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第46話 『逃亡者たちの朝食』

 黒い塔が崩れた後。


 俺たちは、しばらく誰も動けなかった。


 朝日が森を照らしている。


 鳥の声が聞こえる。


 風が草を揺らしている。


 世界の底で、あんな化け物みたいなものと向き合った直後なのに——


 外は、妙に普通だった。


「……腹減った」


 俺が呟くと、全員の視線が集まった。


「今それ?」


 リゼが呆れたように言う。


「いや、命があるってことは腹が減るってことだろ」


「理屈は分かるけど……」


 リゼのお腹が、ぐぅ、と鳴った。


「……」


「……」


「リゼも腹減ってるじゃん」


「今のは違う!」


「何が!?」


「違うものは違う!」


 顔を真っ赤にして否定する。


 いや、完全に鳴ってた。


 ものすごく生命力ある音だった。


 看守長がくすくす笑う。


「平和ねぇ」


「どこがだよ。全員ボロボロだぞ」


「ボロボロでも笑えるなら、まだ勝ちよ」


 その言葉は、妙にしっくり来た。


 確かに。


 俺たちはまだ笑えている。


 なら、完全には負けていない。



 カインが荷物を漁っていた。


「食えるものなら少しある」


「マジか!」


「硬い保存パンと、乾燥肉」


「ごちそうだな!」


「感覚バグってるぞ」


「昨日から滝落ちたり水路潜ったり塔崩したりしてんだぞ? 食えるだけでごちそうだろ」


「それはそう」


 カインは苦笑しながら、保存食を配った。


 リゼは保存パンを両手で受け取る。


「これ、食べ物?」


「食べ物にギリギリ分類される」


「ギリギリ……」


 リゼが恐る恐るかじる。


 ガリッ。


「……硬い」


「だろうな」


「でも……」


 もう一口。


「おいしい」


「マジで?」


「うん」


 リゼは嬉しそうに笑った。


「外で食べるからかな」


 その一言で、みんな少し黙った。


 硬い保存パン。


 乾燥肉。


 冷たい朝の空気。


 普通なら、粗末な食事だ。


 でもリゼにとっては、これも“外”だった。


 初めての朝食だった。


「……そっか」


 俺は自分のパンを少し割って、リゼに渡した。


「これも食え」


「いいの?」


「俺、熱で食欲そんなにないし」


「嘘」


「バレた?」


「目が食べたそう」


「目で分かるのやめてくれ」


 リゼは少しだけ迷って、それからパンを受け取った。


「半分こ」


「律儀だな」


「一緒に食べたいから」


「……」


 さらっと言うな。


 こういう時、反応に困る。


 看守長がこっちを見てニヤニヤしている。


「青春ねぇ」


「だから茶化すな」


「だって朝食を半分こよ? 古典的だけど強いわ」


「何の分析だよ」



 セリアは座ったまま、保存食を小さくかじっていた。


 顔色は悪い。


 でも目は生きている。


「セリア、ちゃんと食えよ」


「食べています」


「鳥みたいな量じゃん」


「戦闘前なら十分です」


「今から戦闘すんな」


「可能性はあります」


「可能性だけで飯減らすな」


 ミラが横から冷静に言った。


「セリアは追加で食べて。失血している」


「ですが——」


「医師命令」


「……了解しました」


 セリアは素直に乾燥肉を受け取った。


「医者には弱いな、お前」


「合理的指示には従います」


「俺の指示も合理的だろ」


「あなたは自分の怪我を棚に上げるので、信頼度が低いです」


「的確すぎて痛い」


 リゼが横で頷く。


「ほんとそれ」


「味方がいない」


「いるけど、それはそれ」


 厳しい。


 でも、少し嬉しい。


 こうやって怒ってくれる人がいるのは、多分ありがたいことだ。



 少し離れた場所で、エレナが研究院兵たちに指示を出していた。


 俺たちを拘束しようとしていた連中。


 でも今は、負傷者の処置と撤収準備を優先している。


 さっきの「人命優先」は本気だったらしい。


「……あいつ、どうするんだ?」


 俺がカインに聞く。


「エレナか?」


「ああ」


「敵だな」


「やっぱり?」


「ただ、話が通じないタイプの敵ではない」


「それは助かるのか?」


「たまに一番厄介」


 カインは乾燥肉を噛みながら言う。


「理屈が通る敵は、理屈で人を捕まえに来る」


「やだなぁ……」


「しかも今回、お前とリゼの共鳴を見た」


「つまり?」


「強制回収は一時停止しても、観察は絶対やめない」


「やっぱり敵じゃん」


「だから言っただろ」



 そのエレナが、こちらへ歩いてきた。


 リゼがすぐ俺の前に立とうとする。


「リゼ」


「警戒してるだけ」


「分かってる」


 セリアも剣に手をかける。


 看守長は笑っているが、指先に魔力が灯っている。


 完全に臨戦態勢。


 エレナはそれを見ても、表情を変えなかった。


「交戦の意思はありません」


「信じていいのか?」


「現時点では」


「その言い方、すごく嫌だな」


「嘘は言いません」


「またそれか」


 エレナは俺の前で立ち止まる。


「ユウト」


「個体呼びしなくなったな」


「あなたが抗議したため、修正しました」


「事務的だけど進歩か」


「はい」


 真顔で頷くな。


「あなたとリゼリア様の処遇について、研究院本部へ報告します」


「処遇って言い方」


「では、今後の扱い」


「それも嫌だな」


「……保護方針」


「まだマシ」


「では保護方針で」


 変なところ素直だな、この人。



 エレナは続けた。


「今回の結果により、あなたを強制的に研究施設へ移送する案は、少なくとも私の判断では不適切とします」


