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第37話 『地下水路決戦』

 地下水路の奥から、足音が増えていく。


 カツン、カツン、カツン。


 ひとつじゃない。


 十。


 いや、それ以上。


「……完全に追いつかれてるな」


 俺が呟くと、カインが魔導銃を構えたまま笑った。


「人気者はつらいな」


「全然嬉しくねぇよ」


「安心しろ。俺も嬉しくない」


 リゼが俺の腕を見た。


 まだ、うっすら光っている。


「痛む?」


「めちゃくちゃ痛む」


「……ごめん」


「謝るなって」


 そう言うと、リゼは唇を噛んだ。


 泣きそうな顔。


 こういう顔をされると、こっちの方が困る。


「大丈夫だ」


「大丈夫じゃないでしょ」


「まあな」


「正直すぎるよ……」


 リゼが小さく笑った。


 少しだけ空気が緩む。


 だが、その空気はすぐに消えた。


「来ます」


 セリアが前に出た。


 肩から血が流れている。


 それでも剣を握る手は震えていない。


「セリア、お前その傷で——」


「問題ありません」


「絶対問題あるだろ」


「動けます」


「それ問題ある奴の言い方なんだよ」


 セリアは振り返らない。


 ただ、静かに剣を構えた。


「ここで止めなければ、全員捕まります」


 その言葉に、誰も反論できなかった。


 暗闇の向こう。


 白い仮面の割れた女が現れる。


 白鴉。


 仮面の半分は砕け、片目だけが露出していた。


 冷たい目。


 それなのに、どこか人間らしい怒りが混じっている。


「セリア」


 白鴉が言った。


「あなたは、そこまで堕ちましたか」


「堕ちたつもりはありません」


 セリアは答える。


「選んだだけです」


「逃亡者を?」


「仲間を」


 その一言で、白鴉の目が細くなった。


「ならば、任務として排除します」


 白鴉が手を上げる。


 背後の追跡部隊が一斉に構えた。


「対象リゼリアは生存確保」


「適応個体の男も生存確保」


「他は——」


 白鴉の声が冷たくなる。


「状況により処理」


「おい」


 俺は思わず口を挟んだ。


「さらっと怖いこと言うな」


「あなたの価値は上がりました」


「嬉しくねぇって言ってんだろ」


「魔力汚染を浄化する適応個体」


 白鴉の視線が、俺の腕に向く。


「確認しました」


「……もうバレたのかよ」


 カインが舌打ちする。


「最悪だ。さっきの反応、追跡魔導に拾われてる」


「それ先に言え!」


「今分かった!」


「じゃあ仕方ないな!」


「納得早いな!」


 看守長が笑った。


「いいじゃない。どうせ隠し通せないわよ」


「お前、たまに最悪な前向きさ出すよな」


「褒め言葉として受け取るわ」


「違う!」


 白鴉が一歩踏み出す。


 同時に、追跡部隊が左右に広がった。


 水路は狭い。


 逃げ場は少ない。


 後ろには汚染体が出た水路。


 前には追跡部隊。


 完全に挟まれている。


「詰みじゃねぇか」


 俺が呟くと、カインが小声で言った。


「一個だけ道がある」


「どこだよ」


「下」


「またかよ」


 カインが足元を指した。


 水路の中央。


 黒く濁った水。


「この下に旧排水路がある」


「潜るのか?」


「そう」


「この黒い水に?」


「そう」


「嫌すぎるだろ!」


「だから追われにくい」


「理由が毎回最低なんだよ!」


 リゼが水面を見て、顔を青くした。


「これ……さっきの汚染体がいた水だよね」


「いるな」


 カインは即答した。


「多分うじゃうじゃいる」


「最悪の上塗り!!」


 だが、白鴉たちはもう近づいている。


 考える時間はない。


「俺が先に入る」


 言った瞬間、全員がこっちを見た。


「だめ」


 リゼが即答した。


「お前、さっきもそれ言っただろ」


「だめなものはだめ」


「でも俺しか無理だ」


「……っ」


 リゼが言葉を詰まらせる。


 分かっているのだ。


 この汚染された水路を突破できる可能性があるのは、俺だけだと。


「俺が先に入って、汚染体を散らす」


「危険すぎるわ」


 看守長が珍しく真面目な声で言った。


「その能力、まだ制御できてない」


「じゃあどうする?」


「……」


 答えはない。


 だから俺は笑った。


「大丈夫だ」


「それ、根拠ないやつでしょ」


 リゼが震える声で言う。


「ない」


「もう……!」


 リゼが俺の服を掴んだ。


「絶対、戻ってきて」


「ああ」


「絶対だよ」


「分かった」


 セリアが白鴉を睨んだまま言う。


「三十秒稼ぎます」


「短くない!?」


「この状態では十分です」


「十分の基準が武闘派すぎる!」


 カインが地下排水路の蓋に手をかける。


「開けるぞ」


「頼む」


 重い鉄蓋が、ギギギと音を立てて開いた。


 下から、生ぬるい空気が上がってくる。


 臭い。


 湿気。


 そして、嫌な魔力の気配。


「うわ……」


 思わず声が出た。


「これ行くの?」


「行くしかない」


 カインが言う。


「外の世界、ほんとクソだな」


「ようこそ」


「歓迎すんな」


 その瞬間、白鴉が動いた。


「確保」


 追跡部隊が一斉に駆け出す。


「行ってください!」


 セリアが叫び、白鴉へ斬り込んだ。


 ガキィン!!


