第43話 『世界の底へ』
階段は、どこまでも下へ続いていた。
黒い石で作られた螺旋階段。
壁には古い魔導回路が走り、俺たちが進むたびに、白く、青く、赤く、順番に光っていく。
「……歓迎されてる感じがまったくしないんだけど」
「歓迎ではない」
先頭を歩くイヴが答えた。
「認証されているだけ」
「それ、余計に嫌なんだよな」
俺の腕は、さっきからずっと光っている。
熱い。
痛い。
でも、さっきまでの痛みとは少し違う。
引っ張られているような感覚。
この塔の底にある何かが、俺を呼んでいる。
⸻
「大丈夫?」
隣のリゼが、俺の手を握ったまま聞いてくる。
「大丈夫じゃない」
「正直」
「嘘ついたら怒るだろ」
「怒る」
「じゃあ大丈夫じゃない」
「……でも歩ける?」
「歩ける」
リゼは少しだけ眉を寄せた。
「無理してる?」
「してる」
「……」
「怒るなよ?」
「怒ってる」
「早いな」
リゼの手に力が入る。
その温かさが、今は妙にありがたかった。
⸻
後ろでは、カインが警戒しながら歩いている。
「エレナたち、上から来るぞ」
「分かるの?」
リゼが聞く。
「ああ。あいつらは諦めが悪い」
「白鴉といい勝負だな」
「研究院の連中は、目的が決まると人間味が消える」
「嫌な古巣だな」
「だから辞めた」
カインは軽く言った。
でも、その横顔は少しだけ苦かった。
⸻
セリアは負傷しているのに、剣から手を離さない。
「セリア、本当に大丈夫か?」
「歩けます」
「質問に答えてない」
「戦えます」
「さらに悪化した」
「……多少なら」
「多少禁止」
セリアは少しだけ困った顔をした。
「では、必要最低限だけ戦います」
「それも禁止寄りなんだよなぁ」
看守長がくすっと笑う。
「仲良くなったわねぇ」
「この状況で茶化すな」
「茶化せるうちは平気よ」
「その理論、何回聞いても信用できない」
⸻
ミラは少女を庇いながら降りていた。
少女はまだ震えている。
研究院の伝言を運ばされた子だ。
「その子、大丈夫か?」
俺が聞くと、ミラは頷いた。
「外傷は浅い。精神的には最悪」
「そりゃそうだよな……」
少女は小さく頭を下げた。
「ごめんなさい……私のせいで」
「違う」
俺は即答した。
「悪いのは利用した連中だ」
「でも……」
「俺たちも利用されっぱなしだからな。仲間だ」
「仲間って言い方、雑じゃない?」
リゼが小さく突っ込む。
「でも少し安心する」
少女が、ほんの少しだけ笑った。
よかった。
この階段、暗すぎる。
こういう小さい笑いがないと、息が詰まる。
⸻
やがて階段が終わった。
目の前に、大きな扉。
黒い金属でできた、巨大な扉。
そこに刻まれた文字が、俺の腕に反応して光る。
『最下層隔壁』
『初期接触点』
『浄化核保持者、および共鳴者のみ通行可能』
「……共鳴者」
リゼが呟く。
「私のこと?」
イヴが頷く。
「そう」
「なんで私なの?」
「リゼリアの血統は、観測者として調整されている」
「……調整」
リゼの顔が少し曇った。
その言葉は、気分が悪い。
人を道具みたいに言う響きがある。
「言い方」
俺がイヴを見る。
「もう少しどうにかならないか」
「事実」
「事実でも刺さる言い方ってあるだろ」
イヴは少し沈黙した。
「……ごめんなさい」
謝れるんだ、と思った。
リゼも驚いたように瞬きをした。
「ううん」
リゼは首を振る。
「私も知りたい。自分が何なのか」
⸻
