生活と志の狭間で(2)
周囲の人々の温情(まとめて出世払いするつもりではある)があったとはいえ、決して裕福な暮らしをしてきたわけではない。
食事の間隔や時間が不規則だったり、小食で済ませたりするのには慣れている。
何よりも自分のことを優先して動いてくれるエメリットのことを、ツェトラも優先したい。
「わかりました。ツェトラさまには……すべてお話します」
そう辛いエピソードでもない、と茶化すように前置きして、エメリットが浅く息を吸い込んだ。
「あたしは──あたしも、家族から必要ないって言われた人間です。7歳でした」
「何故? 力持ちで働き者で、とてもかわいいのに。わたしなら絶対、手離したりしないわ」
「いない方が都合が良かったんです。貧しい家でしたから、その馬鹿力を使って稼いで来いという具合に。まあ、体よく追い出されたんですよね。暫くは年齢サバ読みしまくって田舎の工事現場とかで働いてました」
『剛力』の"星"に助けられて、危険な目にも全くあわず、むしろ現場では仕事ぶりを評価されちゃったりなんかしていたと明るく言う。厭なこともなかったと見える。
「さすがはエメリットね」
「はい、そりゃもう。それで、ずっと労働者でも構わないかなーと思ってた時、監督官に引き取られまして」
「大事にしてくれた──わけないよね」
「ええ。人身売買の常習犯でした。優秀な労働者を奴隷商人に横流ししてたんです。ドリュー伯爵の代になってやっと捕縛されましたけど、あれは筋金入りってやつでしたね」
マクスウェルやヴァイロンは何をしていたのだろうか。
『灼土帝国』は臣民に対して善政を敷いて来たのではなかったか。
「いくら皇帝陛下が強くても優しくても、警察機構を整えたり法律を作ったり、いい政治をなさっても……悪党はいます。絶対に、居なくなることはない。紳士みたいな顔をしていればいいんです、人の好い労働者のふりをしていればいいんです。他人をあざむいて悪いことをした方が楽に楽しく暮らせるんですよ、ツェトラさま」
「わたしは、そんなの嫌」
そんな生き方をするくらいなら、狂気のうちに一振りの魔剣を恃んで皇帝に挑み、無謀な逆賊として討たれる方が幾らもマシだ。
「そうでなくちゃ困ります、あたしのプリンセスは」
微笑んだメイドがすばやく立ち上がり、スリッパをぱたぱた鳴らして、台所の戸棚の瓶に詰めてある手作りクッキーを持ってきてくれた。
2人で香ばしい音をさせながら味わう素朴なお菓子が、ツェトラは大好きだ。
「でもね、ツェトラさま。奴隷商人も監督官も、あたしを手ひどく扱ったりはしませんでしたよ。リルムお母様ほどじゃないけど、いろいろ教えてくれたし、あれこれと世話も焼いてくれました。大事な商品ですし、当然と言えば当然ですけど」
「憎めなくなった、のね」
「はい。どうすればいいかわからないままリルムお母様が来られて、商人も捕まって。あっという間にお2人のお屋敷に来ることになって。ドリュー辺境伯が、直々に話を聞いてくださったんです」
「ドリュー様は何と?」
「最高の復讐とは、おのれが幸せになってみせることであると。怒りと恨みを以って当たるのも良いが、それでは貴族や警察機構の仕事がなくなってしまう、と笑っておいででした」
しあわせになってみせる。
ツェトラはゆっくりと、実際に言葉を発してみた。
わたしの幸福を知った時、わたしの憎むべき相手はわたしに想いを馳せるだろうか。
やつらはきっと、手に入れた物を守るのに必死になるだろう。
それでもすぐに物足りなくなるだろう、さらなる高みを望むだろう。
そうして疲れて、思いがけず傷つくだろう。上手く行かなかったり不意に没落してしまったりして後悔することも、もしかしたらあるかも知れない。
流行りの冒険譚の、主人公に見返された後の悪役みたいに。
まったく関わりのないところで、自分なりの幸福を身体と心いっぱいに味わい尽くして、愛する者と共に、明るく楽しく生きる。
それは……魔剣で仇敵たちの胸を刺し貫くよりも、さぞや快いことに違いない。
「決めた。報復は一切しない、誰にもしない」
「あら……ご自分で"ざまぁ"できなくていいんですか?」
「皇帝陛下にお任せする。報復が必要なのはむしろ、お姉様がただと思う。そうできるのも」
少し話しただけでも、3姉妹が長い雌伏の時を過ごして来たのが分かった。
ヴァイロンに怒りを以って当たる資格があるとすれば、それは自分ではないのだと思う。
2021/9/8更新。
2021/9/9更新。




