第49話 『公開交渉』
翌日の正午。
自由都市ノルン中央広場は、異様な熱気に包まれていた。
「……多くない?」
俺は建物の陰から広場を覗いて、思わず声を漏らした。
人。
人。
人。
商人、傭兵、魔法使い、情報屋、貴族っぽい連中、野次馬。
広場の中央には簡易の舞台が組まれていて、その周囲をぐるりと人垣が囲んでいる。
「満員御礼だねぇ」
ロザリアが楽しそうに笑う。
「他人事みたいに言うな。俺が晒されるんだぞ」
「だから価値がある」
「その言い方やめろ」
「じゃあ、宣言される」
「少しマシ」
ロザリアは肩をすくめた。
「今日ここで君が言うべきことは一つだよ」
「何だ」
「私は商品ではない。けれど、交渉には応じる」
「……」
「それを、ノルン中に聞かせる」
⸻
リゼが俺の袖を掴んだ。
「大丈夫?」
「大丈夫じゃない」
「正直」
「昨日からずっと正直で生きてる」
まだ熱は少し残っている。
肩も腕も痛い。
でも歩ける。
喋れる。
なら、やるしかない。
「リゼは?」
「怖い」
「だよな」
「でも、逃げるだけはもう嫌」
リゼは広場を見る。
フードの奥の瞳が、少しだけ強く光った。
「私も言う」
「何を?」
「私は戻らないって」
「……そっか」
俺は頷いた。
「一緒に言おう」
「うん」
⸻
セリアは剣を携えたまま周囲を警戒している。
「警備、多いな」
「多いです」
「ノルン側?」
「半分は。残りは不明です」
「不明って怖いな」
「この街では普通です」
「普通の基準が終わってる」
看守長は舞台袖から広場を眺め、笑っていた。
「いいわねぇ。こういう場所、嫌いじゃないわ」
「俺は嫌いになりそう」
「大勢の前で名前を売るのよ?」
「売りたくて売るわけじゃない」
「でも売らないと、勝手に値段をつけられる」
「……それは嫌だな」
看守長は珍しく真面目な顔で言った。
「なら、自分で値札を破りなさい」
⸻
正午の鐘が鳴った。
ロザリアが舞台へ上がる。
ざわめきが、一瞬で静まった。
「ようこそ、自由都市ノルンへ!」
声が通る。
腹の底まで響くような、場慣れした声だった。
「今日ここに集まった皆様は、噂を聞きつけた商人か、賞金目当ての傭兵か、研究院の犬か、それともただの暇人か」
広場がどっと沸いた。
「全部いるだろうねぇ」
ロザリアは笑う。
「本日の議題は単純だ」
彼女は手配書を掲げた。
「王国研究院が回収を要求している男」
「魔力汚染を浄化すると噂される異界由来の男」
「そして、元王女リゼリア様」
ざわめきが大きくなる。
「彼らは今、ここにいる」
視線が一斉に舞台袖へ向いた。
心臓が跳ねる。
「行くよ」
リゼが小さく言った。
「ああ」
俺たちは、舞台へ上がった。
⸻
視線の圧がすごかった。
値踏み。
好奇心。
疑念。
欲。
期待。
全部が混ざっている。
「……うわ」
思わず声が漏れる。
リゼが隣で小さく笑った。
「緊張してる?」
「してる」
「私も」
「じゃあ仲間だな」
「うん」
ロザリアが俺たちを見て、にやりと笑った。
「さあ、ユウト。まずは名乗りな」
俺は一歩前に出た。
広場が静まる。
「俺はユウト」
声が少し震えた。
でも、止めなかった。
「浄化個体じゃない」
「研究材料でもない」
「王国の所有物でも、ノルンの商品でもない」
広場の空気が変わる。
「俺は、俺だ」
リゼが隣に立つ。
「私はリゼリア」
その名が出た瞬間、一部の人間が息を呑んだ。
「監獄島に戻る気はありません」
「誰かに管理されるために外へ出たわけじゃありません」
「私は、自分の意思でここにいます」
リゼの声は震えていた。
でも、ちゃんと広場の奥まで届いた。
⸻
その時、群衆の中から声が上がった。
「証拠は?」
男の声。
「浄化する男だと言うなら、証拠を見せろ!」
別の声。
「研究院が嘘をついている可能性もある!」
「いや、逆だ! 本物なら危険だ!」
「管理すべきだ!」
「売ればいくらになる?」
広場がざわつく。
俺は奥歯を噛んだ。
やっぱりこうなる。
名前を言っても、人はすぐ価値の話に戻る。
⸻
ロザリアが手を叩いた。
「証拠は用意しているよ」
「おい、聞いてないぞ」
「言ってないからね」
「最悪だな!」
