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第36話 『適応する男』

 セリアの瞳に、青白い光が灯った。


 白鴉は、ほんのわずかに首を傾げる。


「それを使いますか」


「ええ」


 セリアは床に突き刺さった剣を引き抜いた。


 血が唇の端から滲んでいる。


 それでも、その構えは崩れていない。


「ここで使わなければ、意味がありません」


「あなたは昔からそうでしたね」


 白鴉の声は静かだった。


「守るものができると、判断が鈍る」


「違います」


 セリアは剣を構え直す。


「守るものができたから、強くなるんです」


 次の瞬間。


 セリアが消えた。


 いや——そう見えた。


 踏み込みが速すぎたのだ。


 ガキィン!!


 白鴉の短剣と、セリアの剣が衝突する。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 音が重なる。


 倉庫の中に火花が散った。


「速くなりましたね」


「あなたこそ」


「でも」


 白鴉の仮面の奥で、目が細くなる。


「まだ足りない」


 白鴉の体がふっと沈む。


 次の瞬間、セリアの懐に入り込んでいた。


「っ!」


 短剣が脇腹を狙う。


 セリアは紙一重で避けた。


 だが完全には避けきれない。


 服が裂け、血が飛ぶ。


「セリア!」


 遠くで誰かが叫んだ気がした。


 けれど、ここに彼はいない。


 彼は今、地下で逃げている。


 だから——


「止まれない」


 セリアは呟いた。


「私は、止まれない」



 一方、地下水路。


「走れ走れ走れ!!」


 カインの声が響く。


「言われなくても走ってる!!」


 俺はリゼの手を引きながら、濡れた石畳を全力で駆けていた。


 背後では、黒い魔力汚染体が水面を割って迫ってくる。


 触手みたいなもの。


 泥みたいな体。


 何より気持ち悪い。


「外の世界、歓迎ムードゼロなんだけど!?」


「外はいつもこんなもんだ!」


「最悪すぎる!」


 カインが短銃型の魔導具を構える。


 バシュッ!


