第41話 『旧研究領域』
黒い塔は、森の向こうに立っていた。
高い。
細い。
そして、不気味なくらい静かだった。
「……あれが旧研究領域?」
俺が聞くと、カインは苦い顔で頷いた。
「ああ。王国研究院が封鎖した、最初期の実験施設だ」
「封鎖ってことは、誰も入らない場所か?」
「普通はな」
「普通じゃない俺たちは?」
「入る羽目になりそうだな」
「最悪だな」
「毎回言ってるな、それ」
「毎回最悪なんだよ」
⸻
ミラが怪我をした少女を座らせる。
「まず全員、状態確認」
「そんな余裕ある?」
「ない。でも確認しないと死ぬ」
「説得力が強い」
ミラは淡々と全員を見た。
「セリア、出血継続。戦闘禁止」
「ですが——」
「禁止」
「……了解しました」
「俺は?」
「あなたは発熱、出血、魔力過負荷、浄化反応の暴走兆候」
「役満じゃん」
「笑えない」
「はい」
リゼが俺の腕を見つめる。
白い光はまだ消えない。
むしろ、黒い塔に近づくほど強くなっている気がした。
「……痛い?」
「痛い」
「苦しい?」
「ちょっと」
「無理してる?」
「かなり」
リゼがじっと見てくる。
「正直なのはいいけど、普通に心配が増える」
「嘘ついたら怒るだろ」
「怒る」
「じゃあ詰みじゃん」
⸻
看守長が黒い塔を見上げる。
「でも妙ね」
「何が?」
「旧研究領域は、普通なら結界で完全封鎖されてる」
「今は?」
「薄い」
「入れるってことか」
「入れるというより——」
看守長の目が細くなる。
「招かれてる感じね」
「やめろよそういう怖い言い方」
⸻
その時。
森の奥から、低い唸り声が聞こえた。
「……今の何」
リゼが小さく俺の袖を掴む。
「獣?」
カインが銃を構える。
「違う。汚染体だ」
「またかよ!」
「ここは発生源に近い。さっきの水路とは比べものにならない」
「それ先に言え!」
「今言った!」
木々の間から、黒い影が滲み出す。
狼のような形。
だが、輪郭が崩れている。
目だけが赤く光っていた。
「……数は?」
セリアが剣を握る。
「三」
カインが答える。
「いや、五」
看守長が言う。
「違うわ」
ミラが眼鏡を押し上げる。
「八」
「増えるな!」
⸻
汚染狼が一斉に飛びかかってきた。
「下がって!」
セリアが前に出ようとする。
しかし、傷のせいで一瞬動きが遅れる。
「セリア、無理すんな!」
「ですが!」
「俺がやる!」
言った瞬間、リゼが俺の手を掴んだ。
「一人でやらない」
「リゼ」
「一緒に」
その手が温かい。
触れた瞬間、俺の腕の光が変わった。
ただ光るだけじゃない。
流れが見える。
汚染狼の体を巡る黒い筋。
魔力の歪み。
弱い場所。
「……見える」
「私も」
リゼが小さく頷く。
「あの黒い線、切れば止まる」
「マジか」
「うん」
「じゃあ行くぞ」
「うん!」
⸻
俺は前に出た。
足は重い。
熱で頭もふらつく。
でも、リゼの手を握っている間だけ、意識が妙にはっきりした。
汚染狼が飛ぶ。
「右!」
リゼが叫ぶ。
俺は半歩ずれる。
腕を伸ばす。
触れる。
ジュウッ!!
白い光が弾け、汚染狼の片腕が崩れた。
「いける!」
だが、次の一体が横から迫る。
「危ない!」
リゼが俺を引っ張った。
勢い余って、俺はリゼを抱き込む形で地面へ転がった。
「うおっ!?」
「きゃっ!」
草の上。
俺の下にリゼ。
距離、ゼロ。
「……」
「……」
顔が近い。
近すぎる。
「ご、ごめん」
「う、うん」
「怪我は?」
「だ、大丈夫」
「ならよかった」
「でも」
「でも?」
「近い……」
「それは本当にごめん」
⸻
「緊急時に何をしているんですか!」
セリアの声が飛ぶ。
「事故だ!」
「事故にしては密着時間が長いです!」
「計測するな!」
看守長が笑っていた。
「余裕あるわねぇ」
「ないわ!」
⸻
カインの魔導銃が火を吹く。
バシュッ!
