思い出の浜辺
だからどうで、ツェトラは姉上を見習うべきでうんぬん……なんて言う説教臭い言葉を、ニアリングは続けなかった。
皆に出来ることが出来ないからと言って凹んではいけない、とも、上達できるように頑張れ、とも言わない。
思い出話を含めて、言葉の解釈は任せるとでも言いたげに口を噤む。
異世界の『缶ジュース』を上手に開けると、豪快にぐいっと飲み干してしまう。
それから、「今は遊びに来てるんですよね」
とだけ言って、ツェトラの髪を優しく撫でた。
何のために、ヴィルジーナ陛下を好きになったきっかけを話してくれたのか。
そう尋ねれば間違いなく正解を教えてくれるのだろうけど、そうするのも野暮ったい気がした。
だからツェトラは何も言わず、もう一度──今度は素直にアイテムボックスから浮き輪を取り出して、海へ入った。
波が打つままに、いつも張りつめていなければいけなかった身体の力を少しずつ抜き、潮の浮力に任せる。
さっきは波の力に抗って、決めた方向にだけ進もうとして挑んでいたから。
だから戦う時と同じように、身体に力が入りすぎて上手く行かなかったのだ、と思った。
遊びに来ているのだ。訓練でも授業でも依頼でもない、楽しい遊び。
どう楽しむかを自由に決められなくちゃ、何のために冒険者になったのか分かりゃしない。
さきほどから目に留めて気にしてくれている監視員のお姉さんを信頼して、流れるまま沖に行ってしまわないように、他のお客にぶつからないようにだけ気を付けて。
ただただ浮いていようと思った。いざとなれば魔法で岸まで戻ればいい。
波の音。
きらめく海。
どこまでも遠くて青い空、照り返す真夏の太陽──日焼け止めってやつはどこまで効果があるもんだろうか?
日差しが眩しすぎて眼を閉じて、突如、それもほんのわずかに見えた光景に心を向ける。
夕刻の海だ。この浜辺だ。
おしゃれな水着を着た一組の美男美女が、浜辺でたき火をしながら何事かを話している。
はっきりとは聞き取れないが、確かに波の音に紛れて、どこかで聞いたような声がしているのだ。
誰かの記憶だ。
ごく親しい、誰かの。
『本当に……ないのか』男が言う。
女が応える。『ええ……で、ひとりで……わ。あなたに……はない、安心して』
『だが、俺は……』男が本音を話そうとして、
『……だと……てるの。わかって、お願い』強気な女にあっけなく阻まれて、あきらめて苦笑してしまう。
短い夢がそこで終わった。
はたと目を覚ます。親友たちに心配をかけずに済むほどの、ごくごく短い午睡だった。
自分がそれほど岸から離れていないのを確認して(かなり安堵した)浮き輪を岸へと向けながら、ツェトラはぼんやり考える。
「あれは、……確かにお母さまだったわ」
だとしたら、彼女を抱き寄せようとしていた細身だが逞しい男性は、やはりお父様だったのだろう。
ひと夏だけ、もしかしたらたった一夜限りの逢引きだったのだ。
悪戯好きな風と波の精霊が見せた、一瞬の幻に過ぎない。
もう離れてしまったというのに、それを自分で選んだはずなのに。
いつまで気にすれば気が済むのだろうか?
「いじわる」と誰にともなく言って子どもっぽく唇を尖らせながら──こちとら子供だ、何が悪い──想定した通りに魔法で浮き輪を操作して、親友たちが楽しそうに遊んでいる浜辺近くの地点に合流する。
明るくて社交的な2人は家族連れの観光客の一団と既に打ち解けていて、いまニアリングが3人の子ども達とまとめて遊んでいるところだ。
海まで来るのに入念に準備を行っていたのは、ツェトラ達よりもむしろニアであった。
自己負担で釣り具と疑似餌をそろえ、釣った魚を焼くための網や火起こしセットまでアイテムボックスに詰め込んで来たと見える。
彼女のそばの何もないはずの空間から道具が飛び出すたびに、子ども達が歓声を上げる。
興味を惹かれたらしい他のお客たちも集まって来たのはニアにとっては想定外だろうけれど──にぎやかな浜辺が、より一層賑やかさを増してゆく。
「……さて。何かお手伝いできることが、ありますでしょうか?」
遊びの輪に加わろうとしない若い夫婦に、ツェトラは気取って声をかけた。
浮き輪に掴まったままでなければ、もっと恰好がついたかも知れなかった。
2021/11/24更新。