イヴが扉に手を触れる。
「開けるには、二人の接触が必要」
「二人?」
「あなたと、リゼリア」
「……またか」
リゼが俺を見上げる。
「手、握ればいいのかな」
「たぶん」
すでに握っている。
なのに、なぜか意識してしまう。
この期に及んで何を照れてるんだ俺は。
看守長が後ろでニヤニヤしている。
「青春ねぇ」
「うるさい」
「まだ何も言ってないわよ」
「顔で言ってる」
「便利ね、顔」
⸻
俺とリゼは、並んで扉に手を置いた。
俺の右手。
リゼの左手。
手の甲が触れる。
「……」
「……」
近い。
こういう時に限って、妙に静かになる。
「緊張してる?」
リゼが小声で聞く。
「してる」
「扉に?」
「それもある」
「それ以外は?」
「言わせるな」
リゼの耳が赤くなる。
「……ばか」
「理不尽」
⸻
白い光が広がった。
扉の刻印が一斉に輝き、低い音を立てる。
ゴォン——
重い扉が開いていく。
その奥から流れてきたのは、冷たい空気。
そして、黒い霧。
「うっ……」
リゼが顔をしかめる。
「濃いな」
カインが口元を押さえる。
「これ、普通なら吸っただけでアウトだ」
「普通じゃない俺たちは?」
「長居したらアウト」
「結局アウトじゃん」
⸻
中は広い空間だった。
塔の最下層。
円形の巨大な研究室。
壁には割れた観測装置。
床には黒く焼けた跡。
中央には、巨大な穴。
底が見えないほど深い、黒い穴。
そこから、魔力汚染の霧が湧き上がっている。
「……これが初期接触点?」
ミラが呟く。
イヴが頷く。
「この世界に、最初に穴が開いた場所」
「穴?」
「異界との接続口」
俺は息を止めた。
「じゃあ、俺はここから来たのか?」
「直接ではない」
イヴは穴を見る。
「でも、同じ系統の裂け目を通って来た可能性が高い」
「異世界転移って、もっと神様とかトラックとかじゃないのかよ……」
「何の話?」
リゼが首をかしげる。
「いや、こっちの文化の話」
「あなたの世界、怖いね」
「だいぶ偏った理解をしてる」
⸻
その時、穴の底から声がした。
いや、声ではない。
記録。
残響。
誰かの意識の欠片。
『観測開始』
『異界適応者、接続成功』
『浄化反応、確認』
『世界修復計画、第一段階へ移行』
空中に映像が浮かび上がる。
一人の男。
白い光をまとった、一人目の異界適応者。
彼は疲れ切った顔で笑っていた。
『俺一人でいい』
『この力で救えるなら』
『俺を使え』
胸が、嫌なふうに痛んだ。
その言葉を、俺は笑えない。
少し前なら、似たようなことを言っていたかもしれない。
⸻
映像の中で、研究者たちが彼を囲む。
感謝。
称賛。
祈り。
期待。
全部が、彼に降り積もっていく。
そして彼は、少しずつ笑わなくなった。
『浄化範囲拡大』
『人格反応低下』
『世界核との同調率上昇』
『警告』
『適応者の人間性、維持困難』
⸻
リゼの手が震えた。
「これ……」
「ああ」
俺は映像から目を逸らせなかった。
一人目は、悪いやつじゃない。
むしろ、善人だった。
救いたかった。
だから壊れた。
それが一番きつい。
⸻
イヴが静かに言った。
「世界は、彼を必要とした」
「でも、彼を守らなかった」
「そう」
イヴの声がわずかに揺れた。
「私は、その失敗から作られた」
「一人目を止めるために?」
「間に合わなかった」
短い言葉だった。
でも、重かった。
⸻
その時。
背後の扉が、轟音と共に揺れた。
ドォン!!