 再び火花が散る。


 看守長が指を鳴らす。


「少し派手にいくわよ」


 バチッ。


 閃光が弾け、追跡部隊の足が止まった。


「今!」


「飛び込め!」


 カインが先に飛び降りた。


 続いて看守長。


 リゼが俺を見る。


「先に行け」


「……絶対来て」


「行く」


 リゼが飛び込む。


 俺は最後にセリアを見た。


 セリアは白鴉と斬り結びながら、こちらへ叫んだ。


「行ってください!」


「お前もすぐ来い!」


「当然です!」


 俺は頷き、黒い排水路へ飛び込んだ。


 冷たい水。


 いや、ぬるい。


 気持ち悪い。


 全身にまとわりつくような感覚。


「……っ!」


 息を止める。


 暗い。


 何も見えない。


 だが、腕が光った。


 白い光が水中に広がる。


 その瞬間——


 周囲の黒い影が、一斉に動いた。


 いる。


 大量に。


「っ……!」


 汚染体が俺に群がる。


 腕へ。


 足へ。


 背中へ。


 焼ける痛み。


 全身を噛まれているみたいだ。


 でも、光が強くなる。


 黒い影が白く崩れる。


 水が少しだけ澄んでいく。


 俺は必死に前へ進んだ。


 前方に、リゼの影が見える。


 カインが手招きしている。


 あと少し。


 あと少しで——


 その時、背後から何かが落ちてきた。


 セリアだ。


 だが、その直後。


 白鴉も飛び込んできた。


「マジかよ……!」


 水中で叫べない。


 だが心の中では叫んでいた。


 しつこすぎるだろ、あの女。


 白鴉の短剣が水中で光る。


 狙いは——リゼ。


 俺は反射的に向きを変えた。


 水を蹴る。


 間に入る。


 短剣が俺の肩をかすめた。


「っ!!」


 痛み。


 血が水に滲む。


 リゼが目を見開く。


 声にならない叫び。


 その瞬間、俺の腕の光が爆発するように広がった。


 白い光が水路全体を満たす。


 汚染体が一斉に崩れる。


 黒い水が、透明に近づく。


 白鴉の動きが止まった。


 いや、止まらざるを得なかった。


 光に触れた白鴉の装備が、バチバチと音を立てている。


 魔導具が壊れている。


 カインが叫んだ。


「今だ! 抜けろ!」


 俺たちは一気に進んだ。


 狭い通路を抜ける。


 息が限界。


 肺が痛い。


 もう無理だと思った瞬間——


 水面が見えた。


 ザバァッ!!


「ぷはっ!!」


 俺は水面へ顔を出した。


 咳き込む。


 空気がうまい。


 臭いけど、うまい。


「全員いるか!?」


 カインが叫ぶ。


「いる!」


 看守長。


「いる……!」


 リゼ。


「問題ありません」


 セリア。


「お前それ絶対問題ある声じゃないだろ!」


 セリアは肩で息をしていた。


 白鴉との戦闘、水中での追跡。


 限界が近いのは明らかだった。


 だが——


 白鴉は来なかった。


「撒いた……?」


 リゼが呟く。


「いや」


 カインが首を振る。


「一時的だ」


「でも今は?」


「逃げるしかない」


 看守長が俺の肩を見た。


「あなた、また怪我してるわよ」


「知ってる。痛い」


 リゼが俺の肩を見て、顔を歪めた。


「また庇った」


「結果オーライだろ」


「全然オーライじゃない」


 リゼは泣きそうだった。


 でも怒ってもいた。


「次やったら怒る」


「もう怒ってるだろ」


「もっと怒る」


「怖いな」


 俺が笑うと、リゼは俺の胸を軽く叩いた。


 弱い力。


 でも、震えていた。


「……無事でよかった」


「お前もな」


 その時、カインが前方を指した。


「出口だ」


 古い鉄扉。


 その向こうから、かすかに風が流れている。


「ここを抜ければ?」


「街の外縁部」


「助かるのか?」


「一旦な」


 一旦。


 その言葉が重い。


 でも今は十分だった。


 カインが扉を押す。


 ギィ、と錆びた音。


 外の空気。


 夜明け前の青い光。


 俺たちは、地下水路から外へ出た。


 そこは、小高い丘だった。


 遠くに街の灯り。


 さらに遠くに、監獄島の方角。


 空が少しずつ明るくなっている。


「……出た」


 リゼが呟く。


「また、外だ」


「ああ」


 俺は頷いた。


 体はボロボロ。


 腕も肩も痛い。


 でも、生きている。


 全員、生きている。


 セリアが膝をつきそうになり、俺とリゼで支えた。


「大丈夫か?」


「……少し、休めば」


「強がるな」


「強がっていません」


「絶対強がってる」


 看守長が笑う。


「休める場所が必要ね」


 カインが頷いた。


「次の隠れ家へ行く」


「まだあるのかよ」


「情報屋だからな」


「便利すぎる」


「ただし」


 カインの顔が少し曇る。


「さっきの浄化反応、かなり派手だった」


「……つまり?」


「もう、この街だけの問題じゃない」


 その言葉の直後。


 遠くの空に、赤い光が上がった。


 ひとつ。


 ふたつ。


 みっつ。


「……何だあれ」


 カインが低く言う。


「緊急信号」


 看守長の顔から笑みが消える。


「監獄島だけじゃない」


「研究院も、国も、動くわ」


 リゼが俺の袖を掴んだ。


 セリアが剣を握り直す。


 カインが舌打ちする。


 俺は夜明けの空を見上げた。


 ようやく逃げ切ったと思ったのに。


 世界は、もう俺たちを見つけていた。


 そして——


 追跡は、次の段階へ進む。

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