「へぇ」


「ただし、研究院全体が同じ判断をするとは限りません」


「だろうな」


「むしろ、強硬派は動きます」


「強硬派?」


 カインが露骨に顔をしかめた。


「面倒な単語出たな」


 エレナは頷く。


「王国研究院内には、浄化技術を国家管理すべきと考える派閥があります」


「つまり俺を捕まえたい連中」


「はい」


「正直すぎる」


「加えて、王国軍、貴族院、周辺国も関心を示すでしょう」


「増えるな増えるな」


「あなたの存在は、既に一部へ伝達されています」


「最悪だ」


「はい」


「はいじゃないんだよ」



 リゼが俺の手を握る。


「逃げよう」


「だな」


 エレナが首を横に振った。


「逃走だけでは不十分です」


「じゃあ何しろって?」


「交渉権を得る必要があります」


「交渉権?」


「あなたがただの逃亡者であれば、各勢力は捕獲対象として扱います」


「今まさにそうだな」


「ですが、魔力汚染の浄化法を再現できる唯一の当事者であれば、交渉対象になります」


「……つまり」


 カインが目を細める。


「逃げるだけじゃなく、情報と成果を握れってことか」


「その通りです」


 エレナは俺を見る。


「あなたは、世界を救う鍵ではありません」


 少し間を置く。


「ですが、鍵の作り方を知る人物になれる可能性があります」


「……」


 言い方は相変わらず硬い。


 でも、少しだけ変わっている。


 俺を“材料”ではなく、“人物”として扱おうとしている。


 努力しているのかもしれない。



「で、そのためには?」


 俺が聞く。


「安全な場所で記録を整理する必要があります」


「研究院以外で?」


「はい」


「そんな場所あるのか?」


 その問いに答えたのは、カインだった。


「ある」


 全員がカインを見る。


 カインは嫌そうに頭をかいた。


「行きたくないけどな」


「どこ?」


 リゼが聞く。


「自由都市ノルン」


「自由都市?」


 看守長が目を細める。


「なるほどね。王国の外側、研究院の権限が届きにくい場所」


「情報屋、傭兵、商人、亡命者、訳あり貴族、逃亡研究者」


 カインはため息をつく。


「世界中の面倒くさい奴が集まる街だ」


「俺たちにぴったりじゃん」


「否定できないのが嫌だ」



 エレナが言う。


「ノルンなら、中立評議会を通じて交渉の場を作れる可能性があります」


「お前も来るのか?」


「私は一度、研究院へ戻ります」


「裏切らない保証は?」


「ありません」


「正直すぎる!」


「ですが、今回の記録を改竄せず提出します」


「それが助けになる?」


「少なくとも、研究院内の即時強制回収派を数日止める材料にはなります」


「数日か」


「はい」


 短い。


 でも、今の俺たちには十分貴重だった。



 ミラが薬袋を俺へ投げた。


「三日分」


「何が?」


「熱冷まし、痛み止め、魔力安定剤」


「ありがたいけど、これ高いやつじゃない?」


「高い」


「請求される?」


「される」


「やっぱり」


「生き延びたら払って」


「生き延びる理由が増えたな」


 ミラは少しだけ笑った。


「そう思っておいて」



 イヴは崩れた黒い塔の瓦礫を見ていた。


「イヴ」


「何?」


「お前はどうする?」


「ユウトに同行する」


「即答か」


「観測核だから」


「俺が危なくなったら停止するため?」


 リゼがむっとする。


 イヴは少し考えてから言った。


「今は違う」


「じゃあ何のため?」


「ハルトの失敗を繰り返さないため」


 その名前が出た瞬間、胸の奥が少し痛んだ。


 でも、嫌な痛みじゃなかった。


 忘れないための痛みだ。


「そっか」


「それと」


「?」


「普通の朝食に興味がある」


「そこ!?」


 リゼがぱっと顔を上げる。


「じゃあ一緒に食べよう!」


「今の保存パンが普通?」


「違うと思うけど、外で食べるなら普通かも」


「定義が難しい」


「あとでちゃんとしたご飯食べよう」


「楽しみ」


 イヴの表情はほとんど変わらない。


 でも、少しだけ声が柔らかかった。



 行き先は決まった。


 自由都市ノルン。


 そこへ行けば、全部解決するわけじゃない。


 むしろ、面倒ごとが増える予感しかしない。


 でも、ただ逃げるだけじゃない。


 自分たちの名前で交渉するために。


 誰かの器ではなく、人間として立つために。


 俺たちはそこへ向かう。



 出発前。


 リゼが崩れた塔の方へ向かって、静かに手を合わせた。


「ハルト」


 小さく名前を呼ぶ。


「行ってくるね」


 俺も隣に立つ。


「お前のこと、ちゃんと残す」


 風が吹いた。


 朝の光が瓦礫を照らす。


 返事はない。


 でも、なぜか背中を押された気がした。



「ユウト」


 リゼが俺を見る。


「今度こそ、普通の旅になるかな」


「ならないだろ」


「即答」


「だってメンバー見ろよ」


 元王女。


 元戦闘部隊。


 元看守長。


 元研究者の情報屋。


 無表情な観測核。


 借金請求予定の医者。


 そして、異世界から来た浄化する男。


「普通の旅になる要素がない」


 リゼは少し考えて、それから笑った。


「でも、普通のご飯は食べられるかも」


「それは大事だな」


「うん」


 俺たちは歩き出した。


 朝日の中へ。


 自由都市ノルンへ。


 逃亡者としてではなく。


 自分たちの未来を取り返すために。

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