「来た!」
カインが叫ぶ。
「エレナだ!」
扉の向こうから、エレナの声が響く。
「隔壁を開放しなさい」
「その領域は、王国研究院の管理下にあります」
「浄化個体を引き渡してください」
「うるせぇな!」
俺は思わず叫んだ。
「人のこと個体個体って、名前くらい聞けよ!」
一瞬、扉の向こうが静かになる。
そしてエレナが答えた。
「では、名を」
「……え?」
「あなたの名を申告してください」
「そこは素直なんだな!?」
リゼが少し笑った。
「言ってあげたら?」
「なんか負けた気がする」
「でも個体よりいいでしょ」
「それはそう」
俺は扉の向こうへ向かって言った。
「俺はユウトだ!」
ここで初めて、俺は自分の名前をこの世界に叩きつけた。
「浄化個体じゃない」
「材料でもない」
「俺はユウトだ!」
⸻
扉の向こうで、エレナが静かに答える。
「記録しました」
「そこ事務的!」
「では、ユウト」
エレナの声が少し低くなる。
「あなたの意思を確認します」
「研究院への同行を拒否しますか」
「拒否する」
「世界を救う可能性を放棄しますか」
「違う」
俺は即答した。
「世界は救えるなら救う」
リゼが俺を見る。
セリアも。
看守長も、カインも、ミラも。
「でも」
俺は拳を握る。
「俺一人を潰して救うやり方は拒否する」
⸻
沈黙。
扉の向こうのエレナは、何も言わない。
代わりに、隔壁が軋む音がした。
強制突破する気だ。
⸻
イヴが穴の中央へ歩き出した。
「時間がない」
「何をする」
「選択肢を提示する」
イヴが手をかざすと、中央の穴の上に、巨大な白い球体が現れた。
球体の中には黒いひびが走っている。
「世界核」
「これが?」
「魔力汚染は、世界そのものの傷」
イヴは俺を見る。
「一人目は、自分自身を使って傷を塞ごうとした」
「それで飲まれた」
「そう」
「じゃあ俺は?」
イヴは静かに言った。
「あなたには、別の可能性がある」
「別?」
「リゼリアとの共鳴」
リゼが息を呑む。
「浄化する者と、観測する者」
「二つが揃えば、世界核へ直接飲まれずに、傷だけを切り離せる可能性がある」
「成功率は?」
カインが聞く。
イヴは一秒だけ黙った。
「不明」
「出たよ!」
「でも、ゼロではない」
看守長が笑う。
「好きねぇ、その言葉」
「俺たち、そればっかだな」
⸻
リゼが俺の手を握った。
「やろう」
「即答かよ」
「だって、これを知ったら放っておけない」
「怖くないのか?」
「怖い」
「だよな」
「でも」
リゼは俺を見上げた。
「あなた一人にはさせない」
その言葉で、胸の奥がすっと軽くなった。
一人目と違う。
俺は一人じゃない。
⸻
セリアが剣を構え、扉の方へ向いた。
「隔壁は私たちが守ります」
「その体で?」
「今度は必要最低限ではなく、全力で守ります」
「だから怪我人なんだって」
「ここで倒れるなら本望です」
「それは禁止」
「……では、倒れないよう全力で守ります」
「よし」
看守長が隣に立つ。
「私も付き合うわ」
カインが魔導銃を構える。
「俺もだ。ここまで来たら最後まで見ないと情報屋の名が廃る」
ミラが金属棒を構える。
「医者としては反対。でも人間としては協力する」
少女も震えながら、ミラの後ろで頷いた。
「私も……できることをします」
⸻
扉がまた揺れる。
ドォン!!
ひびが入った。
エレナの声。
「最終警告です」
「開放しなさい」
⸻
俺はリゼと一緒に、世界核の前に立った。
白い光。
黒いひび。
その奥から、一人目の声が微かに聞こえる。
『やめろ』
『一人で背負うな』
その声は、俺に向けられている気がした。
「分かってる」
俺は小さく答えた。
「だから、一人じゃやらない」
リゼが頷く。
「一緒に」
俺たちは、世界核へ手を伸ばした。
⸻
触れた瞬間。
白い光が爆発した。
視界が消える。
音が消える。
体が浮く。
そして——
俺は見た。
世界の傷の奥にいる、巨大な黒い影を。
それは魔力汚染の源。
そして、一人目を飲み込んだもの。
黒い影が、ゆっくりこちらを向く。
頭の中に声が響いた。
『次の器か』
俺はリゼの手を握り返した。
「違う」
声が震えた。
でも、言った。
「俺たちは、器じゃない」
⸻
黒い影が笑った。
世界の底で、何かが目を覚ました。