舞台横から、黒い箱が運ばれてきた。
中には、拳大の黒い石。
見るだけで気分が悪くなる。
「魔力汚染鉱」
ロザリアが言う。
「通常は触れれば皮膚が焼け、魔力回路を蝕む危険物だ」
「そんなもん持ってくんな!」
「大丈夫。高かったから」
「値段の問題じゃない!」
リゼが俺の手を握る。
「一緒にやる」
「いいのか?」
「一人でやらせない」
「……ありがとう」
⸻
俺たちは汚染鉱の前に立った。
近づくだけで腕が熱くなる。
黒い石から伸びる細い糸。
昨日、世界の底で見たものよりずっと弱い。
リゼが小さく言う。
「見える」
「俺もだ」
「右側、黒い流れが濃い」
「ああ」
俺は手を伸ばす。
リゼの手を握ったまま。
指先が黒い石に触れた瞬間、焼ける痛みが走った。
「っ……!」
「ユウト!」
「大丈夫」
白い光が腕から広がる。
黒い石の表面に走るひび。
そこから黒い煙が上がる。
広場が息を呑む。
光が強まる。
リゼが流れを見る。
俺が切る。
黒い石は、少しずつ色を失っていった。
黒から灰色へ。
灰色から白へ。
最後には、ただの透明な結晶のようになった。
⸻
静寂。
⸻
「……本物だ」
誰かが呟いた。
「本当に浄化した」
「あり得ない」
「いや、見たぞ」
「研究院が欲しがるわけだ」
ざわめきが熱を帯びる。
好奇心が欲へ変わる音がした。
俺は手を引っ込める。
指先が震えていた。
リゼがすぐに支えてくれる。
「無理した」
「少しな」
「嘘」
「かなり」
「よろしい」
怒られているのに、少し安心した。
⸻
その時。
広場の奥から、冷たい声が響いた。
「確認しました」
人垣が割れる。
現れたのは、白い研究服の女。
エレナだった。
その背後には研究院兵。
だが、剣は抜いていない。
「王国研究院特務執行官エレナ」
彼女は舞台の前で立ち止まった。
「ユウト、あなたの能力は国家級の重要性を持ちます」
「またそれか」
「ですが」
エレナは一瞬だけ言葉を区切った。
「現時点で、あなたを強制回収することは不適切と判断します」
広場がどよめいた。
「研究院の公式見解かい?」
ロザリアが問う。
「私個人の暫定判断です」
「弱いねぇ」
「ですが、記録として残ります」
「悪くない」
⸻
エレナは俺を見た。
「あなたが交渉対象であることは認めます」
「人間として?」
「……」
少し沈黙。
そして、エレナは言った。
「人間として」
リゼが俺の手を強く握った。
それだけで、少し報われた気がした。
⸻
だが、広場の空気はそこで終わらなかった。
今度は別の声が上がる。
「研究院が引くなら、傭兵ギルドが保護する!」
「いや、商会が契約すべきだ!」
「ノルンの資産として管理しろ!」
結局、また同じだ。
保護。
契約。
管理。
言葉を変えただけで、全部“所有”に近い。
俺が口を開こうとした、その瞬間。
舞台の足元に、一本の矢が突き刺さった。
「伏せろ!」
セリアが叫ぶ。
次の瞬間、広場の屋根上から複数の影が飛び降りてきた。
黒い外套。
顔を隠した襲撃者。
「捕獲対象、確保!」
「生死不問ではない! 腕だけでも持ち帰れ!」
「腕だけ!?」
俺は思わず叫んだ。
「発想が怖すぎるだろ!」
セリアが前に出る。
看守長の指先に魔力が灯る。
カインが銃を抜く。
リゼが俺の手を離さない。
イヴが静かに言った。
「賞金稼ぎ」
「公開交渉の最中に!?」
ロザリアは笑っていた。
「ほらね」
「何が!」
「君の値札を破りたければ、まず群がる連中を叩き落とさないと」
「最初から読んでたな!?」
「情報屋だからね」
⸻
襲撃者が舞台へ迫る。
俺は痛む腕を握った。
逃げない。
ここで逃げたら、また商品に戻る。
交渉相手になるには、ここで立たなきゃいけない。
「リゼ」
「うん」
「少しだけ付き合ってくれ」
「一人じゃないなら」
「ああ」
俺たちは前へ出た。
広場中が見ている。
研究院も。
ノルンも。
賞金稼ぎも。
情報屋も。
全員が。
俺が物か、人間かを見極めようとしている。
なら、見せてやる。
「俺は売り物じゃない」
白い光が、腕に灯る。
「欲しけりゃ、まず俺の名前を覚えろ」
襲撃者たちが一斉に飛びかかった。
公開交渉は、一瞬で公開戦闘へ変わった。