汚染狼の進路を逸らす。
「イチャつくなら後でやれ!」
「してねぇ!」
「してた!」
「してない!」
リゼが真っ赤になって小さく言う。
「……してない、と思う」
「自信持って否定してくれ!」
⸻
だが、汚染狼はまだ来る。
しかも、俺の光に反応している。
集まってくる。
「まずい」
ミラが言う。
「浄化反応に引き寄せられてる」
「俺、誘蛾灯かよ!」
「だいたいそう」
「否定して!」
看守長が黒紫の鎖を伸ばし、二体を絡め取る。
「長期戦は無理よ」
セリアが一体を斬り伏せる。
だが、膝が揺れた。
「セリア!」
「問題——」
「ある!」
セリアは言い直した。
「……少し、あります」
「やっと学習した!」
⸻
「塔へ向かうぞ!」
カインが叫ぶ。
「あそこなら遮蔽物がある!」
「その塔が一番危なそうなんだけど!?」
「森で食われるよりマシだ!」
「比較対象が最悪!」
⸻
俺たちは走った。
黒い塔へ向かって。
汚染狼が追ってくる。
俺の腕は熱い。
リゼの手は離せない。
離したら、たぶんこの光は制御できない。
「リゼ、走れるか!」
「走る!」
「無理するなよ!」
「あなたにだけは言われたくない!」
「それはそう!」
⸻
塔に近づく。
入口が見えた。
巨大な黒い扉。
そこには、古い文字が刻まれていた。
読めない。
でも、なぜか意味だけが頭に流れ込む。
『観測施設 第零塔』
『魔力汚染初期接触地点』
『適応実験、継続中』
「……継続中?」
俺は立ち止まりかけた。
「止まるな!」
カインが叫ぶ。
扉に手をかける。
だが、開かない。
「鍵か!?」
「違う」
ミラが文字を見て青ざめる。
「生体認証」
「誰の!?」
その瞬間。
扉の紋章が白く光った。
俺の腕と同じ色。
扉が、低い音を立てて開いていく。
「……俺かよ」
看守長が呟く。
「本当に招かれてるわね」
「全然嬉しくねぇ……!」
⸻
中へ飛び込む。
全員が入った直後、黒い扉が閉まった。
ドンッ。
汚染狼が外から体当たりしてくる。
だが、扉はびくともしない。
「……助かった?」
リゼが息を切らしながら言う。
「一旦な」
カインが銃を下ろす。
「ただ、問題がある」
「何だよ」
「ここ、たぶん外より危ない」
「知ってた!」
⸻
塔の内部は、研究施設だった。
古い机。
割れた試験管。
壁一面の魔導回路。
そして中央に、大きな円形の装置。
その上に、透明な棺のようなものがあった。
「……何だ、これ」
俺が近づくと、装置が起動した。
白い光が床を走る。
壁の魔導回路が次々に灯る。
そして——
空中に文字が浮かんだ。
『適応個体、帰還確認』
『異界由来因子、一致』
『浄化核、再起動』
⸻
全員が黙った。
俺も、言葉が出なかった。
「帰還って……」
リゼが小さく呟く。
「あなた、ここに来たことあるの?」
「ない」
俺は首を振る。
「絶対にない」
でも、装置は俺を知っている。
俺の光に反応している。
俺を“帰ってきた”と言っている。
⸻
その時。
透明な棺の中で、何かが動いた。
人影。
女の子。
銀色の髪。
閉じていた目が、ゆっくり開く。
その瞳は、俺と同じ白い光を宿していた。
⸻
『おかえりなさい』
声が、頭の中に直接響く。
⸻
『二人目の、異界適応者』
⸻
俺は息を呑んだ。
世界の核心は、想像よりずっと近くにあった。




