら——
この世界は、きっと悪くない。