 青い光弾が飛び、黒い影の一部を吹き飛ばした。


 だが——


 すぐ再生する。


「効いてないじゃん!」


「効いてる! ちょっとだけ!」


「ちょっとじゃ困るんだよ!」


 看守長が舌打ちする。


「魔力汚染体は普通の魔導攻撃じゃ散らしにくいのよ」


「じゃあどうすんだよ!」


「燃やすか、浄化するか、逃げる」


「三択目しか現実的じゃねぇ!」


 その時、リゼが足をもつれさせた。


「っ……!」


「リゼ!」


 咄嗟に支える。


 近い。


 濡れた髪が頬に触れる。


 息がかかる。


 こんな状況じゃなければ確実にドキッとする場面だ。


 いや、今もちょっとした。


「ご、ごめん」


「謝るな。走れるか?」


「うん……!」


 だが、汚染体はもうすぐそこまで来ていた。


 黒い触手がリゼへ伸びる。


「させるか!」


 俺はリゼを抱き寄せるように引き、前に出た。


 触手が俺の腕へ絡みつく。


「ぐっ……!」


 焼ける。


 皮膚の内側を直接炙られているような痛み。


 だが——


 黒い触手は、また震えた。


 ジュウ、と嫌な音を立てる。


「……っ!?」


 触手が溶ける。


 黒い煙になって、水面へ落ちる。


「まただ」


 カインが目を見開いた。


「お前、本当に何者だ?」


「だから知らねぇって!」


 俺の腕から、薄い光が漏れていた。


 青でも赤でもない。


 白に近い、妙な光。


「……適応してる」


 看守長が呟いた。


「何にだよ」


「魔力汚染に」


「さっきも聞いた!」


「違うわ」


 看守長の目が鋭くなる。


「耐えてるんじゃない」


「……?」


「書き換えてる」


 その言葉の意味を理解する前に、汚染体がまた迫ってきた。


 今度は三方向。


「まずい!」


 カインが叫ぶ。


「囲まれる!」


 俺は腕を見る。


 まだ光っている。


 痛みはある。


 だが、動く。


「……なぁ」


「何だ!」


「俺が触れば、あいつら下がるんだよな?」


「たぶん!」


「たぶんで作戦立てたくねぇな!」


 でも、他に手がない。


 俺は息を吸った。


「リゼ、下がってろ」


「だめ!」


 即答だった。


「危ない!」


「危ないのは全員同じだろ!」


「でも——」


「大丈夫だ」


 根拠なんてない。


 でも言った。


「俺、たぶんこれに強い」


 リゼが唇を噛む。


 そして、俺の袖をぎゅっと掴んだ。


「絶対戻って」


「戻る」


「絶対」


「分かった」


 俺は前へ出る。


 水面が揺れる。


 黒い影がこちらを狙ってくる。


「来いよ」


 声が震えた。


 でも引かない。


「こっちは散々追い回されて、崖から落ちて、滝まで落ちてんだ」


 腕の光が強くなる。


「今さら黒いヘドロくらいでビビってられるか!」


 汚染体が一斉に飛びかかった。


「うおおおおっ!!」


 俺は両腕を広げて、真正面から受け止めた。


 激痛。


 焼ける。


 裂ける。


 でも——


 黒い魔力が、俺の腕に触れた瞬間、白い光へ変わっていく。


 まるで毒が中和されるみたいに。


「……嘘だろ」


 カインが呆然と呟いた。


 汚染体の動きが止まる。


 黒かった表面が、灰色に変わる。


 そして——


 崩れた。


 水路に溶けるように消えていく。


「……はぁっ……はぁっ……!」


 俺は膝をついた。


「痛ってぇ……」


「馬鹿!」


 リゼが駆け寄ってくる。


「馬鹿! ほんとに馬鹿!」


「助かったって言ってくれてもいいんだけど」


「助かった!」


「お、おう」


「でも馬鹿!」


「情緒忙しいな!?」


 リゼは泣きそうな顔で俺の腕を掴んだ。


「こんな無茶、しないで」


「いや、無茶しないと詰んでたし」


「それでも!」


 言葉が詰まる。


 リゼの手が震えていた。


 俺は何も言えなくなった。



 看守長がしゃがみ込み、俺の腕を見る。


「……これはすごいわね」


「何が」


「あなた、魔力汚染を浄化してる」


「浄化?」


「かなりまずい能力よ」


「いい意味で?」


「悪い意味でも」


 看守長は真顔だった。


「これがバレたら、追跡部隊どころじゃない」


「……」


「世界中があなたを欲しがる」


 カインも頷く。


「男で、適応個体で、汚染浄化持ち」


「それ、もう国宝じゃ済まない」


「やめろ。俺は物じゃねぇ」


「そう言えるうちはいい」


 カインの声は重かった。


「でも外の世界は、そう見てくれない」



 その時。


 地下の天井が大きく揺れた。


 ドォン!!


「上か!」


 俺は顔を上げる。


「セリア……!」



 地上。


 セリアは膝をついていた。


 肩で息をしている。


 剣を握る手が震えていた。


 白鴉は、ほとんど傷を負っていない。


「限界ですね」


「……まだです」


「あなたは強い」


 白鴉は短剣を下げる。


「ですが、守る対象が増えすぎた」


「……」


「剣が鈍っています」


 セリアは笑った。


 血の混じった笑みだった。


「そうかもしれません」


「認めるのですか」


「ええ」


 セリアは立ち上がる。


「私は昔より弱くなったのかもしれない」


 剣を構える。


「でも」


 青白い光が、さらに強くなる。


「今の私は、昔よりずっと怖くない」


 白鴉が初めて、ほんの少し沈黙した。


「なぜです」


「帰る場所ができたからです」


 セリアは踏み込んだ。


 真正面から。


 白鴉の短剣が動く。


 セリアの剣が弾かれる。


 だが——


 セリアは剣を手放した。


「……!」


 白鴉の反応が一瞬遅れる。


 セリアはその一瞬で懐へ入り込み、白鴉の腕を掴んだ。


「捕まえました」


「っ」


 次の瞬間。


 青白い光が爆ぜた。


 倉庫全体に衝撃波が広がる。


 白鴉の仮面に、ひびが入った。


「……あなた」


 白鴉の声が初めて揺れた。


「そこまで」


「ええ」


 セリアは荒い息のまま笑う。


「私は、戻りません」



 地下水路。


 遠くで爆発音が響いた。


「今のは……!」


「セリアだ」


 俺は立ち上がる。


「戻るぞ」


「馬鹿か!」


 カインが叫んだ。


「今戻ったら全部終わる!」


「でも——」


 その時。


 水路の奥から、足音が聞こえた。


 カツン。


 カツン。


 ゆっくり。


 確実に。


「……追手?」


 リゼが小さく呟く。


「違う」


 看守長の顔が険しくなる。


「この足音は——」


 暗闇の奥。


 白い仮面の破片を手にした誰かが現れた。


 血を流しながらも、背筋を伸ばしている。


「……セリア!」


 俺は思わず叫んだ。


 セリアは小さく微笑む。


「約束しましたから」


「必ず追いつくと」


 その背後。


 遠くの闇の中で、白鴉の声が響いた。


「逃がしません」


 セリアは剣を握り直す。


 俺も、痛む腕を押さえながら前を向いた。


 リゼが隣に立つ。


 看守長が笑う。


 カインが魔導銃を構える。


 全員、ボロボロ。


 でも——


 誰も膝をついていない。



 水路の奥から、追跡部隊の足音が増えていく。


 ここから先は、逃げるだけじゃ足りない。


 戦って、進むしかない。

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