第40話 『世界を救うための材料』
礼拝堂の外に、白い光の輪が広がっていた。
床。
壁。
天井。
古びた石材の隙間にまで、魔法陣の光が染み込んでいく。
「……これ、ヤバいやつだよな」
俺が呟くと、カインが魔導銃を構えたまま答えた。
「ヤバいどころじゃない」
「またそのパターンかよ」
「封鎖結界だ。外から閉じるんじゃなく、中の空間ごと固定する」
「つまり?」
「逃げ道が減る」
「最悪だな」
「まだある」
「もう聞きたくない」
「魔力反応も吸われる」
「聞きたくなかった!」
体が重い。
熱のせいだけじゃない。
空気そのものが、肺にまとわりつくみたいだった。
⸻
扉の向こうから、女の声が響く。
「抵抗は推奨しません」
冷静。
淡々。
感情がないような声。
「こちらは王国研究院、特務執行官エレナ」
「浄化個体の回収を最優先とします」
「その他対象は、状況に応じて拘束」
「抵抗した場合は、無力化します」
⸻
「……無力化って便利な言葉だな」
「実質ボコるって意味だ」
カインが言う。
「やっぱりな」
⸻
リゼが俺の手を強く握った。
「渡さない」
「リゼ」
「絶対に渡さない」
震えてる。
怖いのに。
それでも、俺の前に立とうとしていた。
「下がってろ」
「嫌」
「お前が狙われる可能性もある」
「それでも嫌」
「……」
頑固だ。
ほんと、出会った頃から変わった。
いや、最初からこうだったのかもしれない。
外を見たいと言った時から。
⸻
セリアが剣を抜き、扉の前に立った。
「突破口を作ります」
「その体で?」
「可能です」
「可能かどうかじゃなくてな」
「止めても無駄です」
「それ俺のセリフじゃなかった?」
セリアは少しだけ口元を緩めた。
「移りました」
「嫌なもの移すな」
⸻
看守長が祭壇から降りる。
指先に黒紫の光。
今まで見た魔法とは、少し質が違った。
「本気出すのか?」
「少しだけね」
「それ本気出す人の言い方じゃないんだよ」
「全力出すと礼拝堂ごと消えるわよ」
「やめてくれ」
「だから少しだけ」
「少しの基準が怖い」
⸻
ミラが怪我をした少女を奥へ下がらせた。
「あなたたちは逃げて」
「逃げ道ないんだろ?」
俺が言うと、ミラは白衣の袖から細い金属棒を取り出した。
「医者にも、開けてはいけない戸棚くらいある」
「何それ」
「最終手段」
「医者の最終手段って治療じゃないの?」
「現実は違う」
カインが顔をしかめた。
「ミラ、それ使う気か?」
「使わないで済むなら使わない」
「それ一番使うやつじゃねぇか」
⸻
外で足音が揃った。
規則正しい。
複数人。
礼拝堂を完全に囲んでいる。
「突入まで十秒」
カインが言う。
「なんで分かる」
「研究院の癖だ」
「嫌な古巣知識だな」
「役に立ってるだろ」
「めちゃくちゃな」
⸻
俺は息を吸った。
熱い。
喉が焼ける。
腕の奥で、白い光が脈打っている。
使うなと言われた。
使えば、俺自身が汚染に近づくかもしれない。
でも——
扉の向こうには、俺を材料扱いする連中がいる。
守らなきゃいけない人がいる。
「……やるしかないか」
小さく呟く。
リゼがすぐに振り向いた。
「だめ」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
「マジか」
「無茶する顔してる」
「そんな顔ある?」
「ある」
断言された。
⸻
「大丈夫だ」
「それも信用できない」
「だよな」
リゼの目が潤む。
それでも、逸らさない。
「一人で背負わないで」
「……」
「私もいる」
セリアが頷く。
「私もいます」
看守長が笑う。
「私もね」
カインが肩をすくめる。
「一応、俺も」
ミラが淡々と言う。
「治療費は後で請求する」
「そこは仲間っぽく言ってくれよ!」
「仲間でも請求する」
「現実的すぎる」
少しだけ笑えた。
この状況で。
だから、まだ大丈夫だと思えた。
⸻
「突入」
外の声。
⸻
ドォン!!
