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第35話 『白鴉』

 天井の梁に立つ、白い仮面の女。


 追跡部隊隊長——白鴉。


 その名を聞いた瞬間、騎士の空気が変わった。


「……まさか、あなたが出てくるとは」


「久しいですね」


 白鴉は静かに答えた。


「元第七監獄戦闘部隊、セリア」


「……!」


 俺は思わず騎士を見る。


「お前、名前セリアっていうのか!?」


「今そこですか!?」


「いや初耳だったから!」


 この緊迫感で何言ってんだ俺。


 でも本当に初めて聞いた。



 白鴉はゆっくりと床へ降りた。


 音がしない。


 着地したはずなのに、まるで羽みたいに軽い。


「任務放棄」


「重要収容対象の逃亡幇助」


「監獄機密の漏洩」


 淡々と罪状を読み上げる。


「セリア。あなたはもう、こちら側の人間ではありません」


「ええ」


 セリアは剣を構えた。


「そのつもりです」



 白鴉の視線がリゼへ向く。


「リゼリア様」


「……」


「帰還してください」


「嫌」


 即答だった。


 リゼの声は震えていない。


「私は戻らない」


「外は危険です」


「知ってる」


「あなたは特別です」


「それも知ってる」


「では——」


「だから戻らない」


 リゼが一歩前に出る。


 俺は慌てて腕を引いた。


「おい、前出るな」


「でも」


「気持ちは分かるけど今は死ぬ」


「……うん」


 素直に下がった。



「話し合いは終わりですか?」


 白鴉が首を傾げる。


「なら、回収します」


 次の瞬間。


 消えた。


「っ!」


 セリアが反応する。


 ガキィン!!


 金属音。


 目の前で火花が散った。


「速っ……!」


 白鴉の短剣が、セリアの剣に受け止められていた。


「下がってください!」


 セリアが叫ぶ。


「この人は——私が止めます!」



 カインが俺の肩を掴む。


「地下へ行くぞ」


「セリアは!?」


「置いていく」


「ふざけんな!」


「じゃあ全員捕まるか?」


「……っ」


 正論が痛い。


 でも納得できない。



「行ってください!」


 セリアが叫ぶ。


 白鴉の連撃を受け止めながら。


「私は必ず追いつきます!」


「信用していいのか!?」


「当然です!」


 その返事だけは、迷いがなかった。



「行くわよ」


 看守長が地下扉を開く。


「リゼ!」


「うん!」


 俺たちは地下へ走る。


 背後では、セリアと白鴉の剣戟が響いている。


 ガキン、ガキン、ガキィン!!


 音だけで分かる。


 普通の戦いじゃない。



 地下通路に飛び込む直前。


 俺は振り返った。


 セリアと目が合う。


「死ぬなよ!」


「命令ですか?」


「頼みだ!」


 一瞬だけ。


 セリアが笑った気がした。


「了解しました」



 扉が閉まる。


 重い音。


 戦闘音が遠ざかる。



「……くそ」


 俺は拳を握った。


「置いてきた」


「違うわ」


 看守長が言う。


「あの子が残ると決めたの」


「同じだろ」


「違う」


 珍しく、強い口調だった。


「信じるのも仲間の役目よ」


「……」


 言い返せなかった。



 地下通路は湿っていた。


 水の匂い。


 狭い道。


 暗い石壁。


「また水路かよ……」


「文句言うな」


 カインが先導しながら言う。


「この街の地下水路は、外縁部まで繋がってる」


「そこから逃げる?」


「そう」


「出口は?」


「三つ」


「どれ使う?」


「一番臭いやつ」


「最悪だな!」


「追跡されにくい」


「理由が嫌すぎる!」



 走りながら、リゼが振り返る。


「セリア、大丈夫かな」


「大丈夫だ」


 即答した。


「……ほんと?」


「たぶん」


「そこは言い切ってよ」


「いや、でもあいつ強いだろ」


「うん」


 リゼは少しだけ笑った。


「名前、初めて知ったね」


「それな」


 こんな状況なのに、少しだけ空気が緩んだ。



 その時。


 ドォン!!


 背後から衝撃。


 地下通路が揺れる。


「何だ!?」


 カインの顔色が変わる。


「上で派手にやってる」


「セリアか?」


「多分な」


 看守長が低く言う。


「でも、長くは持たない」


「急げってことか」


「そういうこと」



 さらに奥へ。


 水路は枝分かれしている。


 カインは迷いなく進む。


「左」


「右じゃないのか?」


「右は詰む」


「なんで?」


「昔、詰んだ」


「経験談かよ!」



 その瞬間。


 リゼが足を止めた。


「……待って」


「どうした?」


「何か来る」


「追手か?」


「違う」


 リゼの顔が青ざめる。


「下」


「下?」



 水面が揺れた。


 ポコッ。


 ポコポコッ。


「……おい」


 嫌な予感しかしない。



 次の瞬間。


 水路の中から、黒い触手のようなものが飛び出した。


「うわっ!?」


「魔力汚染体だ!」


 カインが叫ぶ。


「外の世界の闇、その一だ!」


「説明してる場合か!」



 触手がリゼへ伸びる。


「リゼ!」


 俺は咄嗟に前へ出た。


 腕で受け止める。


 焼けるような痛み。


「っ……!」


 だが——


 触手は、俺に触れた瞬間にビクッと震えた。


 そして、黒い煙を上げて引っ込む。


「……は?」


 カインが目を見開いた。


「お前、今何した?」


「知らねぇよ!」


 俺が聞きたい。



 看守長の目が鋭くなる。


「適応個体……」


「おい、説明しろ」


「たぶん」


 看守長は俺の腕を見る。


「魔力汚染に耐性がある」


「耐性?」


「それどころか、汚染を弾いてる」


「……マジかよ」



 水路の奥で、さらに何かが蠢く。


 黒い影。


 一つじゃない。


「感動してる場合じゃないな」


 カインが短銃型の魔導具を構える。


「走れ!」



 背後には追跡部隊。


 上ではセリアが戦っている。


 目の前には魔力汚染体。



「ほんと外の世界ヤバすぎだろ!」


「言っただろ」


 カインが笑う。


「監獄島の方が平和だって」


「笑えねぇんだよ!」



 俺はリゼの手を掴んだ。


「行くぞ!」


「うん!」



 地下水路の奥へ。


 さらに深く。


 俺たちは走った。



 そしてその頃——


 地上では。



 セリアの剣が弾かれ、床に突き刺さっていた。


 白鴉は静かに告げる。


「弱くなりましたね」


「……そう見えますか」


 セリアは血の滲む口元で笑った。


「なら、好都合です」



 次の瞬間。


 セリアの瞳に、青白い光が灯った。



「ここからは」


「元部隊長としてではなく——」



「一人の女として、戦います」

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