扉が吹き飛んだ。
白い光。
粉塵。
その向こうから、銀色の装備をまとった女たちが一斉に入ってくる。
追跡部隊とは違う。
もっと無機質で、もっと冷たい。
研究院の兵士。
⸻
「対象確認」
「浄化個体、生存」
「元王女リゼリア、生存」
「捕獲行動開始」
⸻
「人を獲物みたいに言うな!」
俺が叫んだ瞬間、セリアが前へ出た。
ガキィン!!
先頭の兵士の槍を弾く。
「ここから先へは行かせません」
セリアの剣が走る。
怪我人とは思えない速度。
でも、いつもより少しだけ遅い。
白鴉との戦いのダメージが残っている。
「セリア!」
「見ないでください!」
「無茶してるだろ!」
「お互い様です!」
「それ言われると弱い!」
⸻
看守長が指を鳴らした。
黒紫の光が床を走る。
「足元注意」
次の瞬間、兵士たちの足元から影の鎖が伸びた。
「拘束魔法!?」
「趣味悪いでしょ?」
「強いけど!」
「褒め言葉ね」
「だから違う!」
⸻
カインが魔導銃を撃つ。
青い光弾が、兵士の装備だけを正確に撃ち抜いた。
「殺すなよ!」
「殺してない!」
「上手いな!」
「情報屋は手加減も商品なんだよ」
「意味分からんけどすごい!」
⸻
押している。
一瞬、そう思った。
だが——
礼拝堂の外から、ゆっくりと一人の女が入ってきた。
銀髪。
白い研究服。
片眼鏡。
手には杖。
兵士たちとは明らかに違う。
空気が、重い。
「やめなさい」
その一言で、兵士たちが動きを止めた。
「無駄な損耗は不要」
女は俺を見る。
まっすぐに。
「あなたが浄化個体ですね」
「……だったら?」
「回収します」
「拒否する」
「拒否権はありません」
「出たよ」
俺は思わず笑った。
「俺、人間なんだけど」
「人間です」
エレナは淡々と答えた。
「同時に、希少な研究資源です」
「最悪の言い換えだな」
⸻
リゼが前に出ようとする。
俺は腕で止めた。
「だめだ」
「でも——」
「今は俺が話す」
エレナの目が、リゼへ向く。
「リゼリア様。あなたも重要対象です」
「私は戻らない」
「あなたの意思は尊重されます」
「なら——」
「ただし、国家安全保障より優先されません」
「……!」
リゼの顔が歪む。
「結局、同じ」
「ええ」
エレナは否定しない。
「個人の願いで、世界は維持できません」
⸻
その言葉に、胸の奥が冷えた。
正しいように聞こえる。
でも、その“世界”のために人を材料扱いするなら——
「そんな世界、間違ってるだろ」
俺が言うと、エレナは初めて少しだけ目を細めた。
「では問います」
「あなた一人を研究することで、魔力汚染から数十万、数百万を救える可能性がある」
「それでも拒否しますか」
「……」
言葉が詰まった。
嫌な聞き方だ。
でも、軽く否定できない。
俺の力が本当に誰かを救えるなら。
使わないこともまた、誰かを見捨てることになるのかもしれない。
⸻
「答えられませんか」
エレナが言う。
「ならこちらで決めます」
杖の先に白い光が集まる。
「拘束します」
⸻
光が放たれた。
速い。
避けられない。
「っ!」
セリアが間に入ろうとする。
だが間に合わない。
⸻
その瞬間。
リゼが俺の前に出た。
「リゼ!?」
リゼの手が、俺の腕に触れる。
次の瞬間、俺の中の白い光が跳ねた。
リゼの瞳にも、淡い光が宿る。
空気が震える。
エレナの拘束光が、俺たちの前で歪んだ。
「……何?」
エレナの声が初めて揺れた。
⸻
白い光が、ただ弾いたんじゃない。
ほどいた。
拘束魔法の構造そのものを、解くように消していく。
「リゼ……?」
「分からない」
リゼ自身も驚いていた。
「でも、見えた」
「何が」
「この魔法の流れ」
⸻
エレナの目が鋭くなる。
「共鳴反応」
その声には、興奮が混じっていた。
「浄化個体とリゼリア様が接触した状態で、魔導式の解析干渉が発生」
「想定以上です」
「……」
俺はリゼの手を握った。
エレナの目を見て、はっきり言う。
「お前らのための実験じゃねぇ」
「いいえ」
エレナは静かに笑った。
「今ので、ますます回収理由が増えました」
「最悪だな、おい」
⸻
エレナが杖を掲げる。
礼拝堂の封鎖結界がさらに強くなる。
壁が軋む。
窓が割れる。
ミラが叫んだ。
「結界圧が上がってる!」
カインが舌打ちする。
「潰す気か!?」
「違う」
看守長の顔が険しい。
「中の魔力を吸い上げてる」
「何のために?」
俺が聞いた瞬間、エレナが答えた。
「強制安定化です」
「浄化個体を生きたまま拘束するには、環境ごと制御する必要があります」
「……」
「多少の犠牲は許容範囲」
⸻
礼拝堂の天井が崩れ始めた。
小さな石片が落ちる。
「多少じゃねぇだろ!」
⸻
ミラが金属棒を床へ突き刺した。
「全員、中央へ!」
「何する気だ!」
「最終手段!」
金属棒から青い光が広がる。
足元に別の魔法陣。
エレナの白い結界とは違う、粗くて不安定な光。
「転移陣!?」
カインが叫ぶ。
「お前、まだ持ってたのか!」
「一回限り!」
「行き先は!?」
「知らない!」
「最終手段すぎるだろ!!」
⸻
でも、選択肢はなかった。
エレナの結界が迫る。
兵士たちが再び動く。
礼拝堂が崩れる。
⸻
「全員、乗れ!」
俺が叫ぶ。
リゼ。
セリア。
看守長。
カイン。
ミラ。
怪我をした少女。
全員が魔法陣へ飛び込む。
⸻
エレナが杖を向ける。
「転移阻止」
白い光が走る。
転移陣が軋む。
「まずい!」
ミラが歯を食いしばる。
「干渉されてる!」
⸻
俺の腕が熱くなる。
リゼが俺を見る。
「一緒に」
「……ああ!」
俺たちは手を握ったまま、光へ触れた。
白い浄化光。
リゼの解析の光。
二つが重なる。
エレナの干渉魔法が、ほどけていく。
⸻
「あり得ない」
エレナが呟いた。
初めて、完全に表情が崩れていた。
「その反応は——」
⸻
転移陣が弾けた。
視界が白く染まる。
体が浮く。
音が消える。
⸻
最後に見えたのは。
崩れかけた礼拝堂の向こうで、エレナが俺を見つめる姿だった。
「必ず回収します」
その声だけが、妙にはっきり聞こえた。
⸻
次の瞬間。
俺たちは、世界から弾き出された。
⸻
落下感。
風。
草の匂い。
そして——
ドサッ。
「ぐえっ!」
俺は地面に叩きつけられた。
「痛ってぇ……!」
周囲を見る。
森。
深い森。
礼拝堂ではない。
街でもない。
「……全員いるか!?」
リゼが手を上げる。
「いる……!」
セリアも。
「問題……ありますが、生存しています」
「ついに問題認めた!」
看守長が草むらから顔を出す。
「転移って久しぶりにやると酔うわね」
カインが呻く。
「ミラ、行き先知らないって何だよ……」
ミラが眼鏡を直した。
「生きてるから成功」
「医者の基準が荒い!」
⸻
怪我をした少女も無事だった。
泣きそうになりながら、ミラに抱きついている。
「ここ、どこ?」
リゼが聞いた。
誰も答えられない。
ただ、森の奥から冷たい風が吹いている。
空は曇っている。
そして遠くに——
黒い塔が見えた。
⸻
カインの顔色が変わる。
「……まずい」
「またかよ」
「ここ、多分」
看守長も塔を見て、目を細めた。
「旧研究領域ね」
「何それ」
ミラが低く言う。
「魔力汚染が最初に観測された場所」
⸻
沈黙。
⸻
俺の腕が、また白く光った。
今までより強く。
まるで、この場所に反応するみたいに。
⸻
リゼが俺の手を握る。
「……ここ」
「うん」
俺は黒い塔を見上げた。
逃げてきたはずだった。
でもどうやら。
俺たちは、世界の核心に近づいてしまったらしい。




